はじめての哲学入門書

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『ドラクエ的な人生』とは?

心の放浪者アリクラハルトの人生を走り抜けるためのオピニオン系ブログ。

書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。小説『ツバサ』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

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はじめての哲学入門書『ソフィーの世界』ヨースタイン・ゴルデル著

はじめての哲学入門書『ソフィーの世界』について、自分の勉強をかねてまとめています。ファンタジーとしてのキーワードと、哲学としてのワードが本書にはちりばめられています。

検索して使うと、時々は便利かもしれません。ファンタジーと哲学が両立しない場合、ファンタジーを優先させるという方針が貫かれているため、読み物として非常に面白い作品となっています。未読の方は、ぜひ一度本編をお読みください。

哲学のうねりを理解するためにまとめたものです。細部に没頭しては、大きな流れを見失ってしまいます。

夜空を見上げながら、さあ、読みましょう。わたしたちも星屑なんだ。

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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。

「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」

「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」

※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。

アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

https://amzn.to/44Marfe

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エデンの園

「あなたはだれ?」

わたしはある日すっかり消えてしまう。

いつか何かが無から生まれたはず。

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シルクハット

哲学者にたったひとつ必要なのは、驚くという才能。

宇宙と地球と生命はどのようにしてできたのか?(ビックバンにつながる)

生きているというのはなんておかしなことだろう。

習慣で、世界は慣れっこになってしまう。

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神話

自然の営みを説明するため、科学がなかった時代には神話を考え出した。

ギリシア哲学は紀元前600年ごろにはじまる。ギリシア神話は紀元前700年ごろ。

宗教儀礼があり、神話にもとづく芝居を奉納した。

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自然哲学者たち

何を考えたかよりも、どのように考えたかが重要。

哲学者は宗教から自由になった(ルネッサンスにつながる)。

パルメニデス。存在するものはなにも無にはならない。無からは何も生まれない。合理主義。

ヘラクレイトス。神の代わりに理性(ロゴス)。すべては流れ去る。二度と同じ流れにはひたれない。「神は昼であり夜である。冬であり春である。いくさであり平和である。空腹であり満腹である」

エンペドクレス。4元素、土、風、火、水。ものを結び合わせるのが愛で、ばらばらにするのが憎しみ。

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デモクリトス

人はどうして遊ばなくなるのかしら?

アトム(原子)とは「分割できない」という意味。

生き物が死んで分解すると、原子はちりぢりになって、また新たに別の生き物の体につかわれることが可能です。

唯物論者マテリアリスト。人間は不死の魂なんかもってない。

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運命

古い迷信はなんとしてもお払い箱にする必要があった。

汝自身を知れ。人間ならばだれ一人、死の運命からは逃げられないのだ。

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ソクラテス

放浪の教師や哲学者がアテナイでソフィストを名乗った。「してもいいことと悪いことを決めるのは社会なのだ」

たくさん旅をした旅のソフィストなら答えは簡単だ。羞恥心があるかないかは社会の習慣にかかわっている。正しいことと正しくないことの絶対的な基準などない。(ヘーゲルにつながる)

アテナイの市場や街角で生涯を過ごしたソクラテスの「産婆術」会話は、無知をよそおい、問いを投げかけ、本当の知が自分の中から出てくるのを待つ。

心の中に鬼神の声が聞こえる。「良心と真理」は命よりも大切だ。自分の考えを死ぬことによって守った人は、歴史の中にソクラテス一人だけではない。

イエスもソクラテスも、多くの人たちの魂をゆさぶり、ある人たちをいらだたせた。ふたりとも自分よりも偉大な何かについて語った。使命により昂然と頭をあげて死に臨み、死を超越した。

いつの世も疑問を投げかける人はもっとも危険な人物。いくつかの問いの方が、千の答えよりも多くの起爆剤をふくんでいる

信念にもとることをすれば人は幸福になれない。

哲学者フィロソフォスとは知恵を愛する人。だから教えてもお金を取らなかった。

懐疑主義=人間はけっして自然や宇宙にまつわる謎にたしかな答えを見つけることはできない。

不可知論者=神はいるのかいないのか確かなことは言えないという人。

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アテナイ

ソフィーの哲学教師アルベルト・クノックス。

パルテノン=乙女の家。アテネがまつられていた。

 

時間をワープしてプラトンがカメラに話しかける。

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プラトン

なんだか年をとるのは体だけみたい。

プラトンの哲学の学校「アカデメイア」何が永遠に真理か、何が永遠に美しいか、何が永遠に善か。真善美を津窮した。

イデア=同じ型フォームからつくられた抽象的な雛形。感覚世界の後ろに本当の世界がある。洞窟の比喩。影絵芝居(新プラトン学派につながる)(バークリにつながる)

エロス=魂はもともとの源への愛のあこがれを感じる。

意志は勇気を示さなければならない。

育児は個人にまかせるには重要すぎる。育児は国の責任でなされるべきだ。

哲学者ナンバー2プラトン著者集『饗宴』少年愛を賛美する本。

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少佐の小屋

アルベルトの家に二枚の絵。

「ビャルクリ」白樺ビャルクに守られて、というタイトルの白い家の絵。

「バークリ」というタイトルの男の人の古い肖像画。

鏡のわたしが両目をつぶるのを私が見た。

「私はあなたを見ているわよ、ソフィー、私はもう一つの世界にいるの」

「イデアはあるか?」私たちはこの世界のものについて何かを知る前に、まずはそれを見なければならない。

「いい人生を生きるために必要なものは何?」すべての人間には食べ物と暖かさと愛と気配りが必要。

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アリストテレス

人間の頭の中をきちんと抽斗に整理整頓しようとしたおそろしく几帳面な分類男。

馬のイデアというのはただの概念で、ぼくたち人間がかなりの数の馬を見たあとでつくりあげたものだ。(ロックにつながる)

