いつから結婚は家長の指名から本人の意思・自由恋愛となったのか? ルソー『エミール』から

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ジャン・ジャック・ルソー。フランス革命の功労者。自由の哲学者

ここではジャン・ジャック・ルソーの著書『エミール』の書評、感想、内容紹介を行っています。童謡『むすんでひらいて』の作曲者としても有名なルソーですが、作曲家、小説家というよりは社会哲学者として有名です。1712-1778年の生涯です。サドと同時代の人物です。

『サド侯爵夫人』三島由紀夫の最高傑作

フランス革命1789年の直前に亡くなっています。その自由の思想はフランス革命に影響を与えたと言われ、革命の功労者とされています。

私はルソーをフランス人かと思っていたのですが、生まれはジュネーブでした。フランスで活躍した人、という言い方が正解のようです。

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『エミール』のあらすじ、内容、感想、書評

そのルソーの書いた『エミール』は、教師ルソーが教え子エミールを教育するという態をとっています。

こう書くとあたかも小説みたいですが、実際にはガチガチの哲学書でした。すくなくとも近代小説のような雰囲気ではありません。圧倒的に著者ルソーの独白で占められています。

人間の運命はいつも苦しんでいることにある。

肉体の苦しみはほかの苦しみにくらべればはるかに残酷でも、そのために生きることを断念するようなことはめったにない。痛風を苦にして自殺する人はいない。絶望に追い込むのは心の苦しみ以外にはない。

→そうでしょうか? ガンを苦にして自殺する人がいるのでは? 大哲学者ルソーが言ったからといって正しいと鵜呑みにすることはできません。よく検証する必要があります。

人間はどうして時間をつぶしていいかわからないので、自分の身体をまもるために時間をついやしている。

けっして失う心配のない生命は、かれらにとってはなんの値打ちもない。ただ一つの喜び、まだ死なないという喜びを毎日あたえてくれる。

→ただ生きるだけでなく、価値あるもののために命をつかえ、と言っています。

動物は病気のとき、なにも言わずに我慢して、静かにしている。

→断食。エンザイム。オートファジー現象。血管内プラークで生きていく断食派の悟りの境地について

忍耐の乏しさ、心配、不安、そしてなによりも薬が、どれほど殺してしまったことだろう。

病院に行くと病気になる。病院ぎらいのはじめての人間ドック体験記。

生命をまもるために時間を費やしていれば、それだけ生命を楽しむ時間が無駄になるから、そういう時間はへらすようにしなければならない。

植物性の食事は有益。乳で育てられた子供は、いっそう腹痛や虫をおこしやすい。動物性の物質は腐敗すると虫がわくからだ。

→医学的根拠もなく、経験と直感でルソーはこう書き記しているわけです。当時は梅毒を治療するために猛毒である水銀を処方するという時代でした。

ジャコモ・カサノバ『回想録』世界一モテる男に学ぶ男の生き方、人生の楽しみ方

しかし表現はともかく動物食よりは植物食という結論は現代医学から見ても当たっています。

牛乳をやめて、豆乳にする生活

人間の最初の声は不満と泣き言だ。悪いことはすべて彼のうちに苦痛という感覚を生み出すにすぎない。子どもは、泣くとき、思うようにならないのだ。欲求を感じているのだが、それを満たすことができないのだ。

なにかを作ろうと壊そうと、それはどちらでもいい。ただ事物の状態を変えればいいので、変えることはすべて行動なのだ。壊す作業は手っ取り早いので、子どもの活発な性質には向いている。

→インド三神の中では破壊神シヴァの方が、維持神ヴィシュヌよりも人気があるようですね。

怪我をした場合、苦しみを与えるのは、その傷であるよりも、むしろ恐れなのだ。人は勇気をもつことを最初に学び取り、すこしばかりの苦しみを恐れず耐え忍んで、やがてはもっと大きな苦しみに耐えることを学び取る。苦痛というものを知らずに成長するとしたら困ったことだ。

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西洋の仏教思想。ルソーの仏陀的な側面

不幸はものを持たないことにあるのではなく、それを感じさせる欲望のうちにあるのだ。現実を超えた欲望を持つ者は、たとえ神であろうと弱い存在だ。あるがままで満足している人はきわめて強い人間だ。そうすればわたしたちはいつも満ち足りて自分の弱さを嘆くこともなかろう。弱さを感じるようなことはないだろう。

→これと同じことを言った人を私たち日本人はよく知っています。この人ですね↓

だから能力を大きくすることによって実力を大きくすることができるなどと考えてはならない。

人間の弱さはどこから生じるか。その力と欲望とのあいだにみられる不平等から生じるのだ。だから欲望を減らせばいい。そうすれば力が増えたのと同じことになる。

出費を減らせば収入が増えたのと同じこと、という理屈です。お金持ちとは収支がプラスの人のことを言うのです。

『あやうく一生懸命生きるところだった』もうお金持ちになるのはあきらめた。

無人島でひとり余生を過ごすとなれば、哲学者も一冊の書物もひらいて見ないだろう。その代わり島のすみずみまで訪ねて見ることを決してやめないだろう。

現代人が、石器時代にタイムスリップしたら、生き残れるだろうか?

