ジャパンキャンピングカーショー2020レビュー

旅行-放浪-車中泊-アウトドア
スポンサーリンク
『ドラクエ的な人生』とは?

心の放浪者アリクラハルトの人生を走り抜けるためのオピニオン系ブログ。

書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。小説『ツバサ』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

愛車ホンダのシャトルで車中泊の旅を日常的に楽しんでいる私ハルトが、幕張メッセで開催された「ジャパンキャンピングカーショー2020」を見に行ってきましたので、その感想を記します。

これからキャンピングカーを買おうとしている人は参考にしてください。

【この記事を書いている人】

瞑想ランニング(地球二周目)をしながら心に浮かんできたコラムをブログに書き綴っているランナー・ブロガーのサンダルマン・ハルトと申します。ランニング系・登山系の雑誌に記事を書いてきたプロのライターでもあります。日本脚本家連盟修了生。その筆力は…本コラムを最後までお読みいただければわかります。あなたの心をどれだけ揺さぶることができたか。それがわたしの実力です。

初マラソンのホノルル4時間12分から防府読売2時間58分(グロス)まで、知恵と工夫で1時間15分もタイム短縮した頭脳派のランナー。市民ランナーの三冠王グランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。ちばアクアラインマラソン招待選手。ボストンマラソン正式選手。地方大会での入賞多数。海外マラソンも完走多数(ボストン、ニューヨークシティ、バンクーバー、ユングフラウ、ロトルアニュージーランド、ニューカレドニアヌメア、ホノルル)。月間走行距離MAX600km。雑誌『ランナーズ』で数々の記事を執筆していた物書きです。「頭のよさで走り勝つことはできるか?」その答えを書いたハルトの【サブスリー養成講座】を展開しています。

また、現在、バーチャルランニング『地球一周走り旅』を展開中。ご近所を走りながら、走行距離だけは地球を一周しようという仮想ランニング企画です。

そしてロードバイク乗り。朝飯前でウサイン・ボルトよりも速く走れます。江戸川左岸の撃墜王(自称)。スピードが目的、スピードがすべて。ロードバイクって凄いぜ!!

山ヤとしての実績は以下のとおり。スイス・ブライトホルン登頂。マレーシア・キナバル山登頂。台湾・玉山(ニイタカヤマ)登頂。南アルプス全山縦走。後立山連峰全山縦走。槍・穂・西穂縦走。富士登山競争完走。日本山岳耐久レース(ハセツネ)完走。などなど。『山と渓谷』ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。

その後、山ヤのスタイルのまま海外バックパック放浪に旅立ちました。訪問国はモロッコ。エジプト。ヨルダン。トルコ。イギリス。フランス。スペイン。ポルトガル。イタリア。バチカン。ギリシア。スイス。アメリカ。メキシコ。カナダ。インドネシア。マレーシア。ニュージーランド。タイ。ベトナム。カンボジア。ネパール。インド。中国。台湾。韓国。そして日本の27ケ国。パリとニューカレドニアを別に数えていいなら訪問都市は100都市をこえています。(大西洋上をのぞいて)世界一周しています。ソウル日本人学校出身の元帰国子女。国内では青春18きっぷ・車中泊で日本一周しています。

登山も、海外バックパック旅行も、車中泊も、すべてに共通するのは必要最低限の装備で生き抜こうという心構えだと思っています。バックパックひとつ。その放浪の魂を伝えていきます。

千葉県在住。夢の移住先はもう決まっています!!

※この稿の内容は以下のとおりです。

 

スポンサーリンク

イマジネーションで車中泊を楽しめるキャンピングカーショー

さいわいにして幕張メッセがさほど遠くない場所にあるのでジャパンキャンピングカーショーには毎年通っている。

チケットは大人1000円であるが、前売りで買えば800円で買える。800円でメチャクチャ楽しめるのだから行かない手はない。もうかれこれ4、5年も通っているだろうか。一日、楽しめる。しかもたいていは車中泊の日帰り旅行の途中で立ち寄っている。

キャンピングカーショーで車中泊への欲求を高めて、直後に実践しているわけだ。楽しくないはずがない。

幕張メッセがたとえ遠くても、車中泊の旅のついでにキャンピングカーショーには通ったと思う。普段ステーションワゴンで車中泊している私にはそれほど面白いイベントである。キャンピングカーは買えなくても、見ているだけで楽しい。

展示会は、自分がこの車のオーナーだったらどういう風に使うかな、という脳内シミュレーションである。イマジネーションで楽しめるのだ。

普段、道の駅などで車中泊をしているとご近所さん(隣の駐車スペースで寝ている人)の内部がヒジョーに気になる。それを思う存分確認できるのがこのイベントである。ふーん、あの車の内部はこうなっていたのか!