思想の大どんでん返し。最高の現実は知覚でとらえたこと、感じ取ったことにある。

概念は見たり聞いたりしたことを通じてもたらされた。何も感じない限り、まったくの空っぽだ。

質量は素材、形相は固有の性質。

この世界は人間と動物が生きるために神がつくったと信じている人はいくらでもいる。第一起動者、自然界のすべての運動をスタートさせた神がいるにちがいないとアリストテレスは考えた。(トマス・アクィナスにつながる)(バークリにつながる)

論理学。大事なのは概念と概念を関係づけることだ。生き物は死ぬ。犬は生き物。犬はいつか死ぬ。

すべての能力と可能性を花開かせ、ぞんぶんに利用してはじめて人間はしあわせになれる。

この惑星に人間が生きているのは、すべてのものに名前をつけるため。

偉そうに? どうして無名の一般市民が世界史に残る文豪・偉人を上から目線で批評・批判できるのか?

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ヘレニズム

国連軍からの手紙「わたしがはがきをソフィーに送るわけは、もうわかっていると思う」。

人の生き方、人生観を決めるのは、時代、環境。それまでにどんな経験をしたかも大きい。(ヘーゲルにつながる)

生まれつきもっていた理性と、人とのふれあいや読んだものから学んだことを、つなぎあわせることができる。(ヒュームにつながる)

アレキサンドロス大王(紀元前356-323)のマケドニア。エジプトとインドにいたる全オリエントをギリシア文明と結びつけたおよそ300年をヘレニズム時代と呼ぶ。

民族宗教の枠の中でそれぞれの神をあがめていたが、ギリシア文化とギリシア語が主導権をにぎる国際共同社会。そしてローマの文化とラテン語が支配する国際共同社会ができた。

哲学も宗教も科学もたった一つの巨大な魔女の釜でごった煮にされることになる。経験のごたまぜ。世界観の市場ができた。

自分たちはそれぞれ独自の民族や都市国家にまとまっていると感じていたものが、境界線や仕切りがどんどん消えていった結果、人生観に疑いやぐらつきがどっさり出てきた。

どのようにしてもっといい人生を送り、また死ぬべきか。本当の幸せはどこにあるのか。それはどうしたら手に入るか。

ぼくたちの時代の新しい知のかなりのものは、古い思想の遺産なのだ。その根っこをたどっていくとヘレニズムに行きつく。(わたしたちの時代につながる)

キュニコス学派

アレクサンドロス大王に「そこをどいてください、私が日陰になっている」本当の幸せは物質的な贅沢や政治権力や健康などの外面的なものとは関係がないという主張。

他者の痛みに冷たい、シニカル、シニシズムなどの語源。

ストア派

創始者ゼノン。マクロコスモス(大宇宙)とミクロコスモス(人間)。

人間と宇宙の違いをなくし、魂と物質の対立もなくす。あるのはただひとつの自然だけだ、と考えた。一元論。

コスモポリタン(国際人)。世界全体コスモスが自分の国ポリスだという意識を持っていた。

キケロ(BC106-43)。個人を中心に据える世界観「人文主義」「人間中心主義ヒューマニズム」という概念をつくりあげた。(ルネッサンスにつながる)

すべては必然的に起こる。(スピノザにつながる)

不幸も、幸福も、落ち着いて受け入れるべきだ。感情に引きずり回されないのをストイックな落ち着きと言ったりする。

エピクロス学派

できるだけたくさんの感覚的な楽しみを手に入れることが人生の目的だ、と考えた。アリスティッポスの快楽主義。

最高の善は快楽で、最大の悪は苦痛だ。苦痛を避ける生活技術を発展させようと考えた。

エピクロス(BC341-270)アテナイに庭園の哲学の学校。「庭園の哲学者たち」快楽が至高の善。

はかない快楽を、もっと大きな、長続きする、たしかな快楽とくらべるて、自制や中庸や心の平安アタラクシアも人生を楽しむための条件とした。(ブッダにつながる)

なぜ死を恐れるのか。私たちが存在するあいだ死は存在しないし、死が存在するやいなや私たちはもう存在しないのだから。

政治や社会にはあまり関心を示さない共同生活集団「隠れて生きよ!」「今を生きよ!」。(キュニコス学派につながる)(インド-ヨーロッパにつながる)

エピキュリアンは快楽至上主義者を指す。

新プラトン学派

プロティノス(AD204-269)。イデア界と感覚界を分けたプラトンのイデア説に影響され、キリスト教神学に強い影響を与えた。(中世につながる)

一者の神々しい光と、絶対の闇。

闇というのは、あるのではなく、ただ光が届かない。

一者の光は魂を照らす。燃えているのは神だ。世界に神の神秘がきらめているのを見る。

ギリシア・アテネ・パナシナイコ・スタジアム

神秘主義

魂が神と溶け合う体験。

わたしがもっと大きなわたしを体験する

一者とは「神」「世界霊魂」「森羅万象」「宇宙」(ロマン主義につながる)(インド-ヨーロッパにつながる)

雨粒が海に混ざれば自分を失うように、神の中に溶けてしまい、われを失う。

自分を失っても、きみが手に入れるものとはくらべものにならないほどちっぽけなもの。

きみ自身を失うが、きみは本当は何かとほうもなく大きなものだということを、まざまざと理解する。きみは全宇宙になる。(キルケゴールと逆につながる)

