- 女たらし。最後の色事師。ジャコモ・カサノヴァとは誰? 何者か?
- 読書というのは筆者との会話のようなもの
- 「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね」本気か嘘つき、シャイな眼差し、憎いカサノバ、Fall in love♪
- 愛し愛されるのが人生。ジャック・カサノヴァの生涯
- 時代背景はほぼ『ベルサイユのばら』と同じ
- カサノヴァ回想録から(黄色下線は本文より)
- 真実こそ絶対に魅力を持つ。この世で幸福になるには、愛されなければいけません。
- ふつう一人称小説は、三人称小説よりも読みやすいもの。
- 楽しめるのが生きているあいだだけのことであるとするならば、人生はまさに幸福だ
- カルペディエム。今を生きろ。愛って何?
- 詐欺師。カバラ魔術師。占い師。
- モテ男でも売春婦を買う不思議。素人女だけじゃ満足できないのか?
- 性病。梅毒。梅毒の水銀療法とは何か?
- 梅毒の治療の歴史。毒をもって毒を制す。
- コンドームの歴史
- 幸福は長続きしないなどといって幸福を否定する哲学者のことを嘲り笑った。
- カサノヴァの文体は、なんとなく同時代人のサド侯爵に似ている。性の哲学を語る心理学者。百科全書家。
- 瀉血、刺絡。投獄、蚤、虱、痔。
- 気前の良さがモテる条件。女というのは金を払わせるようにできている。
- 魔術師、偉大な人物との出会い
- 貴重な時間は、快楽を得るためにしかない
- 女修行、女道場。カサノヴァの修行
- わたしは美しい顔が持っている力を知りすぎるほど知っていた
- ロンドンの娼婦シャルピオン。カサノヴァを手玉にとった女
- 成功した男の自慢話よりも、失敗した男の苦悩話の方が面白い
- サンジェルマン伯爵。詐欺師、ペテン師の百花繚乱時代。
- 決闘者。女をめぐる男のたたかい。
- 歓迎されなくなる。今じゃもう人に愛される女じゃありません。
- エカテリーナ二世
- 老い。この種の行為において手柄を立てえるような年齢は過去のものとなっていた。欲望の炎は消えてしまった。
- 結論もオチもなく終了する物語。
女たらし。最後の色事師。ジャコモ・カサノヴァとは誰? 何者か?
ジャコモ・カサノバ。英語風にいえばジャック・カサノヴァ・ド・サンガール。世紀のモテ男。貴族風に名乗っていますが貴族ではありません。貴族の庇護を受けた錬金術師、魔術師、詐欺師、そして色事師です。作家でもあり、スパイでもありました。百科全書家のディレッタント。
読書というのは筆者との会話のようなもの
よく言われることですが、読書というのは筆者との会話のようなものです。さて、あなたなら、歴史上のどんな人物と会話したいですか?
物語の最後の救い(オチ)をキリスト教に求めたギャンブル狂のドストエフスキーでしょうか?
ドストエフスキーは今日の日本人にとっても本当に名作といえるのか?
最後は雪の中で野垂れ死んだトルストイ?
それとも放浪のペテン師。世紀の女たらし。カサノヴァ?
わたしだったら、女にモテないから小説を書いたような文士の作品よりも、世界一モテた男の話しが聞きたいですね。そうです。その人こそジャコモ・カサノヴァ。自由と女を愛した流浪の冒険家です。
どうせ話しを聞くなら世界一のモテ男の話しを聞きたい。それが『カサノヴァ回想録』を読もうと思った理由のすべてです。
さあ、フランス革命前夜のヨーロッパに旅に出かけよう。
「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね」本気か嘘つき、シャイな眼差し、憎いカサノバ、Fall in love♪
「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね」という不思議なタイトルの歌が昔、流行りました。そのなかに「本気か嘘つき、シャイなまなざし、憎いカサノバ、fall in love」という歌詞が登場します。
わたしが最初にカサノバを知ったのはこの歌詞だったかもしれません。
この歌の詩を書いた人がカサノヴァの回想録を読んでいたかどうか知りませんが、女たらしカサノヴァの名を不滅なものにした回想録を読破した今、思うのは、この歌詞は「すばらしく言い得て妙だな」だということです。
カサノヴァってどんな人物かと聞かれたら、私も「本気か嘘つき、シャイな眼差し、憎いカサノバ、Fall in love」と答えたい。そんな人物でした。
「本気か嘘つきシャイなまなざし」というのは若かりし頃のカサノバのことです。「憎いカサノバ」というのは「好きだけど自分のものにできないカサノバ」という意味ですね。
カサノヴァはたくさんの女に手を出しましたが、結局、誰のものにもなりませんでした。
そして女に愛されこそすれ憎まれるような男ではありませんでした。性病をうつされた女はすこしは憎んだかな(笑)。
回想録では老いてモテなくなったカサノバが登場します。ここまで正直に書いてくれて後世に残してくれてよかったな、と思いました。自分に格好つけたかったら、前半だけ書き残して、後半は省略してしまうこともできたはずです。しかしカサノバはそうしませんでした。老いて落ちていく自分のことをちゃんと書き残しています。むしろこの後半があってこその文学ではないでしょうか。
フランス革命前夜のヨーロッパの風俗を知る資料として高い評価を受けています。年老いてからこの回想録を書き始めたといいます。モテているうちは回想録なんて書いている時間はなかったのでしょう。老いてモテなくなって女の尻を追いかける時間が自分のものになってはじめて彼は体験記を書き残すことができるようになりました。この点、後で述べますが牢屋に入れられてはじめて作家になれたサドと似ています。
モテ自慢にも似た回想録の前半を読むとムカムカする読者もいるかもしれませんが、我慢して最後まで読み続けると留飲が下がる場面が登場します。ああ、人生とはこういうものなんだな、と偉大な色男ジャコモ・カサノヴァが教えてくれます。
