遊民主義・遊民哲学とは何か?
放浪のバックパッカーとして世界中を旅してきて「何を学んだ」とか「何を得たのか」とか聞かれることがあります。旅から私は何を得たのでしょうか?
マレーシアのマラッカでのことです。わたしは公園やベンチに寝転がっている人たちをたくさん見ました。薄っぺらい小汚い格好で、ラフなサンダル履きの男たちです。
そのマラッカの市場で、パリっとしたスーツ姿のサラリーマンを出会ってギョッとしました。日本では当たり前のスーツ姿のサラリーマンですが、マラッカでは違和感しかありませんでした。
なんでこの人はスーツを着て仕事をしているんだろう。かわいそうに……。その黒い靴、窮屈じゃない?
なんだかビジネスシューズを履いたスーツ氏が、可哀想な貧しい人に見えてしかたありませんでした。そして自分の感じたことに愕然としたのです。
自分はもはや普通の日本のサラリーマンとは違う価値観を生きているのではないか?
そのとき感じたのはそんな思いでした。
実際には公園に寝転がっているサンダル男たちよりもスーツ氏の方がお金はたくさんもっているのでしょう。平日の真っ昼間のことです。日本の社会ではスーツ氏のほうが標準です。むしろ日本だとぶらぶらしているサンダルマンの方が奇異の目で見られるはずですが、どう見ても私には寝転がっているサンダルマンの方が豊かに見えました。どっちになりたいかと聞かれたら、ビジネスシューズよりもサンダル履きの方になりたい、と。
人生の豊かさとは貯金残高で決まるものでしょうか。
この時の強烈な印象が、わたしの遊民主義の原点です。遊民主義とは、社会的地位や資産の有無で人生の豊かさを判断しない新しい生き方のことです。自分の好きなことができる時間の量、したくないことをしなくてもいい自由、遊びたい時に遊び、のんびりしたい時にのんびりできる生活を大切にする考え方を遊民哲学、遊民主義と呼んでいます。
遊民の豊かさとは金銭的なものでは決してありません。縛りのない豊かな時間こそが遊民のもつ最も価値あるものです。
放浪のバックパッカー≒登山家≒キャンパー
ある日のこと、散歩していた私は、首都高速の下にホームレスの仮の住まいを見つけました。完全に登山用のテントもありました。わたしの目は釘付けになりました。「なんだかおもしろそうだ」と思ったのです。なんともいえない同類のにおいがしました。放浪のバックパッカーとホームレスは同種の人たちという気がします。ホームレスは、長期間のキャンパーといっても過言ではないという気がします。
私はバックパッカーは「歩く人」だと思っています。歩かずにバックパッカー旅は成立しません。その姿はまるで山を歩く登山家のようです。歩くのが外国か山域かという違いはありますが「バックパックを背負って歩く人」であるという本質は同じです。
私は登山して幕営地にテントで泊まることもあります。町のキャンプ場ではほとんどすべての登山用具を流用して使うことができます。つまりバックパッカー≒登山家≒キャンパーという図式がなりたつのです。ここにホームレスも加えたら登山家やキャンパーやバックパッカーの人から怒られますかね?
つくづくホームレスはロングステイの「キャンパー」のようです。ホームレスというとイメージが悪いのですが「ちょっとばかりキャンプ生活が長引いているだけだ」と視点を変えれば、なんだか楽しそうに見えてきます。
週末ごとにキャンプに行っている知り合いがいます。平日は忙しいサラリーマンをしている彼なんか、毎日キャンプしているホームレスを羨ましがるのではないでしょうか?
そして世界各地を放浪してきたバックパッカーのひとりとして、日本のホームレスが何もしないで寝転がっている人「遊民」にどうしてなれないのだろうか、と疑問に思います。
車中泊≒ホームレス。寝るだけなら何の問題もない
車中泊で日本全国を巡った経験があります。車中泊≒ホームレスという図式も成り立つのではないでしょうか。するとこういう図式が成り立ちます。バックパッカー≒登山家≒キャンパー≒車中泊≒ホームレス。
この世界をリアルに感じて、充実した人生を生きたかったら、アウトドアはむしろ必然ではないかと思っています。自宅はぬるま湯です。ずっと自宅で暮らすのは、ずっとぬるま湯につかって生きているようなものです。そんな人生で満足ですか?
