トルストイ『戦争と平和』知りたかった文学の正体がわかった!! 

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書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。小説『ツバサ』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

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レフ・ニコラヴィッチ・トルストイ『戦争と平和』

私が敬愛するサマセット・モームが、世界最高の小説にこの『戦争と平和』をあげています。そういう前情報がなかったら最後まで読み通せなかったかもしれません。なかなかに長く、なかなかに退屈なシーンが多く、まあ時間のない人に読める小説ではありません。すくなくとも血沸き肉踊りあっというまに最後のページまで読み通してしまったというわけではありませんでした。

なんで前半、貴族のパーティーのシーンがやたらと多いのか。貴族の饒舌が延々と続きます。いやどうも。貴族のパーティーシーンは「平和」を象徴しているのでしょうが、いかんせんそこが最大の挫折ポイントでした。

私としては、モーム自身の『月と六ペンス』『人間の絆』のほうが、よっぽど名作だと思います。

私が読んだのは北御門二郎訳の「戦争と平和」。ロシア人がロシア語を喋る場合は「ひらがな」。ロシア人がフランス語で会話する場合は「カタカナ」表記で処理しています。

フランス語のカタカナ表記が読みにくいので困りました。速読がそこで止まってしまいます。

他の訳者はどう処理しているのかな?

そもそもロシア語版の原書はどうなっているのだろうか。そりゃあ教養のあるトルストイはフランス語で書いたんでしょうが、一般大衆はフランス語なんかわからないはずだから、たぶん(カッコ書き)でロシア語表記があるのだと思います。

原書のニュアンスを伝えたかったのだと思いますが、そもそも和訳のものをそこまで厳密に区別して訳す必要あるのでしょうか? ロシア語もフランス語も読めない私にしてみれば、そこはどっちも平仮名表記でいいのではないかと思います。メリットよりもデメリットの方が大きい選択だと思いました。

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『戦争と平和』読破のコツ。最初は登場する人物を四人に絞る。

あまりにもたくさんの登場人物が登場するために、最初は注目する人物を四人に絞るといいと思います。その四人とはピエール・ベズゥホフアンドレイ・ボルコンスキイ侯爵ナターシャ・ロストフニコライ・ロストフの四人です。家としてはロストフ家を中心に読むと最初はとっかかりやすいと思います。読み進めるうちに、ソーニャマーリヤクトゥゾフなどがすこしづつ頭に入ってきます。読んでいるうちにいくつかの人物は鮮明な像を描くようになります。

ピエールの妻を姦通する男の名前がドーロホフです。妻ドロボウだからドーロホフと覚えました(笑)。

ところが後半になってアンドレイの婚約者ナターシャを奪う男が登場します。こいつがアナトール。穴を盗るからアナトール(笑)。

人名はこのようにして覚えましょう。

読書家の定義。登場人物の名前の覚え方・テクニック

1805年のナポレオン戦争を描いています。1869年の作品です。1859年の『種の起源』よりも後の作品です。1879年のエジソン白熱灯よりも前の作品です。

時代背景、わかりましたか?

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人間に自由はあるか? 独立はあるか?

黄色が本書から、赤字はわたしの感想です。

ピエール「あなたはなんのために戦争に行かれるのですか? これが自由のための戦争というのならわかります。しかし世界最大の偉人を敵に回すのは……」

世界最大の偉人というのはナポレオンのことです。

「なんのために? 僕にはわからないね。僕が行くのはこの生活が性分に合わないからさ」

アンドレイ「ねえ君、決して結婚するんじゃないよ。とりかえしのつかないひどいことになる。もう何の役にも立たない老人になった時に結婚するんだね。でないときみの中にある優れたもの、高尚なものがすっかり滅びてしまう。くだらぬことに消尽されてしまう。一切が終わり、一切が閉ざされる。もう一度独身時代にかえることができたらどんな犠牲も厭わないよ」

うまくいかないだろう。女というのは皆ああしたものだ。

父に図星をさされる。

しかたがないなあ。なかなかきれいだからな。

べんべんと副官勤めをつづけさせてくれるな。まったくくだらぬ勤めだからな。

さあ、別れはすんだ……行け!