自由に生き、人間的なものにあまり執着しないこと。それが死ぬことを学ぶいちばんいい方法だ。

死の必然は賢明な人間にとっては人生の苦しみに耐える一つの理由となるにすぎない。

病気に耐える苦しみよりも多くの苦しみを病気をなおそうとして自分にあたえている。

→現代の延命治療について語っているみたいです。水銀飲んでた時代の人の言うこととは思えませんね。

きみは死をまぬがれることはできない。しかしきみは死を一度経験するだけだ。

自分の意志どおりにことを行うことができるのは、何かするのに自分の手に他人の手を継ぎ足す必要のない人だけだ。あらゆるよいもののなかで、いちばんよいものは権力ではなく、自由であるということになる。ほんとうに自由な人間は自分ができることだけを欲し、自分の気に入ったことをする。

旅人が世界を変える。インバウンド規制緩和が日本を自由に開放する。

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水銀治療していた時代の人の健康観。

この書物をよいものにつくりあげるためには、わたしは楽しみながら書く必要があるのだ。

もともと人間にとっては、自分の食欲よりもたしかな医者はない。その時それがいちばんうまいと思った食べ物がいちばん健康にいいものであったことは疑いないと思われる。

→そうでしょうか? 私はそうは思いません。おそらく自分の食べたいものばかり食べていたら高脂血症になり、糖尿病になり、高血圧になり、健康に悪いと思います。

自分の血の状態というものはなかなか自分ではわかり難いものです。だから人は生活習慣病というものになるのです。

わたしたちの様々な感覚の中で味覚は一般的にいって、わたしたちにもっとも強い刺激をあたえる。ただ私たちを取り巻いているだけの物質よりも、私たちの体の一部となる物質にいっそう大きな関心をもつ。触覚、聴覚、視覚にとっては無数のものがどうでもいいものだが、味覚にとってはどうでもいいというようなものはほとんどなにもない。

遺伝子DNAは変わらないのにどうして寿命が延びたのか? 食品添加物と和食とウォーキングと寿命との関係性

子供を肉食動物にしないことがなによりも大切だ。肉をたくさん食うものがそうでない者よりも残酷で凶暴であることはたしかなのだから。

トレイルランの王者スコット・ジュレクの『EAT&RUN』走ることと、食べること

ボンボンが歯を悪くすること、あまりたくさん食べると太ることを彼女にわからせることができた。成長するにつれてほかの趣味をもつようになり、いやしい楽しみを忘れるようになった。

→ここに見られるのは「太るのはよくない」という思想です。ルソーは「太るとモテない」といっているのではありません。「健康に良くない」と言っているのです。

昔から「太るのはよくない」思想があることにちょっと驚きました。昔は太っている=裕福という発想で太っている人の方が好まれたと聞いたこともあります。血液検査が数値化されたり、肥満の健康への害が医学的に証明されるよりもはるか前に、こういう発想ってあったんですね。

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自然にかえれ=書を捨てよ街に出よう

すくなくとも彼はその子供時代を楽しんだのだ。自然が彼にあたえたものを何ひとつ失わせるようなことはしなかった。

最初の教育は疑いもなく女性の仕事である。

→母親の役割の重大性について説いています。ルソー先生はエミールだけでなく、ソフィーという女性にも教育を与えます。このソフィーというのはエミールの配偶者となるべき存在です。

子供のとき人を打とうとするものは大人になって人を殺そうとすることになる。

決して他人に害を加えないこと、という教訓はできるだけ人間社会に縛られないようにすること、という教訓を含んでいる。というのは、社会状態にあっては、ある者の利益は必然的に他のものの害になるからだ。社会にある人間と孤独な人間。社会にあってこそ悪人は他人に害を加えようとする。ひとりでいるのは善人だけだ。

なかなか年寄りにならないようにするにはどうすればいいんでしょう? 若い時に賢く生きるのです。

人が見てくれなくてもよいことをするように。苦しみはいずれ神がつぐなってくださる。これこそ本当の宗教だ。

世の中というものが女性の読む書物だ。

→『書を捨てよ街に出よう』といった日本の詩人がいました。寺山修司の独創ではなくルソーら哲学者の上に立っての発言でしょうね。

一家の母にふさわしい人は、修道院にいる修道女とほとんど変わらないぐらい家の中に引っ込んでいる。

習慣によって節制をまもるようになった。

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いつから結婚は家長の指名から本人の意思・自由恋愛となったのか?

ソフィー。夫はあなたが選んだ人でなければならない。わたしたちが選んだ人であってはならない。

→『エミール』を読んでいると、ルソーの時代は原則的に親が結婚相手を決めていたという風に読めます。ではフランスではいつから自分の意思で結婚できるようになったのでしょうか?