それでは物足りないから旅人は旅にでるのです。外敵の恐怖のようなものがないと脳に刺激が足りません。旅の恐怖や危機意識によって脳の生存本能が覚醒します。
そんなアウトドア目線からするとホームレスの生活を「一度ぐらいは体験してみたい」「ショートなら面白そう」と思ってしまったのでした。誰もが目を背けるホームレスの生活も、こちらの見方が変われば評価も変わるのです。
ホームレスの辛さは「やめたくてもやめられない」ところにある
実際ホームレスの暮らしは、短い期間ならばそれほど辛くないだろうと思います。だってキャンプしているのと同じだもの。そのことをキャンパーとして、登山家として、自分の経験から想像することができるのです。お風呂やトイレなどが自宅内にない不便さをイメージすることができます。室内で立ち上がれない窮屈さは車中泊で経験しています。寒さは山の上で経験しています。ベトナム・ハノイの安宿に泊まったときのことです。夜中にバイクが轟音を鳴り響かせてホテル前を飛ばしまくっていました。まるで暴走族の集会の中で眠っているようでした。あのハノイの安宿にくらべたら、まだ墨田川のテントの方がずっと静かなはずです。
ホームレスの辛さは「やめたくてもやめられない」ところにあります。「いやになったらいつでも止められる」という条件なら「体験してみてもいい」とさえ思えます。
もともと我らがご先祖は今のホームレスのような暮らしをしてきたのです。ホームレスの暮らしもそれほど悪いものじゃありません。すべては比較の問題です。
安全地帯から一歩も外に出ない生活を楽しいと言えるか
放浪の旅人で東南アジア諸国を回っていると、何もしないで寝転がっている人「遊民」を少なからず見かけます。暖かいため、外の風がいい気持ちです。汚れたTシャツに短パン、そしてサンダルです。サンダルは自由の象徴みたいなものです。
暖かいため、こういう生き方ができるのです。自宅はあるのでしょうが、昼間はホームレスのように暮らしています。仕事は……あるのかな? 夜の仕事をしている可能性はありますが、仕事や時間に追われている風はまったくありません。
この遊民のように日本で暮らそうとすると、春、秋はいいのですが、夏、冬は無理だと思います。夏場は暑く湿気が多く外で過ごすのにいい季節ではありません。また日本の冬は寒すぎて、外で寝転がっていては凍死してしまいます。だから家の中で暮らすことが常態となってしまうのです。何の刺激もない家の中。安全地帯から一歩も外に出ない生活。こうして「ぬるま湯」が普通になるのです。気候のせいで日本人は「ぬるま湯」の自宅に戻ってしまうのでしょう。
アリンコ・ジャパニーズ。外国のホームレスには、悲壮感がない
冬のあいだ家に閉じこもると遊民の思考がリセットされてしまいます。「ずっと寝転がってばかりいちゃいけない。遊んでばかりじゃいられない。働かなきゃ」と考えるようになりるのです。『アリとキリギリス』のアリンコのように。寒くて貧しいから、日本人は遊民になり切れないのです。気候が最大の要因だと思います。黒潮で暖かい南房総がハワイになりきれないのは冬があるせいでしょう。
諸外国にはホームレスがたくさんいます。でもなんかみんな気楽そうで、日本のホームレスのような悲壮感がありません。きびしい顔つきをしていません。なんだかのんびりとしています。常夏の国では、いったんのんびりしたら、そこから思考がリセットされず、一年中のんびりできます。思考がリセットされなければ、一生そのまま生きていけます。彼らは遊民になれるのです。
しばりのない豊かな時間こそが遊民の宝もの
東南アジアでは、スーツ姿で仕事をしている人が貧しい人に見えました。働かざるを得ないから働いている、という風に見えたのです。かわいそうに。みんなが遊んでいるのに、自分だけ働かなきゃならないなんて。それは強烈な印象でした。そして公園で寝転がっている遊民が実に豊かに見えたものでした。どっちになりかいと思ったかは言うまでもありません。
決まりきった時間に決まりきった場所に行って決まりきったことをしなければならないのはいちばん貧しい生活なのかもしれません。黒革靴で仕事しているエリートよりも、サンダル履きの遊民の側に行きたいと私は感じました。
放浪の旅が私にあたえた最大のものはこの遊民主義です。
遊民の豊かさとは金銭的なものでは決してありません。しばりのない豊かな時間こそが遊民の宝ものです。
ほんとうに美しいものは、すべて無料です。地球が人にもたらしてくれるからです。お金を出して買えるようなものではありません。
暇なサンダルマンたちはいつも友人たちと何かを喋って遊んでいます。時間が人間関係をつくりあげているのです。遊民は豊かです。
映画『タイタニック』は「お金持ちよりも、貧乏の方が人生楽しい」という映画
ひるがえって日本のホームレスが「遊民」に見えないのは、やはり気候の影響が大きいと感じます。日本でホームレスを「豊か」だなあ、とまでは思えません。悲惨なかわいそうな人に見えてしまう。本質的には何も変わっていないというのに。そう見えるのは寒い冬のせいでしょう。たくさんの時間を持っていることは彼らも変わらないと思います。
わたしにとって映画『タイタニック』は「お金持ちよりも、貧乏の方が人生は楽しい」という映画です。ヒロインのローズはお金持ちの暮らしにうんざりして死のうとしますが、貧乏人のジャックと知り合って、貧者の生活の中に人生の楽しみを知ったのでした。
遊民の豊かさを知るものとしては、どうにかしてこの文化を日本に輸入できないものかと思うのです。
寒さの力は強力で、人間の思考を変えてしまいます。暖房と食事のために人は労働するのです。なにごとも天候しだい。マザーネイチャーにはかないません。
わたしはバックパッカーとしていろいろなものを見すぎてしまったのかもしれません。もう日本のサラリーマンの価値観には戻れません。黒革靴よりもサンダル。一生、遊民として生きていくのもいい。いやむしろ遊民になりたい。あの人たちがなれたんだ。私にだってなれるはずだ。
そういうことを私たち放浪のバックパッカーは見てきたのです。
FIREファイア とユーミン主義は似た概念
FIRE(ファイア)という概念があります。FIREというのは Financial Independence, Retire Early 経済的に自立した早期リタイアという意味です。親のすねをかじるニートのような寄生獣ではなく、ちゃんと自活した上で、サラリーマン生活から早期に退くというムーブメントですね。投資運用などをして自由な時間を生きていく生き方です。
わたしのとなえる遊民主義と、ファイアは、とても似ています。違うところといえば遊民主義は積極的に貧乏やアウトドアライフを楽しもうとしているところでしょうか。
FIREには「貧乏に陥らないようにする備え」のニオイがプンプンします。それに対して遊民主義はそんなものはケセラセラです。貧乏なんて意に介しません。
FIREは「とにかく仕事を辞めたい」という動機が見え隠れしています。それに対して遊民主義は「しばりのない豊かな時間を遊んで暮らそう」という積極的動機の行動のことです。遊民の豊かさとは金銭的なものでは決してありません。しばりのない豊かな時間こそが遊民の宝ものなのです。