愛し愛されるのが人生。ジャック・カサノヴァの生涯
「わたしは狂おしいほど女を愛してきた。しかし、つねに女たちより自由を愛してきた」
伝説の色男の生涯は自著『カサノヴァ回想録』において自ら語られています。関係した女性の数は千人を超えるとか。AV男優なみですね。
どこにいっても女にモテる美貌の持ち主で、身長は187センチ。色黒でヘラクレスのような偉丈夫でした。
十九年にわたるヨーロッパ遍歴から、放浪の旅人ともいわれます。故郷ベネチアを追放され、今でいうイタリア、フランス、ドイツ、トルコ、オランダ、ロシア、チェコ、イギリス、スイス、オーストリア、ポーランド、スペインなど全ヨーロッパを放浪しています。
その間は賭博と色事の日々。人間的な魅力で有力者にとりいり庇護者をみつけ、魅力的な容姿で社交界に出入りします。
同性(男性)から憎まれること多く、投獄されたり、決闘したりしています。
その反面、女性からは愛されました。別れて憎まれるということがありません。カサノバは気前がよく女性には行為の後にお金を渡すのが常でした。これが「チップ」なのだか「売春」なのだか、気前のいい「おごり」なのだか、その判定は曖昧です。
少女が好みですが、人妻でも、売春婦でも、いい女であれば見境ありません。またセックスは2on1(女性2、男性1)をベースと考えていたフシがあります。やたらと乱交・複数人同時プレーが多い(笑)。カサノヴァ自身もそうした状況の方が女性を口説きやすいと述べています。ほんまかいな(笑)。
そして性病。まだ梅毒の治療薬が開発される前の時代に何度も梅毒に罹患し、そのたびに水銀で治癒しています(笑)。よく水俣病に罹らなかったな(笑)。
また社交界において名士との交流もさかんで、女帝エカテリーナ二世や、フリードリヒ大王、ヴォルテール、ポンパドール夫人、マリア・テレジアなどがいます。さらに伝説の人物サンジェルマン、カリオストロなどとも会っています。ルイ十五世暗殺未遂で八つ裂きになったフランソワ・ダミアンの処刑を物見遊山で見物したりしています。
ヴェネチア生まれなのでイタリア語が母国語ですが、フランス語を学び『回想録』はフランス語で書かれています。英語は解さなかったようで、ロンドンでは売春婦をものにしようと全力を尽くしましたが翻弄されて目的を果たせませんでした。
時代背景はほぼ『ベルサイユのばら』と同じ
1725年~1798年を生きました。フランス革命前後を生きた人物です。時代背景はほぼ『ベルサイユのばら』と同じ。こう書けば背景となる時代がわかるでしょう。
回想録を読めば、ルイ十五世の、フランス革命直前のヨーロッパ人の生活、考え方、生き方などが迫ってきます。スマホがなくても人は生きていたし、YouTubeがなくても、記録がなくても、今の人たちと同じように食べてセックスして人生を謳歌しようとしていたということが。
ウィキペディアWikipediaのまちがい発見した場合の対処法
ツラのいいだけのイケメン男はカサノヴァの他にもたくさんいたはずです。それなのにどうしてカサノヴァだけがモテたのか。モテる男は内面までもいい男だったのに違いありません。わたしが回想録に探したいのは、そういった「女にモテるのが当然の男」の姿です。
カサノヴァ回想録から(黄色下線は本文より)
何の表情もない人間は、いわゆる性格というものも持ち合わせていない。
わたしは生涯にわたって感情の衝動によって行動したことの方が多いと自ら認めている。
行動は精神よりも性格に左右された。
官能の喜びを深めることが、つねにわたしの主要な仕事だった。自分は女性のために生まれてきたのだと自覚し、つねに女性を愛し、できるかぎり女性に愛されようとつとめた。
→A子さんのため、とか、B子さんじゃないとだめ、といった発想はカサノヴァにはありません。あくまでも「女性のために生まれてきた」なのでした。
好奇心を刺激するあらゆるものに対して情熱を燃やした。
わたしを迫害した憎らしい敵もいたが彼らを撲滅できなかった。というのは、そうする力がなかったからである。
女についていえば、わたしは自分の愛した女たちの匂いを常に心地よくおもった。彼女たちの発汗が激しければ激しいほど、わたしには甘美なものと思われた。
わたしは大金を使って快楽を手に入れた。
それが幸せなものであろうと、不幸なものであろうと、人生こそが人間の所有する唯一の財産なのだ。
わたしが彼女の女の神秘を開いていくと、彼女の方からも、少しづつそれに合わせてきた。
あなたの服をどれか貸してよ、完全に司祭になりすましたいのよ。あなたは、わたしの服を着て女になるのよ。
こうなってみると、自分の愚かな慎みが悔やまれ、恥ずかしくなってきた。
彼女はわたしに向かってありとあらゆる冒涜的な言葉を投げつけてきたが、わたしはそんなものは聞き流し、しっかりと腰をおさえていた。さあ、おとなしくするんですよ。気絶したようにしていらっしゃい。どうしたって、あなたを離したりはしないんですからね。
あなたは恐ろしい人だわ。あたしの今後の生涯を不幸にしたのよ。もう満足したでしょう? いや。
ヴェネチアではやきもちやきの男は安心して暮らせない。
真実こそ絶対に魅力を持つ。この世で幸福になるには、愛されなければいけません。
人間というものの九分九厘は臆病者で成り立っているからである。わたしは勇気なしには言えないようなある種の場面も決して除かず、事実を正直に語った。真実こそ絶対に魅力を持つのだ。
ウソの醜さを教える代わりに、真実の美しさを見せてやる。それがこの子をかわいらしくする唯一の方法ですよ。この世で幸福になるには、愛されなければいけません。
ふつう一人称小説は、三人称小説よりも読みやすいもの。
真実こそ絶対に魅力を持つ、といってカサノヴァは女性関係も賭博関係も、真実を語りました。そのために筆禍、口禍を受けて敵をつくりました。