長く通っていると、いろいろと見えてくるものがある。脳内シミュレーションした回数もそれだけ多いわけだから、気づかなかった点に突然気づいたりする。最初は感動したキャンピングカー内部のテーブルと椅子がありきたりの標準装備に見えてくる。

事実、キャンピングカーというのは「居間空間(テーブルを挟んで対面する椅子)」をつくりたがるものなのだ。ラブホテル調、居間風、山小屋風などいろいろなテイストがある。

ラブホテル調のラグジュアリー空間。自分の車がこんなだったらもう家には帰りません。

ウッド調の癒し空間。もちろん車の内部である。わざわざ木を貼り付けてあるのだ。都会の中で森の中にいる気分を味わえる。車は移動のためのものではなく、くつろぐためのものであろうか。

スポンサーリンク

2020年のトレンドは運転席、助手席の回転利用

何年も通っていると、見えてくることがある。「あ。このタイプは数年前にはなかったアイディアだよね」という発見である。2020年のトレンドは運転席、助手席が回転して使えるタイプではないだろうか。

運転席が回転して居間空間の椅子としても兼用できるタイプ

このように運転席が180度回転するタイプは数年前にはあまり見かけなかった。昨今のトレンドだろう。

ただ回転するだけではない。背もたれの表裏両面が使えるようになっているタイプもある。背もたれを前後にバタンと倒して後部座席と向い合せにパーティーシートのように使えるタイプもある。両面椅子の登場である。特急電車や新幹線にあるタイプの椅子である。

私はステーションワゴンタイプで車中泊しているが、夜、眠るときには運転席、助手席は目一杯前にスライドしている。すると前部座席の裏スペースに靴などを収納できるようになるし、後部スペースがとても広く感じる。

その発想の延長で、いっそ椅子が回転したら…と誰かが考えて、それがトレンドになったものだろう。

椅子が椅子を背負っている「おんぶ椅子」

このキャンピングカーは、運転席、助手席が回転しない代わりに、前部椅子の後ろに椅子を背負わせている。おんぶ椅子である。こうまでして対面テーブルをつくろうとするのがキャンピングカーの宿命だろうか。

このキャンピングカーはもうひとつ、卓越した工夫がされている。それはテーブルの下に後部座席がうまく収納されていることである。邪魔な後部座席を涙ぐましい工夫でなんとか有効に活用しようとしているのだ。

本当はテーブルの下にスペースがあれば、足はもっとリラックスできるはずだ。はっきりいって後部座席は邪魔である。撤去できればいいのに、と夫婦旅・車中泊族は思うのだ。

スポンサーリンク

後部座席なんて使ったことがない。ただ邪魔なだけ

実はキャンピングカーは法規制によって後部座席が撤去できない。正確には「後部座席の撤去状態では車検に通らない」。だから基本的に後部座席はどこかに収納されているのだ。

邪魔な後部座席を畳んでいるが、その分居住スペースが狭くなってしまっている

このように後部座席は畳んで収納されている。そのせいで上下のスペースが確保できず快適性が失われてしまうのだ。ソロもしくはカップルのキャンピングカー愛好家にとって、はっきりいって後部座席は邪魔である。

屋根を撤去して上にスペースを求める方向に進化した

せめてあぐらをかけるぐらいのスペースがないと中で着替えもできない。快適な居住空間としては苦しい。だからキャンピングカーは涙ぐましい努力をしている。屋根を撤去して上に伸ばしてスペースを確保したりしているのだ。風や光を取り入れる工夫で付加価値をあたえているが、その分車両本体価格があがってしまう。

後部座席が撤去できればそのぶん床を下げてスペースが確保できる

しかしよく考えてみてほしい。後部座席が撤去できれば、その分、床を下げることができるのだから居住空間はじゅうぶんに広くなる。わざわざ天井に穴を開けなくてもいいのだ。

後部座席を横に折りたたむタイプ。上下スペースは確保できたが、窓が塞がってしまう

こちらのキャンピングカーは後部座席を横に折りたたむタイプである。上下スペースを確保できているが、椅子が窓を塞いでしまっている。目隠しになっていいじゃないかという意見があるかもしれないが、本当に寝るとき以外はできるだけ外と繋がっていたいのがオートキャンパーの心情ではあるまいか?

