サン=テグジュペリが教えてくれる友情や愛の秘密
あなたの恋人は美しい人でしょうか? きっと美しい人なのだと思います。けれどあなたの恋人以外にも美しい人は山ほどいます。それなのに自分の恋人だけがどうして特別だと言えるでしょうか。恋人だけが異性じゃないと気づいてしまったら、あなたならどうしますか?
ここでは『星の王子さま』を通じて、友情や愛の秘密について解き明かしていきます。
特別じゃないものを特別だと感じる魔法のことをサン=テグジュペリが教えてくれます。
特別じゃない人を特別だと感じる魔法
作品冒頭、砂漠に不時着したパイロットが星の王子さまに出会うところから作品は始まります。本の著者はサンテクジュペリ。プロの飛行機乗りとしても有名で、1935年に故国フランスから当時植民地だったベトナムまで最短時間飛行に挑戦した際、サハラ砂漠に不時着した時の体験が「星の王子さま」に反映されているそうです。ベトナムを目指して飛んだのにサハラ砂漠って。。。だいぶ近くに不時着しましたね。。。(笑)
1943年に「星の王子さま」は発行されました。フランス語の原題は「小さな王子さま」。王子さまはB612という小さな星からの来訪者です。小さな星は「家」の寓意だと考えることができます。王子さまは「子供心」の象徴です。子供心は大人に対して無垢な疑問をぶつけます。無邪気な疑問は容赦のない大人社会への批判となっているのですが、無垢な子供の疑問という体裁のおかげで気分を害するような毒はありません。
薔薇=女性の寓意。女性に対する接し方が書いてある
王子さまの小さな星には小さな赤い花が一輪だけ咲いています。この花は「女性。妻。パートナーの象徴」と読むことができます。花は弱く、何も知りません。4本のトゲをもっていて、王子さまは花を愛し、何でもしてあげようと思っていますが、花の言葉をいちいち真に受けて苦しむのです。世の男性も女性の言葉をいちいち真に受けて苦労していませんか? サンテクジュペリも女性には苦労したんだろうなあ、と思います。ここでは完全に女性に対する接し方を書いているとわたしは思います。
子供の頃はわからなかったことがおとな読書だとわかることがある
子供の頃はわからなかったことがおとな読書だとわかることがあります。これもその一つですね。「花はただ眺めて、香りを楽しんでいればいいんだ。意味のない言葉をいちいち聞かないほうがよかった」と王子さまは後悔しています。結論のない会話、方向性のない会話、噛み合わない会話、何が言いたいのかわからないトーク……喋ることそのものが目的だということがわからずに、男は女性の会話とまともに向き合って困惑するのです。古今東西、同じ悩みなんですねえ。同じ男として「やあ、ご同輩」とサンテックスに声をかけたくなります。これがおとな読書の醍醐味です。
「結婚は人生の墓場だ」は男女の脳差の断絶に絶望した者が言った言葉
そして王子さまは女性を家に残して家出……おっと物語上では花を星に残して、小さな星を脱出するのです。これは離婚、家出です。はっきり言って。王子さまはもうここには戻ってこないだろうと思っていました。花に「さよなら」というと、花は彼を「愛している」と告げたのです。「私を許してね。あなたの幸せを見つけてね」彼女は泣くところを見られたくありませんでした。それが花の自尊心でした。このような離婚劇が展開されます。子供の頃はさほど面白いとおもわなかった「星の王子さま」ですが、大人読書をするとなんだかワクワクドキドキ面白いじゃないの。
自分の恋人だけが特別じゃないと気づいてしまった!
離婚して家を出た後、王子さまは旅の途中でさまざまな他の家を見て回ります。自分の家も変わっていましたが、世の中は変わった家ばかりでした。小さな家の中でいばってばかりいる人。崇拝されたい人。酒を飲むことを忘れたくて飲むという人。自分を重要人物だというビジネスマンはお金持ちになるために計算ばかりしていました。「何のためにお金持ちになりたいの?」と王子が尋ねると「所有してお金持ちになれば、そのお金でもっと所有し、もっとお金持ちになれる」と答えます。際限がありません。大人というのは変だな、と王子さまは思います。まるで欲望に自分を見失ってしまった人のようです。こういう人は現代日本にもいますよね? いや世界中にこういうタイプの人はいるんでしょう。だから『星の王子さま』の寓意は普遍的なのです。いっさい現場を知らないという地理学者。そして規則に盲目的に従う点灯夫。友だちになってもいいと思ったのは彼だけでした。彼だけは自分以外のものの世話をしていたから。。。
そして地球で星の王子さまはヘビと会い、花と会い、バラ園のたくさんのバラたちと会うのです。バラたちは「彼の花」とそっくりでした。もうこの際、おとな読書で、バラは女性と読み替えましょう。「特別な花を一本持っているから自分は豊かだと信じていたけれど、僕が持っていたのは普通の花だった」バラの園(すなわちたくさんの女たち)を見て、自分の恋人だけが女じゃないと気づいてしまったんですね。他にもすてきな女性が山ほどいます。それなのに自分の恋人だけがどうして特別だと言えるでしょうか。
この問題に答えを出しているところが『星の王子さま』のすごいところなのです。
「時間をかけて一緒に過ごしたことが重要なんだ」
そして作中もっとも重要なキャラクターであるキツネに出会います。キツネは言います。
「今は10万人のよく似た少年の一人である君がいなくなったって別にかまわない。でも友だちになれば別だ。他の人が来たら地面の下に逃げるけれど、きみが友だちになってくれたならきみの足音はきっと音楽みたいにおれを穴から誘い出す」
「人間は愛したことしか学べない。今は意味のない小麦の黄金色が、きみを好きになったら、君が小麦のような金色の髪をしているから、おれは小麦を見るときみを思い出すようになる。小麦畑を渡る風を聞くのが好きになる」
これが特別でないものを特別なものにしてくれる魔法でした。それをキツネが教えてくれたのです。もう一度、王子さまはバラ園に戻ると、自分の星のバラと、バラ園のバラは全く違うことに気づくのです。以前は同じに見えたのに。
「10万匹のどれとも違わないただのキツネが世界でただ一匹のキツネになったように、ぼくの星のバラはバラ園のバラ全部をあわせたよりももっと大事だ。なぜってあれが僕が世話した、僕の花だから」
とうとう愛の秘密に王子さまは気づきました。世の中にいくらでもいる女たちよりも、自分の恋人の方が大事だということがわかったのです。
「時間をかけて一緒に過ごしたことが重要なんだ」「心で見るんだ。大切なことは目には見えない」
「心で見るんだ。大切なことは目には見えない」
王子さまはヘビに噛まれて死んでしまいます。死なないと来た場所に戻れないからでした。もしかしたらその場所は「過ぎ去った過去」という場所なのかもしれません。来た場所には愛した特別な「あの花」が咲いているのです。その花のためには死ねるのでした。
「星の王子さま」は戦争と無縁に書かれた作品ではありません。戦場で死んだ兵士たちは、誰のために、何のために死んだのでしょうか?
「5000本のバラを育てても自分たちが探しているものは見つからない。探しているものはたった一本のバラやほんの少しの水の中に見つかるのに」
目に見えなくなっても、サン=テグジュペリの心は今でも残っています。
戦争でサンテクジュペリの偵察機を撃墜したメッサーシュミットのパイロットは彼の愛読者だったそうです。搭乗しているのがサン=テグジュペリだと知っていたら撃たなかったという言葉が残っています。
肝心なことは目では見えないのです。
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(本文より)知りたかった文学の正体がわかった!
かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。
しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。
世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。
すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。
『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。
その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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