ソウル日本人学校の恩師に会いに行く九州でのクラス会
うちの嫁はうまれてからずっと同じ町に住んでいるので、ときどき道ばたで「あっ、××君だ」とか「今の●●先輩だ!」とか知り合いと出会います。そういうの、時々うらやましいなあと思います。もちろん逆にわずらわしいときもあるんでしょうけどね。
わたしは引っ越し族だったので、幼い頃からずっと知っているような幼な友だちという存在がいません。唯一、そのような存在が、小学校の同級生です。わたしはソウル日本人学校の出身。こちらの記事はわたしのブログの中でも多くの人に読まれている記事のひとつです。
ソウル日本人学校の偏差値レベルと韓国語。卒業生の進路と有名人。同窓会と将来
ソウル日本人学校では(ひとクラスしかないから)クラス替えがなかったため、全員の顔と名前が一致します。そして今でも年一回ぐらいの頻度で東京でクラス会をやっています。先日、その時の恩師に会いに行きました。恩師はすでに老齢です。佐世保のサービス付き高齢者向け住宅に住んでいました。東京から七人、大阪から一人、九州から一人、総勢9名で佐世保に恩師を訪ねました。私たちがその爺ちゃんを「先生」と呼ぶのは別にいいと思うのですが、先生はもういい齢のわたしたちを「子どもたち」と呼びます。いつまでも子どもたちなんですねえ、教師にとって教え子というのは。
そして私たちとの再会に涙を見せてくれました。先生を含めると総勢10名の九州での同窓会です。とてもいい同窓会でした。二泊三日の旅でした。先生に再会するのがもちろん主目的でしたが、観光し、美味しいものを食べて帰ってきました。
※厳密にはクラス会というのかもしれませんが、われわれのあいだでも同窓会と称していますので、これからは同窓会と呼びます。
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旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。
【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●日本海も東海もダメ。あたりさわりのない海の名前を提案すればいいじゃないか
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●もしも韓国に妹がいるならオッパと呼んでほしい
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●「トウガラシ実存主義」国籍にとらわれず、人間の歌を歌え
韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。
「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。
帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。
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ソウル日本人学校のクラス会をソウルでやろうと思うのだ
その九州での同窓会が終了した後で「つぎはソウルか?」という話しに自然となりました。はっきりいって東京から佐世保に行くのもソウルに行くのも距離的にも時間的にもたいして違いはありません。あるのは心の距離感だけでしょう。
わたしは世界100都市以上を歩いてきた旅人です。その個人的な放浪のはじまりはソウルでした。第二の故郷ソウルを観光バスで回るなんてありえないと思ったのが個人旅行者になったきっかけです。正直ソウルは外国扱いしたくないぐらいの気持ちです。
クラスの中ではリーダー的存在ではなく、その他大勢という立ち位置のわたしですが、ソウルでクラス会をやるのならばアテンド側にまわってみんなに貢献しようと思いました。わたしのこれまでの海外旅行の経験値を今こそ生かすときです。海外移住を含めて、わたしもいつまでも同窓会に出られるとは限りませんので。
同窓会、クラス会よりも仕事優先。当然の結果に
とは言ってもまだ現役世代。みんな仕事や家庭が優先です。まずは何人ソウルに行けるのか。そこから探り始めました。せめて佐世保に行けた人たち(九人)はソウルにも行けるだろうという見通しを私は持っていました。昔の思い出話を語りながら「もう一度行ってみたいね」という言葉を引き出そうと誘いをかけます。ところが……思ったよりも人数が集まりません。集まったのは五人だけ。
私はソウルなんて国内扱いぐらいに思っているのですが、なかにはパスポートを持っていないという人が数人しました。
マジか! パスポートないの!? おいおい。同じ帰国子女でもその後の人生はだいぶ違いますね。昔はずっと一緒にいたのに、さても人生が離れてしまったものです。
また、彼らにとって懐かしい思い出は「ソウル」よりも「先生」だと知って驚きました。熱量がぜんぜん違うのです。先生には思い入れがあってもソウルには思い入れがないみたいでした……おれとは違うなあ。
私の場合は、ソウルは「失われた時を求めて」プルースト効果を感じることができる世界でただ一つの場所として特別な思い入れがあります。韓国関係の著作も出版しています。
そういう思い入れは、他の人にはないみたいでした。けっきょく、情念というのは対象そのものにあるのではなく、それを感じる「こっち側」にあるということなのでしょう。
「こっち側」のセンスというものは、かつてのクラスメイトでも今ではぜんぜん違っているのでした。