とにかく単独もしくは夫婦のオートキャンパーにとって邪魔なのが後部座席である。

私などは後部座席を使ったことがない。これまでに誰も載せたことがない。何のためにあるんだ、コレ? 常に余計な荷物を背負っている状態だ。ガソリンの無駄遣いをやめさせてくれ。

しかし後部座席を撤去して運転すると、保安基準を満たしていないとして、安全運転義務違反に抵触する可能性がある。保安基準不適合車となって車検に通らない。

身障者用の車いす対応の車ですら、同じ規制で後部座席が必要なのである。後部座席を跳ね上げてつくったスペースに、車いすで乗り込むのである。後部座席さえ外せれば、車内はもっと広く使えるのに。

必要のない後部座席を常に運ばなければならないのである。バカじゃなかろうか。

スポンサーリンク

法律改正で後部座席が撤去できるようにするべきだ

これだけキャンピングカーが流行っているのだ。いっそ場合によっては後部座席は必要なくてもいいように法改正すべきではないか?

ドライブの安全が気にかかるのなら「椅子の数しか乗せてはいけない」ルールにすればいいじゃないか。

いやそもそも後部スペースで寝て移動して何がいけないのだろう。助手席にいるよりも、柔らかい布団にくるまって低い姿勢(寝ている状態)で後部座席にいることの方がよほど追突の衝撃を避けられるのではあるまいか?

AIによる自動運転が本格化したら、私は後ろで寝て過ごしたい。助手席で目を開けているのは嫌だ。目的地に着いたらアラームで起こしてくれ。後部座席なんかいらない。

キャンピングカー制作者は決められた既存のルールの中で涙ぐましい努力をしている。なんとか車内に居住スペースを生み出そうとルーフに穴まであけて。

しかし法改正で後部座席が撤去できればそんなことをしなくてもいいのだ。なにも「決められたルールの中で努力」しなくたっていいのだ。「ルールそのものを改正してしまえばいい」のである。

政治家のみなさん、どうかお願いします。

スポンサーリンク

キャンピングカーの2大特徴。対面テーブル。フラットスペース

キャンピングカーとセダン車との違いは、2つある。

ひとつは「おんぶ椅子」までつくって、なんとかして対面テーブルの居間をつくろうとする特徴。

もうひとつはフラットな寝室をつくろうという特徴である。

パネルをはめ込んでフラットスペースを作るタイプが多い

パネルをはめ込むようにしてフラット寝室空間を作っているキャンピングカーは多い。テーブルも取り外すことができるので、フルフラットになる。

スポンサーリンク

究極の装備。シャワー・トイレ。エアコン

フラット空間と対面テーブルを2大情熱に、キャンピングカーは「その他」の特徴を持つ。いわば究極の装備である。

ハイ、出ました。シャワーにトイレ。究極の装備その1である。

うーん。微妙~~。

車の中にシャワーとトイレ、本当に必要ですか?

水はタンクに補充しないとならないし、水垢の掃除も大変だ。

日帰り温泉と公衆便所を利用した方がいいのではないか、と思いますけど。

妻のイロハは車中泊の「日帰り温泉」を非常に楽しみにしている。泊まったらン万円するような老舗温泉宿でも日帰り温泉をやっているところもある。車中泊のお蔭で、貧乏なくせに私たちは日本中の名湯に入ったことがある。

車内のシャワーだけで済ませるとなると、女性にとって車中泊の魅力はだいぶ薄れてしまうのではないだろうか。

もちろん温泉代はバカにならないが、シャワー付きのキャンピングカーを買うことを思えば安いものだ。

ハイ、出ました。エアコン。究極の装備その2。

セダンでカップル車中泊をしてきた経験から言うと、冬は寒くない。暖房はいらないというのが結論である。

寒かったら抱き合って眠ればいいのだ。車中泊をすると夫婦は仲良くなる。

しかし真夏の車中泊はしょうじきキビシイ。高い山の上なら何とかなるが、海辺の車中泊は暑くてかなわない。

夏もやるならこれが必要だ。

薄い発電シートを天井に貼り付けた車もあったが、まだこちらが王道

しかし必然的に大容量バッテリーが必要になってくる。薄い発電パネルを天井に貼ったキャンピングカーもあったが、まだまだ大容量バッテリーが王道である。エアコンを求めると、本格的なキャンピングカーになってしまう。道の駅でよく見かけるタイプのキャンピングカーの相場は800万円ぐらいだ。

スポンサーリンク

定年退職後のキャンピングカー生活者とサラリーマン・カーキャンパーの需要は違う

どうせ買えないということもあるが、どちらかというとステーションワゴンの車中泊族に参考になるのは軽キャンだ。軽キャンピングカーは工夫の塊であり、展示会で見ていて非常に面白い。

