『ゴッホの手紙』「名前のある色」と「名前のない色」色彩に溢れた文章

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書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。小説『ツバサ』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

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『ゴッホの手紙』を読んでも、ピストル自殺の真相はわからない。

『ゴッホの手紙』という本を読みました。読んだきっかけは「なんで画家はピストル自殺したのか?」その答えが読み解けるか、と思ったからでした。

結論から先にいうと『ゴッホの手紙』は弟テオなどが保存していた手紙を集めた書簡集で、自殺直前まで書き連ねられた手記・日記ではありません。だから読んでも「自殺の心理・真相」はわかりません。自殺よりはるか以前の日付で終了してしまうからです。

しかし、違った意味で『ゴッホの手紙』はわたしに影響をあたえました。

その色彩あふれた文章が新鮮でした。あきらかに作家の書いた文章とは違うものです。

「ああ、画家の書いた文章だなあ」と思いました。こんなに文章に色をつかった描写をする文章を読んだことがありません。

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色彩あふれる画家の書いた文章。作家の文章とは違う

具体的に示しましょう。ゴッホの書いた文章は、たとえば下記のようなものです。

「暗い樹の下には空いた石のベンチがあり、雨上がりの水たまりに、黄色く空が映っている。太陽の光線は最後の反射を投げ、オレンジ色に燃えて、やがて暗い土色になる。幹のあいだを黒い小さな人物が黙々と徘徊している。この赤土色と、灰色の混じった悲しい。秋の最後の緑紅色の花の病的な微笑がそれを裏付ける。」

「畑は黄緑。白い太陽は大きな黄色い光輪で囲まれている。」

色の描写の部分を塗ってみましたが、いかがでしょうか。まるで絵具で塗りたくるように文章を綴っていると思いませんか?

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ゴッホの部屋の色彩。色を大切にするのが画家の本性

「壁は淡い紫色。床は赤いタイルだ。寝台と椅子の木部は新鮮なバターのような黄色で、敷布と枕は非常に明るい緑がかったレモン色だ。掛布団は深紅色。窓は緑色だ。化粧テーブルはオレンジ色だし、金だらいはだ。扉は藤色。」

「壁は淡いリラ色、床は壊れて色褪せた赤、洗面机は橙色、洗面器は、窓は。白はわずかに黒枠の鏡にだけしかない。

こちらの描写は「ゴッホの部屋」と呼ばれる自分の寝室についてゴッホ本人が描写したものです。いかに画家としての彼が色を大事にしていたかがわかりますね。

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作家の描写は、材質、形状に言及することが多い

わたし自身、小説を書いているので、描写についてはド素人ではありません。

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このブログの著者が執筆した純文学小説です。

「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」

「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」

本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

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そして本ブログではたくさんの書評をしています。かなりの読書家であることを理解いただけると思います。その私の目から見てもゴッホの文章はかなり特殊なものです。

たとえば初登場の人物に言及するとき、ふつう小説家ならば「見た目」について述べますが「色について」はあまり言及することはありません。たとえば「リノリウムの床を歩いた」と書くのが普通で「灰色のツルツルした床を歩いた」と書く作家はすくないのです。サロンをふわっと体に巻きつけている」と書くのが普通で「紫の糸をベースに青や赤で模様を描いた鮮やかな布をふわっと体に巻きつけている」と書く作家は見たことがありません。

絵を書かない文章家というものは、それほど色にこだわらないのではないか、というのがひとつの仮説です。

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色彩ゆたかなゴッホの文章の特徴

ゴッホの文章をつづけましょう。

黒っぽい縁と、白みがかった緑の野原にいる女たち。が主調で、肉の部分は艶を消したにぶい色調だ。」

「背景は淡いレモン色。顔は灰色で、衣服は黒。それに生のままの群青だ。彼女は緑色のテーブルにもたれて、オレンジ色の木製の肘掛椅子にすわっている。」

「死人の顔が背中に浮き出た蛾。その色彩は黒、灰色陰影のある白や、反射光のある洋紅色、かすかだがオリーブ色に転じた色で、たいそう大きい。」

「夜なべには、紫色と柔らかいリラ色の色調だし、薄いレモン色のランプの色、それにオレンジ色の炎と、赤茶色の男がいる。」

「赤みががった紫の松の幹と、白い花とたんぽぽの咲いた草原があり、ちいさな薔薇の木と別の木の幹とがある。」

「ドレスはばら色、月に照らされた壁は緑色オレンジ色の斑点がある。赤いじゅうたんにも緑の斑点があり、ピアノは濃い紫だ。」

はああ。むずかしい。なるべくきちんと色の指定をしようと思うのですが、画家じゃないので(どっちかというと作家なので)指定された色がうまく選べません。パソコンのパレットに出てくるデフォルトの色でカンベンしてください。

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美術教師の言葉「安易に赤色といって済ませないこと」の呪縛

「庭の前面にはの草が生えている。左側に緑の茂みリラがあり、切り株から出た葉が白みがかっている。中央の地面にばらの花壇があり、右側には柵と壁、壁の上に紫色の葉のはしばみの木がある。それからリラの垣根と黄色い丸みのある菩提樹の列があって、奥の突き当りの家は屋根の瓦が青みがかっている。長い腰掛が一台に椅子が三つ、黄色い帽子をかぶった黒い人影と、前面に黒猫がいる。空は薄緑。」

学生時代、わたしは美術の教師にこんなことを言われました。

「赤といってどんな色を思い浮かべる? 紅葉色とか朱色とかえんじ色とか牡丹色とか茜色とか、赤といってもいろいろある。だから安易に『赤色』といってすませてはいけないんだ」

この言葉が頭にあったので、自分の小説でも安易に色の指定はしてこなかったのです。

でもゴッホですら『オレンジ色』の椅子といっているんですから、文章の中で色の指定をしてもいいのではないか、と『ゴッホの手紙』を読んで思いました。もっともゴッホ自身は自分の視覚の繊細さにくらべて、言葉というものはなんと不便なものだろうと思っていたかもしれませんが。色をつくるパレットの上で、名前のない色、名づけようもない色をつくりあげてはキャンバスに塗りたくっていたかもしれません。

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「名前のついた色」と「名前のついていない色」がある。

コバルト色、群青色、若草色、青竹色、橙色。象牙色、高度色、ルージュ。濃青色、こげ茶……世の中には数えきれないほどの「名前のついた色」があります。実際にはそれ以上にもっとたくさんの「名前のついていない色」があります。

でも「名前のついた色」だけに限定しても、私には使いこなせません。色の見分けがつきません。眼がそこまで繊細ではありません。実際問題、苔色とか柳色とか青竹色とか、使いこなせます?

ゴッホはもっと繊細に色を使い分けていたはずですが、絵はともかく文章にするときには語彙の問題で「床は赤いタイル」と言わざるをえませんでした。

こうして『ゴッホの手紙』で美術教師の言葉の呪縛から解き放たれた以上、わたしの小説もゴッホのように色彩にあふれたものにしたいと思います。とりあえず既存の小説を推敲して、色みにあふれたものに上書きしましょうか。

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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。

「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」

「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」

※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。

アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

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ううむ。本当は「苔色の苔」とか「柳色の柳」とか「青竹色の青竹」とか書きたいところですね(笑)。それがいちばん簡単です。でもそれじゃあ意味ないか。

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