ウィリアム・フォークナー『八月の光』黒人差別や女性蔑視。もはや時代遅れの感覚が、人間として避けようのない宿命のように大袈裟に描かれている小説

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書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。小説『ツバサ』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

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田代砲のPERSON OF THE YEARで有名な雑誌『タイム』誌が選んだ傑作小説?

作者のウィリアム・フォークナーはこの小説等でノーベル文学賞をとっています。

また田代砲のPERSON OF THE YEARで有名な雑誌『タイム』誌は、「1923年から2005年の英語小説100傑」の中に『八月の光』を挙げたのだそうです。

そういう前情報で読み始めたのですが……いやあ、ひさしぶりに面白くない文学作品を読んだな(笑)。黒人差別女性蔑視にそんなに感情移入できなかった。

たとえば「音楽はキリスト神への捧げものだ。人が楽しむための音楽だなんてとんでもない」とバッハみたいなことを言う人の大長編小説にそこまで読む意味があるでしょうか?

それはもう「解決済み」じゃないかな?

当時の感覚に戻った脳内シミュレーションで、当時の閉塞感と、現代的感覚のありがたみを感じる貴重な読書体験ができました、みたいに無難な読書感想文を書くこともできるのですが、はっきり書きましょう。

クリスマスの悲劇は今日の感覚から見ると「とっくに解決済み」問題です。それを「避けようもない宿命」のようにフォークナーは書いているのですが、大袈裟だと感じてしまうのが、本作の大欠点だといえるでしょう。

たとえば「友だちの恋人を奪ってしまったことの良心の呵責で、悩んだ末に自殺しちゃう物語」って名作ですか? ケッ、なんだそれぐらい。

そう思わせるようなところが「八月の光」にはあるのです。

やがてノーベル文学賞は廃止され、ノーベル・テクノロジー・イノベーション賞が新設されるだろう。

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『八月の光』の魅力、あらすじ、感想

出産間近の身重で捨てられた男を追って流れてくるリーナ。白人と黒人のハーフのクリスマス。世捨て人のハイタワー。

世の中の「掟」の外に立つハイタワー、「掟」から抜け出せないクリスマス、「掟」なんてものともしないリーナ。三人のアンサンブルが描く「掟」の物語です。

ここでいう「掟」とは「呪い」です。黒人・白人といった身分、見た目、地元、文化、差別、先祖、血の問題のことです。

ユダヤ人問題は被差別部落問題に似ている。人間の集団は差別せずにはいられないのかもしれない。

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『八月の光』の内容

彼が見つめていたのは壁に映ったピストルの影だった。起こされた撃鉄の形がさっと動いた。(愛人状態だった白人女を殺してしまう)。

あの人(リーナ)が追いかけている男は、今は留置所に入れられていて、そこから出るのは仲良くしてくれた男を追い立てるときだけだってことを隠しているんです。

暑さのせいだ。私はやらない。やらないのだ。俗務免除の権利を買ったのだから。→これが誰のセリフかわかりますか? 「掟」の外に立つハイタワー氏のせりふです。

きみはいま愛を知ったと言うのだろう。きみが知ったのは希望なのだよ。道の行きつく先はひとつしかない。罪か結婚だ。罪を拒むなら結婚か無のどちらかだ。どうして彼女はこの町にいながら、見つけようと思ってやってきた男と会おうともせず満足しているのだ。この町を立ち去れ。結婚したいなら、独り身の女性が、若い娘が、生娘がいるではないか。一度選択しておきながら、今になってその選択を否定したいと思っている女性のために、きみが自分を犠牲にしようとするのは正しいことではない。結婚というものをつくったとき、神にはそんなつもりはなかったのだよ。神がつくった? いや、結婚をつくったのは女たちなのだ。

→ 処女崇拝というのでしょうか、いやはや。黒人差別も時代遅れですが、処女崇拝もまた時代遅れですなあ。

若いということ。これこそかけがえのないものだ。この世に二つとないものだ。

あんた、ミリーの赤ん坊をどうしたんですか?

