ロバート・ハリス『人生の100のリスト』

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『ドラクエ的な人生』とは?

心の放浪者アリクラハルトの人生を走り抜けるためのオピニオン系ブログ。

書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。小説『ツバサ』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

ここではロバート・ハリス『人生の100のリスト』の書評をしています。

ロバート・ハリス『地図のない国から』放浪の魂を読む。

ロバート・ハリス『ワイルドサイドを歩け』walk on the wild side.

ロバート・ハリス『エグザイルス』

黄色は本文から、赤字はわたしの感想です。

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人生の100のリスト。リストは作者の魂が剥き出しになっていた。

旅をはじめる前の自分に戻りたくなかった。旅をして気に入ったところがあったらそこにしばらく滞在して、もういいかなと思ったらまた旅に出る。こんな楽しい生き方は他にないと思った。

荒野のど真ん中で今この瞬間生きているんだというエクスタシーに震えた。

今まで通りの自分に戻れるはずがない。

ぼくに必要なのは、まさにそんな具体的シナリオだ。欲望と探求心の塊のようなリストだった。自分の欲望だけは見失わない。

誰が何と言おうとこれが自分のやりたいことなのだ。やっていくしかない。

他人が決めた道ではなく、自分の選んだ道を進んでいく。

自分の道を進んでいない以上、他人の決めた道を歩んでいるということだ。

ケルアックの小説がそうであったように、ロバート・ハリスのエッセイが魅力的なのは、たくさんの風俗・小物が出てくることです。作家名、小説、レコードの名前、歌手、映画名、俳優名、地名、ドラッグの名前、そんな名詞が旅のイマジネーションを掻き立てます。

ザ・ダルマ・バムズ(禅ヒッピー)。生きる意味をもとめてさまよう

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「彼が影響を受けた世界」推奨する本人を好きでも、推奨されたものを気に入るとは限らない

そんな旅のイマジネーションをかきたてた名詞たちですが、小説は今も昔も時間をかけて一字一字読むしかありませんが、音楽に関しては現代はYouTubeなどで簡単に追体験することができます。

ロバート・ハリスの世界が大好きな私ですが、それでも「彼が影響を受けた世界」が必ずしも大好きとは限りません。

とくに音楽に関しては、この傾向が顕著です。

ルー・リードジム・モリソンは気に入ったのですが、グレイトフル・デッドジャニス・ジョプリンは頭に入って来ません。あれはドラッグをキメながら聴く音楽なんじゃないかと思います。サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンドは大好きですが、ピンク・フロイドだったらもっと他に聞きたい音楽があるという感じです。

推奨する本人を好きでも、推奨されたものを気に入るとは限らないんですね。

サマセット・モームヘルマン・ヘッセは最高でしたが、ヘンリー・ミラーやケルアックはそれほど好きになれなかったなあ。サリンジャーなんておもしろい? わたしにはよくわかりませんでした。

案外、趣味は合わないみたい(笑)。でも本人の世界、書いたものは大好きなのですから、不思議なものです。

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神に尻尾を振るよりは運命と闘い、月に向かって遠吠えする

気が狂うぐらいの激しいエロスをわかちあうことができた。

恋をすることのはかなさと、恋を失ったときのわびしさ。

社会の価値観とかシナリオに疑問を持てば持つほど自分の将来が見えなくなった。何を糧にどんな生き方をしていけばいいのか。

あぐら読み。

エッジにある街のバーで博打をやっている方が面白い。雨の夜に野グソをするのも嫌だ。イヌイット族の家で酒を飲みながら彼らの神話に耳をかたむけている方が楽しい。

反抗的で、群れるよりは孤独を好み、道徳やルールに縛られるのを嫌い、権力を憎み、心の闇を抱え、煩悩が強く、自由を何よりも愛し、神に尻尾を振るよりは運命と闘い、月に向かって遠吠えする……そんなタイプの連中。

