どうもハルトです。みなさん今日も楽しい旅を続けていますか?
「バックパッカー流生き方」の極意。「節約することはお金を稼ぐことと同じ」
このブログでは「バックパッカー流生き方」を提案している。その極意のひとつは「節約することはお金を稼ぐことと同じ」ということである。
たとえばメキシコに旅行して帰ってきたとしよう。同じ観光地に行ったにも関わらず、Aさんは20万円で9日間。それに対してBさんは40万円で7日間だったとしよう。あなたはどちらを経験したいですか?
もちろんすべてが同じではない。Aさんは地元のホテル、地元の食事。Bさんは高級ホテルに泊まってホテルのレストランで食事をしている。
高級ホテルに泊まってホテルのレストランで食事することが旅の醍醐味だと思うのならばBさんと同じ経験を買うべきだろうが、私ならばAさんと同じ経験がしたい。
ホテルなんて眠ってしまえばどこでも同じだ。
食事などはむしろ地元の庶民と同じものを食べたい。世界中どこでも同じだが、庶民の料理は安いのだ。逆に高い料理というのは「普通の人が普段食べているものではない」のである。せっかく海外旅行に行っているのにそんなものを食べて何になろうか。現地の人と触れ合いたいのなら現地の人が食べているものを一緒に食べるべきだろう。
Aさんのようなスタイルの生き方を「バックパッカー流の生き方」と呼んでいる。
Bさんと比較して、同等か、それ以上の経験をしたうえで、さらに費用はかかっていない。旅を工夫し、節約したからである。100万円あった貯金が、Bさんは60万円になってしまったが、Aさんは80万円残っている。
これが「お金を節約することは、稼ぐことと同じ」という意味である。お金を節約できる能力があるということは、お金を稼ぐ能力があるというのと同じ意味だと私は思う。実際に「まるで稼いだかのように」Aさんの貯金残高は多いではないか。Aさんの方が稼げるといってもまちがいではあるまい。
ちなみにここでいうAさんというのは私のことである。
行き急ぐように旅立つ私のことを「金あるなあ」と評する人がいるが、間違っている。私にあるのは経験であり、時間である。お金はない。
しかし貯金ゼロで旅をしているわけじゃない。お金もないわけじゃない。貧乏旅行をしているからである。お金を節約することは、稼ぐことと同じなのだ。節約すれば貯金残高は減らない。
最も大切なのは「人生の経験」
※貯金残高=仕事によって獲得したお金 ー 経験のために支払ったお金
だとしよう。この資本主義社会では往々にして人は貯金残高が最も大事な数字だと誤解してしまう。
それは間違いだ。では正解は何であろうか?
経験のために支払ったお金?
それも違う。それではBさんだ。
答えは「経験」である。おれたちは経験するために、この世に生まれてきたんだ。
Aさんは、おれは、おれたちさすらいのバックパッカーは、そこを間違ったりしない。
「経験」を買うにはお金が必要だけれど、たくさんお金をかければいいってものじゃない。
同じ経験を安く買うことはできるのだ。たとえば節約すれば。競争させて値切れば。
それは旅のスキルのひとつであるが、人生の極意でもある。
そうすることができるのは、お金を稼ぐことができることと同じなのである。