私がもはや神につかえる人間でないのは、私自身が選択したことではないのだ、命令以上のものによって強制されたことなのだ。彼らは侮辱と暴力をもちいて自分たちの意志を押しつける。そうした人間たちを駆り立ててあることをさせておきながら、今度はそれをやったということで責め立てて八つ裂きにしてしまうのだ。

バイロン・バンチなんてあの人にとってはこの世にいないも同然なんだと知ってはじめて僕はあの人が処女じゃないと気づいたみたいだ。いままであいつがいるってことを信じてさえいなかったんだ。ありとあらゆる他の人たちは何の意味も持っていない言葉の集まりみたいなもの。そうだ、いまはじめてルーカス・バーチって男が本当にいたってことを信じたんだ。 → うん。童貞の呟きだねえ。いやはや。レベル、低っ!

彼を行かせてやりなさい。あんたのもとから追い払ってやることだ。彼があんたに追いついて横に並ぶなんてことは絶対にない。彼はあまりにも多くの時間を無駄にしてきたのだからね。彼には何もないってことも、あんたがいろいろ経験しているのと同じように、どうしようもないことなのだ。彼には昔に戻ってやってみるなんてことはできないし、それはあんたが昔に戻ってやらないようにするなんてことができないのと同じことなのだよ。あんたには彼のものではない男の子がいる。あんたは彼の人生に二人の男と三分の一だけの女を押し込むことになる。彼が三十五年続けてきた何もない暮らしが破られねばならないなら、せめて証人を二人もつけずに破られてしかるべきなのだ。彼を追い払ってやりなさい。

→ 「時代」といえばそれまでですが、女性差別モロだしだと思います。こういうところが私が本作を受け入れられなかった要因のひとつになっています。

それはあたしのすることじゃないわ。あの人は自由なんだから。あたし、一度だってあの人を捕まえようとなんてしてないもの。あの人、あたしに結婚してくれって言ったの。いますぐにって。それであたし、だめだと言ったのよ。

女たちのおしゃべるに意味なんてぜんぜんないってわかるはずなのにね。おしゃべりを真に受けてしまうのは男たちだけなのさ。

「結婚は人生の墓場だ」は男女の脳差の断絶に絶望した者が言った言葉

こんなことがあったら、ボリシェヴィキになったって当然じゃねえか。

人類史上最大のベストセラー『聖書』。二番目の『共産党宣言』

われわれは秩序を守らねばなりません。法の命ずるところに従わねばなりません。民衆たちに示すことです。

黒い血を自由にしてしまった。またしても黒い血は彼を見捨てた。黒い血に対して最後の抵抗をしたのさ。しゃがんだまま、黙って撃ち殺された。

これでおまえはもう白人の女に手は出せないぞ。

彼らは決してこの光景を忘れないだろう。平穏な川のほとりに暮らし、未来の希望について思いを巡らそうとしても、忘れることなどできないだろう。

女こそ彼の肉体の種のみならず精神の種をも受け入れる器として神が創った「従順」なる「無名」の存在——というのが真理だったのである。

それを身につけたとき、彼は何かを失うかわりに、何かを手に入れ、愛の顔かたちそのものが変わってしまったのである。

彼女の顔はまるで見なかった。彼女の目は追いつめられた賭博師のように、死に物狂いの打算のうちに彼を見つめていたのだが、彼はそれに気づいていなかったのである。そしてある夜、突然、乱暴に、結婚のことを口にしたのだった。

×   ×   ×   ×   ×   × 

このブログの著者が執筆した純文学小説です。

「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」

「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」

本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

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×   ×   ×   ×   ×   × 

目で見る必要なんてなかったんだ、ただ待っていればよかったってわけだよ。そのことをあの女は知ってたんだ。あの女はただ旅行してただけなんだよ。追いかけてる相手が誰であれ、そいつを見つける気なんてまるでなかったと思うぜ。今度腰を落ち着けたら、残りの人生ずっとそこに落ち着くことになるだろうって、たぶんわかってたんだよ。