父親との別れをすませたロシアの若者はフランスとの戦争へ出向きます。そして……帰って来ませんでした。

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≪何故に?≫と問う哲学者。≪如何に?≫という実務家

彼の関心を惹くのは≪何故に?≫という問題でなくて≪如何に?≫という問題だった。

私、閣下の満足のために、自分の聯隊、滅ぼすいやであります。

将軍のいうことをきかない大佐。

明日はおれにとって一切が終わりを告げるかもしれない。知りたくもなければ知る由もない。おれが大事な人々と引き換えに名誉を望んだとしてもおれに罪はない。

連中に対する優越のみを愛する。

私が世界の文学を読む理由は、日本人だろうとロシア人だろうと、21世紀の人間であろうと、何世紀の人間だろうと、人間はみんな同じことを感じ、考え、同じ悩みを抱えながら生きていることを確認するためです。『戦争と平和』を読めば、そのことが確認できます。

世間的な偉大さというもののくだらなさ、生というもののむなしさ、生きている者の誰一人その意味を理解することも説明することもできない「死」というものの虚しさ。

彼の妻との間があやしいという仄めかし。

恥辱も名誉もみんな条件的なもの。おれにはどうにもならないものなのだ。

この考え方は『戦争と平和』の結論のようなものです。「トルストイによる自作解題」につづきます。永遠にくらべるとどうせ一瞬の命なのに、何をくよくよすることがあろう。

どうして彼女は自分の誘惑者にあらがったのだろう。神が自分の意に反するような欲求を植え付けるはずがないじゃないか。

フリーメーソンの死に対する愛。

他人のために生きて自分の生活を滅ぼしてしまった。自分一人のために生きるようになって以来、平穏に暮らせるようになったんだ。

ああいったい何のため、あの人たちは手足をもぎとられたり殺されたりしたんだろう。

一日の時間を割り振りするという生活形式が、生きる力そのものの大半を奪い去った。彼は何一つ考えもしなければ考える暇もなく、田舎にいた頃考え抜いていたことを話すだけだった。毎日あまり忙しくて、自分が何ひとつ考えていないということを考える暇もなかった。

私はうまく彼と応対することができない。その原因は私の自尊心なのだ。私は自分を彼より上だと思っているため、かえってはるかに劣った人間となっている。かれは私の粗暴な態度をおとなしく耐え忍んでいるのに、私は軽蔑の念をいだいている。

みんなが争い苦しみたまゆらの幸福を求めて自分の霊魂を苦しめ傷つけている。みんなそれに固執し、その中に幸福を発見しようと思っている。

青春が誰のためともなくいたずらに過ぎてしまうという思いが絶えず彼女を苦しめた。

自分は彼のことばかりなのに、彼は新しい場所に行ったり新しい人に会ったり、ちゃんと生活らしい生活をしていると思うと、どうしても腹が立つのだった。

ナターシャを誘惑するアナトーリ「そんな話はよしてください。そんなことどうでもいいです。ぼくはただ気が狂うくらいあなたが好きだといっているだけです。あなたが魅惑的だからってそれが僕の罪でしょうか。ぼくはあなたの家へ伺うわけにはまいりません。しかしこれっきりあなたにお会いできないんでしょうか? あなたが好きで気が狂いそうです。ほんとにこれっきり?」

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なぜ人は戦争するのか?

なぜ大公が侮辱されたからといって、なぜ幾百万のキリスト教徒たちが互いに殺しあったり苦しめ合ったりしなければならないのか理解できない。どうしてもわからないのである。

さまざまな戦争原因のひとつでも欠けたら、何事もおこらなかったに違いない。したがってそれが原因だという原因はただ一つもなく、事件は行わるべくして行われた。

ナポレオン(フランスの皇帝)もアレクサンドラ(ロシアの皇帝)も不自由で、兵卒たちが承諾しなければ何事も行われなかった。あらゆる人間が自分のために生き、個人的目的のため自由を行使する。ところが行為はもはやとりかえすことのできない歴史的な宿命的意義を持つようになる。

種族的生活。その中で人々は不可避におのれに予定された法則を実行していく。人間は意識的には自分のために暮らしているが、無意識に歴史的全人類的目的達成のための道具となっている。

行為は他の人々の行為と合体して、歴史的意義を帯びるようになる。社会的階層の高みにいればいるだけ、結び合わされ、大きな権力を持ち、宿命性不可避性はますます明瞭になる。

