車中泊は「窮乏生活ごっこ」。クルマが好きなわけではない
車中泊が大好きだとクルマも大好きだと思われがちですが、わたしの場合は違います。
悪夢のような「運転免許一発取り消し事件」で車社会と縁を切って以来、クルマは好きか嫌いかと言われたらどっちかというと嫌いです。
アウトドアで寝たり暮らしたりするのが好きなのであって、ドライブが好きなわけではありません。
車中泊は「窮乏生活ごっこ」というのが正直なところです。
旅は好きですが、クルマが好きなわけではないのです。
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車中泊用の車。クルマというよりはテントを選ぶ目線
そんなわたしでも、車中泊を頻繁に繰り返していると、クルマというものにそこそこ関心が出てきます。
そうはいっても世間のクルマ好きとは全然目のつけどころが違うと思います。「寝れるか」「居心地がいいか」というキャンピングカー目線でクルマを見ています。
クルマというよりはテントを選ぶ目線になっています(笑)。
そして燃費も気になります。貧乏旅行の車中泊では、ガソリン代は節約できるにこしたことはありません。
わたしたちは電気とガソリンのハイブリッド車のホンダ・シャトルで旅をしているのですが、先代のスバル・レガシィにくらべるとメチャクチャ燃費がいいのでたいへん助かっています。それもこれもモーターとエンジンのハイブリッドのおかげです。
フォードvsエジソン。自動車を巡る産業戦争
クルマの歴史を調べていると、アメリカのフォードに突き当たります。
ベルトコンベアで大衆車の量産に成功したフォードはアメリカ産業の象徴でもありました。しかしこのフォード。発明王エジソンと「自動車」をめぐってライバルだったそうです。
このへんのエピソードがちょっとおもしろいので、それをご紹介いたします。
フォードとエジソンの対決とは、ガソリン車と電気自動車の対決でした。
発明王トーマス・エジソンが夢みた電気自動車
エジソンというのは電気という科学の根幹の力を駆使した発明王です。電灯や蓄音機、映写機などを発明した天才ですが、彼が凄かったのは「発明を発明で終わらせず、事業化して大衆に届けた」からです。
誰かほかの人が発明したものでも、廉価で量産できるように工夫すれば、事業に勝つことができます。そしてエジソンはそれが得意でした。
発明家として有名ですが、事業家、実業家としての顔も持っていました。そちらの面でもかなり辣腕をふるった人物なのです。
フォード自動車の祖フォードも、エジソンと同じアメリカ人で、ふたりは親交があったそうです。
もちろん電気王エジソンの考えた事業としての自動車というのは電気自動車でした。
わたしは自転車の歴史が自動車よりも浅いと聞いて驚いたことがあります。自動車は馬車の変形で想像しやすいのに対して、自転車は何にも似ていないため発想そのものが後発でした。
それと同じように驚いたのですが、電気自動車の歴史は、ガソリンエンジン車より古いそうです。
電池は1777年、モーターは1823年に発明されています。イギリスで電気式四輪トラックが実用化されているのが1873年だそうです。
ガソリンエンジンのクルマが誕生したのが1886年だそうです。そしてT型フォードが1908年に登場。
なるほどガソリンエンジン車よりも電気モーター車の方が先に発明されていたんですね!
第三の車。蒸気自動車
もうひとつ今は滅んでしまいましたが、第三の車ともいうべき蒸気自動車というものがありました。蒸気機関車の自動車版ですね。
自動車の黎明期には、どの動力が最適解なのかわからず、蒸気、電気、ガソリン三者で競争していたのですね。
発明競争でなく、事業として成功するか競争
自動車に関していえばエジソンもフォードも自分が発明したわけではありません。
ふたりの競争は「発明競争」ではなく「事業として成功するかどうか」でした。
安く、効率よく、大量生産化できるということには、新しい知恵と工夫が必要です。そしてそういう知恵はエジソンの得意分野でした。
エジソンが目をつけたのは、電気モーター車でした。電気は彼の得意分野でしたから。それに対してフォードはガソリン車に目をつけます。
エジソンとフォードの対決は、エジソンが充電(電池)という問題をクリアできなかったため、フォードに軍配があがりました。ガソリンを補給する方が、電気を充電するよりも、簡単だったわけです。
エジソンとフォードが電気自動車とガソリン自動車で勝負して、フォードが勝ったからガソリン自動車の時代がきました。
フォードが買った結果、ガソリン車が世界中に出回って、ガソリンスタンドが世界中にできました。
ところが排気ガスの公害問題などがあり、今、ふたたび電気自動車が脚光を浴びています。
そもそもIoT、自動運転スマートカーなど、核心的な技術に電気は欠かせません。
エジソンの時代よりも、充電、蓄電技術が進歩して、ユーザビリティが格段に向上しました。公害などの面においてもガソリン自動車よりも電気自動車の方が環境にやさしいのはあきらかでした。
フォードvsエジソン。最後に勝ったのはエジソンではないか
さて、エジソンとフォードの対決ですが、勝ったのは本当にフォードでしょうか?
