アンニョン、イロハです。
なんか入りが変わったなー。( ̄◇ ̄;)ドキ
スカイマイルが貯まったので、1年10ヶ月ぶりにソウルに行ってきまし
特に何の目的もなく、食い道楽に買い道楽旅。
まずは、食い道楽からご紹介します♫
ヤンニョムチキン
今回のソウルで初めて食べて感激したのは‥
ヤンニョムチキン!! とても流行ってました。
熱々カリッカリに揚げられたチキンに甘めのタレが絡められていて
これは水原華城で食べたもの。ヤンニョムチキンと通常のチキンの
キッチリ鶏一羽分くらいあるし〜、安い♫
ハルトと私はペロリといただきましたが、食べきれない人は紙袋をもらっ
タッカンマリ
ソウルでは1日だけ雪に降られました。寒い時はやっぱり鍋! オス
東大門近くのお店、週末は激混み( *`ω´)だったので、改めて平日の昼にリベンジ! さすがに平日は坐ることができました。
注文すると下ごしらえの済んだ鶏の入った鍋が出てきて、アジュン
あとはタレを作りながら待つだけです♫
タレは、コチジャンにニンニクを合わせ、酢醤油を加え、辛子をと
ニンニクにニラ‥臭いけど美味しいの! ではではシメは~♫
アジュンマ「うどんいる?」(日本語)
イロハ「トゥゲ、ジュセヨ」(韓国語)
海外あるある。こっちは現地語、向こうは日本語の世界が展開されます。
もちろん、2人前です。鶏ガラの煮汁でタレを薄め、うどんを汁ご
ああ、身体も心もぽっかぽかですよー。。(^^♪
ハニーバター
街は流行りが生まれるとガラッと雰囲気まで変わってしまうことが
広蔵市場の屋台でマッコリ宴会
また、全然変わらない場所もあります。アジュンマが声をかけてく
久しぶりの市場の屋台でした。どっかと座
今は椅子がオンドル仕様になっているのです!
キンパプにチャプチェ、蒸し餃子‥。日本食で言ったら定番のお惣菜
変な呼び込みに付いていって高い焼肉屋に入るのなら、一度
韓国の人と話が出来るのが嬉しい。会話出来なくてもジェスチャーと日本語で通じるから安心して長居できちゃいます。コレ、旅の
安宿のご夫婦とは「どっから来たの?」「何処何処に行ってくるよ〜」とか
タコの踊り食い
私達が屋台で異国の宴会していると、中国人の団体さんがタコの踊り食いを頼みました。気になっていたのですが…ピッサヨ(高価)だったので頼まなかったのです。その料理をリッチな華人が注文してくれました! ラッキー!
新鮮なタコは脚を一口サイズに切られてもウネウネうごいています。動きながらコチジャンがまとわりつき、海苔が一緒になってうごめいています。キャーキャー言いながら、恐る恐る口に運びます。私たちにもよろこんでこの光景を写真を撮らせてくれました。屋台が異様な熱気につつまれ、奇妙なものを目の前にした一体感で国籍を超えて笑い合います。言葉は通じませんが、同じ感情を共有したのです。
たわいもないやり取りだけれど、なごむ。笑顔に心地よく癒される。
言葉が通じないからお互いが分かり合おうと努力する、努力しても
美味しい料理でお腹がいっぱいになりました。暖かい笑顔と上手な日本語でコ
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旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。
【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●日本海も東海もダメ。あたりさわりのない海の名前を提案すればいいじゃないか
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●もしも韓国に妹がいるならオッパと呼んでほしい
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●「トウガラシ実存主義」国籍にとらわれず、人間の歌を歌え
韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。
「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。
帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。
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