世界史は西洋史だ、それを否定する巨大な歴史的根拠が鄭和艦隊
世界史には必ず載っている「大航海時代」。それより以前に中国の鄭和という男が大艦隊で大遠征をしていたことを知っていますか?
大航海時代というのは日本語の和訳です。西欧の原語では「地理上の発見」「大発見時代」というそうです。基本的には西洋の用語なんですね。
コロンブス。アメリゴ・ヴェスプッチ(アメリカの語源となる人物)が「アメリカ大陸を発見した」といいますが、そこにはすでに人間(インディオ・ネイティブアメリカン)がいたわけですから、言葉づかいがおかしいだろ! って話です。その感覚から「大航海時代」と当時の日本のインテリが和訳したのがいまも使われているというわけです。
西洋史観、キリスト教史観ですね。
世界史は西洋史だ、それを否定する巨大な歴史的根拠が鄭和艦隊です。ここではその鄭和艦隊について書いています。
大航海時代とは?
まずは大航海時代について簡単におさらいしておきましょう。
その象徴的な航海であるクリストファー・コロンブスの航海が1492年。ちなみにクリストファーというのは「キリストを運ぶ・担うもの」という意味です。キリスト教史観の象徴的な名前ですね。
ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見(GO EAST)が1498年です。
マゼランの世界一周が1519年。世界は丸いと信じての出港でした。地球は丸いんだからインド航路と真逆に進んでも元の場所に戻ってこられるはず、という仮説を証明しようとする意図での出港でした。アメリカは無論のこと、まだパナマ運河がなかったので、南アメリカをぐるっとまわって(この時のルートをマゼラン海峡といいます)世界を一周しています。マゼラン本人は世界一周する前にフィリピンの現地人と「舐めた態度」で戦争して戦死しています。コンキスタドールのように白人は有色人種を少人数で征服できると思いこんでいたのです。カスター将軍のような敗北でした。
大航海時代の最盛期は1500年前後だといえるでしょう。広範に「地理上の発見」「大発見時代」ととらえると15世紀初めから17世紀初めにかけてをいいます。
大航海時代のはじまり。食欲説。金儲け説。
小アジアあたりからアラビア半島まで、地中海の西側をイスラム教徒におさえられたことから、大西洋経由して、コショウなどの香辛料を求めるルートをさがしに出たというのが、大航海時代の大きな動機だとされています。これを「食欲説」と命名します。
つまりイスラム商人の中間マージンなしに直接香辛料を安く手に入れたかったわけです。これを「金儲け説」と命名します。
大航海時代のインセンティブは「食欲」「金儲け」だったのです。
ちょうど、羅針盤・快速帆船・緯度航法などの技術が伝わったことで、西欧で遠洋航海が可能になった時代でありました。
鄭和艦隊の歴史的大冒険
これに対して鄭和艦隊の出航は1405~30年です。そのルートは中華から、東南アジア、インド、イラン、そしてアラビア半島からアフリカ東岸にまでたどりつきます。
ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見(GO EAST)よりも、およそ1世紀前にインド航路(GO WEST)を発見しているわけです。あくまで中華目線ですが。
三蔵法師の天山山脈越えの西天取経の旅を航路で行えることになったというわけです。孫悟空の筋斗雲ほどじゃありませんが、そりゃあ天竺(インド)に行くのも楽になりました。
皇帝に命じられた公設艦隊であり、目的は朝貢貿易でした。
冊封国、朝貢貿易とは何か?
朝貢というのは貢物という字をあてるから献上するだけのようなイメージですが、実際には献上した文物以上の「お返し」があったそうです。要するに返礼品の方が大きい「得する貿易」だったのですね。中華に臣従を誓うかわりに、たくさんのお返しをもらえました。このような関係を冊封といいます。中国にとっては朝貢させたということは臣下になったという意味です。中華圏になったということを意味します。中華の皇帝は冊封体制下の冊封国のリーダーを「王」に任じました。王とは家来のリーダーという意味です。「漢委奴国王印」という有名な金印もじつは冊封によって臣従したことを中華目線では意味しています。韓国も沖縄も冊封国で朝鮮王、琉球王と呼ばれていました。
ちなみに韓国では天皇のことを日王と表記します。冊封体制下の中での朝鮮王のようなイメージで天皇をとらえているのです。じっさいには韓国が天皇を日王と呼ぶのは「おまえらも中華皇帝の従属国だろ!?」という嫉妬まみれの誤った歴史認識によるものです。聖徳太子が偉大なのは冊封国ではなく中華と対等につき合おうとしたからなのです。 「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや」が、どれほどすごい啖呵だったかわかりましたか? 朝鮮王にくらべて天皇がどれほど偉大かわかったでしょうか? 実際には日本海という「お堀」のおかげですけどね。
この中華気質は今でも中国人の中に生きています。
宦官・鄭和の大英雄。艦隊による制海権の確保。中華への教化
マゼランやコロンブスの艦隊と違って、鄭和艦隊は圧倒的に立派なものでした。
コロンブスの艦隊が3隻100人程度だったのに対し、鄭和艦隊は60隻以上20,000人以上だったそうです。船の大きさもコロンブスのサンタ・マリア号が全長24メートルだったのに対し、鄭和艦隊の主船・宝船は全長100メートルをこえていたそうです。
武力もそなえていて、フィリピンの原住民に殺されたマゼランと違って、巨大な鄭和艦隊は現地の王国と戦争しても負けしらずでした。現地の首領を捕虜にして本国に送ったりしています。
鄭和艦隊が日本に来なくてよかったな。元寇よりも恐ろしいよ!!
鄭和の遠征は、今でいうところの制海権の確保を目的とした艦隊派遣でもあったのです。朝貢貿易は、蛮族を中華に教化する目的がありました。キリスト教の布教と考え方は似ています。
マラッカ王国なども鄭和によって朝貢することになり、中華の冊封国になることで、アユタヤ王朝との抗争を有利にしています。そのために鄭和はマラッカでは英雄視されています。もしかしたら日本でいう黒船のペリー提督みたいな感じなんですかね?
鄭和艦隊は、あくまでも朝貢貿易のため、そのルート確保のためであり、マゼランのような冒険家とは性質が異なります。鄭和は皇帝に仕える宦官です。ペニスがなかったんですね。英雄としてはちょっと残念な肉体的欠陥ではないでしょうか。(男根主義!!)
しかし艦隊は宝船艦隊と呼ばれ、その海洋冒険ロマンはマゼランのそれにひけをとりません。アラビアまで航路を伸ばしたということは、イスラム商人と海路で交易をするようになったということです。キリン、ライオン、シマウマ、ラクダ、ダチョウなどの珍獣を中華まで運び、皇帝をよろこばせたとされています。神獣・麒麟をキリンの当て字にしたのは、このときです。
鄭和艦隊の遠征は、華僑の進出の端緒となったそうです。華僑というのは、中国にルーツを持つ外国で移住している人たちのことです。異国を流浪する華人という意味ですね。現地で独自の中華ネットワークをつくる商売上手な人たちです。
現在、中国が推進する巨大経済圏構想「一帯一路」には、鄭和艦隊をはるかインド、アラビア、アフリカまで派遣した永楽帝の構想が、中華首脳陣のイメージの下敷きにあるといわれています。
偉大な鄭和艦隊の on the cruise の物語でした。