ふつう一人称の小説は「わたし」を中心に世界が展開するため、三人称小説より読みやすいものです。カサノヴァの回想録は「わたし」一人称で書かれているのですが、登場人物が非常に多くて読みにくかったです。とくに情事する相手の女が多すぎて名前が覚えられない(笑)。
『マノン・レスコー』『カルメン』のように、世界にひとりしかいない女をひたすら恋する物語だったら、女の名まえはマノンひとり覚えればすむんですけどね。
××伯爵夫人というように、伏字の人物も多数登場します。おそらくバレたらまずい実在の人物なのでしょう。またカサノヴァが実名を使ったのは、ヴォルテールやエカテリーナなどが歴史に名を残す人物であることを知っていたということもあるのでしょう。長嶋茂雄や王貞治が登場する『巨人の星』みたいなものですね。
しかしカサノヴァが歴史に名前を残すと思ったほとんどの人物は、そうはなりませんでした。だから現代人が読むと「モブが多すぎる」という読書感を持ちます。多すぎる登場人物の中でも、カサノヴァの意に反して、サンジェルマンやカリオストロ、ダミアンなどがこれほど歴史に名を残すと知っていたら、もっと字数をつかって彼らのことを詳述したのだろうと思います。誰が残り誰が消えるか、そこまではわからなかったんでしょうね。
そして何よりもカサノヴァは自分自身が、フリードリヒ大王やエカテリーナ二世以上にある意味で大きく歴史に名を残すなんて思ってもみなかっただろうと思います。
アドルフ・ヒトラーはフリードリヒ大王になりたかったみたいですけど、私だったらプロイセンの大王なんかよりもJ・カサノヴァになりたい。ヒゲよりもボインです。
楽しめるのが生きているあいだだけのことであるとするならば、人生はまさに幸福だ
もし快楽が存在し、それを楽しめるのが生きているあいだだけのことであるとするならば、人生はまさに幸福である。わたしは暗い部屋にいても、広大な地平線と向かい合った窓から差し込んでくる光を見るならば、無限の喜びを感じるのである。
もし神聖にして侵すべからざる寺院にあなたが侵入することを禁ずれば、最後にあなたは殺すといって僕をおどかすに違いありません。(おそらく男色の比喩)
彼は女帝マリア・テレジアにつかえて大尉になっていた。しばらくすると百万長者になり、最後には漕役囚になっていた。彼は美しかった。美しいにもかかわらずまるで絞首台に連れていかれるような顔つきをしていた。この種の男にほかにもあったことがある。たとえばそれはカリオストロである。
わたしは賢明な決意をして、教会に勤めることなどはきっぱりと投げ棄てたのです。教会にいたのでは、自分を満足させる幸運を期待できません。
仲間の情婦にきれいだと思うのがいれば、お互いの同意で楽しみあっていた。そうした交際を不倫なものと扱われて、島流しにあっていた。
ここがわたしの書庫でハーレムさ。老人になると女は寿命を縮めるからね。だけどよい酒は長生きさせる。すくなくとも人生をより楽しませてくれるよ。
いまだにお告げなどがあることを知ってたいへん面白いと思った。
カルペディエム。今を生きろ。愛って何?
いったい愛とは何なのか? わたしはこの問題について、いわゆる賢者たちの書いたいっさいのものを読んだし、あれこれと考えてみた。が、年老いた今も、愛がつまらぬものであるとか、むなしいものであるといったようなことはどうしてもいうことができない。
愛はこれ以上に甘いものはない苦しみであり、これ以上に苦いものはない甘さである。
この首に巻いている紐は、もう愛していただけなくなったら首をくくるためのものです。あなたを熱愛しなければ、こんな罪はひとつもおかさなかったでしょう。
詐欺師。カバラ魔術師。占い師。
わたしはいつも二通りの意味にとれる答えしかしなかった。古代の異教の司祭たちが、無知で信じやすい人たちに尊敬の念を抱かせるのがいかにやさしいことであったかを知った。
わたしはしばしばキリスト教の玄義について語る彼らの話しを聞きながら腹の底で笑った。イエス・キリストが復活するのは当然のことだ。なぜならこれは与えられた前提であるから。
キリスト教が世界一の信者数を誇る不滅の宗教であるのはなぜなのか?
かなりの金持ちで、生まれながらにして堂々とした容貌をそなえ、果断な賭博師で浪費家、つねにはっきりとものをいう大話術師、謙虚なところは少しもなくて大胆不敵、美しい女と見れば後を追い、競争者の地位を押しのけて奪い、自分を楽しませてくれる相手以外は仲間に迎えない……こうしたわたしでは嫌われるより仕方がない。
いつも危険に身をさらす覚悟はきちんと決めて、自分には一切が許されると思いこんでいた。わずらわしい邪魔だてなどはまったく眼中になかった。そしてついに国家の監獄にたどりつかねばならない道をたどり始めた。
きみは罰金を支払う覚悟と、年配になったときに天罰を受ける覚悟を今から決めておいた方がいい。
ノンではなくどうもとおっしゃい。ノンは否認の言葉です。これはお捨てなさい。さもないとパリではどこに行くにも剣を持ち歩かなければなりませんよ。
平民も何とかして対等の勢力を持ちたいと思っているのでしょうが、そんなことを許すような王様がいるわけがありません。
自宅に閉じこもったままで、一日の大半をネコと遊んでいた。
老婆に迫られたカサノヴァ。待ってください、わたしは、その、なんていうか……実は淋病が……。まあ汚らしい子ね。
あたしが貞操をもちいるのは、ただ貞操を破りたいからこそ貞操を愛する男の人を見つけるためですわ。
どうしたら哲学者になれるんですか? 考えることです。
ベネチア。お祭り気分の愉快な街。誰もが仮面をかぶって浮かれ楽しむ謝肉祭は一年の半ば以上にわたる。
モテ男でも売春婦を買う不思議。素人女だけじゃ満足できないのか?
カサノヴァは当然ながら稀代のモテ男、色事師なので、十代、人妻など相手はより取りみどりでした。それほどモテる男なのに、淫売を買うようなこともひんぱんに行っていました。それで性病をうつされたりしています。
いや、それだけ相手がいたら、素人相手だけで十分でしょうに、なんで売春婦を買うかな(笑)?
