なんでベトナムはアメリカにジャングルで勝って、日本軍は南太平洋の密林で負けたのか?

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書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。小説『ツバサ』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

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アメリカ軍強い! 日本軍弱い! ボロクソに負けた太平洋戦争。

大平洋戦争の本を読んでいたら、筆者の書き方に驚いてしまいました。それは「あの戦争は惜しかった」というような書き方をしているからです。

「日本軍は強かった。立派に戦った」「しかしいかんせん物量に劣った」「だから負けてしまった」というような書き方をするんですね。

これは誤解をまねく書き方です。あるいはウソです。

冷静に、真実を言わせてもらえば、日本軍はアメリカ軍にボロクソに負けています。決して惜しい勝負ではありませんでした。完敗したのです。

山岡荘八『小説太平洋戦争』。日本だけ特別だと思うのがすべての間違いの元

図書館で予約した本を借りるときに困ったこと。「厚い」「古い」「旧字体」!!!

でも、不思議なことに、たいていの著者が「立派な日本軍。物量に負けた。惜しかった」このような書き方をしています。「同じ物量だったら、日本軍が勝っただろう」と惜しんでいるのです。そんな言い訳ありますか?

武田勝頼だって同じことを言いたかったと思いますよ。武田軍は強かった。織田軍に鉄砲の量で負けただけだ。物量が同じだったら武田軍が勝っていた、と。真田幸村だって「条件が同じなら勝てたかも?」と言いたかったでしょうに。

でも織田対武田の日本人同士の戦争の場合は誰もそんなこと言わないのに、なんで太平洋戦争に限って物量の差を言うかな? そもそも戦争っていうのは物量を揃えて勝敗つけるものじゃないの? それが戦争の本質では?

いくさの本質で負けているのに、それを「惜しかった」というのは違うと思います。

わたしが読んだ戦記を残した山岡荘八伊藤正徳などは同時代人として太平洋戦争を経験しているので、なかなかボロ敗けだったとは書けなかったのかもしれません。また批判すべき当時の将軍たちがまだ存命だったりしたので(本人に取材して書いたりしているので)、悪いことは書けなかったってこともあったでしょう。

でも後世のわたしから言わせると、日本軍、ぼろ敗けしています。けっして惜しいゲームではありませんでした。ボロクソに負けています。あえていわせてもらえば、アメリカ軍、めちゃくちゃ強いです。

アメリカ軍つよし! 日本軍弱し! 完敗。これが真実です。

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大平洋戦争も、ベトナム同様にジャングル戦が多かった

大平洋戦争は、島の取り合いというゲームでした。日本陸軍は、島という限定された戦争で、武器、食料の不足に苦しみ、アメリカ軍の機関銃に万歳突撃して全滅するパターンが大半でした。いわゆる玉砕というやつです。これはぼろ敗けですよ、はっきりいって。ぜんぜん惜しい戦いではありませんでした。

帝国海軍は、ミッドウェイも、マリアナ沖も、レイテ海戦も、ボロクソに負けています。まったく惜しい勝負ではありませんでした。真っ向勝負でノックアウト負けしています。

日本軍が弱いというよりは、アメリカ軍が強い、という印象です。

大平洋戦争。命よりも価値のあるものがある。自分だけが生きのびればいいというものではない。

【日本はオワコン】大平洋戦争は、今生きている人の幸せよりも、国の未来を優先して行われた

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帝国陸軍が本土決戦をやりたかったのは、ガチンコ真っ向勝負を一度もしていなかったから

とくに陸軍は本土決戦をやりたかったといわれています。それはアメリカ軍と全面対決をただの一度もやらなかったからです。ガダルカナルなどの離島に送ったのは師団、旅団、支隊などの一部の兵士だけで、全面対決は一度もやっていないという意識だったのです。「まともに負けてない」意識があったんですね。フィリピンの島々では、88%は餓死と病気。戦死は12%だったと言われています。負け惜しみにすぎませんが「ガチンコ戦闘して負けたわけではない」といえなくもありません。

離島に送る兵団も途中で空襲や潜水艦によって船ごと沈められて、とにかくまともに決戦していない意識があったようです。

実際に敗戦時、海軍には残存兵力がほとんどありませんでしたが、陸軍にはまだ残存兵力があったといわれています。竹槍歩兵を含めてのことでしょうが……。

実際に陸軍目線だと中国と戦いつつのアメリカ戦というのは、片手をしばって戦うような不便さの中での勝負でした。でもそれはドイツだってアメリカだって同じです。二正面作戦なんて世界大戦ではあたりまえだといっていいレベルです。それが戦争の本質でしょ。その本質に愚痴を言うのは違うんじゃないかな、と思います。

その点、海軍はマリアナ沖で最後の決戦をしてボロクソに負けていますので、完全に負けたという意識がありました。

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ベトナムが勝てたアメリカ軍に、日本軍はまったく歯が立たなかったのは何故だ?

