マレーシアの国教がキリスト教ではなくイスラム教であることの不思議

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ヨーロッパ人は貿易と布教をワンセットで考えていた

日本にいると疑問に浮かばないことであっても、旅をすると不思議に思うことがある。

マレーシア旅行ではふたつ疑問に思ったことがある。

①ボルネオ島の石油は大日本帝国海軍の軍艦に役に立たなかったのか?

②400年もマレーシアを支配していたキリスト教国家は、なぜイスラム教をキリスト教に改宗させなかったのか?

今回は、②を考えたい。

この疑問はマレーシアのマラッカを訪問した時に強く感じたことだった。

私たち日本人が社会科の教科書で習ったことは、簡潔に言うとこういうことだった。

戦国時代にヨーロッパの白人が日本にやってきてキリスト教を伝えて、貿易が始まった。

黒船さえないこの時代、極東の島に舟を出すということは命がけだった。

船は座礁し、暴風雨にマストは折れ、潮に流されて遭難した。

当時の船乗りがGPSを知ったら、神の御業に思えたことであろう。

ちなみに1543年の鉄砲伝来は遭難船による偶然であったが、1549年のフランシスコ・ザビエルによるキリスト教伝来は宣教師の信念による必然であった。

国王と教会の利益は一致していた。西欧キリスト教国家としては、貿易もしたいが、キリスト教もひろめたかった。キリスト教に改宗させることが功徳となるため、信じる正しい教えを伝道するため、その使命感で宣教師は命を投げ出すことができた。そのようにして宣教師は海に出たのである。

国家の目的と一致した個人は「支援」してもらえる。フランシスコ・ザビエルに海外布教を依頼したのはポルトガル王である。

キリスト教化しつつ、その後、ゆるやかに植民地化されることを豊臣秀吉も徳川幕府も恐れていた。宣教師は侵略の先兵であったのだ。キリシタンが一向一揆のような抵抗勢力となりバックにスペイン王やポルトガル王がついたら日本に勝ち目はない。

だから1587伴天連追放令によってキリスト教が禁止され、日本はキリスト教国にはならなかった。ならなかったばかりか鎖国体制をとって貿易そのものが制限されてしまった。

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マレーシアをイスラム教からキリスト教に改宗させなかったのは何故か?

マレーシアを植民地支配していたヨーロッパの国々が、マレー人をイスラム教からキリスト教に改宗させなかったのは何故なのか?

この疑問を最初に抱いたのはマラッカを訪問した時のことである。

黒船(蒸気船)さえなかった時代に船出するということは、命を失う危険のあることであり、航路は陸沿いに沿岸航海することがほとんどだった。陸地という目印がないと航海できなかったのだ。

海路の拠点となる条件を備えたマラッカは、多くの人が行きかう交通結節点となり、貿易の拠点となる。イスラム商人との交易があり、彼らの宗教が入ってきて、その関係性の中で、1414年にイスラム化した。マレー人の国の国教がイスラム教になっただけで、アラブ人の国が立ったわけではない。

イスラム教は砂漠の宗教のような気がするが、熱帯雨林の東南アジアがイスラム化しているのは、こういう理由である。イスラム教徒数を国別でみると実はインドネシア人のイスラム教徒が一番多いのだ。

しかしその後、ヨーロッパ人の大航海・植民地主義により、マラッカは1511年ポルトガル領になった。植民地となり1641年にオランダに奪われるまで130年続いている。オランダ領は1824年イギリス領になるまで183年続いているのだ。イギリス領は1941年に日本軍に駆逐されるまで117年も続いているのだ。合計430年である。

えっ? 長っ!!

ヨーロッパ人の支配が430年も続いているのに、なぜマレーシアはキリスト教国じゃなくてイスラム教国なのだろう?

ポルトガルも、オランダも、イギリスも、ざっくりいうとキリスト教圏の国である。すくなくともイスラム圏ではない。

キリスト教の国が430年も続けてマレーシアを支配しているのに、キリスト教が国教となっていない。これはとてつもなく不思議なことではないだろうか?

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誰も疑問に思わないのだろうか? 解説する日本語サイトが見当たらない不思議

なぜヨーロッパ人はマレー人をイスラム教徒からキリスト教徒に改宗させなかったのだろうか?

その理由が知りたくてググってみたが、明快な回答を得られなかった。 

なぜそのことを前面に押し出して解説する日本語のサイトがないのだろう。日本人は誰もこのことを疑問に思わないのだろうか?