人間って、ほんとに動くことができるものなのねえ。

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女性蔑視に黒人差別。もはや時代遅れの感覚が、避けようがないものとして描かれている。

『八月の光』をつまらん小説だなあ、と私が思ったのは、女性蔑視や黒人差別など、もはや時代遅れの感覚が「人間として避けようのない宿命」のように大袈裟に描かれているからです。

黒人が、アメリカ大統領になる時代に、みずからの血の色に悩む人の物語は、本当に今でも読むに値する文学のテーマたりえるんでしょうか?

作品の舞台は、禁酒法の時代(1920-1933年)を想定しているそうです。出版されたのが1932年。つまり作者のフォークナーは自分の時代のことを作品にしているということです。たとえば差別問題を深掘りしたい日本人が、江戸時代を舞台に借りて小説を書くような時代小説的な手法はとっていないということです。

土着の田舎者みたいな人たちが、土地の呪いみたいなものに縛られている作品といえばスタインベック『怒りの葡萄』を思い出しますが、こちらは1930年代末ごろが舞台になっています。だいたい同じころを描いているわけですね。

車中泊の元祖スタインベック。車中泊文学の傑作『怒りの葡萄』

この頃はまだ大規模農園もなければ、ヒッピーもいませんでした。自由旅行もなく、インターネットもありませんでした。そういう環境だと人はこんなふうになってしまうのでしょうか。こんなふうというのは、人は先祖と同じように黒人差別をし、女性蔑視してしまう「呪い」のようなものがある、というふうに、という意味です。フォークナーはそのように作品を描いています。もっともフォークナー自身、クリスマスの白黒の血の呪いは北部に移住すればとけてしまうということは認識していました。奴隷解放戦争でもあったアメリカ南北戦争は1861-1865です。あくまでも黒人差別が1930年まで根強く残っているのは南部の田舎町だからなのです。この「移住すれば解決しちゃう問題」に対して、フォークナーはふたりの人物を配しました。それが「旅する主人公リーナ」と「地元を出て行かないクリスマス」のふたりです。そこがつまり「掟」なんてものともしないリーナと、「掟」から抜け出せないクリスマスということになるわけです。

作品がギリギリ救われているのは「掟」なんてものともしないリーナがいるです。

しかし、クリスマスの悲劇が今日の感覚から見ると「とっくに解決済み」問題で、「避けようもない宿命だなんて大袈裟」だと感じてしまうのが、本作の大欠点だといえるでしょう。

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とっくに解決済み問題を、避けようもない宿命だなんて時代遅れの古い考え方だ

「古い考え方」を読まされたなあ、というのが正直な感想でした。これがノーベル文学賞ですか……。レベル、低っ!

まあ書かれた当時としては賞をとるような感覚だったのかもしれませんが、今日の目から見ると、いいたいことはわからないわけじゃないが、その考え方はもう古いナ、と思います。

それは物語のオチ・救いをキリスト教の死後の王国に求めたドストエフスキー作品を、手放しで評価できないのと同根です。

ドストエフスキー作品の読み方(『カラマーゾフの兄弟』の評価)

たとえば「音楽はキリスト神への捧げものだ。人が楽しむための音楽だなんてとんでもない」とバッハみたいなことを主張する大長編小説にそこまで読む意味があるでしょうか?