神秘家は浄めの道に入る。質素な暮らしと瞑想をかさねる。すべてが神のような「わたし」。「わたしはあなただ」と理解する。

突然「宇宙意識」とか「海の感覚」と表現する何かを体験する。

時間からもぎ離され世界を「永遠という視点」から体験するのだ。

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絵はがき

パパからヒルデへの手紙。

きみはソフィーという名の女の子と知り合いになる。きみ宛のわたしのはがきの写しをすべてソフィーに送っている。

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二つの文化圏

インドーヨーロッパ文化圏

インド-ヨーロッパ語族の文化圏。似通った言葉には似通った考え方も含まれている。

古代インドの書物ヴェーダ、ギリシア神話も、詩人スノリの神々の教義もおびただしい神々。世界を善の力と悪の力がはげしくせめぎあうドラマとしてとらえる。

不死の飲み物と、混沌の怪物と神々とのたたかい。

インド-ヨーロッパの人々には、見ることが極めて大きな意味を持つ。

魂の輪廻。回帰する歴史観をはぐくんだ。

仏教・ヒンズー教。神のようなものがすべてのもののうちに存在する。汎神論。(神秘主義につながる)

世の中から身を引き、とことん自分を深めてあり瞑想したりする宗教的な隠遁のうちに生きる。(エピクロス学派につながる)

セム

アラビア半島に現れたセム語族の文化圏。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はセムの背景をもっている。

神が歴史に干渉すると考えた。

一神教。直線的な歴史観。歴史はまっしぐらに進む。最後の審判。

聞くことが重要な意味をもつ。

聖なる書を読み上げ、神の言葉を聞くことに重点が置かれている。

偶像の禁止。

イエス

もう一人の救世主が現れた。ナザレのイエスのことだ。

全ての人類を罪と罰から、なによりも死から解放する。

神の国とは隣人への愛。過ちを犯したすべての人を赦すこと。

神に立ちかえるには、赦しを乞う祈りによるしかない。

イエスは身代わりになって死んだ。すべての人間の罪を背負った受難のしもべだった。

パウロ

「キリストがよみがえらなかったのなら、私たちの説教はむなしい。あなたたちの信仰もむなしい」

神は地上の営みを裁く日を定められ、その人を死から目覚めさせて、すべての人に保証をあたえる。

使徒信条

初期のギリシア哲学からキリスト教中世までほぼ千年。

キリスト教中世も千年つづく。

きみは空っぽの空間の根なし草ではなくなる。

わたしはただ、たまたまこういう人間だ。でも自分の歴史のルーツを知ったら、わたしはたまたま以上の何かになるのだ。

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中世

一時間が百年だとすれば、中世は四時に始まる。十一時から十三時が中世の最盛期だ。十四時になろうとした時、長い中世はついに終わりに近づいた。

中世は真っ暗闇の千年続いた夜。公衆浴場や公共図書館がなくなり物納や物々交換に逆戻りした。

中世文化はキリスト教単一文化。ギリシア哲学に幕を引いた。(ルネッサンスにつながる)

西ヨーロッパはローマを中心とするラテン語のキリスト教文化圏。ローマ・カトリック中世。

東ヨーロッパはコンスタンティノープル(ビザンティウム)を中心とするギリシア語のキリスト教文化圏。ビザンチン中世。

アウグスティヌス。一時期はマニ教の信者だった。マニ教は世界を善と悪、光と闇、霊と物質というふうに二つに分ける。(インドーヨーロッパ文化圏につうじる)。新プラトン主義の司教。プラトンをキリスト教徒にした。(プラトンにつながる)

キリスト教は神の神秘の教えだし、神秘的なものは信じることによってしか近づけない。(キルケゴールにつながる)

善の意志は神の業で、悪の意志は神の業からの離反。(新プラトン学派につながる)

アウグスティヌスは大昔の運命論に逆戻りしてしまった

ぼくたちは自然の中で、神はいる、というしるしに出会う。(啓蒙主義につながる)(ロマン主義につながる)

神自身についての情報は聖書を見るしかない。聖書は神の自伝なのだから。

トマス・アクィナス。信仰と知識を融合させようとした。理性の助けで聖書の心理を究明できる。アリストテレスをキリスト教徒にした。途中までしか進めていないが、迷子になることとは違う。アリストテレスの哲学も神はいることを前提にしている。神あるいはすべての自然過程を動かしている第一原因がね。理性で神がいないということは証明できない。すべてには第一原因があるはずだ。(アリストテレスにつながる)生殖では男性を命をあたえるものと考えたのもそんなに驚くことではないかもしれない。女性の卵細胞が発見されたのは1827年だったんだ。

ヒルデガルトは、ソフィアが自分の幻視ヴィジョンの中に現れた、と語った。わたしもきっとヒルデに現れるんだ。

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ルネサンス

哲学は、私たちはだれか、どこから来たのかってことを考えるの。

鏡の中の見知らぬ女の子がいせいよく両目をつぶった。まるで私は鏡の向こう側にいるのよ、と合図を送るように。その子に近づいて、名乗っても、見えないし、聞こえない。娘の誕生日のお祝いにぼくたちを利用しているんだな。

古代はヨーロッパの子供時代(0-4歳)。中世は学校時代(4-14歳)。ルネサンスは十五歳(1500年)の誕生日。

僕たちは歴史も背負って生きている。ここで見ているものはすべてかつてはピカピカの新品だった。

ぼくたちはこのすばらしい世界に招かれ、出会い、自己紹介しあい、すこしのあいだ一緒に歩く。そして互いを見失い、どうやってここに来たのか、そのわけもわからないうちに突然いなくなる。

ルネサンス人文主義。古代の芸術文化の再生。人間が中心にすえられた。(自然科学者たちにつながる)(ヘレニズム・ストア派につながる)

