小説の限界。日本語の限界。
このブログの筆者は小説を書いています。
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このブログの著者が執筆した純文学小説です。
「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」
「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。
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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。
「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」
「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」
※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。
アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。
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小説を書き上げてつくづく思うことがあります。「ああ。日本語だなあ」と。最初の一行目から最後の行まで全部活字、全部日本語です。
日本に憧れる外国人にはマンガ好き、アニメ好きが多い
『YOUは何しに日本へ?』という番組を見ていると、訪日外国人の中には、めちゃくちゃ日本大好きという人がときどきいます。
そういう人の多くが日本に憧れた理由として、アニメが入口になっていたりします。
『セーラームーン』とかね。ああいうの、他の国にはありませんからね。
わたしたち日本人が『ベルサイユのばら』を見てフランスに憧れるように、『ドラえもん』を見て日本に憧れる人がいるというわけですね。のび太の家なんてTHE・日本ですからね。
ウィキペディアWikipediaのまちがい発見した場合の対処法
活字とちがい絵は国境を軽々と超えていきます。
ジュール・ベルヌなんか、時代の影響で小説家だったけれど、現代の日本に生まれていたならばマンガ家になっていただろうと思います。表現力が段違いですからね。
ベルヌのマンガ、読みたかったなあ。