また相手が素人女でも、母親に娘を斡旋してもらったり、本人にお金を与えたりしているので、売春だか、恋愛だか、チップだか、読んでいてよくわからなくなります。
だからといってすべてが売春ではなく、とにかく気前がいいんですね。パトロンにもらった金か、賭博でもうけた金なので、とにかくパッと使ってしまうのです。
わたしもまた彼女のしあわせのためにのみ生まれてきたのだと思い、ミラノのあらゆる婦人たちの嫉妬をかき立ててやろうなどと考えたりした。お金もたくさんあったので、わたしは一刻も早くこの輝かしい機会をつかみ、大いに出費をしたくてならなかった。
まずしい医者に感謝されたカサノヴァは何ごとかと思ったら、自分の性病が女にうつり、それが男にうつり、その妻に、妻の間男にうつり……。道楽者がまき散らした花柳病のおかげで医者は大繁盛したので、その原因者として感謝されたのでした。カサノヴァがいまは健康だというと医者はガッカリしました。もう一度性病をひろめてくれると思ったのです。
『カサノヴァ回想録』でいう性病というのは、ほとんどが梅毒です。いまでこそ梅毒はトレポネーマ(スピロヘータ)という菌が原因だとわかっており、ペニシリン系の抗菌薬の内服や点滴によって初期の場合は治療することができます。しかしカサノヴァの時代にはそういうことはわかっておらず、なんと水銀治療という治療を行っています。これは毒を持って毒を制するというような治療法です。
性病。梅毒。梅毒の水銀療法とは何か?
わたしはあらゆる金銭づくの美女たちと知り合った。ハンガリー美人にうつされた不快な病のために活動を停止しなければならなかった。七人目の女だった。六週間の食養生によってその難を脱した。健康な時には病気になるための、病気のときは健康を回復するための努力以外のことはしてこなかった。
医者は六週間後にわたしを完全に元通りの体になおしてくれた。わたしは堕落した人間と見なされた。
妊娠はありえない。そのわけを聞いてたしかにそうだと思いました。だけど一二年したら、ぼくも彼女と同じように、その不幸に襲われるかもしれないと思っています。→梅毒の暗示か?
このようにカサノヴァは性病に何度もかかっています。
ベッドから出たとき、わたしは何かひりひりする不快な痛みを感じた。不吉な予感におそわれ、体が震えた。原因を突き詰めた結果、メルラの毒を移されたことを知って唖然とし、ものも言えなかった。そして悲嘆にくれて、再び寝てしまった。
恐ろしい。彼女の余生を不幸なものにしてしまったら、わたしはどうしたらいいのか?
六週間部屋に閉じこもる。危険な金属である水銀は、わたしの精神をたいへんに弱めてしまった。
発汗させるためのせんじ薬と水銀錠剤は、墓場へと連れていく病毒からわたしを解放してくれるはずだった。厳格な食養生を守り、心身を疲労させるようなことはいっさい控えなければならない。
カサノヴァは水銀治療という治療を行っています。これは毒を持って毒を制するというような治療法です。水銀は水俣病の原因にもなる、もちろん毒です。
水銀を服用すると、下痢をして、唾液があふれて、体液がだだ洩れになります。当時は便秘やうっ血など「滞り」が病の原因と考えられたため、瀉血という血を抜くことで血の滞りをなくすような治療法が信じられていた時代です。半ば魔術のようなものがまかり通っていた時代だったのです。またカサノヴァ自身がこのような魔術的な医者でもありました。
水銀を飲んで体液だだ洩れになるというのは、「滞り」をなくし毒素を排出するという立派な医学、治療でした。
猛毒の水銀を治療に使うという歴史は長く、幼い頃、私がつかっていた赤チンは水銀化合物なのだそうです。立派に私も水銀治療していたわけですね。
カサノヴァの治療は水銀の服用でしょう。しかし下痢などの症状が強烈なため部屋から出られなかったものと思われます。水銀療法についてはそこまで詳しくは回想されていません。それは当時あたりまえすぎて誰もが知っていることだから省いたのか、あまりにも下品だから省いたのか、わかりません。カサノヴァ回想録は当時の風俗資料として高く評価されている面があります。水銀治療についても詳しく詳述しておいてほしかったところですね。
梅毒。わたしがこの呪わしい疫病にかかったのは二十度目であったが、彼は生まれて初めてついにそれにかかったのだった。
その前に梅毒という言葉が何を意味するか知っている? 知っています。飛脚はそのために死にました。
一週間すると硝石水しか飲まなかったわたしは、非常に悪い病状においこまれていたルディックとは逆にすっかり病から解放された。
瀉血が医療という時代。錬金術(化金石=賢者の石)がまともに信じられていた時代でした。硝石は火薬の原料です。こんなものを飲んで(断食で)梅毒が治るのでしょうか??
梅毒の治療の歴史。毒をもって毒を制す。
梅毒の特効薬ペニシリンの発見は1928年。ずっと先です。それまでは「毒をもって毒を制す」水銀治療や瀉血、下剤などの治療がメインだったそうです。とにかく「毒」が体に入ったことはわかっていて、それをどうにかして体外に出そうとしたのですね。
人によっては高熱によって梅毒が治癒してしまう人もいたらしく、わざと高熱になるようにマラリアに罹るなどの「毒をもって毒を制す」治療法もあったようです。梅毒よりはマラリアの方がましでした。
それよりも二十回罹ったということは十九回治療したということであり、特効薬もなかった時代に、よくまあ治療したものだなあと思います。また二度と性病にかからないような生活を送ろうと決意するとか、懲りるということがありませんでした。
すごい男だな(笑)。
彼女はわたしに、彼女をむしばんでいた病気をうつしたのである。軟性下疳(陰部に激痛を伴う潰瘍ができる性感染症)。わたしを破滅させるためについに地獄からやってきたこのヘビ。自分をむしばんでいる毒から死をもって逃れるか、完全に開放されないかぎりは床をはなれないと決心して寝込んだ。きびしい食養生と、入浴、水銀軟膏。発汗剤。とてつもなく大きな腫物が二つ鼠径部にできてしまった。下剤を服用し、牛乳と大麦のスープ。二カ月半の後、健康を取り戻した。
健康にぜひ必要な空腹。暴飲暴食。食べたいという欲求。消化不良のために死ぬかもしれぬ。
暴飲暴食で死んだ正岡子規などを知っているので、空腹が健康をうながすというのは21世紀の科学的な知見かと思っていました。でも回想録をよむとカサノバはすでに空腹が健康をつくることを知っています。こういうところがカサノヴァ回想録の資料的価値といわれるところでしょうか。
コンドームの歴史
ところでこれほど梅毒まみれのカサノバですが、コンドームを使えば何十回も梅毒になることは避けられたのではないでしょうか? 1874年に現在の避妊具・性病予防具としての本格的なコンドームが生まれました。ちなみに梅毒の治療法は20世紀の初め(1908年)頃に確立したようです。まだまだ先でした。カサノバもたいへんだったな。