印刷術、火薬、コンパスの大航海時代。貨幣経済と銀行制度。

貨幣経済をバックに市民階級が成立する。市民とは、基本的な生活条件からある程度自由になれた人。これは個人が勉強したり、想像力や創造性をはばたかせることを後押しした。

人間は今ここで人生を楽しんでいいんだ。人間はなにか無限に大きな価値があるものとみなされるようになった。ただ人間なのではない。たった一人しかいない個人なんだ。

全世界が新しく目覚めた。まったく新しい人生観。人間は今ここで人生を楽しんでいいんだ。自由に自分を発展させることができさえすれば人間には無限の可能性がある。

反人文主義もこの時代。魔女裁判や火刑の薪の山、魔術と迷信、血なまぐさい宗教戦争。

科学の新しい方法が確立した。知識を経験から手に入れる経験的方法。自然という書物は数学ということばで書かれている。

人間は自然の条件から身をもぎ離しにかかった。自然は利用し消費できる何かだ。人間は自然につかみかかり、支配するようになった。人間はもう、ただの被造物の一つではない。

コペルニクス、ケプラー、ガリレオ、ニュートン。天体たちをたがいにひっぱりあわせている力があるはずだ。万有引力の法則。すべての物体はほかの物体と引きあう。引きあう力は大きいほど大きく、物体間の距離が大きいほど小さい。ニュートンはなぜ惑星はみんな太陽の周りをまわるかってことを説明できちゃった。天の法則という中世の古めかしい考え方をお払い箱にしてしまった。

人間は被造物の中の特別な地位を少しばかり失った。(ダーウィンにつながる)

新しい宇宙観。人間は、大きな宇宙のたまたまある惑星に生きているってことを、しかたないと思わなければならないの?(ビックバンにつながる)

新しい信仰生活。組織としての教会よりも、神との個人的な関りの方が重要。聖書がすべてだ、とルターは言った。(キルケゴールにつながる)

※ダンテ、ボッティチェリ、ダヴィンチ、ミケランジェロ、エル・グレコ、セルバンテス等。

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バロック

午後四時。十六世紀末から十七世紀初頭。

バロック時代とは「いびつな真珠」。

カルペ・ディエム=今を楽しめ

メメント・モリ=死を忘れるな。

メメント・モリ。死を忘れるな

バロックの特徴は「つかのまの華やかさ」。うつろいやすさ。ぼくたちをとりまく美しいものはすべていつか死に、朽ち果てる。君が同じように考えるとしたら君は十七世紀の人間と同じ考えなんだ。

演劇は人生の象徴。人生は劇場。シェークスピアは片方の足でルネサンスを、もう片方の足でバロックを踏まえて立っている。人生は短いということが、シェークスピアの心をとらえていた。ある日、ぼくたちはこの世をさまよい、次の日には消えている。

荘子(BC369-286頃)「胡蝶の夢」。(エピクロス学派につながる)(キュニコス学派につながる)

バロックは同じテキストの中に現世の下世話なことが書いてある一方で、彼岸の天上的なことも書いてある。

人間は物質でできた部品のよせあつめだ。

観念論=存在はつきつめれば霊的なもの。

唯物論=すべての現象は物質的なもの。トマス・ホッブス。人間は部品のよせあつめ。意識だって脳の中のちっぽけな部品が動くことによってできている。二千年も前のデモクリトスと同じことを考えたのね。(デカルトにつながる)

ラ・メトリー『人間機械論』。

決定論=つぎにどんなガードが出るかは、もう決まっている。人間には自由な意志なんてない。(スピノザにつながる)

※ルーベンス、レンブラント、ベラスケス、カラバッジョ、ベルニーニ、バッハ、シェイクスピア等

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デカルト

「世界という大きな本」に見つかる知だけを追い求めようと思い、生涯、ヨーロッパのあちこち旅してまわった。オランダに二十年近くとどまって哲学の本を書いた。

哲学体系をつくった大家。

ソクラテス→プラトン→アウグスティヌス→デカルト(理性だけが確かな知をもたらす)

魂とか精神のもともとの意味は息とか呼吸。

二元論者で、精神の世界と延長の現実のあいだにくっきりと境界線を引いた。精神と身体はたえずはたらきかけあっている。

デカルトは動物を一種の複雑な自動人形と見ていた。(トマス・ホップスにつながる)

「ぜったいに信じられない。デカルトは一度も動物を好きになったことなんてなかったのよ」

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スピノザ

バルフ・スピノザ。みんなが認めるキリスト教を批判して、たくさんの人々を敵にまわした。家族からも見放され哲学に没頭できる静かな生活を手に入れた。生計は、光学ガラスを磨くことで立てた。

君と三万年前の男の子には違いなどない。

キリスト教のドグマは否定したが、神すなわち自然という汎神論者だった。

人間は自然法則のもとに生きている。自然法則を知らなければならない。

あるのは「神すなわち自然」たったひとつの実体だ。一元論者と呼ばれる。すべてはつながりあっている。それどころか、すべてはひとつだ。(新プラトン学派につながる)

神は内なる原因。神は自然の法則を通じて世界をあやつる。決定論的な自然のイメージをもっていた。(ストア派につながる)

赤ちゃんに自由意思はない。二歳児にもない。十五歳のお化粧は自由意志か? いつ自由意志をもつんだろう。本当にすべてを自分で決めたのか? すべては自然法則だから人間には自由はない。

ぼくたちは本来持っている可能性をはばたかせることができてはじめて自由な人間として生きるが、それでもなおぼくたちは内なる素質と外から与えられた条件に左右されている。庭のリンゴの木とまるで同じだ。リンゴの木はプラムの実をつける可能性をもっていない。

