世代間闘争。違う世代とは争うもの。闘うもの
世代間を指す用語があります。古くは団塊の世代とか、新人類とか、ミレニアム世代とか、Z世代とかね。
こういう世代を指す用語に使いみちがあるということは、世代間は闘争するということでしょう。違う世代とは争うもの、闘うものなのです。世代のテーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼを謳ったヘーゲル哲学は正しかったってことなんでしょうね。
古代エジプト遺跡に「近頃の若い者は……」って落書きがあったという有名な話しがありますから、年寄りが若い世代をいくら批判しても仕方がないのかもしれません。しかし……しかしですよ。なんか最近、人間のレベルが下がっているなあと思うことがよくあります。
とくに仕事している人にそれを感じます。だいじょうぶか、日本人よ。
仕事人のプライドはないのか? 人間のレベルが下がっているんじゃないか
たとえば、駐車場の誘導員に、トイレや会場の入場口をきいても知らなかったりすることが、昨今よくあります。車を誘導すればそれでいいと思っているのでしょうか?
「さあ、よくわかりません。あっちに行ってあそこの人に聞いてみてください」なんて平気で言ってきます。いや、人間のレベルが下がっていませんか?
花火を見に行ったら屋台の店員が「なんのイベントをやっているのか知らなかった」ことがあります。いや、そりゃあイベントに寄生して日本全国を日々漂っているんでしょうけど、自分の売り物が売れればそれでいいのかよ。せめて自分がどこで、なんというイベントにかかわっているのか、それぐらい知っているのが人間ってものじゃないの? 人間のレベルが低いな。
昨今、移住ブームになっていますが、移住先として人気の市役所で、移住促進住宅の場所を聞いても、週末の当番兵(職員)が場所をまったく知りませんでした。そりゃあ直接の移住促進担当者じゃないかもしれませんが、移住の視察に来る人は土日に見に来ることが予想されるんだから、それぐらい知識を仕入れておいていいんじゃない? せめて日曜当番の担当者には、それぐらいのマニュアルを残すべきじゃないのかと思いました。
自分の範疇の仕事しか知らないってことでいいんでしょうかね。正直、なんでも知っているコンビニの店員の方がはるかに優秀だと思います。自分の担当じゃなければ知らなくてもいいというのは、仕事人のプライドとしてどうなのでしょうか?
知識がないのは許せるが、責任感の無さがゆるせないんだよな。結局、知ろうとしないのは、責任感がないからだと思うもの。
自分がこどもの頃、父や母など、おとなは何でも知っているし、頼りになるし、すごい人だと思っていました。しかし自分が成長してみると、親のことを何も知らないし、頼りにならないし、なさけないなと思うことが多々あります。
結局、自分が成長しすぎて、若い人たちの未熟さが許せないだけなのかもしれません。自分が若い頃もああだったのかな? もっと視野をひろくもって勉強しろよ。
やはり世代間は闘争するものなのです。若者たちよ、おれはたたかうぞ。