でも二十一世紀のベネチアと、十八世紀のベネチア、どちらか選べるとしたらやっぱり十八世紀をカサノヴァは選んだのではないでしょうか? 彼のカバラも、錬金術も、すべては時代の生んだものでした。時代背景なしにカサノバは存在しないといってもいいのです。性病がなおればいいというものではない、ってことは彼の本を読めばよくわかります。
幸福は長続きしないなどといって幸福を否定する哲学者のことを嘲り笑った。
奥さま、フランスの男なら忘れるということもできるかもしれませんが、イタリア人は、とてもそんな奇妙な能力を持ち合わせていないということをご承知ください。
われわれは、幸福は長続きしないなどといって幸福を否定する哲学者のことを嘲り笑った。
楽しんだ後には必ず静けさが訪れるものだけれど、自分が幸福だと思うことができるのは静けさの中においてだけなのよ。快楽が快楽であるためには、それが終わる必要があるのよ。
フランス人はスペイン人に、スペイン人はフランス人に、それぞれなりたいと思うのではないか。イタリア人については、たった一人の方しか知りません(カサノヴァのこと)。ただ一つの例で、一つの国民が他のいかなる国民にまさっているなんてとてもいえませんわ。
わたしは財布がからになりかけているなど、絶対に彼女に思わせないようにした。
カサノヴァの文体は、なんとなく同時代人のサド侯爵に似ている。性の哲学を語る心理学者。百科全書家。
私はカサノヴァ回想録を読んで、同時代人のサド侯爵を思い出しました。衒学的なところといい、哲学的なところといい、やけに数字にこだわる(カサノヴァはチップの額や儲けた金額を書き残しています。一時間だけ会ってくれれば十ゼッキーニあたえようと伝えた。姫君でない女には一デュカしかやらないと言って彼女と別れた、など)ところといい、カサノヴァの文章はサドにとてもよく似ています。
両者とも性に奔放で、性の哲学者であり、そして投獄されています。脱獄も、筆禍を受けるところも、そっくりです。売春婦を躊躇なく買うところもそっくり。サドも若い頃はきっとモテたんだろうな。そっくりです。モテる男の文章と、モテない男の書く文って、やっぱりどこか違いますよね。
瀉血、刺絡。投獄、蚤、虱、痔。
具合の悪い女から血を抜く瀉血。彼女の腕から血をとった。するとたちまち彼女は生命をとりとめた。それで手術はぜんぶ終わった。
→悪い血を出せば病気が治ると昔は信じられていました。血を抜く、というのが立派な医療だったのです。
監獄での孤独は絶望的である。このことは経験してみなければわからない。もし囚人が文学者であるなら、書くものと紙を差し入れてもらうといい。そうすれば不幸の十分の九が軽くなるだろう。
この苦しみは痔からきたものだった。わたしがこの酷い病にかかったのは監獄においてであるがそれは今も治らないでいる。ときどきその原因が思い出されるが、ぞっとしないではいられない。
内痔核疾患。痔瘻。穴痔に苦しむ。鉛屋根の牢獄に留置されて以来、わたしは内痔核疾患にかかりやすいからだになっていた。
刺絡はわたしに必要だった。おかげでよく眠れるようになり、痙攣の発作も治った。
なぜ起こすんだ。こちらの最大の安楽をなぜ奪うんだ。眠っているとき人間は牢獄にいないし、鉄の鎖などを感じないものである。囚人は自由な状態になった時のことを夢みている。
わたしの脱獄が全警官を殺し全審問官の命を奪う結果になってもわたしはやはり脱獄したに違いない。祖国愛などは祖国に虐げられた人間の心にはまったくの幻影にすぎない。
何も確信などはなかった。だがどうしても監獄から脱走したかった。どうにもならないところに来るまでは止まるまいと思っていたのだ。わたしが経験という偉大な書物を読んで学んだことは、大きな企てをなすには検討などをすべきではなく、ただひたすらに実行にうつすということだった。
地獄で出会うのがたとえ殺人犯、狂人、悪臭を放つ病人、熊であろうと何でもいいからわたしは仲間がほしかった。
気前の良さがモテる条件。女というのは金を払わせるようにできている。
世俗を嫌う気持ちに続いて休息を求める気持ちが湧きあがり、ついにこの隠遁を選んだのだった。
生ガキを舌の上に乗せて彼女の口に移しいれた。熱愛する女の口から啜る牡蠣以上に甘美なものはない。彼女の唾液が甘美な味付けをしてくれる。
金を湯水のように使い、女に肉体のよろこび以上のものを求めた。
わたしの愚かな点は女に惚れられることだった。
夢中になって愛した。狂おしいほどに女を愛した。
自分自身が自分の主人であり、生活信条は不幸を恐れぬことだ。どこかに定住するという考えはつねに嫌悪の情をいだかせ、道理にかなった生活はまったく性に合わない。
どの保険会社も金持ちとなって栄え、災害とそれを恐れる頭の弱い連中を冷笑している事実。
女というのは金を払わせるようにできているものです。
魔術師、偉大な人物との出会い
周囲から魔術師と思われる。なりゆきにまかせた。否定しない。彼女はわたしの要求を何ひとつ拒めないだろう。
ダミアン処刑の日にはそれを見ようと広場には山と人が集まるだろう。ダミアンの拷問を見ていて半身にちぎられた彼のうめき声を聞いた時、わたしは目をそむけないではいられなかった。
サンジェルマン。彼ほどの話し手はいなかった。万事において非凡な才能をもっていた。顔は明るく、あらゆる女たちに好かれた。自分は三百歳だとか、万能薬をもっているとか……とにかく、驚くべき人物だと思った。彼はわたしの度肝をぬいたからである。
成功するためには自分を見破られないようにすることが必要だと思いこんだのだ。友情などは受け入れられず、誰の友人となる資格もなかった。
サンジェルマンは魔術師だから、賭ければカサノヴァの負けになるだろうと断言した。わたしは生涯において彼以上に腕がよく魅力的なペテン師を知らない。
フリーメーソン。カバラの知識をもつカサノヴァの後援者ブラガディーノ。アンナ・デュルフェ夫人。
貴重な時間は、快楽を得るためにしかない
大笑いする人間は、ほんのわずかしか笑わぬ人間より幸せだ。陽気さは鬱憤を晴らし、血の巡りをよくするからである。
少女の顔がわたしの顔そっくりなのを見たとき、わたしは腰が抜けるほどびっくりした。
夫は腸の傷みに苦しみもだえてウィーンで自殺した。自分の腹を剃刀で切り開き、腸をもぎとって死んだのである。
彼女は放蕩のために、年齢よりもずっと顔やその周辺が衰えてしまっていた。やさしく美しくみずみずしかったルチア。かつてわたしがあれほど愛し、何でも愛情をもって許してやったルチアが、いま醜く不快な女になりさがってアムステルダムの淫売屋にいるとは!