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ロック

経験主義者=ロック、ヒューム、バークリ。

知覚しないうちは何も知らないという=感覚的経験をしないうちはぼくたちは意識の内容なんかもっていない。(アリストテレスにつながる)思考内容と観念はすべて、かつて経験したことのあるものの反映にすぎない。何かを感じるまでは、なにも書かれていない板のようなものだ

複合観念=感覚の単純な観念の組み合わせ。

重さや形、動き、数(第一性質)は誰も同じだが、色やにおいや味や響きのような知覚(第二性質)は、それぞれの個体の感覚器官のつくりに応じて、人それぞれで違ってくる。

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ヒューム

デヴィッド・ヒュームの経験哲学。経験主義者。

啓蒙主義時代の真っただ中、ヨーロッパじゅうを旅して最後にエディンバラに落ち着いた。

出てくる哲学者がみんな中年のおじさんみたい。これまでの話しにはおむつや赤ちゃんの泣き声がちっとも出てこなかった。それから愛や友情なんかもあまり出てこなかった。

ヒュームは違う。子どもが世界を体験する状態に戻ろうとした。

なに一つ心が発明したものはない。心は鋏と糊で偽の観念を組み立てる。天国はいろんな要素を複合したものだ。単純な印象をひとつの夢のようなイメージにつなぎ合わせた。黄金を見たことがない人に、黄金の道は思い描けない。「わたし」は複合観念。人格はスクリーンに映る動く映像のようなものだ。瞬間を無数に継ぎ足したものなんだ

ブッダ。この二人の言葉は気味が悪いほどそっくりだ。人は瞬間ごとに変わっていく。これはわたしだ、と言えるものはなにもない。諸行無常。組み立てられたすべてのものはいつかは解体する。

不可知論者=神が存在するかどうかわからない。よくわからないことには決着をつけない。

赤ん坊はまだ習慣からくる予断の奴隷になっていない。心がひらかれている。赤ん坊は偉大な哲学者だ。

ヒュームは言ったりしたりすることを決めるのは理性ではなく感情だと考えた。

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バークリ

ジョージ・バークリ。アイルランドの主教。神は存在するすべてのもののたった一つの原因。(新プラトン学派につながる)(アリストテレスにつながる)

五官による知覚は神によってひきおこされるとした。

ヒルデの父親はソフィーにとっては神みたいなもの。アルベルト・クナーグがヒルデにソフィーのことを書いているのだ。

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ビャルクリ

ビャルクリは白樺の木。ボートハウスが近くにあるヒルデの家。

大判のバインダーのタイトルは『ソフィーの世界』。長編小説。南の国では時間をもてあますといっていた。誕生日カードを本の中に書き込んでいる。

少佐の小屋のビャルクリの絵は、ヒルデの白い家に違いない。

ソフィーの五官による知覚は、ヒルデの父親によってひきおこされている。(バークリにつながる)

ソフィーは鏡の向こう側にきっといると確信した。ソフィーは存在する!

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啓蒙主義

ヒルデの父親は、ソフィーの世界にとっては全能の神のようなものだが、あらかじめこれから起こることをすべて決めているかというとあやしいもんだ。書く直前まできっちりとは決めていない。書きながら決めているんだ。猛スピードで書き飛ばしているから、うっかり何かを書いてしまう。このうっかりのおかげで、ソフィーとアルベルトが自由にふるまう余地がうまれる。

啓蒙主義。縫い針の作り方から大砲の鋳造まで。

イギリス人は経験を重んじる。コモンセンスは常識。

フランス人は合理主義的。エヴィダンスは理性にとって明らかなこと。

自然宗教という考え方。自然に帰れ。文明化されていない自然の民のほうがヨーロッパ人よりもすこやかで幸せだ。子ども時代はかけがえがない。

理神論=神は自然と法則をつうじて人間に正体を明かすだけ。(アリストテレスにつながる)

自然権=市民の自然な権利。出版の自由のための闘い。宗教モラル政治の自由。奴隷の廃止。犯罪者の人道的扱い。1789年人権宣言。

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カント

ここは宇宙ですか? 石が水に浮いてますけど(汗)

みんな一理ある、だけどみんな少しづつまちがっている。(ヘーゲルにつながる)

理性は経験に片っ端から色を付けるサングラスのような前提条件。

何を見ても時間と空間の中に現れたものとして受け止めている。

因果律、道徳律も生得的性質。

もしも人間の脳がわたしたちに理解できるほど単純だったら、わたしたちはいつまでたっても愚かで、そのことを理解しないだろう。

善悪行動を正しくみちびく実践理性をもっている。

欲や悪徳を押さえつけるにはどうしたって独立と自由がいる。

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ロマン主義

ロマン主義は「感情」「想像力」「体験」「あこがれ」がスローガン。ベートーベンのような自由な芸術の天才がロマン主義を代表するタイプ。人は遊んでいる時だけ自由だ。その時には自分でルールを作っているのだから。

霊感のおもむくままに詩を書くこと、芸術だけが「言葉にならないもの」に近づけてくれる。

遠い所、手の届かないもの、東洋、夜、薄明、廃墟、超自然、人生の夜の側、闇や怪奇や神秘。自然にあこがれ、もてはやされた。

ヒッピー文化とよく似ている。ぐうたらしていることは天才の理想だし、人生を味わうこと、人生から逃れる夢を追うことがロマン主義者の至上命令だった。(エピクロス学派につながる)。

ロマン主義者は個人主義。

書斎にこもって霊感のおもむくままに詩を書くこと。自然はたった一つの大きなわたし。世界霊魂。世界精神。自然の中の神のような私。(新プラトン学派につながる)(スピノザにつながる)といった汎神論。

