ロシア革命の予言の書
ここではニコライ・ゴーゴリ『外套』1842年の書評をしています。
この物語はラストシーンに幽霊が登場します。その幽霊を「主人公本人」と考えるか「主人公とは違う別人」と考えるかで、物語の解釈がだいぶ変わってきます。
しかしどちらにしてもその後のロシア革命を予言するような書になっていることは間違いありません。
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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。
「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」
「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」
※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。
アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。
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あらすじ。
黄色は本文。赤字は私の感想です。
仕事熱心で勤勉な九等官が主人公。彼がかちえたものは同僚の嘲笑と痔疾のみ。
「構わないでください。なんだってそう人を馬鹿にするんです」
人間の内心には凶悪な野生がひそんでいる。
主人公アカーキイは周囲にバカにされている小役人です。しかし作者はこのかわいそうな貧しい人物を通して「わたしだって君の同胞なんだよ」という同情を喚起させようと心をくだいています。
アカーキイは外套を新調した。まるで結婚したかのように平凡な生活が変化した。
地味な小役人は生活にイベントがないために、外套の新調が人生の一大イベントでした。
しかしその外套を強奪される。厳格ひとすじの地位にこだわる有力者に強盗の相談に行くが、けんもほろろに追い返され、そのショックから寝込んで死んでしまう。
物語にときどき登場する「ショックで死んでしまう系」の人物でした。
しばらくすると夜の町に外套をほしがる幽霊がでるとのうわさが立つのだった。
この幽霊を「主人公本人」と考えるか「主人公とは違う別人」と考えるかで、物語の解釈がだいぶ変わってきます。
物語のあらすじを述べることについての私の考えはこちらをご覧ください。
私は反あらすじ派です。作品のあらすじ、主題はあんがい単純なものです。要約すればたった数行で作者の言いたかった趣旨は尽きてしまいます。世の中にはたくさんの物語がありますが、主役のキャラクター、ストーリーは違っても、要約した趣旨は同じようなものだったりします。
たいていの物語は、主人公が何かを追いかけるか、何かから逃げる話しですよね? 生まれ、よろこび、苦しみ、死んでいく話のはずです。あらすじは短くすればするほど、どの物語も同じものになってしまいます。だったら何のためにたくさんの物語があるのでしょうか。
あらすじや要約した主題からは何も生まれません。観念的な言葉で語らず、血の通った物語にしたことで、作品は生命を得て、主題以上のものになるのです。
作品のあらすじを知って、それで読んだ気にならないでください。作品の命はそこにはないのです。
人間描写のおもしろさ、つまり小説力があれば、どんなあらすじだって面白く書けるし、それがなければ、どんなあらすじだってつまらない作品にしかなりません。
しかしあらすじ(全体地図)を知った上で、自分がどのあたりにいるのか(現在位置)を確認しつつ読書することを私はオススメしています。
作品のあらすじや主題の紹介は、そのように活用してください。
貧者への同情(貧者文学)の誕生
ドストエフスキーは「われわれは皆ゴーゴリの『外套』の中から生まれたのだ」といったのだそうです。それは貧者への同情(貧者文学)という
ドストエフスキー『罪と罰』の低評価。小説界のモダンアートだったのではないか?
カラマーゾフの兄弟『大審問官』。神は存在するのか? 前提を疑え!
ラストシーンの解釈。外套、幽霊は比喩。
この物語をどうとらえるか。それは『外套』のラストシーンをどう解釈するかによるでしょう。
ここでの外套は生活必需品のたとえです。極寒のロシアでは必需品だからです。
いじめられても反抗もしなかった主人公アカーキイは生活必需品を奪われるにいたって、ようやく自己主張をするのでした。
しかし訴えは叩き潰されて失意のうちに死にます。そして化けて出るわけです。
これは社会主義革命の比喩とも読むことができます。
虐げられた国民が、とうとう立ち上がって権力者から生活必需品を奪い返す物語です。
またラストに登場する幽霊ですが、この幽霊をアカーキイ自身の変身した姿と考えるか、別人と考えるかで、解釈は二つに分かれます。
アカーキイが変身した姿と解釈すると、まるでスターリンやプーチンのように、最初は虐待される側だった貧しき人びとも、生活必需品(権力)を奪うとけっきょく権力者然(ヒゲは権力者の象徴です。大きな拳は武力の象徴です)となってしまう。
幽霊は主人公とは別人だと考えると、アカーキイのような人物は他にもいる。貧しき人びとはアカーキイひとりじゃない、という、貧しい人々への同情と共感を示すエンディングだといえましょう。
またアカーキイ自身の外套を奪ったのも現実の人間ではなくて幽霊だったのではないかという解釈も成り立ちます。すると「弱い者たちがさらに弱いものを叩く」ということを暗示することになります。
このようにゴーゴリ『外套』は、権力者に虐げられた庶民の内包するパワーを描いた革命の予言書として読むことができるのです。
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このブログの著者が執筆した純文学小説です。
「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」
「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。
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