トルストイの戦争観はこのあたりにあります。ナポレオンが自由、平等、博愛の精神を全世界にひろめようとしたため、とか、ロシアのツァーリが庶民に戦争を命じたからではなく、歴史の中で個人の決断、意志などいかほどの力もなく、なすべくしてなった、戦争は起こるべくして起こったという認識です。

王。それは歴史の奴隷である。王者の心は神の掌中にあり。

アンドレイ「どんなくだらない人間が人々の不幸の原因になるか!」アンドレイは惚れた女を妻帯者であることを隠した遊び人アナトーリ・クラーギンに奪われてしまいました。

悲しみは神さまの賜物、人間の業ではありません。人間は……神様の道具です。人間に罪はありません。

この戦争に参加した無数の人々はみんな、それぞれの個人的な性格や、習慣や、周囲の状況や、目的などに支配されて行動したのである。恐れたり、虚栄に駆られたり、喜んだり、不平を言ったり、理屈を並べたりしながら、自分自身のためにそうしているつもりでいたけれども、実はみんな歴史の操り人形であり、彼ら自身の目には隠されているが、われわれ後世のものにとっては明瞭な仕事を果たしているのである。これはすべての実際活動家のまぬがれざる運命であって、身分が高いほど彼らの自由はより狭小なものとなるのである。

戦争の天才ナポレオンの指揮にもかかわらず、夏の終わりにモスクワへ長駆するということに、換言すれば滅亡せしめるそのことに全力を注いでいたのである。

ナポレオンをロシアの奥深くおびき寄せるスキタイ人式戦略が戦争の初めから存在していたと今ごろ持ち出されるのは、事件がその通りの展開を見せたからである。幾千幾万の反対の暗示や推測が忘れ去られたように、それらの暗示も事態が逆なら忘れ去られたに違いない。現に進行中のすべての事件の結果については、自分たちが試みた無数の家庭の中にまるで正反対の仮定があったことなどけろりと忘れてしまった。

クトゥゾフ「要塞を攻略することはむずかしいことじゃない。むずかしいのは戦争に勝つことだ。そのために必要なのは突撃や攻撃でなく、時と忍耐こそ必要なのだ。ねえ君、忍耐と時、この二者にまさる勇士はいないんだ。疑わしきときはね、動かぬことだよ。」個我がなく、知力ではなく平成に事件の信仰を眺める能力。「あの人は自分の意思よりも強力かつ重要なあるものの存在を理解している」それはつまり事件の必然的展開。自分がなぜあの人を信頼するかといえば、あくまでもロシア人であるからであり、声が震えたからであり、すすり泣きをしたからなのだ。

死の観念を高みから見下ろすと、以前自分を苦しめたり、心を占めたりしていた一切のものが、輪郭さえ定かでないものになってしまった。名誉、公共の福祉、恋、祖国——それらがどんなに偉大で意義深いものに思われたであろう。ところが今、朝の冷たい白光の中で見ると、なんというたわいもない、色褪せた、醜悪なものであろう。恋——実際には何もかもずっと味気なかった。あまりにも味気なく醜悪だった。

戦後の新しい生活条件にみんなが慣れるだろうが、おれはそれをぜんぜん知らず、第一すっかり消えてなくなるのだ。死ぬ……殺される……明日……このおれがいなくなる……この白樺の並木はそのままなのに、おれはいなくなる。

裸で血だらけの人間の肉体。大砲の餌。

「見せてください……おおおお、お、おおおお!」もがれた自分の脚を眺めるアナトーリの嘆きの声。そのうめき声を聞くと泣きたくなった。自分が何の栄光もなく死のうとしているからか、生との別離が辛いからか。負傷者は血のこびりついた靴を履いたまま切り離された自分の片脚を見せてもらった。「おお! おおおお!」と彼は女のような声を出して泣いた。たった今、一本の足を切り取られて哀れな姿で泣いている男がアナトーリ・クラーギンであることに気づいた。ナターシャとこの男と自分との関係をもい出した。敵への愛、神がこの地上でときたもうた愛、マーリアが教えたけれどおれが理解できなかった愛——この愛ゆえにおれは生に未練があったのだ。