自然も意識も同じ一つのものの現れという同一哲学がロマン主義の特徴。作家は自分の中にあるなんだかわからない力が物語を書いているような体験をすることがある。

ロマン主義的イロニーとは、この虚構の世界を動かしているのは作家なんだという幻想破壊。英語でアイロニー、皮肉のこと。

ぼくたちはヒルデの誕生日におくった本の中に生きている。ぼくたちは誰かの精神だ。

ぼくたちの対話はみんな実際は長い長い独り言なんだよ。何もかもが意識と精神の中に溶けていくような気がする。

※ゲーテ、ベートーヴェン、ウイリアムブレイク、ユゴー、ショパンなど。

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ヘーゲル

ヘーゲルが重視したのは非個人的なもの。

世界精神が歴史をつらぬいている。

人間の認識基盤は時代によって変化する。だから永遠の心理も理性もない。(ソクラテス・ソフィストにつながる)

ある考えが永遠に正しいなんてことは言えない。きみが今立っているところでは正しかったりするだけだ。

哲学も思想も歴史のコンテクストから切り離せない。

つぎの世代が力いっぱい批判してくる。対立する思考が張りあう。いいところをとって第三の思考ができあがる。弁証法的発展。(カントにつながる)

人間の歴史は合理性と自由が増える方向に進んでいる。

ある考え方を貫くには、強力な反対者がいることが一番だ。反対が強ければ強いほど、否定の否定にも力がこもる。

個人は共同体の部分だ、と見た。個人は言葉の中に生まれてくるように、歴史的な環境、国家の中に生まれてくる。

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キルケゴール

個人主義。汎神論(ロマン主義)へのリアクション。ヘーゲルへのリアクション。

あれかこれか。一人ひとりが、この一回こっきりの生を生きるたった一人の個人なんだ。

客観的な審理は一人ひとりにはちっとも重要ではない。個人の生き方にとってはおよそどうでもいいこと。

このわたしにとっての真理を見つけ出すことが大切。

体系に単独者を対抗させた。

個人が事実どう存在するか、実存が大事。

真理は主観的だ。本当に重要な真理は個人的だ。

生きるか死ぬかの問題、

主体的真理だけが、このわたしにとっての真理。

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マルクス

あなたがそんなにお金持ちで、この子がこんなに貧乏だっていうのは不公平だわ。

階級闘争。史的唯物論者。

下部構造、社会の物質的、経済的、社会的な状況が、ぼくたちの考え方、上部構造を決定している。

物質的な状況の変化が新しい精神をもたらす。自然的生産条件が、社会の性質や文化も限定している。

マルクスは何時の時代にも通用する自然法なんて信じてなかった(ソフィストにつながる)

歴史とは生産手段が誰のものかをめぐる争い。

何が正しくて何が間違っているかを決めるのはたいてい社会の支配階級だ。

人間が自然にはたらきかけるとき、人間自身もはたらきかけられている。

仕事を聞けば、人がわかる。

労働は他の人の利益のためにある。すると労働から隔てられ、自分自身から隔てられ、疎外となる。労働者は人間であることのプライドを失う。他の社会階級の奴隷となり、人間としての存在をそっくり明け渡してしまう。

共産主義者は意見と意図をひた隠しにすることを鼻で笑って拒否する。共産主義者は、彼らの目的はこれまでのあらゆる社会秩序を暴力でくつがえさなければかなえられない、と公言する。支配階級は共産主義革命にふるえるがいい。プロレタリアが革命で失うものは鎖よりほかになにもない。プロレタリアは世界を手にするのだ。すべての国ぐにのプロレタリアよ、団結せよ!

マルクス主義は、剰余価値の搾取から人間らしい社会を闘いとることに成功した。

社会主義の国ぐにのマイナス面を百年も前に死んだマルクスのせいにするのはおかしいよ。

人間は次々と問題をひきおこしては、それと闘っていくのだ。

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ダーウィン

文明以前の時代、十五歳の女の子はどんな暮らしをしていたのだろう? 私がその子だったら、何を考えるだろう?

科学者ダーウィンほど聖書の人間観を強烈にぐらつかせた思想家はいなかった。(ニュートンにつながる)

5年間のビーグル号世界一周旅行。

『種の起源』人類はやがて絶滅する(ダーウィン名探偵はDNAを知らない)

プラトンのイデア説では不変だということがはじめから見込まれているわけだよ。

ごく小さな変化も長い時間のうちには大きな地形の変動をひきおこす。

神はおよそ6千年前に地球をつくったとみんなが信じていた。アダムから現代までの年代を全部足し算するとこうなる。現在は46憶年歳とされている。(中世につながる)

脊椎動物の胎児はずっと遅い段階にならなければ、人間の胎児か犬の胎児か見分けがつかない。

獲得形質は遺伝するというラマルクの説。

自然はとてつもなくヴァリエーションに富んでいる。自然がどの個体が生き残るという選択をする、長い長い時間の中で新しい動植物の種をつくりだす(生存競争の自然選択)。

生存競争はもっとも近い種のあいだでもっとも激しい。同じ餌をめぐって闘うからだ。するとごく小さな違いが決定的になる。

雌牛の興味を引かない元気のない牡牛は、決闘の中での意味もない。

これはちょっとリレー競争に似ている。

神が人間をつくったということが怪しくなった。ダーウィン以来、アダムとイブも赤ずきんや不思議の国のアリスの仲間入りをしなければならなくなった。

人間と類人猿はいつか同じ祖先から分かれて進化したに違いない。

細胞のコピーミス突然変異が、ある個体に生存競争を勝ち抜くのに有利な性質をあたえることもある。

白い蛾が黒くなってまた白くなることを順応という。

生命は巨大な宝くじだ。そしてぼくたちは当たりくじにしか出会わない。生存競争に敗れたものは消えてしまう。

最初の原始的な生命体は「生暖かい水たまり」で発生したと仮定している。原始のスープから、とてつもなく複雑な高分子が発生した。自己分裂できるという奇妙な性質があった。