彼女は世のあらゆる自称淑女と同様に、わたしの望むすべてをあたえてしまったら結婚してもらえなくなるだろうと確信していた。
所有者となる望みのない相手をさらに愛し続けるならば、わたしは軽蔑されてしかるべき人間である。わたしは復讐を決意した。
わたしには貴重な時間は快楽を得るためにしかないように思われる。
財布は底をついていたけれど、恋に燃えたわたしは彼女を満足させてやろうと思った。
女修行、女道場。カサノヴァの修行
カサノヴァは良心的にある少女の純潔を守ってやったが、彼女は七か月後に悪党と駆け落ちし、売春婦となってしまいます。
そのことを痛く後悔し、女に対して良心的でありすぎたり、遠慮しすぎてはいけないと学ぶのでした。そこから彼は女には容赦なく手を出すようになります。彼女たちを幸せにするために。
イタリア男がみさかいなく女に声をかけるのは、彼が女好きだからではなく、そうすることが女性に対する義務だと心得ているから、という説があります。日本女性は「嫌な相手に声をかけられてもイヤなだけ」と思いがちですが、イタリア女は男性に誘われることが女として「喜び」であり、イヤならカッコよく断ればいいと心得ています。男女がその力関係でお互い幸せだったら、それでいいのではないでしょうか。
モテる男は女性に声をかけます。フラれても気にしません。だってそうすることが男の義務であり、責任だから。
わたしは美しい顔が持っている力を知りすぎるほど知っていた
言葉がなかったら愛欲の楽しみは少なくとも三分の二は減少してしまう。
愛は人に自由をあたえるものなんだよ。証書も、保証人もいらないのさ。
自分に罪があるという満足。これこそ不幸に打ちひしがれた哲人が自分をしあわせと思うために創り出した唯一の満足感なのだ。
生涯において数々の不幸に見舞われたが、それらの責任はすべてわたしにある。もし自分のせいでもないのに不幸にされていると思うようなら、わたしは気ちがいになってしまうだろう。
彼ほどの美男なら男女いずれの人間も彼に好意を寄せるに違いない。わたしは美しい顔が持っている力を知りすぎるほど知っていたからである。
娘さんと夕食をさせてくださいませんか? 百ゼッキーニさしあげますよ。それ以上のお金を使うと、わたしは破産してしまいます。
あなたの厚かましさには驚きますわ。こんなあけすけな話しをするなんて、あなたが初めてですわ。じゃ、失礼します。
陽気さの真の源は、何の心配もない精神の中にあるものなのである。
享楽と欲望とは滅多に人の持ちえない貴重なもの。
ここでは誰しも少しばかり疥癬にかかる。
ずっと一緒にいるのにセックスを求めてこない男を「紳士的だ、自分を大切にしてくれている」と思って結婚したが、ただのインポテンツだった。カサノヴァは笑い飛ばす。
実に美しく、神が夫と定めた男をしあわせにするために生まれてきたような女だと彼女にいった。誘惑の言葉というものは、まさにここからはじまるのである。もし赤くならない者がいたら、それは愚か者か、放蕩のあらゆる手管を完全に習得してしまった娘だろう。これは美徳と悪徳との闘いであって、普通その戦いでは美徳が敗北するのだ。これが欲望というものである。
決闘。指輪を見せてくれと乞われ、返さない男を剣で刺す。
わたしは毎日賭けをした。
ロンドンの娼婦シャルピオン。カサノヴァを手玉にとった女
カサノヴァ三十九歳の時です。シャルピオンはロンドンの娘。売春婦と紹介されることもあります。たしかに金で貞操を売ろうとカサノヴァを騙しているので売春婦まがいですが、専業のプロではありません。どちらかというと美人局のような存在です。
女といえば手当たり次第に征服してきたカサノヴァがはじめて女性に相手にされませんでした。これは老いて、男性的な魅力にかげりが生じてきたということです。ここからカサノバは「自分の第二の人生」と区分しています。
衰弱を感じ始めていた。あの青春と体力の自信とがあたえてくれる呑気な安心感はもちあわせず、経験は十分には円熟していなかった。
イエス・キリストはサマリアの女を妊娠させることができなかった。
あたし、立像はいくつも見ましたわ。でも本当の男の方は、見たことも、触ったこともありません。
イエスは勃起できなかったということですよ。手をお貸しなさい。
成功した男の自慢話よりも、失敗した男の苦悩話の方が面白い
いつまでも闘鶏に強くさせておくための独身生活。完全武装してしまうと、相手を見くびる。
あたしに惚れさせてから、手玉に取って地獄の苦しみを味あわせてあげますわ。
わたしが死にはじめ、生きることを終えたのは、1763年9月のこの宿命的な日だった。私は38歳になっていた。もし上昇垂線と下降垂線の長さが同じであるならば、1797年の現在、わたしにはあと四年の人生しか残されていないように思われる。
1725年生まれ、72歳。しかし翌年の1798年に73歳で死ぬ。
わたしを籠絡しようとするシャルピヨンの力を抑えることができない。
貧乏から抜け出るために叔母に百ギニーをあたえてくださる?
