マシュマロ実験(遅延報酬実験)とは?
マシュマロ実験(遅延報酬)という有名な実験があります。「自制心がその後の人生にどんな影響を与えるか」ということを調べる実験です。4歳前後の子どもたちの前にマシュマロをひとつ置いて、「戻ってくるまで食べずに待てたら、もうひとつマシュマロをあげる」と約束して、ひとりきりにします。さて、15分後、戻ってきたときに、どうなっていたでしょうか?
結果は、我慢できてふたつマシュマロを食べられたのは三分の一ていど。残りの三分の二は我慢できずに食べてしまい、得られたのはマシュマロひとつきりでした。
そしてその子供たちの将来を数十年にわたり追跡調査した結果、マシュマロを二個ゲットした子(我慢できた子)は一個の子(我慢できなかった子)に比べて、学業成績が高く、出世する傾向が高かった、というものです。これがマシュマロ実験。自制心が高い方が、よい結果をもたらしやすい、というわけですね。
市民マラソンの成績も、マシュマロ実験と同じ結果になるだろう
私はこのマシュマロ実験のことを聞いて「それはマラソンも同じじゃないか」と思いました。マラソンの成績は我慢力で決まります。短距離走でぜんぜんかなわない相手に、長距離走だとどうして走り勝つことができるのでしょうか? それは「体力があるから」ではないでしょう。じっと我慢できるからではないでしょうか?
私の場合、本番レースでは、一年のうち、たったの三時間ぐらい苦しい思いをしてもいい、と決めて、ひたすら走ることに集中し、苦しさに耐え続けました。その結果のサブスリー、グランドスラムの達成でした。
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※雑誌『ランナーズ』の元ライターである本ブログの筆者の書籍『市民ランナーという走り方』(サブスリー・グランドスラム養成講座)。Amazon電子書籍版、ペーパーバック版(紙書籍)発売中。
「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか?
いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状を打破し、自己ベスト更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」「かかと落としを効果的に決める走法」
●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム?
●ピッチ走法よりもストライド走法! ハサミは両方に開かれる走法。
●スピードで遊ぶ。スピードを楽しむ。オオカミランニングのすすめ。
●腹圧をかける走法。呼吸の限界がスピードの限界。背の低い、太った人のように走る。
●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは?
●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」
本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く走ることができるようになります。
あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
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どんなレースに出ても自分よりも速くて強いランナーがいます。それが市民ランナーの現実です。勝てないのになお走るのはなぜでしょうか? どうせいつか死んでしまうからといって、今すぐに生きることを諦めるわけにはいきません。未完成で勝負して、未完成で引退して、未完成のまま死んでいくのが人生ではありませんか? あなたはどうして走るのですか?
星月夜を舞台に、宇宙を翔けるように、街灯に輝く夜の街を駆け抜けましょう。あなたが走れば、夜の街はイルミネーションを灯したように輝くのです。そして生きるよろこびに満ち溢れたあなたの走りを見て、自分もそんな風に生きたいと、あなたから勇気をもらって、どこかの誰かがあなたの足跡を追いかけて走り出すのです。歓喜を魔法のようにまき散らしながら、この世界を走りましょう。それが市民ランナーという走り方です。
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その経験からも、マシュマロを我慢できた子が学業成績がいいというのは予想がつきます。私は身体的条件が同じなら、マラソンの成績は、学業成績とぴったり相関関係があるだろう、というコラムを書いたことがあります。
スポーツ選手は脳筋バカか? マラソンは受験、セックスに似ている
勉強っておもしろくないですよね? でもそのおもしろくないことを、お受験のあとには報われるだろうと予想して、今は我慢して勉強するわけです。それは二個目のマシュマロのために、一個目のマシュマロを我慢するのに似ています。だからいい成績を収めることができるのです。
その場の楽しみを選んで、受験勉強を投げ出して遊んじゃうというのは、目の前のマシュマロを食べてしまうようなものです。マラソンも同じですよね?
マシュマロを我慢できた子も、カレーライスやチョコレートだったら無理だったのではないだろうか

ハルトは、学校の成績も、マラソンの成績もよかったものね

しかしそれはオレがオンナにモテなかったから。もし恋愛できるチャンスがあったら、受験勉強なんて投げ出して、そっちに走ったと思うよ。
マシュマロを我慢できた子も、それがカレーライスやチョコレートだったら我慢できなかったのではないでしょうか? マシュマロなんてたいして美味いと思いません。

恋愛は、カレーライスやチョコレートのようなもの。我慢できずに食べちゃったと思うよ

そういえばおとなになってからは出世しなかったわね。マシュマロを我慢できた子は出世するっていう実験よね?

我慢するのは、学生時代でもうたくさん。我慢なんてくそくらえだ。
いつかは来ない。いつかは「今」
マシュマロを我慢する子は「いつか」のために「今」を我慢しています。15分後に二個食べられるから、今は我慢しておこう。受験に合格したあとで遊べるから、今は我慢しておこう。というわけです。
でも、私はもう大人です。大人にとって、その「いつか」はいつ来るのでしょうか?
課長になるまで、今は我慢しておこう。そういうことでしょうか? でもそれが成就したら今度は、部長になるまで、今は我慢しておこう。そうなるんじゃありませんかね?

希望をずっと先延ばしにして、結局、一生我慢するんじゃない?
こどもの頃はまだいいですよ。「いつか」がいつか来るんだから。そのいつかというのは「おとなになったら」であったはずです。でも大人になってもそれをやるのはどうなんでしょうか? もうおとなになっているのに、なにを待っているのでしょうか? 解き放たれる日を待ちながら、一生我慢する人生が本当にいいのか、私には疑問です。

いつかは来ない。いつかは「今」なのです。