スタインベック『怒りの葡萄』車中泊の元祖。車中泊文学の代表的傑作

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車中泊の先達スタインベック『チャーリーとの旅』

作者はジョン・スタインベック。生没年1902-1968.

わたしがスタインベックの本を読んだのは『チャーリーとの旅』がはじめてでした。チャーリーというのはイヌ。飼い犬のワンコと車中泊しながらアメリカを旅するという軽いエッセイでした。

その軽いエッセイストがまともに書いたノーベル文学賞受賞作品『怒りの葡萄』。あまりにも重厚な内容で、チャーリーとの旅とあまりにも違って、面食らってしまいました。

アメリカが貧しく、混迷の時代です。1939年に初版が出ています。

1962年に書かれた「チャーリーとの旅」で書かれた軽い車中泊とはシリアス度がぜんぜん違う作品です。同じ作者が書いたものとは思えないほど。

「チャーリーとの旅」とのあまりの違いに、歴史小説、時代小説のように昔のことを書いたのかと思ったら、スタインベックが自分の時代(同時代)を舞台に描いた作品でした。

『怒りの葡萄』で描かれる小作農家の終焉と、職を求めての西へのさすらいは1930年代末に本当にあった出来事だそうです。ここでは仮に上梓の一年前の1938年のお話しだと仮定しましょう。まさにスタインベックが生きていた時代です。時代小説のように昔のことを書いた作品じゃなかったのか!

『怒りの葡萄』を読めば、世界一の経済大国アメリカも昔は貧しかったんだなあということがわかります。

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作品の時代背景。実際にあった出来事を描いた作品

1938年は戦前(第二次世界大戦1939-1945)の話しです。貧しいといっても、農家が車を所有しているだけでも日本よりはリッチだと言えるかもしれません。

アメリカは第一次世界大戦(1914-1918)で戦争被害に遭わず武器輸出で儲けて好景気で世界経済の覇者になったといいます。世界の基軸通貨がポンドからドルになりました。ニューヨークにエンパイアステートビルディングが建設されたのが1931年です。

おっと、でも世界恐慌とされるのが1929に始まっています。世界恐慌は1939年のドイツのヒトラーによる第二次世界大戦につながっていますから状況は複雑です。

『怒りの葡萄』の舞台である1938年(仮)というのは、大恐慌の渦に巻き込まれた人々が右往左往した時代の転換期であり、混迷の時代だったということでしょう。

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ロードムービーの元祖。車中泊の先達

『怒りの葡萄』は車中泊の作品として読むことができます。このタイプの作品は珍しいんじゃないかな。

ロードムービーの元祖とも言えます。映画にもなっています。1940年公開。小説初版のあとすぐに映画化されたのですね。オスカー賞(アカデミー監督賞)をとっています。

ロードムービー「イージー・ライダー」が1969年の公開ですから、大先輩ですね。

ヒッピー・バイク映画の最高傑作『イージー・ライダー』ワイルドにトリップする映画

オクラホマの農地を銀行資本に奪われたジュード一家は、改造車に乗り込んでルート66を西へ西へと旅します。カリフォルニアに行けば仕事があると信じて。

基本は車のそばでテント野営です。ときにはキャンプ場、貨物車などのハードシェルにも泊まっています。そして車中泊。スタインベックは車中泊の大先輩の作家なんだなあと思いました。

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『怒りの葡萄』の書評、内容、評価

殺人犯トム・ジュードが家族のもとに帰ってきます。家族は銀行資本に農地を奪われていました。カリフォルニアに行けば日雇い農夫の摘み取りの仕事があると知り、一家はルート66でアメリカ横断します。旅の中で家族の何人かが、生まれ故郷を失った絶望の中で死んでいきます。ようやく着いたカリフォルニアでは労働者は低賃金で奴隷のように扱われていました。操作された買い手市場にトムは憤慨します。ストライキを計画する友人は殺されてしまいます。

「どうでもいい。罪なんかないし、善もない。人間のいとなみがあるだけだ。

「じいちゃんが地面を分捕り、先住民を殺して追い払わなきゃならなかった。」

「わたしらじゃなくて銀行がやることなんだ。でかい怪物なんだよ。人間がこしらえたんだが、もう制御できなくなっている。」

おれたちの地面なんだ。ここで生まれて、働いて、死んでいったから、おれたちの地面になったんだ。紙切れじゃなく、それが所有権になる。」

大地に生きる人々を本作では描いています。車中泊の作家としては狩猟採集民族のような移動、放浪を生き方の中心に据えているのかと思ったら、本作では定住、農耕民族を生き方の中心に考えています。これは意外なことでした。

「地面はひとそのもので、それを持っていると、ひとはいろいろなことで大きくなれる。地面はひとそのもので、ひとよりも大きい。ひとは小さい。」

「鉄の緩衝器が家の壁を崩し、基礎からこじって、横倒しにし、虫を潰すみたいに潰した。」

「あの子が悪いことをやったのは、恨みからだった。痛めつけられ、害獣を撃つみたいに狙い撃ち、狩るみたいに追った。恐ろしさで牙を鳴らしてうなった。恨みそのものになった。生きた恐ろしい恨みの塊になったんだよ。あんたもひどく痛めつけられたんじゃないのかい?」