×   ×   ×   ×   ×   × 

このブログの著者が執筆した純文学小説です。

「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」

「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」

本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

Bitly

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もちろん指輪を贈るプロポーズのようなものはローマ時代の昔からあったのですが、あくまでも主流は親が決める家同士の結婚・家どうしの結合でした。

本人の意思による結婚というものは、自由意思が家同士の結婚を凌駕して駆逐したというよりは、家同士の結合という仕組みが勝手に滅び去ってなくなったといった方が正解でしょう。

家内制手工業の時代は「誰が家族か」「どんな親戚がいるか」が重要な問題でした。家族は労働力だったからです。

しかし工業化時代となって人々は家よりも会社と結びつくようになりました。年金や生活保護や介護保険の制度が充実し、人々は家よりも国家と結びつくようになりました。

つまり家というシステムの重要性が薄れたため、家長が嫁を決める制度がなくなったのだと言えるのです。

明治時代の小説のように、家父長制度と闘って自由恋愛が勝った、というわけではありません。

わたしたちにはあなたの幸福だけで十分なのだ。

生涯をともにしたいと思う男性が見つかるまでに、青春を失ってしまわなければならないこともしばしばある。

→現代の独身アラフォー女性にダイレクトにあてはまる言葉ですね。

彼女に付きまとう危険。すこしたてば美醜は夫にとってどちらもなんでもなくなり、美しさは困りもの、見にくさはありがたいものになるからだ。

馬で行くよりも愉快な旅のしかたはひとつしか考えられない。それは歩いていくことだ。

風の王国。BORN TO WALK。歩くために生まれた

彼は人間が幸福になれる限界において幸福なのだ。そのうえなにかつけくわえようとすれば、ほかのものを損なうだけのことだ。この最高の幸福は手に入れたときよりも期待しているときのほうがはるかに快いものだ。

彼はひとりの女性で満足するように自然によって決められている。このことは男女の数が等しいことによっても確認される。強いオスが何匹ものメスを自分のものにしているような種類の動物では雌雄の数が等しいということはなかなか見当たらない。

男性よ、きみの伴侶を愛するのだ。きみの労苦をいたわるために、きみの苦しみを和らげるために、神はきみに伴侶をあたえているのだ。これが女なのだ。

心の欲望に掟をあたえていない。

人間はいっそう多く愛着をもてば、いっそう多くの苦しみをまねく。すべては過ぎ去る。おそかれはやかれ遠ざかっていく。それなのに永遠に続くことになるようにそれに執着している。あのひとも死ぬことになる。

自然はきみにただ一度だけ死ぬことを命じている。

死すべき存在、滅び去る存在であるわたしは、あしたにも消えていくこの地上にあって、永遠の絆をつくりあげようなどと考えるべきだろうか。

失うことを学ぶがいい。

勇気を失わないでいること。

書物を読んだだけで満足するような人々にまかせておこう。

潰瘍のひとつひとつを別々に手当てすることではなく、そういう潰瘍を生じさせる全身の血をきれいにすることが問題なのだ。

必然の束縛。それに耐えることを生まれたときから学んできたし、死ぬまでそれに耐えるつもりだ。

見捨てられないとしてもわたしはやっぱり死ぬことになる。死は貧しさの結果ではなく自然の掟なのだから。

死は決して「わたしは生きた」と言えないようにすることはできない。

羞恥心はあらわに意志を告げることを避け、征服されることを願っている。口ぶりは拒絶していても、心と目が許しているとき、それを知らずにいるだろうか。

愛が長く続いたあとは、なごやかな習慣が失われた愛に代わるものとなり、信頼の魅力が情念の激しさに代わることとなる。もうベッドを別にしてはいけない。気まぐれなことをしてはいけない。

あたえるもののねうちを大きくするために拒まなければいけない。

できるだけ愛想よくするのだ。ふくれっ面をすればもっと愛してもらえるなどと考えてはいけない。

※わたしの自由な精神は、むしろ怠惰な性質からきているのです。社会生活のほんのちょっとした義務にさえ耐えられない。しなければならないこととなると、わたしには拷問の苦しみです。

※眠りそのものよりもはるかに快い体と心の休息をベッドの上に見出すのでした。

※肉体の苦しみは精神から自由をうばいます。

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東洋思想を紹介することで西洋で高く評価されるというタイプの文人

見てきたようにルソーの思想の中に仏陀の思想に通じるものが多く驚きました。

まるで西洋の仏陀と言ってもいいような具合です。

ときどきこういう人っていますよね。西洋人でありながら東洋思想に傾倒している人。

たとえばヘルマン・ヘッセとか。

『シッダルタ』ヘルマン・ヘッセ。白人が見た仏陀。解脱する方法

ヒッピー系の文学にも東洋への傾倒が見て取れます。

ジャック・ケルアック【ザ・ダルマ・バムズ】禅ヒッピー

東洋思想を紹介することで、西洋で高く評価されるというタイプの文人が、ヨーロッパにはときどきいるなあ、と感じます。ルソーにもそれを感じました。

ほんとうに偉大なのはルソーじゃなくて仏陀なんじゃないの?

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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●◎このブログの著者の書籍『市民ランナーという走り方』◎●
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書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
Bitly
×   ×   ×   ×   ×   × 
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

Bitly
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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