顔を近づけるとさっとそむけて、腕を振りほどいた。この娘をものにしたいと思い、伯母に頼む。金を払い、借金証書を渡す。
大声を上げて拒絶される。
あなたにはお金があるし、シャルピヨンは一文無しです。したがっていくらかのお金で彼女をものにすることができましょう。
あたしがあなたを愛していることを、どうぞご承知ください。あたしは人を愛するために生まれてきたのだと思っていますし、あなたこそ私を幸福にするために天が差し向けてくれた男性だと信じておりました。あたしの泣き顔をみた男性などはひとりもおりません。
二人きりになっても、腕を組み、顔を胸にうずめ、一言の返事もしない。じっと動かず、拒み続けた。
カサノヴァは襲い掛かった。しかし決して身体を開こうとしない。あたしの顔を見るのもいやだというのはあなたに殴られた跡がはっきりと残っているからなのね。あなたの虎のような爪はあたしの体を傷だらけにしたんですからね。
あたしが悪かったことはわかっていますわ。もしおとなしくさえしていたら、今は接吻のあとしかお目にかけられないはずでしたものね。だけど後悔は罪を拭い去ってくれるものですわ。
シャルピヨンの母親は夫にうつされたあの残酷な病気(梅毒)を治そうとして、あまりに大量の水銀を用いたのでもう少しで一命を落とすところでした。
シャルピオンはわたしのものになりたいと申し出、母親にお金を届けると約束させた。
借りた部屋で二人きりになっても、強情に反抗し、力をもって向かってきた。悪態をついて服を着始めた。鼻血を流し、出て行きたがる。訴え出るという。
関係を解消し、為替手形を返すようにいうが、のらりくらりと返そうとしない。
自分の家では誰のものにもならないと母に約束していたのだ。愛しているし、同じぐらい強い欲望も持っている。もう二度とここから帰らない。完全にその身をさらけだすが、カサノヴァの怒り、自尊心がそれを受け入れない。「自分をお取戻しになったらすぐにあたしの家に来てほしいわ」悔し気で、悲し気な、打ちひしがれた様子をして帰っていった。
わたしの人生の第一幕の終わりだった。第二幕の終わりは1783年にヴェネチアを発ったときである。そして第三幕の終わりはこの回想録を書いているときに訪れる。そのとき喜劇は終わることになるだろうから結局、三幕ということになる。
手形は自分の家で返したいという。非難しても、にこやかに笑いながら腕にもたれる。わたしの腕にしがみついて離れなかった。わたしは本当に彼女に腹を立てさせられた。
彼女の最も魅力ある部分を私の目の前にさらけ出し、ついにまんまとわたしを誘惑してしまった。わたしはおとなしく優しくなった。許しを乞い、手形の請求はしないと約束し、確認された予備交渉をすませる。わたしがまさにそれをつかんだと確信した瞬間に、彼女は強情に反抗し、わたしを唖然とさせた。
もういいでしょう。あなた。夜はあなたの腕に抱かれて過ごすと約束するわ。
わたしはポケットから短刀を取り出した。切っ先を喉元に押し当てた。
為替手形を返してほしいということですが、あなたがもうすこし分別をお持ちになり、娘に敬意を払うことを学んでくださったら、自分自身でお返しするということです。
シャルピヨンは生理がとまってきちがいのようになっているという。発熱し、痙攣も止まらないという。カサノヴァは自殺しようと思った。
シャルピヨンの男を手玉にとる悪女ぶりを見ていて、私は私の書いた自作小説を思い出しました。
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このブログの著者が執筆した純文学小説です。
「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」
「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。
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わたしに何らかの生命の躍動の兆しが現れたかどうかを調べたが、わたしが不能なことを知ると、この人はだめだと言った。
シャルピオンの母と伯母の投獄に成功するが、カサノヴァの命の恩人をシャルピオンは籠絡し、男女のたたかいは引き分けに終わった。
サンジェルマン伯爵。詐欺師、ペテン師の百花繚乱時代。
カサノヴァにならぶ稀代のペテン師。詐欺師。錬金術師。作曲家にして社交家。カサノバと同じ種類の人間。数か国語をあやつり、定職を持たず有力者に愛され庇護されることで生きのびた人物。今でいう「老けない人」で年齢不詳、不老不死かとも言われた人物。前半生が不詳というので口頭で年齢を偽っていたのではないだろうか。
同時代にはカリオストロ伯爵もいます。まさに詐欺師の百花繚乱の時代でした。
決闘者。女をめぐる男のたたかい。
カサノヴァはけっこう男の決闘もやっています。とくに女性がらみでもめ事をおこしがちな性格なので(笑)。
決闘ではナイフ、銃を使いました。将来映画になることを意識したわけじゃないでしょうが、絵になる物語を後世に残したものです。
銃をつきつける。彼はわたしの巣に卵を産み落とした以上、罰を受けないわけにはいかない。
女をめぐりポーランドの侍従ブラニスキーと決闘します。
恋敵を許す気になれないと言われ、譲ると言うと、尻尾をまいて逃げるのかと挑発されます。ヴェネチアの腰抜けと言われ「ヴェネチアの腰抜けだって勇敢なポーランド人を殺せるんだぞ」と挑発に応じました。この決闘がまた紳士的で激情に駆られての殺意の決闘ではありません。わたしだったら殺すか、殺されるか、になりそうです。そういう人物は長生きできない時代でした。カサノヴァもブラニスキーも命のやりとりをするほどの中なのにフェアプレーです。礼儀、ルールを徹底的に重んじます。このあたりは読んでいて不思議な気がしました。
「閣下は故意にわたしを侮辱なさいました。生ある者たちの世界からわたしを追い出すことを望まれていると判断いたします。罪に問われない場所へご案内ください。わたしは閣下を満足させることができます」
こんな殺意とは無縁のへりくだったような決闘の手紙を取り交わし、相手の家を友だちのように訪問して決闘の日付けを決めるのです。ピストルか剣かで少々もめますが、ピストルに決まります。
たとえ相手が世界の帝王であろうと、敵に対しては何らの手心を加えるな。
相手の腹を撃ち抜くが、自らも手を撃たれます。ブラニスキーの仲間に剣で惨殺されそうになるが、ブラニスキーから「この紳士に手出しをするな」と止められます。「あなたはわたしを殺した。お逃げなさい。絞首刑に処せられてしまいますからね」
