どうもハルトです。みなさん今日も楽しい旅を続けていますか?
西郷隆盛。「どこがそんなに魅力的だったのか?」という謎
年末が近づいてきました。年末が近づくということはNHK大河ドラマ『西郷どん』が終了するということです。
いよいよ戊辰戦争の英雄、西郷隆盛が逆賊となって、西南戦争で死を遂げるという誰もが知っている歴史が大河ドラマで描かれていくわけです。
『西郷どん』は私の身の周りでも見ている人が多く、非常に注目されています。それというのも西郷隆盛という人は近代の人物の割には非常に謎の人物であり、NHKがそこをどう描くかに注目が集まっているからではないでしょうか。
西郷最大の謎は「どこがそんなに魅力的だったのか」ということに尽きると思います。
西郷は「日本のナポレオン」のような人物です。明治維新というのは一種の革命でした。
フランス革命が民衆に始まりナポレオンが混乱を収拾したように、明治維新は武士にはじまり西郷隆盛が実質的な官軍の司令官となって混乱を収拾します。
その功績により西郷は陸軍大将に任命されます。日本で最初の陸軍大将は西郷隆盛なのです。ちなみにナポレオンはフランス皇帝になりました。
ナポレオンの魅力ははっきりしています。彼は戦術の天才でした。とくに砲兵戦では着弾点の計算ができるほど能力が高く、戦えば負け知らずでした。
後年、ナポレオン法典をつくるほどの男の魅力はいろいろあったでしょうが、とにかくナポレオンに戦争をまかせておけば必ず勝ったのです。負けたら殺される戦場で「必ず勝てる奴」がいたら年下だろうが部下だろうがそいつに指揮をまかせるに決まっています。その能力で彼はついに皇帝まで上り詰めました。
しかし西郷隆盛は違います。西郷は決して戦術の天才ではありません。高杉晋作や大村益次郎ならわかりますが。軍事的な能力で西郷は官軍の実質的な司令官になったわけではありません。
能力というよりは器で西郷は官軍の実質的な司令官を任され、そして江戸幕府を倒しました。しかし西郷のどんなところがカリスマ的で、どこに「薩摩の若者を死地におもむかせるほどの魅力があったのか」そこのところがイマイチよくわからないのです。「人の上に立つ器」そこをNHKと鈴木亮平がどうやって描くのか、そこに描き尽くされた古き英雄物語を視聴する意味があったわけです。
女性作家の『幼いシーンは丹念に、戦争シーンはすっ飛ばす』傾向
さて、いよいよ年末の大団円に向かってスパートをかけている大河ドラマ『西郷どん』ですが、西郷南洲後半生の大事績に対して尺(放映回数)があまりにも短すぎるのではないでしょうか。
幼い頃のお相撲とかウナギ獲りとか、嘘っぽい篤姫とのプラトニック恋愛みたいなものに相当な時間をつぎ込んで丁寧に描いてきました。それはそれで面白かったのですが、後半生の重要な大事績が省略されるというのであれば話は別です。どっちが重要だと思ってるんだ?
本来、西郷をして大河ドラマの主人公たらしめたのは、薩長同盟から戊辰戦争での革命リーダーとしての活躍と、征韓論から西南戦争への転落人生、悲劇的な死があってこそです。
日本の歴史にも大きな影響を与えている事績であり(というか日本の歴史そのもの)、そこのところは丁寧に描写してほしいところですが、それをやるにはもう完全に尺が足りないでしょうが、NHK!
2016年の大河ドラマ『真田丸』で関ヶ原の合戦を、使いの者が「徳川家康が勝利した」と結果報告するだけで終わらせて非常に話題になったことがあります。史上名高い天下分け目の決戦を、絵は一切見せず、1分たらずの伝聞と真田関係者の驚いた表情だけ撮って終わらせた伝説の省略シーンです。
NHK大河なら迫力の合戦シーンを見せてくれるだろうと期待していた視聴者を見事にずっこけさせてくれたシーンなのですが、実際に真田家の人々は関ヶ原の合戦を自分の目で見ていませんし、伝聞で知ったことはリアルな史実ことなので、この映像表現はまだ許せます。
しかし西郷どんはそうはいきません。戊辰戦争も、西南戦争も、西郷はその目で見ているのです。伝聞と表情アップで終わらせるわけにはいきません。
脚本家はちゃんと一年分の構成を最初に考えてんだろうな。1年で終わらせるっていう制約があってあらかじめ放映回数はわかっているのだから、自決する最終回から逆算して、省略したら西郷伝にならなくなってしまうはずの西南戦争や、川路利良や桐野利秋、江藤新平や大久保利通、西郷従道との人間関係を描きこんだり、征韓論や戊辰戦争やそれにまつわる葛藤や心境の変化、日本の歴史とそれをつくった男の心境と周囲との関係性を描いていたら、明らかに放映時間が足りないのは今から明白です。