小西行長蒲生氏郷黒田官兵衛キリシタン大名になったのは、1549年にフランシスコ・ザビエルがマラッカから中国を経由して命がけで日本に渡来し、布教したからである。大名たちがキリスト教の信者になったのは、海外の知識を得られ、貿易面でも優遇されるメリットがあったためだと言われている。やはり布教と貿易はワンセットであったのだ。

フランシスコ・ザビエルはもちろんマラッカでも布教している。日本では仏教からキリスト教に改宗させる活動をしているのだ。当然、マラッカではイスラム教からキリスト教に改宗させる活動をしたはずである。

なのになぜ国教がイスラム教なのだろう。ザビエルは布教に失敗したのだろうか?

そうかもしれない。しかし日本とマラッカでは決定的に状況が違うところがある。

たしかに日本では諸々の事情があって最終的に布教には失敗した。しかし失敗した最大の原因は為政者のトップ(豊臣秀吉)がキリスト教を信じていなかったからだ。一言でいえば、そうなる。

しかしマラッカの為政者のトップ(ポルトガル人の総督)はキリスト教を信じていたはずだ。マレー人のキリスト教化は彼の最重要の仕事のひとつだったはずだ。なのに、なぜ?

そういう時代が400年も続いているのに、なんでキリスト教が根付かず、イスラム教が国教となるほど残ったのか? それが私には謎なのだ。

1941-1945年に日本軍がイギリスを打ち破ってマラッカを実行支配した時代だって、神道に改宗させたという話しは聞いたことがないが、すくなからず国家神道の宗教観の下で支配が行われた。東洋人は白人には従うしかないという神話を打ち破ったことは一種の布教ではなかったか。

政治というのはそれほどに凄い力を持っているのだ。

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私の仮説。そもそも布教をしなかったのではないか

なぜポルトガル、オランダ、イギリス人はマレー人のイスラム教徒をキリスト教徒に改宗できなかったのか?

私の疑問を解説をしてくれるサイトがないばかりか、疑問を呈するサイトさえ見つからない状況のため、自ら仮説を立てるしかなかった。(私は日本語しか読めないので日本語のサイトに限定。当然マレー語のサイトにはこのことを解説したサイトがたくさんあるはずである)

その仮説をここに公表しようと思う。同じ疑問をもった人だけ楽しんで読んでくださればけっこう。

日本で仏教がひろがったのは、聖徳太子と蘇我氏が物部氏を破って仏教を認め、聖武天皇や朝廷が仏教を公認したためである。布教を後押ししたのは政治なのだ。

キリスト教が世界宗教になったのは、ローマ皇帝がキリスト教を国教として公認したためである。

政治なのだ。

日本でキリスト教がひろがらなかったのは、豊臣や徳川の政治がキリスト教を民衆支配の邪魔な教えと考えたためである。民衆も為政者も同じ宗教を信じていた方が都合がいいに決まっている。秀吉も家康も積極的に神社仏閣に寄進している。

しかしマラッカでは民衆と為政者は異教徒どうしであった。本来なら民衆をキリスト教に改宗させる政治を行ったはずだ。しかし政治が改宗に実績・痕跡を残せなかったは、本気でやる気がなかったからではないかと考えるしかない。

政治には改宗させる力がないという「島原の乱」的な発想をする人がいるかもしれないが、私はそうは思わない。江戸時代には国家としてはもうキリシタンは存在しないに等しいほど少数派になってしまっているではないか。どの宗教を信じるかということは、ほとんど政治なのだ。

1492年にキリスト教徒としてはじめてクリストファー・コロンブスがアメリカ大陸を「発見」している。ちなみにクリストファーというのは「キリストを運ぶもの」という意味であり「Theキリスト教徒」であることを意味している。

しかし彼の航海はほぼ「布教」ではなく「利益主義」によって成し遂げられた。

膨大な航海費用はスペインの王室の援助によって賄われた。国家の目的と一致した個人は「支援」してもらえる。しかし王とコロンブス両者が望んでいたのは「実利」だけだった。スペイン王室とコロンブスが結んだ契約の内容が今に伝わっているが、両者の「実利」のことしか書いていない。キリスト教の布教のことは何も書いてないのである。これはちょっと不思議なことではあるまいか。

ここからが私の仮説であるが、マラッカからザビエルが命がけで日本に布教に来た1549年。もうこのころにはキリスト教への盲信「キリスト教がすべて」という時代は終わっていたのかもしれない。