脱疽のために手を切断せよと医者にいわれる。医者はブラニスキーの復讐のためにカサノヴァの手を手術で切り取ろうとしていた。手を切られるのも腕を切られるのも同じだからと手術をことわります。経過を観察するうちに回復して手の切断は免れました。
歓迎されなくなる。今じゃもう人に愛される女じゃありません。
彼女の処女を売る気があるのかと持ちかける。父親には五十フロリンお与えになりますか? 冗談じゃない。もし彼女が処女で羊のようにおとなしくしていてくれるならば百フロリン出そう。
わたしはみんなから冷ややかに迎えられたばかりでなく、むしろ全く歓迎されなかった。
陛下がお歩きあそばしているときに、もし一匹の昆虫が世にもあわれな声で、陛下に踏みつぶされそうですと申し上げたならば、陛下はそのあわれな生き物の命を奪わぬために、ほんのわずかだけでもそのおみ足の向きを変えてくださるものと、そうわたしは確信いたします。陛下、わたくしはその昆虫です。
あの美しかったアンナの醜くなった姿であることがわかった。今じゃもう人に愛される女じゃありません。彼はあたしを食いものにして捨てていきました。そればかりかもう少しで死ぬほどの病気までも残していったのです。その病気からは治りましたが、ご覧のような姿になってしまいました。
カサノバは十代の女性が好きなようです。シャルピオンも十代でした。そのため後年再会するとガッカリする女性も多いのでした。白人女は劣化が激しいですからね。
湯治に行くというのは口実にすぎない。そこにはただ仕事と陰謀と賭博と色事のために行くのだ。食べたり飲んだり散歩をしたり賭博をしたり、踊ったり娘たちと会ったりすること以外には何もしないこのような場所での生活にはお金がかからない。必要な金一年分は三カ月で稼ぐことができた。
若い娘にそっけなく拒まれ、握り拳で鼻に一撃をくらわされる。どっと鼻血が出た。
エカテリーナ二世
さすがに女帝を誘惑したり、寝たりはしませんでした。それはポチョムキンの仕事か(笑)。
当時まだカサノヴァはカサノヴァになっていませんでした。世間には「稀代の色事師」というよりは「ベネチアの牢獄を脱獄した男」「決闘者」「賭博師」「話のおもしろい男」として知られていたのだと思います。
それにしても貴族でもない外国人がよくエカテリーナに会えたよな。もちろん誰か有力者の紹介を通しての面会です。でもツテをつくれるところがすごい。さすがカサノバです。
老い。この種の行為において手柄を立てえるような年齢は過去のものとなっていた。欲望の炎は消えてしまった。
わたしは収容所で三時間後にベッドから立ち上がったが、すっかり虱にとりつかれてしまった。蚤と南京虫と虱はスペインではごくありふれた三匹の昆虫なので、誰も気にしなくなってしまっているのだ。
わたしの幸せに嫉妬したコンディルメル氏がわたしを鉛屋根の牢獄に投じた。
このヴェネチア人がスペインを訪れたのは、自分の職務を乱用しても罰せられずにいる殺し屋が住んでいる国ではないと思ったからにほかなりません。その男は暗殺されて財布といっさいの所持品を奪われるのではないかとびくびくしております。
マニッチはわたしを裏切者と呼び、忘恩の徒扱いしていた。喋ったのはわたしを通して以外にはありえないのだから、わたしの不実は疑う余地がないと断じていた。
力づくで彼女を征服してやろうと心に決め、そうすれば十分に手込めにできると考えていた。だが、この種の行為において手柄を立てえるような年齢は過去のものとなっていた。二時間もぶっ続けに努力したが疲れるだけで効果はなかった。
ヴァルトシュタイン伯爵の居城にいるけしからぬ奴らが仕掛けてくるいやがらせのために、わたしは気が違うか、悲しみのために死にそうになるか、そうならないために用いている唯一の治療薬としては『回想録』を書くことしかないのである。わたしは日に十時間から十二時間も書くことに没頭し、そのおかけで、やっと陰鬱な悲しみに殺されることもなく、また理性を失わされることもなしでいられるのだ。
たいへん楽しく文学に没頭し、色恋のほうとは全く無縁になっていた。非常にきれいな娘たちともしばしば夕食をともにしたが、彼女たちに恋心をわき立たせる前に欲望の炎は消えてしまった。
家庭の平和の敵である、つまらぬ誤解を生むような面倒な面会は避けるに違いない。
相手の話に耳を傾け、いっさいのことに感服し、勝者の正当性を認めたので、わたしは彼らにとって、玉突きをする人々に得点記録者がいるのと同じくらいに必要な人間となった。
このアフリカ女はわたしの懇願に屈して、愛の印をあたえてくれた。灯りが消えても、相手の美女が黒人か白人かは見分けがつく。黒人が別種のものであることには異論の余地がない。
わたしは全力を挙げて審問所のためにつくし、ヨーロッパ全土を遍歴して過ごした十九年ののちに、わたしがのぞんだ特赦を正しい裁きによって堂々と得ようと決心した。四十九歳という年齢では、もはや幸運は何一つ期待すべきではないと思われた。わたしは自分の才能を活用しながら、自足の生活を営むことができると思っていた。いかなる不幸の誘惑にも負けまいと自信を持っていた。
結論もオチもなく終了する物語。
カサノヴァ回想録は、物語に何らのオチをつけることもなく唐突に終了します。回想録は実話であり、カサノヴァの老後には読者を楽しませるような語るべき内容はありませんでした(すくなくとも「ない」と作者が判断しました)。だから作者は物語を「書いている今」の手前で終わらせたのです。
結論もオチもなく終了する物語。だがそれは人生そのものなのかもしれません。
カサノヴァやサンジェルマン、カリオストロのようなペテン師が自由に生き活躍することのできた時代はフランス大革命以降、二度とやっては来ませんでした。
一七八九年前に生きたものでなければ生きることの楽しさを知っていない。
誰かが残したそんな言葉があるそうです。
テクノロジーは進歩しますが、人間が幸せになったかは別の話し。昔の物語を読んでいると、そう思う時があります。
ジャコモ・カサノヴァが現代に生きていたら、果たしてどんな生き方をしていたでしょうか?
世界中を旅しながら、映像作家にでもなって、女を追いかけながら、人生を謳歌していたのではないでしょうか。
そんなことを想像してみるのも楽しいものです。
カサノヴァは1798年、激動の時代を生きのびて故郷ベネチアではなくボヘミア(現在のチェコ)で73歳で没しました。美女から美女へ。冒険家、放浪の作家と呼ばれるにふさわしい人生でした。
永遠の色事師。偉大なり。ジャコモ・カサノヴァ!