まあ、そもそも石油50倍、自動車30倍、鉄鋼12倍、造機力4倍、造船力4倍の国(アメリカ)にケンカを売る方が狂気の沙汰です。そんな相手に勝てるわけがありません。開戦に振り切ったのは、国民が無敵の神州日本を信じたアホだった、ということがあります。戦争に反対すると暗殺される危険もあったという時代でした。その雰囲気をつくりだしたのは国民です。

大平洋戦史を読むと「強いなあアメリカ軍」と思います。日本軍が弱かったと言えないとすれば、アメリカ軍が強すぎたと言わざるをえません。しかしその強いアメリカ軍はベトナムで負けたといわれています。

なんでよ? なんで日本軍がボロ敗けした最強米軍に、なんでベトナム軍は勝てたのよ?

それを知ることが、この稿の最大の目的です。

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そもそも大日本帝国はベトナムを占領していたのだから、ベトナム戦争と同じ戦い方ができなかったのか?

そもそも日本は、ベトナムからフランス軍を駆逐して、タイを除く東南アジア一帯を占領していました。当時サイゴンと呼ばれていたホーチミン市を含めて、ベトナムは日本の占領下にあったのです。すくなくともベトナム軍と同じ戦い方ができたはずじゃないの?

山岡や伊藤がいうように、日本兵がそんなに強かったとすれば、ベトナムのジャングルでアメリカ軍に勝てたはずじゃないの? そう思うのが当然というものです。だのにどうしてベトナムが勝てたアメリカ軍に、日本軍はまったく歯が立たなかったのでしょうか?

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攻勢限界点を越えた補給線の問題か?

大平洋戦争の場合、ほとんどの戦場は離島でしたが、そうでない場所もありました。

中国大陸がそれであり、ベトナムからビルマにいたる東南アジア(ユーラシア大陸の一部)も戦場になっていました。

ユーラシア大陸で戦う時、潜水艦の魚雷攻撃は関係ありません。

しかしどこの戦場も、攻勢限界点を越えて補給船が伸びすぎたために負けたといわれています。

写真は私がたまたま見かけて撮影したものですが、ベトナムの「ジャックフルーツ」という果物です。もちろん食えます。喉の渇きを癒せます。この木は人が栽培しているようには見えませんでした。こういう木がいたるところに自生していました。

南国では果物の種をペッと吐き出すと、そこからフルーツが自生すると聞いたことがあります。このようにジャングルであれば自給自足が可能だったのでしょうか?

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ベトナム戦争ってどんな戦争?

ベトナム戦争はアメリカが支援する南ベトナムが、ソ連が支援する北ベトナムに負けたという戦争でした。米ソの代理戦争だったのです。いってみれば韓国が北朝鮮に負けて消滅してしまったようなイメージがベトナム戦争です。

大平洋戦争の戦勝国はアメリカですが、第二次世界大戦の実質的な戦勝国はソビエト連邦でした。ドイツに勝ったのはアメリカではなくソ連だったからです。主力を叩いたのもソ連、ベルリンを占領してヒトラーを自殺に追い込んだのもソ連です。

資本主義国アメリカは、ドミノ倒し的に共産国家が誕生しないように、南ベトナムを防波堤にしようと、北ベトナムおよび南ベトナムの解放民族戦線(ベトコン)と戦いました。

ベトナム人はアメリカの近代兵器に対抗して、ジャングルでゲリラ戦を展開するのです。落とし穴で串刺しにするというような戦術がジャングルでは立派に機能しました。

それに対してアメリカは爆撃や枯葉剤散布などで対抗します。しかし飛行機ではジャングルを占領できませんでした。地下深く潜ったトンネルには爆撃も通用しなかったのです。

自由主義国の報道陣がベトナムに入ったことから、悲惨な戦争の真実があきらかになり、アメリカ国内で反戦運動が高まります。ヒッピーたちの全盛期もこのころですね。徴兵を拒否してラブ&ピースを掲げたフラワームーブメントの時代がありました。

ヒッピー文化は滅んだが、断捨離、アウトドア、バックパッカーのルーツ・ご先祖さまなのだ

アメリカは戦況が好転せず、国内の戦争反対運動もあって撤兵します。その後、北ベトナムに南ベトナムが滅ぼされたことから、アメリカはベトナム戦争に負けた、といわれているのです。

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アリの巣のような地下トンネル

わたしはベトコンの地下トンネルを実際に見たことがあります。潜ったのはほんの地表のところだけですが、実際にはアリの巣のように地下深くまでトンネルが張り巡らされていました。

この戦術は、大平洋戦争の戦史でも見たことがあります。そう栗林中将の硫黄島の決戦がこのトンネル・洞窟戦でした。

ベトナム戦争では日本軍が唯一善戦した硫黄島のような戦いをしていたそうです。硫黄島では洞窟など地下にこもって空爆、艦砲射撃などを耐えしのぎました。そして地上対地下の戦いに持ち込みました。ベトナムでも有名な地下トンネルを掘って、やはり地上対地下の戦いへと持ち込んだのです。

硫黄島で、ようやくベトナム戦争ぽくなってきました。日本軍はジャングルのゲリラ戦を学んでいれば、アメリカ相手に東南アジアで勝てたのでしょうか?