当時の感覚に戻った脳内シミュレーションで、当時の閉塞感と、現代的感覚のありがたみを感じる貴重な読書体験ができました、みたいに無難な読書感想文を書くこともできるのですが、はっきり書きましょう。クリスマスの悲劇が今日の感覚から見ると「とっくに解決済み」問題で、「避けようもない宿命だなんて大袈裟」だと感じてしまうのが、本作の大欠点だといえるでしょう。

友だちの恋人を奪った良心の呵責で自殺しちゃう物語って名作ですか? ケッ、なんだそれぐらい。

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「血の呪い」? せめて「教育の呪い」ぐらいではないか

わたしは放浪の旅人として諸国を流れて旅してきたので、この土着的な考え方はどうかなあ、と思います。いうてもアメリカの白人なんてメイフラワー号でのピグリム・ファーザーズの移住が1620年ですから、先祖の考え方といってもそんなに大した歴史はありません。その前は故郷を追われてヨーロッパあたりから流れてきた者の子孫でしょう。黒人差別の歴史だってそれほど長いものではありません。つい最近のものでしかないのです。それを「血の呪い」とまでしてしまうのは大袈裟です。せめて「教育の呪い」ぐらいではないでしょうか?

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解決済み「どうでもいい問題」。それでも苦悩があるクリスマスが主人公

こんな読書感想文を書くことだってできるんですよ。たとえば「書かれた当時の感覚にフィードバックしないと理解できない本。人間っていうのは地域、時代の子なんだと知りました。1930年ごろの南部アメリカに白人(もしくは黒人)として生まれたら、正しいものは何なのか、何を基準に判断すればいいのか、わからなくなってしまうかもしれない。これを作者は血の呪いというふうに言った。差別問題を考えさせられた」と。

でもねえ、アイデンティティーを地元や先祖の血に求める、というのも偏見ではないでしょうか? 本当にそうでしょうか? そんなことないんじゃない?

歌手のマライア・キャリーなんて、アイルランド系の母と、ベネズエラの血を引くアフリカ系アメリカ人の混血だそうですよ。自分はもともと何人なんだか、そもそも肌の色は何色なんだか(笑)。白でも黒でもありません。なまじ白黒だからクリスマスは悩むのであって、マライヤぐらいまでいってしまえば、もはや「どうでもいい」と開き直るのだと思います。マライヤの笑顔に「血の呪いの暗い影」なんてありません。そう、どうでもいいのです。

現在が平等だったら、過去の元奴隷だった歴史なんてふれたくないだろうに。忘れ去りたいだろうに。オレだったら、わざわざ掘り起こされたくないなあ。そんなこと。たとえば令和の日本で生まれつきの身分を意識することなんてあまりないけれど、友だちは貴族の家系、おいらは商人の家系かもしれないじゃない。それをわざわざ掘り起こされたくないなあ。そんなのもう完全に忘れてしまえばいいんじゃない? それをわざわざ忘れないようにするのは、今現在も同じような立場、境遇に置かれている場合だけだと思う。

だから『八月の光』は忘れ去られたっていいんだと思う。なにもわざわざ差別していた時代の心情を掘り起こして同調したりする必要はない。

「掟」から抜け出せないクリスマスの悲劇は、地元大好きヤンキーみたいな人の心には響くのかもしれませんが、ドリフターズ、ワンダラーズ、エグザイルスに響く話しではありません。

世の中の「掟」の外に立つハイタワーは、今日性をもっています。世捨て人はいつの時代でも今日性をもっています。イエスも仏陀も老子もみんな世捨て人でした。

しかしクリスマスを否定する力をもっとももっているのは「掟」なんてものともしないリーナに違いありません。しかしこのリーナには苦悩とか超克がないのです。バカみたいに何も考えずに則を超えていきます。無条件であっさりと掟を乗り越えてしまうから、文学的な盛り上がりに欠けるのです。

「王様の耳はロバの耳!」と真実と口過ぎに悩んだ末に命を賭して叫ぶ人物と、あっさりと見たまんまを口にする子供のような人物。どちらが物語の主人公たりえるかはいうまでもありますまい。

『八月の光』で主役をはれるのは苦悩があるクリスマスです。超克のあったハイタワーは批判者にすぎず、時代の評価に耐えられる生き方をしたリーナは主人公を張ることができませんでした。

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

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私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
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●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
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●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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