アメリカ軍強い! 日本軍弱い! ボロクソに負けた太平洋戦争。
大平洋戦争の本を読んでいたら、筆者の書き方に驚いてしまいました。それは「あの戦争は惜しかった」というような書き方をしているからです。
「日本軍は強かった。立派に戦った」「しかしいかんせん物量に劣った」「だから負けてしまった」というような書き方をするんですね。
これは誤解をまねく書き方です。あるいはウソです。
冷静に、真実を言わせてもらえば、日本軍はアメリカ軍にボロクソに負けています。決して惜しい勝負ではありませんでした。完敗したのです。
山岡荘八『小説太平洋戦争』。日本だけ特別だと思うのがすべての間違いの元
図書館で予約した本を借りるときに困ったこと。「厚い」「古い」「旧字体」!!!
でも、不思議なことに、たいていの著者が「立派な日本軍。物量に負けた。惜しかった」このような書き方をしています。「同じ物量だったら、日本軍が勝っただろう」と惜しんでいるのです。そんな言い訳ありますか?
武田勝頼だって同じことを言いたかったと思いますよ。武田軍は強かった。織田軍に鉄砲の量で負けただけだ。物量が同じだったら武田軍が勝っていた、と。真田幸村だって「条件が同じなら勝てたかも?」と言いたかったでしょうに。
でも織田対武田の日本人同士の戦争の場合は誰もそんなこと言わないのに、なんで太平洋戦争に限って物量の差を言うかな? そもそも戦争っていうのは物量を揃えて勝敗つけるものじゃないの? それが戦争の本質では?
いくさの本質で負けているのに、それを「惜しかった」というのは違うと思います。
わたしが読んだ戦記を残した山岡荘八や伊藤正徳などは同時代人として太平洋戦争を経験しているので、なかなかボロ敗けだったとは書けなかったのかもしれません。また批判すべき当時の将軍たちがまだ存命だったりしたので(本人に取材して書いたりしているので)、悪いことは書けなかったってこともあったでしょう。
でも後世のわたしから言わせると、日本軍、ぼろ敗けしています。けっして惜しいゲームではありませんでした。ボロクソに負けています。あえていわせてもらえば、アメリカ軍、めちゃくちゃ強いです。
アメリカ軍つよし! 日本軍弱し! 完敗。これが真実です。
大平洋戦争も、ベトナム同様にジャングル戦が多かった
大平洋戦争は、島の取り合いというゲームでした。日本陸軍は、島という限定された戦争で、武器、食料の不足に苦しみ、アメリカ軍の機関銃に万歳突撃して全滅するパターンが大半でした。いわゆる玉砕というやつです。これはぼろ敗けですよ、はっきりいって。ぜんぜん惜しい戦いではありませんでした。
帝国海軍は、ミッドウェイも、マリアナ沖も、レイテ海戦も、ボロクソに負けています。まったく惜しい勝負ではありませんでした。真っ向勝負でノックアウト負けしています。
日本軍が弱いというよりは、アメリカ軍が強い、という印象です。
大平洋戦争。命よりも価値のあるものがある。自分だけが生きのびればいいというものではない。
【日本はオワコン】大平洋戦争は、今生きている人の幸せよりも、国の未来を優先して行われた
帝国陸軍が本土決戦をやりたかったのは、ガチンコ真っ向勝負を一度もしていなかったから
とくに陸軍は本土決戦をやりたかったといわれています。それはアメリカ軍と全面対決をただの一度もやらなかったからです。ガダルカナルなどの離島に送ったのは師団、旅団、支隊などの一部の兵士だけで、全面対決は一度もやっていないという意識だったのです。「まともに負けてない」意識があったんですね。フィリピンの島々では、88%は餓死と病気。戦死は12%だったと言われています。負け惜しみにすぎませんが「ガチンコ戦闘して負けたわけではない」といえなくもありません。
離島に送る兵団も途中で空襲や潜水艦によって船ごと沈められて、とにかくまともに決戦していない意識があったようです。
実際に敗戦時、海軍には残存兵力がほとんどありませんでしたが、陸軍にはまだ残存兵力があったといわれています。竹槍歩兵を含めてのことでしょうが……。
実際に陸軍目線だと中国と戦いつつのアメリカ戦というのは、片手をしばって戦うような不便さの中での勝負でした。でもそれはドイツだってアメリカだって同じです。二正面作戦なんて世界大戦ではあたりまえだといっていいレベルです。それが戦争の本質でしょ。その本質に愚痴を言うのは違うんじゃないかな、と思います。
その点、海軍はマリアナ沖で最後の決戦をしてボロクソに負けていますので、完全に負けたという意識がありました。
ベトナムが勝てたアメリカ軍に、日本軍はまったく歯が立たなかったのは何故だ?