イジメられ、虐げられると性格が歪む、という理屈ですね。

「笑ったり、踊ったりはしない。歌ったり、ギターを弾いたりはしない。しょっぱなから始めることはできない。はじめからやれるのは赤ん坊だけだ。なぜって、おれたちは昔からのものなんだ。この地面、赤い地面がおれたちなんだ。おれたちはうらみつらみだ。恨みつらみの軍隊が同じ方向へ行軍するだろう。そこから死の脅威がほとばしる。」

「取り越し苦労はやめな。(刑務所を)出るときのことを考えちゃいけない。頭がおかしくなる。土曜日にやる野球の試合のことだけを考えるんだ。」

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食欲の小説。飢えがテーマ。ガツガツ食べる健啖な胃袋の描写がとても多い。

「先のことなんかわかりゃしないけど、いざとなったら、ひとつの暮らししかないんだよ。道がただ通り過ぎてくだけさ。あとどれぐらいしたらみんなが豚の骨を食べたくなるかって、そういうことだけなんだよ。

「それなら親類縁者と一緒に飢え死にできる。おれたちを嫌っているやつらの前で飢え死にすることはない。

餓え、というのが『怒りの葡萄』のテーマのひとつです。その反面として、ガツガツ食べる健啖な描写がとても多いのでした。

そいつらの顔を見れば、どれだけ嫌われてるかわかる。怖いからなんだ。飢えた人間は、たとえ盗んでも食いものを手に入れる。それがわかっているからだ。だれかに奪われるんじゃないかって、やつらは心配してるんだ。みたこともないぐらい美しいところなのに、住んでるやつらはあんたらにやさしくない。やさしくできないんだ。」

そしてこの「飢餓」は物語の大団円へとつながります。「ローマの慈愛」的なエンディングへと。

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原作は労働運動、共産主義的な作品

「旅するのは、そうせざるをえんからだ。いまよりもましになりたいから、渡り、流れる。あれがほしい、あれがなくてはならない、だったら出てって手に入れるしかない。」

「息子に父親を埋める資格がある時代だった。法律にしたがえないこともある。ひとの道がかかわっているようなときは、ことにそうだ。法律は変わる。だが「やらなきゃならない」はいつだっておなじだ。

映画とは違って、原作は労働運動的、共産主義的なアカっぽい作品です。映画では政治色を取り除いて「大地とともに生きる農民」が強調されていますが、原作小説は「労働者よ、団結せよ」ということが描かれます。

人類史上最大のベストセラー『聖書』。二番目の『共産党宣言』

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人間の虚飾を取り払った原初の姿を描くのが小説の役割のひとつ

「じいちゃんとふるさとは同じものなんだ。あんたらは新しい暮らしができるが、じいちゃんの暮らしは終わった。じいちゃんは今夜死んだんじゃない。あんたらが家から連れ出したとたんに死んだんだ。

カリフォルニアに向かう途中で祖父は死んでしまいました。故郷を離れたくないといっていたのに、無理やり車に乗せたのでした。

「あたしたちが稼ぐお金なんか何の役にも立ちゃしないよ。家族がバラバラになっちまうだけだ。家族がバラバラになるっていうんなら、あたしはこの鉄棒を振り回して暴れてやる。」

ルート66車中泊の中で、お父の権威は下がり、お母の権威が上がります。すがるものをお父はなくし、お母はなくしていないからです。

「ひとかどの男になりたくてたまらない。だけど誰も殴り掛かってこない時にガードを固めるのはやめろ。」

「人手を集めて賃金をピンハネするんだ。腹をすかした奴が多ければ多いほど、払う賃金をすくなくできる。

「手助けを断るか受け入れるか、手助けを申し出るか拒むかは、どちらも許される。求愛するのも、やってよいことだった。飢えているものは食べ物をもらうことが許される。寝静まった後に騒ぐことはやってはならない。誘惑や強姦、不義密通、泥棒、殺人、そういった悪逆なものは叩き潰された。ゆるされたら小さな社会はたとえ一晩でもなりたたない。掟になった。飲み水を汚すのは掟に反する。掟には罰が伴っていた。ケンカを手っ取り早く始めるか、仲間外れにする。仲間はずれにされたら、どの社会にも居場所がなかった。今夜はこの女、次の夜はあの女というように渡り歩くことはできない。それはこの社会をおびやかすからだ。」

ちいさなムラ。社会のルールの萌芽です。日本人でもアメリカ人でも同じようなルールが原初的なんだなあ、と思いました。国籍によって人を色分けする考え方がありますが、たくさんの本を読んで私はそうは考えなくなりました。

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映画版のオチは、小説版のエンディングとは違う

「ひとりが何もかも知るわけないんだ。言えるのは、ほとんどが惨めな暮らしをしているってことだけだ。」

「そのうちに死ぬのはみんなが死ぬうちのひとかけらになり、耐えるのはみんなが耐えるうちのひとかけらになり、耐えるのも死ぬのも、おなじ大きなことのふたかけらになる。痛みもそんなにひどくなくなる。独りぼっちの痛みじゃないからね。」