『戦争と平和』全編通じて、私はこの場面が一番印象に残りました。

ピエールの妻エレン。まだ夫が生きているのに別の男と結婚するファムファタール。俗権がこの問題をどう見るか。彼女が楽しかった理由は、彼女を崇拝する人間の存在だった。

楽しかったのは……戦争という若者にとっていつも喜ばしい感じを与えるところの異常な事件の勃発のせい。

地球の歩き方シリーズ『世界の祝祭』日常の場で、非日常を演出する「お祭り」

モスクワからの避難。自分の財産を運ぶ馬車に、戦争の負傷者を積み込もうとするナターシャ。「私たちだけが馬鹿みたい」負傷した人たちは置き去りになるじゃありませんか。ロストフ家。そこにアンドレイがいる。

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クトゥゾフのモスクワ放棄

ロシアはモスクワにあらずしてその子らの心中にあり。

モスクワの女性的性格。アジアの聖なる都。

敵軍に占領された都市は、貞操を失った娘のようなものだ。

主の道は測りがたし。義兄弟の結婚は許されぬゆえに妨げとなる。

ナポレオンとアレクサンドル。クトゥゾフ。彼らはトルストイの小説のキャラクターではなく、実在の人物です。凡百の小説家は事件の当事者だと見えるナポレオンやクトゥゾフを主人公に小説を構想しますが、トルストイがそうしなかったのは、戦争の原因はナポレオンやクトゥゾフではないと考えていたからです。一人一人を描くことでしか戦争の原因はいささかもわからないと考えていました。「トルストイの自作解題」を参照してください。

トルストイはひじょうにクトゥゾフの評価が高いと感じました。クトゥゾフを軽々に動かない人。時と忍耐の老将として、ナポレオン以上に高く評価しています。

人間なんてまるで獣だ。

死体を引きずる。

私たちは皆同じ神様を戴いています。

火事と略奪が現出。誰のせいでもない必然の火事。一日に二度も煮炊きをする軍隊がいたら、火事にならないですむはずがない。放火などしなくてもやっぱり火事は起きた。残った住民に焼かれたのではなく、出ていった住民によって焼かれた。

フランス人にとって偉大な行為をなしえるのはフランス人だけ。

彼女をあまりにも愛していたため、彼女を世界中の何ものよりも高い者として考えていた。

ソーニャは自己犠牲によってのみ自分の真価を発揮した。犠牲の報酬としてニコラスの妻にふさわしいものになるという意識があったが、今度の自己犠牲は婚約を破棄させられるものだった。それは生の意義そのものを断念することだった。ニコラスを自由にするのではなく、自分に永久に結び付けたいとこころに願う。

人間だもの、悪い人もいりゃあ善い人もいますわい。プラトン・カタラーエフ。殺されました。私の目の前といっていいくらいのところで。

二人ともそれを自己流に解釈するだろう。決して本当には理解しないだろう。われわれの感情がみんな不必要なものだということ。それをこの人たちは理解できない。われわれはしょせん互いに理解しあえないのだ!

弾丸は頭部を貫通していた。ペーチャの頭は動かないのに手足が激しく震えていた。

およそ人間は幸福のためにつくられた。幸福は自然な人間的要求の満足の中に存する。不幸は欠乏ではなくむしろ過剰から来る。

人間が幸福で完全に自由である状態も存在しなければ、反対に不幸で完全な不自由状態も存在しない。

妻と結婚したとき、厩に閉じ込められた今よりも自由ではなかった。

みんな軍隊のことを気遣っているふりをしていたけれども、その実ただ自分だけのことを考えていたのである。逃げて、生命だけは助かりたい、と。

思想やその表現である言葉は人間を動かす原動力ではない。

モスクワの喪失は決してロシアの喪失ではない。

氷点下十八度。防寒具もなく、食料もない。

もう妻もフランス兵もいない。とにかく生きるのだ。ああ実に素晴らしい。

人生の目的、そんなものはもともと存在しないし、存在し得べくもない。目的の欠如こそよろこばしい自由感を与え幸福を形成していた。

ほら、神さまが、そこに、そしてどこにも!