まあ、そもそも石油50倍、自動車30倍、鉄鋼12倍、造機力4倍、造船力4倍の国(アメリカ)にケンカを売る方が狂気の沙汰です。そんな相手に勝てるわけがありません。開戦に振り切ったのは、国民が無敵の神州日本を信じたアホだった、ということがあります。戦争に反対すると暗殺される危険もあったという時代でした。その雰囲気をつくりだしたのは国民です。
大平洋戦史を読むと「強いなあアメリカ軍」と思います。日本軍が弱かったと言えないとすれば、アメリカ軍が強すぎたと言わざるをえません。しかしその強いアメリカ軍はベトナムで負けたといわれています。
なんでよ? なんで日本軍がボロ敗けした最強米軍に、なんでベトナム軍は勝てたのよ?
それを知ることが、この稿の最大の目的です。
そもそも大日本帝国はベトナムを占領していたのだから、ベトナム戦争と同じ戦い方ができなかったのか?
そもそも日本は、ベトナムからフランス軍を駆逐して、タイを除く東南アジア一帯を占領していました。当時サイゴンと呼ばれていたホーチミン市を含めて、ベトナムは日本の占領下にあったのです。すくなくともベトナム軍と同じ戦い方ができたはずじゃないの?
山岡や伊藤がいうように、日本兵がそんなに強かったとすれば、ベトナムのジャングルでアメリカ軍に勝てたはずじゃないの? そう思うのが当然というものです。だのにどうしてベトナムが勝てたアメリカ軍に、日本軍はまったく歯が立たなかったのでしょうか?
攻勢限界点を越えた補給線の問題か?
大平洋戦争の場合、ほとんどの戦場は離島でしたが、そうでない場所もありました。
中国大陸がそれであり、ベトナムからビルマにいたる東南アジア(ユーラシア大陸の一部)も戦場になっていました。
ユーラシア大陸で戦う時、潜水艦の魚雷攻撃は関係ありません。
しかしどこの戦場も、攻勢限界点を越えて補給船が伸びすぎたために負けたといわれています。
写真は私がたまたま見かけて撮影したものですが、ベトナムの「ジャックフルーツ」という果物です。もちろん食えます。喉の渇きを癒せます。この木は人が栽培しているようには見えませんでした。こういう木がいたるところに自生していました。
南国では果物の種をペッと吐き出すと、そこからフルーツが自生すると聞いたことがあります。このようにジャングルであれば自給自足が可能だったのでしょうか?
ベトナム戦争ってどんな戦争?
ベトナム戦争はアメリカが支援する南ベトナムが、ソ連が支援する北ベトナムに負けたという戦争でした。米ソの代理戦争だったのです。いってみれば韓国が北朝鮮に負けて消滅してしまったようなイメージがベトナム戦争です。
大平洋戦争の戦勝国はアメリカですが、第二次世界大戦の実質的な戦勝国はソビエト連邦でした。ドイツに勝ったのはアメリカではなくソ連だったからです。主力を叩いたのもソ連、ベルリンを占領してヒトラーを自殺に追い込んだのもソ連です。
資本主義国アメリカは、ドミノ倒し的に共産国家が誕生しないように、南ベトナムを防波堤にしようと、北ベトナムおよび南ベトナムの解放民族戦線(ベトコン)と戦いました。
ベトナム人はアメリカの近代兵器に対抗して、ジャングルでゲリラ戦を展開するのです。落とし穴で串刺しにするというような戦術がジャングルでは立派に機能しました。
それに対してアメリカは爆撃や枯葉剤散布などで対抗します。しかし飛行機ではジャングルを占領できませんでした。地下深く潜ったトンネルには爆撃も通用しなかったのです。
自由主義国の報道陣がベトナムに入ったことから、悲惨な戦争の真実があきらかになり、アメリカ国内で反戦運動が高まります。ヒッピーたちの全盛期もこのころですね。徴兵を拒否してラブ&ピースを掲げたフラワームーブメントの時代がありました。
ヒッピー文化は滅んだが、断捨離、アウトドア、バックパッカーのルーツ・ご先祖さまなのだ
アメリカは戦況が好転せず、国内の戦争反対運動もあって撤兵します。その後、北ベトナムに南ベトナムが滅ぼされたことから、アメリカはベトナム戦争に負けた、といわれているのです。
アリの巣のような地下トンネル
わたしはベトコンの地下トンネルを実際に見たことがあります。潜ったのはほんの地表のところだけですが、実際にはアリの巣のように地下深くまでトンネルが張り巡らされていました。
この戦術は、大平洋戦争の戦史でも見たことがあります。そう栗林中将の硫黄島の決戦がこのトンネル・洞窟戦でした。
ベトナム戦争では日本軍が唯一善戦した硫黄島のような戦いをしていたそうです。硫黄島では洞窟など地下にこもって空爆、艦砲射撃などを耐えしのぎました。そして地上対地下の戦いに持ち込みました。ベトナムでも有名な地下トンネルを掘って、やはり地上対地下の戦いへと持ち込んだのです。
硫黄島で、ようやくベトナム戦争ぽくなってきました。日本軍はジャングルのゲリラ戦を学んでいれば、アメリカ相手に東南アジアで勝てたのでしょうか?
