ここではSFの古典HGウェルズ『宇宙戦争』について書いています。
火星人をタコみたいに描いた古典です。最近はあまり見かけませんが、昔は宇宙人といえばタコでした。そのイメージを決定づけた作品です。
書かれた当時(1898年)の庶民の足は自動車ではありませんでした。馬車や自転車で逃げ去る時代の設定です。蒸気船はあったが、戦車も飛行機もありませんでした。テレビどころかラジオもありません。まだ大正時代にさえなっていない頃のお話しです。
現代目線だと「火星にはタコどころか微生物さえいない」ってことになりますが、エジソンが1879年にやっと電灯を発明したという19世紀末に、宇宙船や戦闘ロボットや光線ビームや毒ガス兵器を発想したウェルズの凄さ……当時の衝撃は、やはり現代人にはわかり難いかもしれませんね。
そんな時代に書かれた物語を、現代目線で読み返してみましょう。
× × × × × ×
このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。
「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」
「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」
※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。
アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。
× × × × × ×
物語のあらすじを述べることについて
物語のあらすじを述べることについての私の考えはこちら。
私は反あらすじ派です。
作品のあらすじ、主題はあんがい単純なものです。
要約すればたった数行で作者の言いたかった趣旨は尽きてしまいます。
たとえば「作者は、死すべき人間だったとしても、運命を受けいれて、短い命を燃焼させて、その中で人間らしく充実して生きることを訴えたかったのです」とか。
世の中にはたくさんの物語がありますが、主役のキャラクター、ストーリーは違っても、要約した趣旨は同じようなものだったりします。
たいていの物語は、主人公が何かを追いかけるか、何かから逃げる話しですよね?
生まれ、よろこび、苦しみ、死んでいく話のはずです。
あらすじは短くすればするほど、どの物語も同じものになってしまいます。
だったら何のためにたくさんの物語があるのでしょうか。
あらすじや要約した主題からは何も生まれません。
観念的な言葉で語らず、血の通った物語にしたことで、作品は生命を得て、主題以上のものになるのです。
作品のあらすじを知って、それで読んだ気にならないでください。
作品の命はそこにはないのです。
人間描写のおもしろさ、つまり小説力があれば、どんなあらすじだって面白く書けるし、それがなければ、どんなあらすじだってつまらない作品にしかならないのです。
しかしあらすじ(全体地図)を知った上で、自分がどのあたりにいるのか(現在位置)を確認しつつ読書することを私はオススメしています。
作品のあらすじや主題の紹介は、そのように活用してください。
この記事がみなさんの読書ライフの良質な旅の地図になることを願っています。
『宇宙戦争』のあらすじ
19世紀末、火星の寿命がつきかけていたため、火星人はやむなく地球移住計画を実行することにしました。
まだ自動車も飛行機もテレビもない時代の地球人は火星の異星人のことなど考えたこともありませんでした。そこに科学力に秀でたタコ型宇宙人が侵略してきたのです。タコ型なのは脳と指だけが発達し他は退化してしまったからです。消化吸収のための内臓はなく、他の動物の血を直接輸血するように摂取して栄養をとっています。
円筒の宇宙船から現れた火星人は、いきなり人類に死の熱光線を浴びせてきました。地球の大きな重力には耐えられないため、彼らは戦闘マシン(モビルスーツ)に乗って移動しつつあたりを焼き払っていきます。イギリス軍は砲撃するが勝てません。科学力が段違いです。火星人は毒ガスまで使うのです。そのうえ、火星人には飛行機型の侵略兵器までありました。人類は負けると思われましたが、地球のばい菌やバクテリアが火星人を滅ぼしました。大砲や機関銃ではまったくかなわなかった相手を地球の自然が倒してくれたのです。自然という神が地球の上の生き物たちすべてをまもってくれたのでした。
なぜ『宇宙戦争』が名作なのか?