本格的なキャンピングカーは「ここで寝てください」とベッドを用意してしまっていることが多い。「ここでくつろいでください」と対面テーブルを用意してしまっている。面白いが、発展性はない。

それに対して軽キャンに代表される外からの見た目は普通の車タイプは「フラット空間」を用意して、その上で寝るなり遊ぶなり好きに過ごしてください、というタイプが多い。私にとって面白いのは、もちろん自由の大きい「フラット空間」タイプである。

運転中、いつもと同じすぎてつまらないセパレートタイプのキャンピングカー

私が一番萌えないキャンピングカーのタイプは運転スペースと居住スペースが分かれて独立しているタイプのキャンピングカーである。トラックの荷台に部屋を乗っけたようなタイプが多い。すこしもワクワクしない。第一、運転中につまらないではないか。いつもと同じすぎる。

軽キャンですら手洗いが付いているタイプも多い。手洗いはサラリーマン・カーキャンパーに必須の装備ではない。手なんてコンビニで洗える。

1年中ずっと旅しているような定年退職後のキャンピングカー生活者と、サラリーマン・オートキャンパーでは車に求める装備が違っているような気がしてならない。

定年退職後のキャンピングカー生活者だったら、ちょっとした手洗いがあると便利かもしれない。夜中にいちいち外出して公衆トイレに行くのもおっくうだろう。歳をとるとトイレが近くなるというし。

換気扇。たしかに寒い冬の車中泊では閉め切っていて息苦しくなることもある。吐息の中の水分が水滴となって窓を濡らす。でも換気扇までサラリーマン・オートキャンパーに必要かな? 息苦しくなったら自然に目が覚めるから、ドアを開けて換気すればいいのでは。窓の上部2cmぐらい開けておいてもいい。

そもそも不自由を楽しもうというのがキャンパーの王道スタイルである。あまりにも装備が整いすぎたら家にいるのと同じで面白くないと思うサラリーマン・オートキャンパーは私だけではあるまい。

バックドアにターフのような遮光・防風の布がかかっている。せまいスペースをなんとか拡張しようという工夫である。森の中のオートキャンプ場だったら森の木々が日差しと風を遮ってくれるのだが、海辺の岬など場所によっては有効な装備だろう。

スポンサーリンク

ステーションワゴン車はサラリーマン車中泊の最低限は満たしている

これも削れる、これも削れると考えると、ほぼ今のホンダ・シャトルで満足している。トヨタのプリウスなんかじゃダメだ。セダンで長旅はできない。

ステーションワゴン車は車中泊の最低限は満たしている。最低限とは足を伸ばして眠れるだけの横スペースと、あぐらをくめるぐらいの縦スペースである。それ以外はなくてもいい。

フラットスペースが確保できれば、十分である。

車中泊暮らしでは昔ながらの和風な暮らしをせざるを得ない。普段、洋風の生活をしていると、床で暮らす和風の暮らしに郷愁が湧くのであろうか。

どうにも楽しくてたまらない。

ネイティブアメリカン風の布を敷いたりすれば、また気分が変わる。

棚があると快適性が跳ね上がる。あった方がいい。でもなくてもいい。ボストンバックがあれば代用できる。

バックドアのターフもすてきだが、強風には弱そうだし、外で遊ぶときは天候を選びたい。

天候のいい日にアウトドア用の椅子や、テーブルを外に広げればいい。今は傘付きのアウトドアチェアが売っている。太陽光の下で読書は厳しいが傘が日陰をつくってくれるのだ。

キャプテンスタッグ エクスギア デタッチャブル チェア 用 パラソル ブラウン UD-44

新品価格
¥1,120から
(2020/2/5 02:10時点)

 既にお気に入りのアウトドア椅子があれば、外付けでパラソルだけを買うこともできる。

キャプテンスタッグ(CAPTAIN STAG) キャンプ バーベキュー BBQ チェア用 パラソル ステラ デタッチャブル ブラック UD-38

新品価格
¥1,056から
(2020/2/5 02:07時点)

キャンピングカーに比べて軽キャンが工夫次第だったように、ステーションワゴンも工夫次第なのである。

 

本格的キャンピングカーは雨風の強い日には最強である。年間を通して旅に生きているような旅行ライターやリタイヤ老後組にはおススメしたい。

しかしサラリーマン・オートキャンパーならば、軽キャンぐらいがちょどいいのではないか。ちょっと買い物にも行ける。普段使いも問題ない。

もちろんステーションワゴンでも問題ない。雨風の強い日にはクルマを降りてショッピングモールなどで過ごせばいいのだ。映画を見たり、食事をしたり、本を読んだり、散歩だってできる。

車中泊族は車中泊賊? 雨の日の過ごし方
どうもハルトです。みなさん今日も楽しい旅を続けていますか? このページは、車中泊の旅の途中で雨が降った場合の雨の日の過ごし方について書いています。 【この記事を書いている人】 瞑想ランニング(地球二周目)をしながら...