武器、食料援助してくれる第三国があった。
大平洋戦争では、ガダルカナル島が餓島と呼ばれるように、飢えに苦しみました。それもお米を本国から送ろうとしたからです。ほとんど潜水艦に沈められましたけどね。
それに対してベトナム戦争の場合、隣国のラオス、カンボジアにホーチミンルートと呼ばれる武器、食料の援助ルートがありました。ソ連や北ベトナムが、南のベトコンに武器、食料を援助していた補給線です。
アメリカは戦争のエスカレーション(とくに中国の正式参戦)をおそれて、ホーチミンルートを攻撃できなかったそうです。
ウクライナ戦争にも似ているベトナム戦争
現在行われているウクライナ戦争もベトナム戦争に似ているところがあります。ウクライナ戦争では補給線のあるロシア本土を、戦争のエスカレーションをおそれてウクライナは攻撃できません。背後にアメリカ対ロシアという構図も同じです。
しかしベトナム戦争は共産主義国家の北ベトナムが勝利します。これはつまりソ連がアメリカに勝ったようなものです。
その後継国家であるロシアが……
ちなみにアメリカは朝鮮戦争で核兵器を使って北朝鮮と決着をつけようとしましたが、最後まで理性を保って自重しました。ロシアにも同じ態度を望みたいものです。
ちなみに朝鮮戦争は3年ほどで停戦できましたが、ベトナム戦争は20年も続いています。
ウクライナ戦争は大丈夫でしょうか? はやく終わってくれればいいのですが。
ウクライナ戦争後の世界。ロシアの分割統治(案)。日本は樺太をもらえ
ウクライナ戦争。ロシア軍は兵装が古すぎる。ソ連製の戦車って。
ウクライナの穀物は陸路で輸送すればいいのでは? マリウポリ市長はどこにいる?
【ウクライナ戦争】ロシアの兵士を救え。兵隊は独裁者の犠牲者に過ぎない。
日本軍が物量に負けた、は言い訳に過ぎない
アメリカがベトナムに投下した爆弾の量は、第二次世界大戦で日本とドイツに投下した爆弾の約2倍になるそうです。本気でやったんですね。
日本の戦史を読んでいると、ちいさな島に空爆、艦砲射撃をされて、敵の圧倒的な火薬量にさしもの日本兵もなすすべがなかった、という描写が頻繁に登場しますが、ベトナムはその二倍の火薬量に耐えました。物量の差があってもベトナムは勝ったのです。「物量さえあれば……」という大日本帝国の戦史がいかにもおかしいということがわかるのではないでしょうか。
補給に関しては、戦争をしていない第三国からの補給ということが重要なようです。ウクライナでは西側諸国からの、ベトナムはソ連(中共)からの補給がありました。それに対して日本は孤立無援でした。せめて中国が味方だったら違ったかもしれません。中国には日本と戦うのではなく、黄色人種を代表して白人たちと戦ってほしかったですね。愛新覚羅じゃ負けたでしょうけど。マオさんに頑張ってほしかった。
日本国内も縦深作戦をとるほど十分に広く、ジャングルではないが森林地帯で水には困らない環境だったはずですが、トンネルを掘ってアリンコのようにゲリラ戦を戦うという発想はなかったみたいです。むしろサムライたちは平地で真正面から堂々と決戦に出て、やはりボロクソに負けたのではないかと思います。正々堂々も考えものってことですね。
アメリカに勝つためには、米国世論を反戦にもっていけばいいようです。山本五十六はそのことを見抜いていたようですが、反戦にもっていくほどの死者数(戦果)をあげることができませんでした。
ベトナム戦争では百万人以上のベトナム人がなくなったそうです。対するアメリカは58,000人だそうです。
やはり戦争はやっちゃいけません。百万人の死者なんて想像もできません。損失が大きすぎます。リアルに死体の数を想像すると気持ち悪くなります。