20世紀は明らかにフォードの勝利でした。
しかし21世紀はわかりません。
もしかしたら電気自動車がガソリン自動車を駆逐する日が来るかもしれません。電気モーターがガソリンエンジンを追放する日が来るかもしれないのです。
もしもそうなったら「大衆に向けた産業化という発想」という意味において、究極的に勝ったのはエジソンだったといえないでしょうか。
これはバイクの話しですが、中国などではガソリンバイクよりも電動バイクの方が圧倒的なシェアを誇っています。ガソリンよりも電気の方が採用すべき動力だったということです。
フォードの車は一世を風靡しましたが、日本車などの台頭によって、今では産業としては大成功しているとはいいがたいものがあります。現在、日本人でフォードのガソリン車を欲しがる人ってそれほどいないでしょ?
でもテスラモーターズの電気自動車はどうでしょう。欲しい人はたくさんいるんじゃありませんか?
こうしてみると、結局、クルマ競争に、エジソンはフォードに負けたとはいえないのではないか、という気がしてきます。
いや、むしろ最終的にエジソンは勝ったのではないでしょうか?
【この記事を書いている人】
瞑想ランニング(地球二周目)をしながら心に浮かんできたコラムをブログに書き綴っているランナー・ブロガーのアリクラハルトと申します。ランニング系・登山系の雑誌に記事を書いてきたプロのライターでもあります。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。その筆力は…本コラムを最後までお読みいただければわかります。あなたの心をどれだけ揺さぶることができたか。それがわたしの実力です。
初マラソンのホノルル4時間12分から防府読売2時間58分(グロス)まで、知恵と工夫で1時間15分もタイム短縮した頭脳派のランナー。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。ちばアクアラインマラソン招待選手。ボストンマラソン正式選手。地方大会での入賞多数。海外マラソンも完走多数(ボストン、ニューヨークシティ、バンクーバー、ユングフラウ、ロトルアニュージーランド、ニューカレドニアヌメア、ホノルル)。月間走行距離MAX600km。ランニング雑誌『ランナーズ』の元ライター。著書『市民ランナーという走り方(グランドスラム養成講座)』。言葉の力で、あなたの走り方を劇的に変えてみせます。
また、現在、バーチャルランニング『地球一周走り旅』を展開中。ご近所を走りながら、走行距離だけは地球を一周しようという仮想ランニング企画です。
そしてロードバイク乗り。朝飯前でウサイン・ボルトよりも速く走れます。江戸川左岸の撃墜王(自称)。スピードが目的、スピードがすべてのスピード狂。ロードバイクって凄いぜ!!
山ヤとしての実績は以下のとおり。スイス・ブライトホルン登頂。マレーシア・キナバル山登頂。台湾・玉山(ニイタカヤマ)登頂。南アルプス全山縦走。後立山連峰全山縦走。槍・穂・西穂縦走。富士登山競争完走。日本山岳耐久レース(ハセツネ)完走。などなど。『山と渓谷』ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。
その後、山ヤのスタイルのまま海外バックパック放浪に旅立ちました。訪問国はモロッコ。エジプト。ヨルダン。トルコ。イギリス。フランス。スペイン。ポルトガル。イタリア。バチカン。ギリシア。スイス。アメリカ。メキシコ。カナダ。タイ。ベトナム。カンボジア。マレーシア。シンガポール。インドネシア。ニュージーランド。ネパール。インド。中国。台湾。韓国。そして日本の28ケ国。パリとニューカレドニア、ホノルルとラスベガスを別に数えていいなら訪問都市は100都市をこえています。(大西洋上をのぞいて)世界一周しています。ソウル日本人学校出身の元帰国子女。国内では青春18きっぷ・車中泊で日本一周しています。
登山も、海外バックパック旅行も、車中泊も、すべてに共通するのは必要最低限の装備で生き抜こうという心構えだと思っています。バックパックひとつ。その放浪の魂を伝えていきます。
千葉県在住。夢の移住先はもう決まっています!!
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わたしたちはステーションワゴンの後部スペースに「トゥルースリーパー」の低反発マットレスを敷いて車中泊しています。低反発クッションなので体の節々を痛めることなくぐっすりと眠れます。5cmの厚みで冬でも寒くありません。