私は生きている、たった一度生きている、そして二度とこの命の世界には戻ってこないーーなんて不思議なんだろう。

ぼくたちは命の惑星なんだよ、ソフィー。ぼくたちは宇宙で燃えている太陽をめぐって航行する舟なのだ。遺伝子を乗せて生命の海をゆく舟なのだ。この積み荷をつぎの港に運んだら、ぼくたちの生は無意味ではなかったことになる。(ビッグバンにつながる)

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フロイト

深層心理学、精神分析、人間とは何かを知りたくなったら、フロイトの無意識の理論は避けて通れない。

子どもは欲望にストレートに、臆面もなく生きている。率直に表現する。エス。イド。快楽原則。

人間の性欲は赤ん坊がおっぱいを吸いたいと思うのと同じぐらい基本的な本能だ。ぼくたちは自分でもよく知らないままに、欲望に引きずりまわされている。

人間の本能や欲望と、環境がつきつける要求との間には緊張がある。行動はいつも理性にコントロールされているわけではない。

快楽原則を現実原則にあわせることを学ぶ。調整機能を引き受ける自我という機関をつくりあげる。

社会の道徳的な期待は僕たちの中に入り込み、まるで僕たちの一部になってしまったようだ。超自我。超自我は道徳上の命令や断罪を発する。

こうして人間は罪の意識を育む。

一生つづく快楽と罪の意識の葛藤のおぜん立てがととのった。

心の考古学という治療法、さまざまな精神障害は子供時代の葛藤が原因になっている。患者の生きる力をむしばんでいる不幸な外傷的体験トラウマが再び意識され患者に突きつけられると、患者はそれにケリをつけ、心の健康を取り戻す。

意識は海面から突き出ている氷山の一角のように、人間の心の小さな一部でしかない。

前意識。意識しているわけではないが、その気になれば思い出せること。

抑圧されたものはくりかえし意識にのぼろうとするので、人によってはこの衝動を意識の批判から隠すのにたいへんなエネルギーがいる。

無意識からもがき出ようとする抑圧された考えの突き上げを受けながら生きている。無意識はぼくたちの感情や行動をあやつっているんだ

合理化。自己正当化。投影とは抑圧しようと思っている自分の特徴を他の人になすりつけること

いちばん健康なのは、意識と無意識のあいだのドアを少し開けておくことだ

夢は基本的に願望充足の夢だ。自由連想法、ソクラテスの産婆術に似ている。

芸術家にとっては、意識の検閲をぶちこわして言葉やイメージを解き放つことが必要なんだ。フロイトの影響を受けた「シュルレアリズム宣言」インスピレーション。ふいにドアというドアがあき、すべてが流れ出し、ピッタリの言葉やイメージが見つかる。なりゆきにまかさることが大切。思考が想像力の息の根をとめると、踊れなくなる。白い紙に向かってなにもかんがえずにただもう書き始めた自動筆記。

発想の突然変異はあとからあとからぼくたちの意識にでてくる。でも必要なのはごくわずかだ。

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わたしたちの時代

ニーチェ。くつがえされなければならない価値の筆頭は奴隷の道徳と呼んだキリスト教の道徳。

サルトル。実存は本質に先立つ。人間はゼロから自分の本質をつくらなければならない。何のために生きているか、一般的な答えを出すことも、まったくナンセンスなんだ。どうするかはぼくたち自身が決めなくてはならない。生を即興に演じなければならない。(キルケゴールにつながる)

ひとりぼっちで場違いなところに投げ込まれて、周りはよそよそしいし、孤独だな、という疎外。

人間は自由の刑に処されている。頼りになる永遠の価値も基準もない。

仕事だから仕方がないという人は、自分で自分をだましている。でも人間の自由は黙っていない。真に実存して本物の人生を送るよう強いてくるのだ。

出ていく先はわからないけれど、とりあえずここにこうしていてはだめなんだって感じることが正しい場合がある。過去のいろんな哲学の流れが、二十世紀にもう一度花を咲かせ、衣替えして登場している。

結局、哲学の問いとは、それぞれの世代が、それぞれの個人が、何度も何度も新しく立てなければならないんだよ。哲学の問いを立てる時こそ、生きているって実感しないかい?

月に第一歩をしるした自分の経験には、自分より前に生きたすべての人の経験がこもっている。

全世界がひとつのコミュニケーションネットで結ばれる。ありとあらゆる人間の経験をコンピューターのスクリーンに呼び出すことができる。ぼくたちは丸まるひとつの惑星文明を生きているのだ。(ヘレニズムにつながる)

ぼくたちは不思議な物語の中を動き回っているんだ、目の前には明るい陽の光に照らされたすばらしい想像の世界が広がっているんだよ。これだけでも信じられないことじゃないか?

昔の経験を無意識の中にずっとしまいこんでおけるなんて、それだけでもじゅうぶんファンタスティックじゃないか。

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ガーデンパーティー

親の世代の価値観にも批判的になることができる。ヘーゲルはこれを否定的思考と呼んだ。

未来は若者のものだ。いつかある日、わたしたちがきずきあげたものを託すのは、若者なのだ。

あなたの人生はここにはないわ。

ソフィーとぼくはもうすぐこのパーティーから失礼します。(ロマン主義につながる)

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対位法

ヒルデがソフィーの目をまっすぐに見つめた。けれどもその焦点はソフィーに合っていなかった。

これはただの夏の夜の気配?

