大道の歌
幸福を求めない。それらは体の内側にある。
星の位置は今あるところで申し分ないのだ。すべてはあるがまま。
見えない多くのものもここにあるのだと私は信ずる。
どんなものも受けいれるという深い教訓があり、どんなものも通りすぎる。
路上に何に出会おうと、それを私は好きになるだろう。
私を見る人は、誰でも私を好きになるだろう。
私は幸福が見たい。私の見るものは幸福でなくてはならない。
私は自分が考えていたより大きく善良だ。
大道よ、私は君に接吻しよう。
自分の望むところにおもむき、彼らに耳を傾け意見を尊重する、でないと旅ができないからだ。東も西も北も南も私のものだ。
みんな私によくしてくれた。私もみなによいことをしよう。
行きながら私は仲間を増やしていこう。私自身を振りまいていこう。よろこびと頑丈さを投げていこう。私を拒否する人がいても、それが私を患わせることはない。私を受けいれる人はだれでも祝福を受けるのだ。そしてその人は私を祝福してくれるのだ。
最良の人間たちをつくるには、大気の中で育ち、大地に食い、眠ること。
太陽の光が私の血をみなぎらせる。
魂の流失は幸福だ。充満させられる。
大地は決して疲れることがない。
言葉が言いあらわせる以上の美しさ、神聖さをもつものがある、と。
どんなもてなしでも、ほんのしばらくしかとどまることをゆるされていない。
さあ行こう。一緒に行こう。決然たる肉体をもつものだけが、一緒に行くことを許されている。
富を蓄積してはならない。惜しげもなく撒き散らしていかなければならない。
落ちつく暇もないうちに、抵抗しがたい出発の合図に呼びたてられるのだ。
きみは残った人々の皮肉な微笑や嘲笑を蒙らなくてはならない。
どんな愛を受けようと、きみはただ別れの熱烈な接吻でこたえるだけにしなければならない。
差し伸ばした手を君の方へひろげてくれる人々に、捉えられてはいけないのだ。
さあ行こう。始めがないのと同様、終わりのないものに向かって。
何も奪わなくても、所有をゆるされないものはない。
彼らはゆく。受けいれられ、拒絶され、彼らは行く。
出るのだ。ゆくのだ。
どんな人も、告白を聞いてほしいまでの信頼をされない。
どんな成功をしても、それがどんなものであれ、そこからもっと大きな奮闘を必要とする、何かが必ず現れてくるということは、事物の本質に備わっていることなのだ。
私と同行するものは、貧しい食事、貧乏、怒る敵ども、見棄てられることに、しばしば出くわす。
君に私の愛をあたえる。私自身をあたえる。
君は私に君自身をあたえてくれるか。一緒に旅に来るか。
生きている限り、しっかりお互いを結び付けようではないか。
ホイットマン『大道の歌』。詩集『草の葉』の一部
でかけよう。きみ、誰であれ、ぼくと一緒に旅に出よう。
貯えられたこれらの品がたといどんなに快く、今の住居がたといどんなに便利だろうと、ここにとどまってはいられない。
ぼくらのまわりの人の好意がどんなにありがたく身に染みても、ぼくらがそれを受けてもいいのはほんのわずかのあいだだけだ。
でかけよう。ぼくらは航路も知らぬ荒海をゆくだろう。
でかけよう。ありとあらゆる形式から。
でかけよう。かつて始まりがなかったように今は終わりのないそのものに向かって。
愛する者たちを背後に残していきながら、しかも彼らをこの道にいっしょに連れ出してやるために。
宇宙そのものが一つの道、多くの道、旅ゆく魂たちのための道だと知るために。
暗いところに閉じこもっていちゃだめだ。
紙は白紙のまま机の上、かねもいっさい稼がずにおけ、
ぼくはきみに金では買えぬぼくの愛をあたえよう。ぼく自身をあたえよう。
きみもぼくにきみ自身をくれるかい? ぼくといっしょに旅に出るかい?
いのちあるかぎりぼくらはぴったり離れずにいよう。
大道の歌
ホイットマンの詩集『草の葉』に収録された『大道の歌』。この詩をいつか読んでみたいとわたしは思っていました。
わたしの人生を変えた本『旅に出ろ! ヴァガボンディング・ガイド』に旅の守護聖人としてホイットマンが登場してくるからです。
人生を変えた本『旅に出ろ! ヴァガボンディング・ガイド』リアル・ドラゴンクエスト・ガイドブック
なるほど人を旅へといざなう詩だなあと思いました。
アメリカにはゴールドラッシュなどの時代もありましたし、アメリカそのものが移民の国ですから、旅人のフロンティアスピリッツに溢れていたのです。
心も軽く徒歩でぼくは大道に出る。
行きたいところにへ足を向け、ぼく自身をぼくの唯一無二の主人となし、ぼくは哲学と宗教を吟味しなおそう。
軽い足取りでゆけばいい。
× × × × × ×
旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。
【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●日本海も東海もダメ。あたりさわりのない海の名前を提案すればいいじゃないか
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●もしも韓国に妹がいるならオッパと呼んでほしい
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●「トウガラシ実存主義」国籍にとらわれず、人間の歌を歌え
韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。
「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。
帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。
× × × × × ×