「ダイヤルを回す」という表現は死語となった
先日、知り合いからおそろしい話しを聞きました。昭和の家庭を再現したコーナーを眺めていた知り合い(父)が、娘が黒電話をまったく理解していないことに驚愕したというエピソードです。
昭和の黒電話を見て、
娘「パパ、なにこれ?」
父「電話だよ」
娘「ふうん。どうやって番号押すの?」
父「いやいや押さないよ。穴に指を突っ込んで回すんだよ」
ジーゴジーコとダイヤルの留め金まで穴に指を突っ込んで回すという行為を、娘さんはなかなか理解できなかったそうです。
いや、まいったね。
このブログの作者は昭和の生まれ。携帯電話以前の世界を知る者です。わたしは小説を書いているのですが、「ダイヤルを回す」という表現はもう小説では使えません。完全に死語になりましたね。なにせプッシュするだけで回さないのですから。いやもうプッシュさえしないか。画面をタップするだけですよね。いまなら小説上では「電話をかけた」という無難な表現を使うと思います。小説ではなるべく普遍的な表現を使うように心がけています。
小説で、携帯電話と書くかケータイと書くか悩んでいるうちにスマホの時代になってしまいました。でもスマホという言葉もいつまでもつんでしょうね? 二十年後にはスマホなんて黒電話なみに現役の言葉から消え去っているかもしれません。眼鏡タイプのいいものができたら、スマホなんて滅び去るんでしょうからね。
主人公ツバサは劇団の役者です。
「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」
「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」
「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」
「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」
「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」
「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」
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雑誌の表紙を必死に指で拡大しようとしている幼子を見たことがある
かつて歯医者の待合室で雑誌の表紙を赤ちゃんが指でピンチアウトして必死に拡大しようとしていたのを見て愕然としたことがあります。これがZ世代というやつなんですね。。。あなおそろしや。
※Z世代=生まれた時点でインターネットがあった世代。
かつてコンビニで松田聖子の「青い珊瑚礁」がBGMに流れてきたとき、若いカップルが「何この曲?」「古っぽいけどいい曲だね」と言っていたのを聞いてショックを受けた体験をブログに書いたことがあります。「青い山脈」ならまだしも「青い珊瑚礁」ですよ!
あのときのショックの正体は「ああ。この世に永遠のものなんてないんだ……」というショックでした。
そして黒電話もまた滅び去りました。やがて私たちの世代も滅び去ることでしょう。何ひとつ残すこともなく。風の前の塵のように。それがこの世界なんですね。そういうことがこの齢になってやっと実感としてわかるようになりました。心の底から自分が挫折するまでは、そういうことはわからなかったのです。