肉と血をそなえた本当の人間。ソフィーはヒルデがうらやましかった。

哲学講座はまだ完了していないんだ。今夜、宇宙の話をしよう。

生命のくじを引き当てたものは、死のくじも引かなければならない。なぜなら生命のくじの当たりは死なんだよ。

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ビッグバン

この宇宙の小さな惑星の上に生きているなんて、考えるとへんだね。(シルクハットにつながる)

宇宙全体に生命がどよめいているのかもしれない。太陽は銀河系四千億個ある恒星の一つだ。一番近い恒星までの距離は四光年。もっとも近い銀河は二百万光年離れたところにあるアンドロメダ銀河だ。

ビッグバン。宇宙は事件だ。爆発なんだ。

キリスト教徒ならビックバンを創造の瞬間にひきつけて考えるだろうね。なにしろ聖書には神が「光あれ」と言ったと書いてあるんだから。(新プラトン主義につながる)

東洋には回帰する歴史観がある。インドには宇宙はどんどん広がって、それからまた縮まる、という古い信仰がある。(インド-ヨーロッパにつながる)

宇宙は永遠に膨張をつづけていくか、また縮まるか、は宇宙にどれだけの物質があるかで決まってくる。

物語はいつかは終わる。わたしがああいうふうに終わらせただけだよ。

「夜光虫のことを海の星って言ってたね。君は正しかったんだ。なぜなら夜光虫も他のすべての有機体も、かつてはひとかたまりの星だった元素でできているんだ」

「わたしたちも」

「そうだよ、わたしたちも星屑なんだ」

「すてきなことばだわ」

星空を見つめるわたしたちは、始原(何万光年前の過去の光)をみつめているのだ。わたしたちは空を見上げるたびに、始原への帰り道を探していることになるんだよ。

すべての起源はたったひとつだ。すべての星は家族なんだ。(新プラトン主義につながる)(デモクリトスにつながる)

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人間の生き方なんて、大昔から変わらない

こうしてみると哲学(考え方・世界観)って、時代が新しければそれだけ新しいというわけではなく、まるでファッションの流行のように順繰りと回っていることがわかりますね。

前世代の批判を二世代前の考え方で批判していたりします。それでも少しづつ考え方は先に進んでいるようです。

人間の生き方なんて、大昔から変わらないのかもしれません。

万人の真理を謳うよりも、この私にとっての真理を謳った方が、間違いがないように思います。

その方が、逃げ口上が効いていますからね。

ながながとまとめてしまいましたが、私が本当にやりたかったことは(✖✖につながる)というところです。

関連性を確認したかったのです。

『ソフィーの世界』

超おもしろい本です。ぜひご一読ください。

×   ×   ×   ×   ×   × 

このブログの著者が執筆した純文学小説です。

「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」

「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」

本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

https://amzn.to/3PZ4985

×   ×   ×   ×   ×   × 

物語のあらすじを述べることについての私の考えはこちらをご覧ください。

物語のあらすじを紹介することについて
あらすじを読んで面白そうと思ったら、実際に照会している作品を手に取って読んでみてください。ガイドブックを読むだけでなく、実際の、本当の旅をしてください。そのためのイントロダクション・ガイダンスが、私の書評にできたらいいな、と思っています。

私は反あらすじ派です。作品のあらすじ、主題はあんがい単純なものです。要約すればたった数行で作者の言いたかった趣旨は尽きてしまいます。世の中にはたくさんの物語がありますが、主役のキャラクター、ストーリーは違っても、要約した趣旨は同じようなものだったりします。

たいていの物語は、主人公が何かを追いかけるか、何かから逃げる話しですよね? 生まれ、よろこび、苦しみ、死んでいく話のはずです。あらすじは短くすればするほど、どの物語も同じものになってしまいます。だったら何のためにたくさんの物語があるのでしょうか。

あらすじや要約した主題からは何も生まれません。観念的な言葉で語らず、血の通った物語にしたことで、作品は生命を得て、主題以上のものになるのです。

作品のあらすじを知って、それで読んだ気にならないでください。作品の命はそこにはないのです。

人間描写のおもしろさ、つまり小説力があれば、どんなあらすじだって面白く書けるし、それがなければ、どんなあらすじだってつまらない作品にしかなりません。

しかしあらすじ(全体地図)を知った上で、自分がどのあたりにいるのか(現在位置)を確認しつつ読書することを私はオススメしています。

作品のあらすじや主題の紹介は、そのように活用してください。

偉そうに? どうして無名の一般市民が世界史に残る文豪・偉人を上から目線で批評・批判できるのか?
認識とか、発想とかで、人生はそう変わりません。だから相手が世界的文豪でも、しょせんは年下の小僧の書いた認識に対して、おまえはわかってないなあ、と言えてしまうのです。それが年上だということです。涅槃(死。悟りの境地)に近いということなのです。
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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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●◎このブログの著者の書籍『市民ランナーという走り方』◎●
書籍『市民ランナーという走り方』Amazonにて発売中
雑誌『ランナーズ』のライターだった筆者が贈る『市民ランナーという走り方』。 「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか? いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状打破、自己ベストの更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。 ●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」って何? ●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム? ●ピッチ走法とストライド走法、どちらで走るべきなのか? ●ストライドを伸ばすための「ハサミは両方に開かれる走法」って何? ●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは? ●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」の本当の意味は? 本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く効率的に走ることができるようになります。 ※カルペ・ディエム。この本は「ハウツーランニング」の体裁をした市民ランナーという生き方に関する本です。 あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
https://amzn.to/3CaR81P
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●◎このブログ著者の書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』◎●
書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
https://amzn.to/3OBWtUR
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

Bitly
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
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●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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