ソウル日本人学校の偏差値レベルと韓国語。卒業生の進路と有名人。同窓会と将来
旅行開始からほんの数分で離ればなれ(迷子)になる
旅慣れた私がアテンド側に回ることになったソウルでのソウル日本人学校の同窓会。
余裕のはずでした。ところが……勝手気ままな個人の放浪と違って、同窓会旅行は想像もしなかったような問題点が次々に出現したのです。
いやあ。ツアーアテンダントって大変だなあ。旅行のスキルと面倒見のスキルって別だなあ……。
実際にホテルから出て数分でみんなと迷子になってしまいました。T-Moneyカードが欲しくてコンビニに入ったグループと、両替がしたくて両替屋に行ったグループとで、旅行開始からほんの数分ではぐれてしまったのです。
eSIMでオンラインでなければ再会できないところでした。自分一人ならばこんな心配しなくてもいいのですが……。
相手の土俵で勝負。ときには「人まかせ」にすることで自分をアップデートする
みんなが行きたい場所もそれぞれ違うし、人の意見をまとめることが旅では最も難しいんだなあと感じました。
私はトラブルに遭遇したらその場で考える、ひとりでガンガン行っちゃうタイプなのですが、そういう私の最高のスキルは集団行動では生かされないんだなあと思い知りました。
住んでいた漢江沿いのマンション。現代マンション、REXマンション
わたしの住んでいたところは南山外人アパートやリバーサイド外人マンション「じゃないほう」に位置していたので、遊ぶにも友だちと遠く、子供のころは「はずれ部屋」だと思っていました。しかし大人になって再訪したら、部屋から漢江が見える超いい場所にあったのだと気づきました。「あたり部屋」だったのだと認識をあらためました。
日本人が多い外人住宅ではなく、現地の人と同じ場所、あまり日本人のいない場所で過ごすというロケーションのすばらしさを、大人になって旅人として世界を経験してやっとわかったのでした。今のわたしならばかつての父と同じ部屋を選ぶと思います。これはパリなら窓からセーヌ川が見えるのと同じことです。行けばそんな発見がきっとありますよ。
※現在、私が住んでいた漢江沿いの場所は億ションが建っていました。やはりいいロケーションだったのです。
南山外人アパート(ナムサン・ヴィレッジ)の住所がわからない。
わたしは漢江沿い(河側)に住んでいたので、山側(南山ヴィレッジ)のことはよくわかりませんでした。学校のスクールバスは二台あって、河側と山側に分かれていたので、
ナムサンビレッジに住んでいた人の当時の書類の中から住所がわかりました。
new namsan village 1-139,iteon-dong,yonsan-ku,seoul,korea
現在ナムサンビレッジの跡地は南山公園の憩いの森の一部となっていました。当時の面影はまったくありませんでした。しかしグランドハイアット(ハイアットリージェンシー)ホテルがあったので、おおむねの位置を同定することができました。
ナムサンタワーだけは当時も今も健在です。名前はNソウルタワーと改名したそうですが。
旅行会社の検索サイトの不一致。検索結果が出ないんだけどパーソナライズド検索か?
いつもは単独で申し込むので、航空券を予約するのもホテルを予約するのも、一括で一度に処理することができます。しかし同窓会をするとなると、みんなで同じ飛行機、同じホテルに申し込まなければなりません。同じ検索サイトを利用して同条件で検索するんだけど……なぜか同じ結果がでません。これはほんとうに謎でした。どうして同じ旅行会社のサイトで、Aさんには検索ヒットするプランが、Bさんには検索ヒットしないのでしょうか?
グーグルなどの検索エンジンがパーソナライズドされているのは知っていましたが、旅行会社の検索もパーソナライズドされているのでしょうか? たしかに普段のわたしがやらないようなタイトな日程、高いホテル設定になっていましたけれど。
それでも条件を絞っても検索が出てこないのは不思議というしかありません。
理由はわかりません。第三者のCさんにも検索してもらいましたが、出てきませんでした。どういうことでしょうか?
結局、検索ヒットしたAさんに、その検索結果のURLを送ってもらい、そこから入ってログインし直して、同じフリーツアーを買うことができましたけど。
結果オーライですが、検索結果があったりなかったりするのは合点がいきません。その謎だけは解消しないままです。
またまったく同じパッケージツアーに申し込んでも日によって金額が数円~数十円ですが違っていることをはじめて知りました。
おそらく為替レートの違いだと思いますが、パッケージツアーの料金設定がそのように流動的なものだとは驚きました。
東京人の羽田空港嫌いに心底驚いた
自分は千葉県人で、羽田も成田もほぼ等距離という場所に住んでいます。成田空港にまったく抵抗がありません。むしろビジネス客が多い羽田よりも、外国人リゾート客ばかりの成田の方がどっちかと言えば好きです。
しかし東京の友人たちは成田空港を非常に嫌っていました。羽田がいい、という願望は強いものがありました。そしてそのことに非常に驚きました。このようなことも他人と一緒に旅をしてみなけばわからないことです。
これほど東京都民に成田空港が忌避されているとは思ってもみませんでした。遠くてイヤなんでしょう。開港直後から何も変わっていないんですねえ。
団体行動と個人行動は違う。
外国でクラス会をやるというのはいい経験でした。自分ひとり(せいぜい妻とふたり)の旅では経験できないことを、いろいろ体験させてもらいました。
友よ、ありがとう。
※その時の動画です。ぜひご覧ください。