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武器、食料援助してくれる第三国があった。

大平洋戦争では、ガダルカナル島が餓島と呼ばれるように、飢えに苦しみました。それもお米を本国から送ろうとしたからです。ほとんど潜水艦に沈められましたけどね。

それに対してベトナム戦争の場合、隣国のラオス、カンボジアにホーチミンルートと呼ばれる武器、食料の援助ルートがありました。ソ連や北ベトナムが、南のベトコンに武器、食料を援助していた補給線です。

アメリカは戦争のエスカレーション(とくに中国の正式参戦)をおそれて、ホーチミンルートを攻撃できなかったそうです。

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ウクライナ戦争にも似ているベトナム戦争

現在行われているウクライナ戦争もベトナム戦争に似ているところがあります。ウクライナ戦争では補給線のあるロシア本土を、戦争のエスカレーションをおそれてウクライナは攻撃できません。背後にアメリカ対ロシアという構図も同じです。

しかしベトナム戦争は共産主義国家の北ベトナムが勝利します。これはつまりソ連がアメリカに勝ったようなものです。

その後継国家であるロシアが……

ウクライナ戦争。ロシアがこんなに弱いとは。

ちなみにアメリカは朝鮮戦争で核兵器を使って北朝鮮と決着をつけようとしましたが、最後まで理性を保って自重しました。ロシアにも同じ態度を望みたいものです。

ちなみに朝鮮戦争は3年ほどで停戦できましたが、ベトナム戦争は20年も続いています。

ウクライナ戦争は大丈夫でしょうか? はやく終わってくれればいいのですが。

ウクライナ戦争。ロシアがNATOに加入すればいいんだよ

ウクライナ戦争。美女が国を救う。

ウクライナ戦争後の世界。ロシアの分割統治(案)。日本は樺太をもらえ

ウクライナ戦争。ロシア軍は兵装が古すぎる。ソ連製の戦車って。

ウクライナの穀物は陸路で輸送すればいいのでは? マリウポリ市長はどこにいる?

【ウクライナ戦争】ロシアの兵士を救え。兵隊は独裁者の犠牲者に過ぎない。

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日本軍が物量に負けた、は言い訳に過ぎない

アメリカがベトナムに投下した爆弾の量は、第二次世界大戦で日本とドイツに投下した爆弾の約2倍になるそうです。本気でやったんですね。

日本の戦史を読んでいると、ちいさな島に空爆、艦砲射撃をされて、敵の圧倒的な火薬量にさしもの日本兵もなすすべがなかった、という描写が頻繁に登場しますが、ベトナムはその二倍の火薬量に耐えました。物量の差があってもベトナムは勝ったのです。「物量さえあれば……」という大日本帝国の戦史がいかにもおかしいということがわかるのではないでしょうか。

補給に関しては、戦争をしていない第三国からの補給ということが重要なようです。ウクライナでは西側諸国からの、ベトナムはソ連(中共)からの補給がありました。それに対して日本は孤立無援でした。せめて中国が味方だったら違ったかもしれません。中国には日本と戦うのではなく、黄色人種を代表して白人たちと戦ってほしかったですね。愛新覚羅じゃ負けたでしょうけど。マオさんに頑張ってほしかった。

日本国内も縦深作戦をとるほど十分に広く、ジャングルではないが森林地帯で水には困らない環境だったはずですが、トンネルを掘ってアリンコのようにゲリラ戦を戦うという発想はなかったみたいです。むしろサムライたちは平地で真正面から堂々と決戦に出て、やはりボロクソに負けたのではないかと思います。正々堂々も考えものってことですね。

アメリカに勝つためには、米国世論を反戦にもっていけばいいようです。山本五十六はそのことを見抜いていたようですが、反戦にもっていくほどの死者数(戦果)をあげることができませんでした。

ベトナム戦争では百万人以上のベトナム人がなくなったそうです。対するアメリカは58,000人だそうです。

やはり戦争はやっちゃいけません。百万人の死者なんて想像もできません。損失が大きすぎます。リアルに死体の数を想像すると気持ち悪くなります。

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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●◎このブログの著者の書籍『市民ランナーという走り方』◎●
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書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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×   ×   ×   ×   ×   × 
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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×   ×   ×   ×   ×   × 
◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

Bitly
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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