自分や自分の家族の個人的幸福を目的としていた。

およそ言葉でもって人の信念を変えさせるのは不可能であること。

人の対立はむしろピエールをよろこばせ、おかしがらせ、やさしく微笑ませるのだった。

男が自分の話しを聴いてくれる女からあたえられる稀有な幸福感。女があたえる幸福。

通いなれた道から追い出されると万事休すと考え勝ちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります。

もし仮に人生が理性をもって支配し得るものとすれば、生の可能性は消滅するであろう。

あのようになったからなったのである。

ミツバチの生活への見かたは人、立場によって違う。歴史上の人物や諸民族の目的に関しても同じことがいえる。

おばあさんはもう自分の人生を生き終わった。今こそああしているけれど、かつてはみずみずしい母親だった。自分たちもやがてはこんな風になる。かつては大事な人であり、自分たちと同じように生命に満ちていたけれど、今やあわれな存在となり果てた。この人には自分を抑えて接しなければならない。

まともな人間なら政府に反抗する義務があるなどとおれにいう。ちゃんと宣誓というものがあり、義務というものがあるのに……臣民としての義務や先生がすべてに優先する。

おれは家族のために働かなければならないことを知っているんだ。

かれはあまりにもそうした仕事を重大視しすぎる。

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物語の後、トルストイによる「自作解題」

すべての物語を終えた後、最後に本書のテーマをトルストイ本人が解説する自作解題がついていました。さんざん読まされた長大な物語が何だったのか。何を証明しようとしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、すべてがそこで明らかにされています。

それは、ナポレオン戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオン戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。

幾百万のキリスト教徒が互いに殺戮しあう。なぜにそうした事態が生ずるのだろう。

ナポレオンの権力、神的使命。神は直接人類のことに関与しない。歴史のあらすじ。カリカチュア。果たしていかなる力が諸国民を動かしているか。

権力とは一個の人物に異常された多数者の意志の総和。その人物がすべての人々の意志を表現するから。

事件の原因を権力を付与された人物の意志の表現と見たがるけれど、証明されるものではない。

言葉そのものが幾百万人の行動の直接原因であるなどと認めるわけにはいかない。

完全な自由は不可能。肉体的行動や、性格や、外部から働きかける動因などに支配される。

同じ条件では同じことをする。しかし自由の表象がなかったら、生を理解することができないばかりか、一瞬も生きることができない。人びとのあらゆる努力、生への誘因は、ひとえに自由の拡大にあるからである。

富⇔貧困、名声⇔無名、これらは単に自由度の大小にすぎない。

トランプ。法律制定。女。玩具。馬。政治。狩猟。酒。国事。つまらないものも、つまるものもありやしない。みんな——おんなじだ。ただもうなるべくうまくあれから逃げればいいのだ!

あれとは死のこと。戦争と平和は、生と死。

地動説を信じることが困難なのは、天動説の方が直感的に理解しやすいからです。大地は動いていないように感じますし、星がまわっているように感じます。しかし地球が動いていると仮説を立てることで全てが合理的に説明できます。それと同様に人間には自由があるように見えます。好きなように行動できるような気がします。しかし人間の決断には自由も独立もなく、ただ時代や社会に従属していると仮説を立てることでトルストイは「なぜ戦争が起こるのか」という問いに対して答えを見つけることができました。

大平洋戦争を開戦した日本も、天皇や東条英機といったリーダーの指導によって開戦したわけではありません。東条も、天皇さえも、ああした結論を出すしかありませんでした。

それがトルストイが『戦争と平和』で描いたことでした。

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文学の正体がわかった。文学の正体、それが私は知りたかったのです。

かつてわたしは文学青年でした。そして文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の小説には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。

しかし今、モームをはじめ多くの読書家が世界最高の小説のひとつにあげている『戦争と平和』を読了して、そんなものはないのだと改めて確認しました。

『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。

通いなれた道から追い出されると万事休すと考え勝ちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります。

これが文学上のテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こるのだ、というのが、戦争に関する考察でした。

史上最高の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと物語を語り継いだ上で語っているだけです。

この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、子どもの頃のわたしが抱いた幻想でした。そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上でさらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。

この年になって、ようやく文学の正体がわかりました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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●◎このブログの著者の書籍『市民ランナーという走り方』◎●
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
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×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
https://amzn.to/43j7R0Y
×   ×   ×   ×   ×   × 
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×   ×   ×   ×   ×   × 
◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

Amazon.co.jp: 帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル (民明書房) eBook : アリクラハルト: 本
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随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
https://amzn.to/47hnbeF
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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