お母はそういいます。しかしトムはおさまりませんでした。怒ります。

どうでしょうか。この人類生命体みたいな考え方。ひとりひとりは人類生命体のひとつの細胞だとでもいわんばかりです。わたしはこの考え方は受け入れがたいものを感じます。むしろ全宇宙にたった一人、一回きりの運命を背負って生きているという考え方のほうがずっと腑に落ちます。

文学の頂点。ユダヤ人強制収容所の記録『夜と霧』

「男っていうのは、頭に来ることがあるもんだよ。」

「トムはひとの指図は受けないんだ。」

「南へ行く。あいつらのいいなりにはならない。」

「やつらはおれたちを骨抜きにしようとしてるんだ。這いつくばらせようとしているんだ。おまわりをぶん殴らないと、男の顔が立たないときが、ぜったいに来る。やつらは、俺たちの体面をつぶそうとしているんだ。

「罪を犯したと思ったら犯したことになるんだ。喋ったら気が楽になるかもしれんが罪をばらまくだけだ。

「そんなふうにはならないって約束したじゃないか。」

「ほんとうに生きている民はあたしたちなんだ。あたしたちを根絶やしにすることなんかできない。あたしたちが民なんだから。ああいうやつら(金持ちの資本家)がみんな滅びても、生き続けるのはあたしたちなんだから。」

映画『怒りの葡萄』のラストシーンで使われるオチは、このお母の言葉でした。しかし原作小説はさらに先に進みます。深化します。

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おれはそこにいる。それがおれのゆく道になる。おれはどこにでもいる。

「罪ってどんなのなのか、ぜんぶ知りたい。犯してみたいもん。」

「(用水路に人を投げ込んで、まるで洗礼のように)おれたちは救われた。洗われて、雪みたいに真っ白になった。二度と罪は犯さない。」

「おれは25セントで働いている。あんたが20セントで受けておれの仕事を奪う。次はおれが15セントで引き受けて仕事を取り戻す。(こうして労働者の賃金はどんどん下がっていく)一日十二時間働いて、ガキにろくなものを食わせてやれない。」

労働者が団結してストライキをやらないかぎり、飢え死にするギリギリまで賃金は下がっていくという理屈です。最低賃金なんてものはない時代でした。

「価格が高止まりするように、オレンジを地べたに捨てる。拾わせるわけにはいかない。拾うことができたら、一ダース二十セントで買うわけがない。人々が餓えている前で灯油をまいた。食べ物を腐らせなければならない。」

「(食べ物を川に捨てる)流れて行ってやつらに言うんだ。腐り、そうやってやつらに語るがいい。さあ、流れていけ。巷に横たわれ。そうすれば、やつらも悟るかもしれない。」

餓えた人々の前で、価格を維持するために食べ物が捨てられていきます。

「おまわりはもめ事をとめるんじゃなくて、もめ事をふやすんだ。」

「もう一度さわらせて。たとえ覚えているのが指でもいいから、覚えていたいんだ。」

母と息子の暗がりでの別れのシーンです。エロい描写ではありません(笑)。

「自分だけのたましいなんてものはない。大きな魂の小さなかけらである自分は、ひとと一緒でなければ役に立たない。一緒にいることで全きものになる。」

「殺されたとしても、とるに足らないことじゃないか。ケイシーがいったように、ひとりのたましいは自分のものじゃなくて、大きなたましいのかけらなのだとしたら。それなら、おれは闇のどこにでもいる。おれはどこにでもいる。お母が見るどこにでも。みんなが戦うとき、おれはそこにいる。怒れる人々が叫ぶなら、それがおれのゆく道になる。俺たちの仲間が育てた作物を食べて自分たちが建てた家に住んでいるとき……もちろん、おれはそこにいる。」

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『ローマの慈愛』を彷彿とさせる小説版の見事なエンディング

餓えに苦しんでいるのはトム・ジュード一家だけではありませんでした。みんな同じように苦しんでいました。不幸と栄養不足で死産したトムの妹は、見も知らない飢えた男に乳から母乳を飲ませます。

「口を結んで、謎をかけるようにほほえんだ。」

小説『怒りの葡萄』はこう結びます。

映画とは違うエンディングです。

餓えた男に乳首からじかに母乳を飲ませるシーンが脳裏に残ります。映画にするには自主規制があったでしょう。なにせ1940年の白黒映画ですからね。乳首なんて出せたはずがありません。

『ローマの慈愛』という絵画のモチーフがあります。巨匠ルーベンスなどがこのモチーフで作品をものしています。餓死刑に処された父親を救うために、娘が自分のおっぱいから直接母乳を飲ませるという作品です。母乳の栄養はすごいものがあります。そしてエロティックでもあります。エロチックでありながら、女性の偉大さ、人間のすばらしさを感じさせるシーンですね。父母を敬う以上の何かが伝わってきます。

スタインベックは『怒りの葡萄』という物語のラストに現代アメリカの「ローマの慈愛」を持ってきました。

強烈な読後感でした。さすがノーベル文学賞という作品でした。

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

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私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
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●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
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●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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