竜頭蛇尾な作品になってしまうことがもう見えているじゃないか。こんなことなら徳川慶喜が「ヒー様」として品川宿に入り浸っているフィクションなんか「関ケ原」みたいにばっさり省いてくれればよかったのに。
イロハ「合戦シーンはお金がかかるからじゃないの? 受信料を払わない人がいるからNHK大河も合戦シーンにお金をかけられないんじゃない?」
ハルト「おおっとビックリした。いきなりイロハ登場か。合戦シーンにお金がかかるからフトコロ事情がキビシイって理屈はよくわかるよ。おれがいいたいのはそういうことじゃなくて、今回の『西郷どん』は中園ミホという女性脚本家が書いているんだけど、どうも女性脚本家は『幼いシーンは必要以上に丹念に描く、戦争シーンはすっ飛ばす』傾向があるんじゃないかと思ってさ。おれが似たようなことを感じるのは池田理代子の『ベルサイユのばら』だ」
イロハ「ふーん。熱狂的なファンが多い作品だから滅多なディスり方しない方がいいわよ」
ハルト「男装の麗人オスカルを描いた作品だけれど、この作品の大団円はどんなだっけ?」
イロハ「近衛師団長という王政側にいた貴族のオスカルが、愛する人のいる民衆側に立って自由のために戦うけれど、革命の成功を見ることもなく死ぬという悲劇です」
ハルト「ほら見ろ。フランス革命という戦争シーンはほとんどすっ飛ばして描いていないじゃないか。幼い頃と恋愛を描き切ったのでもう作品としての興味が尽きたのか? フランス革命にくらべて幼いシーンはメチャクチャ丹念に描いているぞ。原稿の分量が全然違うよ」
イロハ「女性が男装して軍人になる非日常の設定だから、幼い頃の屈折を丹念に描かなきゃ作品として成立しないじゃん」
ハルト「そうだね。『ベルばら』はフィクションだから作者の描きたいものを好きなように描いていいんだよ。敢えてフランス革命に関係させなくたってよかったんだから。でも『西郷どん』が戊辰戦争や西南戦争に関係なくてもいいってわけにはいかないぞ。『ベルばら』はあの構成でいいとしても、ただやっぱり女性作家の多くは恋愛や幼少期を描くのは得意だけど戦争描くのは苦手だという傾向は認めていいんじゃないかな」
イロハ「アンドレとの恋が身分違いのために結ばれなかったから、自由と平等のために戦って、フランス革命の中で気高く咲いて美しく散ったからこその伝説のヒロインだけどね」
ハルト「一般的な傾向だけど、男と女って興味の対象が違うじゃない? イロハだって戦争もの、キライじゃん」
イロハ「武士っぽいやつは何か…浅いんだよな。もっと心のアヤ、心境を描いた作品が好き」
ハルト「武士っぽいって何だ(笑)。少女漫画ってすごく字が多いよね。読むのに時間がかかるよ」
イロハ「少年漫画ってバトルばかりしてるじゃない。見開き2ページ使ってパンチ一発ぶちかましているだけみたいな作品ばっかり。あれ、ぜったい紙の無駄だよ。あっという間に読み終わっちゃう」
ハルト「迫力を出そうとしているんだよ。魂のこもったパンチなんだよ~。現在進行形のアニメ『ワンピース』は初期とは比較にならないぐらいバトルシーンを延々と描いているぞ。さすがのおれも飽きるぐらい同じ相手と何週にもわたってひたすら殴り合っている(笑)」
イロハ「知ってる。原作漫画に追いついちゃうからでしょ?」
ハルト「あら。よく知ってたね。かつてアニメ『ドラゴンボール』も後半になるほどバトルシーンが長時間化してたなあ。アニメは原作漫画を追い抜けないからね。本当はサクサク進んでくれた方がいいんだけど、仕方がないね」
イロハ「バトルばかりの作品は心境に深みがないけれど、ハルトの言うとおり『西郷どん』は前半の幼い頃の丁寧な描き方にくらべて、後半の戦争以降展開が超高速すぎるっていうのはあるかもね」
ハルト「視聴者が一番見たいのは「ヒー様」や「篤姫」とのフィクションではなく、西郷の器、魅力の謎と、後半生の歴史的な大物政治家たちとの愛憎劇だと思うよ」
イロハ「そういえば、薩摩の国父様、島津久光に島流しされるほど嫌われていた西郷隆盛が、どうしてあっさりと薩摩軍の総大将に任命されちゃうのか、テレビでは全然わからなかったわね」
ハルト「西郷隆盛の魅力については司馬遼太郎でさえ『翔ぶが如く』で、お茶を濁して描けなかったと思っているので無理もないけど」
イロハ「せめて作品の構成をもうすこし考えろと言いたいのね」
ハルト「そういうこと。誰も経験していない経験をした後半生あっての西郷隆盛なんだから。時間がなくて省くなら誰もが似たような経験をしている前半生でしょうよ」
さてさて。ハルトはこんなこと言っていますけれど、みなさんはどう感じましたか?