夜? 夜は寝ろ。

電子レンジ? いらんよ。車の中にそんなもの。

たいていのショッピングセンターは、会計後に電子レンジが置いてある。冷凍食品を温めてイートインコーナーで食べられるようになっている。

大型モニター? いらんよ。車の中にそんなもの。

アウトドアやっているときぐらいはディスプレイから離れたいものだ。星を見て、ロマンを語ろう。

とっても楽しいキャンピングカーショーでした!

それじゃあ車中泊の旅に行ってきます。今日の目的地もまたいつものように南房総です。キャンピングカーをさんざん見た後だと、また愛車の車泊旅が楽しく思える。

Welcome to Vanlife.

決まりきった日常を離れ、非日常の旅へ。

バン・ライフ、車中泊の世界にようこそ。

車中泊の旅に出かけましょう。

忘れ物はありませんか?

車中泊の持ち物リスト
車中泊の旅でいちばん大切なのは現金とキャッシュカード・クレジットカードです。 あたりまえですが、金さえあれば何とかなります。 創意工夫で何とかするのが車中泊アウトドアの醍醐味ですが、やはり必要最低限のグッズはもって行った方が快適です。
記事がよかったらポチっと応援お願いします。
いい記事のシェア・拡散にご協力ください。
ドラクエ的な人生 - にほんブログ村
記事がよかったらポチっと応援お願いします。
いい記事のシェア・拡散にご協力ください。
ドラクエ的な人生 - にほんブログ村
お買い忘れはありませんか?
ワンクリックでお買いものは終了。人生を楽しもう。
★ブログ・アフィリエイトという副業★

ブログを運営して副業をはじめませんか? 「あなた」だけが知っているお宝グッズ、使えるアイテムがあるはずです。それを紹介するだけで報酬をゲットできます。おすすめのアフィリエイト・サービス・プロバイダーは「もしもアフィリエイト」です。こちらから無料会員登録できますよ。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

★ブログ・アフィリエイトという副業★

ブログを運営して副業をはじめませんか? 「あなた」だけが知っているお宝グッズ、使えるアイテムがあるはずです。それを紹介するだけで報酬をゲットできます。おすすめのアフィリエイト・サービス・プロバイダーは「もしもアフィリエイト」です。こちらから無料会員登録できますよ。

★★

サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

【この記事を書いている人】
アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。
●◎このブログの著者の書籍『市民ランナーという走り方』◎●
書籍『市民ランナーという走り方』Amazonにて発売中
雑誌『ランナーズ』のライターだった筆者が贈る『市民ランナーという走り方』。 「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか? いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状打破、自己ベストの更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。 ●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」って何? ●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム? ●ピッチ走法とストライド走法、どちらで走るべきなのか? ●ストライドを伸ばすための「ハサミは両方に開かれる走法」って何? ●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは? ●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」の本当の意味は? 本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く効率的に走ることができるようになります。 ※カルペ・ディエム。この本は「ハウツーランニング」の体裁をした市民ランナーという生き方に関する本です。 あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
Bitly
書籍『市民ランナーという走り方』Amazonにて発売中
雑誌『ランナーズ』のライターだった筆者が贈る『市民ランナーという走り方』 「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか? いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状打破、自己ベストの更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。 ●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」って何? ●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム? ●ピッチ走法とストライド走法、どちらで走るべきなのか? ●ストライドを伸ばすための「ハサミは両方に開かれる走法」って何? ●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは? ●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」の本当の意味は? 本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く効率的に走ることができるようになります。 ※カルペ・ディエム。この本は「ハウツーランニング」の体裁をした市民ランナーという生き方に関する本です。 あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
Bitly
●◎このブログ著者の書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』◎●
書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
https://amzn.to/3OBWtUR
書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
https://amzn.to/3OBWtUR
●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
https://amzn.to/46Gqxca
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
https://amzn.to/46Gqxca
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
Bitly
×   ×   ×   ×   ×   × 
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
Bitly
×   ×   ×   ×   ×   × 
◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

Bitly
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

Bitly
●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
Amazon.co.jp
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
Amazon.co.jp
旅行-放浪-車中泊-アウトドア
スポンサーリンク
アリクラハルトをフォローする
ドラクエ的な人生
タイトルとURLをコピーしました