科学の時代がやってきていたからだ。

ルネッサンスの代表選手、レオナルドダヴィンチは1519年に死去している。ダビンチは科学の人だった。

1543年コペルニクスの地動説が発表されたことで聖書の神話には鉄槌が加えられた。神と人間が宇宙の中心という物語に疑問が生じたからだ。

「聖書には真実だけが書いてある」ということが崩れると「聖書を信仰することの正しさ」にも崩れが生じる。

1545にザビエルがマラッカで布教した頃、マラッカはキリスト教国であるポルトガルが支配していたが、総督が開明派であった場合、「実利」のみとって、政治に宗教を絡ませなかった可能性がある。

改宗を強要して地元民ともめることは「実利」にとって不利益なことだってある。

改宗の布教活動をしたフランシスコ・ザビエルに、マラッカ総督は黙認するのみで、政治として協力はしなかったのだろう。キリスト教化政策はとらなかったということだ。もしかするとマラッカ総督は熱心なキリスト教徒ではなかったのかもしれない。

そうでなければマレー人がイスラム教徒であることの不思議が説明できない。

その後のオランダ、イギリスの430年の長きにわたる支配のあいだ中ずっとキリスト教化政策はとられなかった。時代を経るごとに宗教への信仰は、科学への信仰に取って代わられていったからだ。

キリスト教化政策をとらなかった。

あくまでもこれは私の仮説である。先に述べた通り、このことを明確に説明している日本語サイトが存在しないからだ。

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科学の時代に信仰がゆるぎ、宗教よりも実利の時代が来た

宗教改革というもうひとつの要素も見逃せない。

「カトリックなんて信じられない」と免罪符にプロテストしたマルティン・ルターが教会を破門になったのが、1521年のことである。

この頃には「キリスト教への完全なる帰依」は、失われつつあったと見た方が良さそうだ。破門されたルターの意見に同調する者たちがたくさんいたからである。ルターはかくまわれ、生き延びた。100年前なら拷問されて処刑されていたはずである。

しかし「聖書に書かれていないことは認めることができない」という言葉が残っているほどルターは徹底的にキリスト教徒であった。

この時代は中世さながらにキリスト教を信仰する者(ルターやザビエル)と、中世とは違いカトリック教会を無視できる者(ルターやマラッカ総督)とが混在していたのだろう。

とくにマレーシアに進出したポルトガル、オランダ、イギリスは利益(貿易)を最優先させて、宗教のことは無視できた人たちだったのだろう。

これは意識革命といってもいいほどの出来事である。万有引力を発見した科学者アイザック・ニュートン(1643-1727)ですら、世界を6000年前に誕生したと見積もっていたのだ。聖書の登場人物の年齢を足したらそうなったからだ。それほど聖書を信じていた。ちなみに現代の科学では地球は46億歳だといわれている。

ニュートンですら信じていた教えから脱することができたとすれば、それは意識の革命である。そしてマレーシアでは実利のみ追求し、キリスト教布教・改宗のことは無視・放置することができた。人々の意識革命の結果によって。

これが私の仮説である。

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太陽が敵で、夜が癒しとなる砂漠。熱帯雨林。

世界の国旗には「三日月」「星」をモチーフにした国がたくさんある。マレーシアやトルコシンガポールなどがそうだ。イスラムの国々である。

それに対して「太陽」をモチーフにした国の代表が我が国ニッポンである。日の丸が「昼間」を表すのならば、「三日月」や「星」は「夜」を表現している。

寒い国が太陽を愛するように、灼熱の国では月と星を愛するのだ。

灼熱の砂漠から生まれたイスラム教では、太陽は「敵」なのだ。砂漠で1日過ごしてみればそのことを実感する。肌をじりじり焼く太陽。大地を乾かし草木を枯らす太陽。過ごしにくい昼間。

人間としてほっと一息つけるのは「夜」である。過ごしやすいのは夜なのだ。

ところでそれは赤道直下の熱帯雨林の国々も同じである。

昼間よりも夜の方が活動に適している。活動するには昼間は暑すぎる。今はエアコンがあるからまだマシだが、エアコン以前は昼間の太陽は過ごしにくさを演出する憎まれっ子だったに違いない。

昼間はどこか日陰にひそんでいて、夜になると出歩くという夜派の人たちがマレーシアには数多く存在する。

イスラム教は夜と親和性がある。女性が被るヒジャブは美女のかんばせを隠す効果だけではない、日差しを避けるのに最適のアイテムだ。

月と星を愛する夜派の人々だというところに、砂漠の民と、熱帯雨林の人々には共通項がある気がしてならない。

マレーシアの国旗を見るたびに、そう思うのだ。

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

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私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
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●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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