古来、火星マーズはギリシア神話の荒ぶる神マルスになぞらえて「争いの星」といわれていました。火星は夜空に赤く妖しく光る星です。赤は血の色、火の色。その星から来た異星人が平和の使者であるはずがありませんでした。HGウェルズ『宇宙戦争』は1898年に発表されました。
飛行機もラジオもない時代に、宇宙人とか、マジンガーZ型乗り込みロボットとか、鉄腕アトム型自立制御ロボットとか、UFOとか熱光線とか毒ガスとかを作品に登場させてしまったところが、SF小説の元祖と呼ばれる所以なのです。
作品が出版されたのがどういう時代かというと、19世紀末はまだ馬車で移動する世界です。
1908年T型フォードが発売されてから車はやっと普及して庶民の足になったので、火星人の乗り込み式戦闘機械から逃げ惑う人々は、走るか、馬車か、自転車で逃げるのでした。こりゃあかないそうにありませんね。
その時代背景を考えないと、どうして『宇宙戦争』が世紀の名作なのか、理解できません。
もちろんインターネットもスマホもありません。それどころかテレビもありません。なんとラジオもないのです。ラジオ放送の開始が1920年です。情報ソースは口コミか新聞です。同時代のシャーロックホームズに「新聞」での情報収集が欠かせないように。
ライト兄弟の初飛行が1903年だから、飛行機もありませんでした。毒ガスは1915年第一次世界大戦ではじめて登場します。毒ガスの方が飛行機よりも簡単そうに思えるのですが、歴史に登場するのは飛行機の方が先です。
そんな時代の作品『宇宙戦争』には、宇宙船や飛行機が登場するのです。現代でも不可能な熱光線、モビルスーツを駆使してタコ火星人は、人類(てはじめにロンドン)を滅ぼそうとします。
現代ものに置き換えると「シンギュラリティ以降を描いた小説」がこれに相当するでしょうか。それ以上の圧倒的な衝撃を人々にもたらしただろうことが容易に予想できます。相手は宇宙人で人類滅亡を賭けた戦争ですからね。
『宇宙戦争』は未来を予見したSF的な評価も高いのですが、それだけではありません。
火星人も地球人もお互いを「同じ人間」とは思っていないで、お互いに無理解のまま戦争してしまいます。そういうところが、その後の世界大戦などの「人種や国籍による差別と無理解による戦争」を想起させるのです。
またオチである「偉大な科学力をもった火星人も、自然の力にはかなわない」というところも、ひきつづき現代でも通用する警鐘となっています。原爆さえつくれるようになっても、結局地球の自然に生かされている我々人類のことを、火星人に仮託して描いているように思えるのです。
こうしたところが「預言の書」にも読めるのです。
『宇宙戦争』の何が秀逸だったのか。
歴史的に厳密にいえば、すべてがHGウェルズのいちからの発明ではないそうです。飛行機や光線銃といった未来兵器は今では消えてしまった他の作品に先行を見ることができるそうです。災害パニック小説だとか、異星人小説だとか、当時の流行小説ををたくみに組み合わせたものと見ることができるのだそうです。
しかしそれらすべてを代表する形で『宇宙戦争』は歴史に残る小説になりました。
ウェルズがすごいのはやはり火星人をタコ型生物にしたところではないでしょうか。科学は脳と指だけを進化させるから、未来の人間だって同じ進化を遂げるだろう、と作中で予見されています。つまり火星人=未来の人間としても読めるのです。
われわれ地球人は消化吸収に多大なエネルギーを使っています。しかし火星人は吸血鬼のように血を直接摂取(輸血)することで消化吸収に無駄なエネルギーを費やさないとされています。このアイディアも秀逸だと思います。わたしたち人間は、消化吸収して得たエネルギーを再び消化吸収に回さなければならないのです。これは効率的とはいえません。自由を売って得た金で老後の自由を買っている現代のサラリーマンにも似た矛盾ではないでしょうか。
技術の進歩で体力が弱くなった未来人が、パワードスーツの助けを得て骨格筋を補強する、とかいかにも現代人にも通用するモチーフを含んでいます。
そういう意味で火星人と地球人の戦争は、未来人との戦争にもなぞらえて読むことができます。
原題は『The War of the Worlds』。『異世界との戦争』と訳した方が本来の意味にちかい
『宇宙戦争』英語の原題は『Star Wars』ではありません。『The War of the Worlds』異世界戦争とでも訳した方が本当の意味に近いと思います。
ここでの異世界とは火星とは限りません。
「異人種」「異国家」「本国と植民地」といった「二つの世界の関係性」に落とし込んで、この『宇宙戦争』を見ることができるので、作品は不滅の魂を得たのです。
世界最初の宇宙戦争の物語は、ただのSF小説ではありませんでした。
やはり「神たる自然」を最後に持ってきたことが作品に永遠の命をあたえた、わたしはそう見ます。真理を描いた作品は、滅びないからです。
× × × × × ×
このブログの著者が執筆した純文学小説です。
「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」
「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。
× × × × × ×