イルカはなぜいつもあんなに楽しそうに遊んでいられるんだろう。感覚的にその真髄がわかった。つまり人生楽しんだもの勝ち。

原宿にサロンをつくる。ぼくの仲間は「遊び」という言葉に弱いのだ。仕事ではなく、遊びを第一に考えてやっていく。金を出して人のつくったハコで遊ぶのもいいが、自分たちでつくった空間で自由気ままに遊ぶ。

ギャンブルでメシを食う。テレビ局で字幕をつける仕事。映画の脚本を読むバイト。企業ビデオの日本語ナレーター。二か月分の給料をマイホームのポーカーパーティーで手にした。働くのがバカバカしくなった。さっそく辞表を出し、ギャンブラー生活を開始した。ワクワク、ドキドキしてくる。こんな楽しいことを生業にできるなんてなんて幸せなことだろうと思った。一時間に一回、大きく勝てばいい。あとは小さく負けて小さく勝つ。悪い手はすぐ捨てて、危ない勝負は極力避ける。週5で優雅な休日。オープンテラス。アウトドア・カフェ。ピクニック。ビーチ。映画館。レストラン。クラブで明け方まで遊んだ。

ギャンブルの極意は勝ち逃げ。プロには勝てない。場数も踏んでいない。やられる前に逃げるが勝ちだと思った。

映画館には旅に出るようなワクワクとした雰囲気がある。室内が暗くなった時のワクワク、ドキドキ感。これから大勢の人たちと一緒に映画の世界へと旅立っていく。

『冒険者たち』ふたりの破天荒な男たちがアーティストの女性を連れて秘宝探しの旅に出る。一時的な逃避の笑顔、この笑顔だって現実じゃないか。

カード会社のテレビCM撮影。ぼくはこのカード会社から入会を断られたばかりだった。審査に通らなかったのだ。朝日を受けて白く輝く尾根。光り輝く大山脈が視界いっぱいにひろがる。あの頂上から雲を吹いているのがチョモランマだ。植村直己、とてもほがらかな人で、よく女の話しをして盛り上がりました。山を見ていると気分が爽やかになり言葉や映像が自然と湧いてくるのだ。ものすごい秘境の真っただ中にいる感動、連帯感。外にひろがる闇への意識。不安。根源的な恐怖。昔の恋愛や失恋の話し、世界のトイレ事情、旅の思い出や失敗談、セックス談義。この部屋の片隅には常にこの闇の気配が息づいていた。たった10mの違いで彼は死に、ぼくは生き残った。生の中にはいつも死が存在する。

邪教・立川流。日本にもエロスを通じて人間の存在を解釈しようとする流派があったことにびっくりした。

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ドロップアウト。荒野のおおかみ

ヒッピーになる。当事者たちは自分たちのことをフリーク、またはヘッドと呼んでいた。ストレートな社会とはまったく相反するカウンターカルチャー的理想。昔から団体や集団というものが大嫌い。ダイダイシャツ。ベルボトム。チーズクロス、サンダルか裸足で歩き回り、全体的にカラフルだけど薄汚い、中世のジプシーのような恰好。ロングヘアとヒッピーウェアは重要な記号。連帯感、仲間意識というものが強かったのだ。ドラッグをやらないフリークなんていただろうか。マリワナやハシシを共有し、メロウな時間を過ごした。ただみんなでのんびりとよい音楽を聴いて、メロウになってハッピーにやろうぜ、というシンプルなエンジョイメントだった。シャーマニスティックな儀式。神の領域に足を踏み入れてみたい。自分の原点を見つめてみたい。眠っている魂を揺り起こしたい。

ヒッピーが乱交パーティーをしていたという神話は嘘だ。フリークのパーティーでも、スクエアのパーティーでも男が女の子を一生懸命ナンパしているさまは同じようなものだった。ヒッピーもそれなりにたいへんだったのだ。

ドロップアウト的な人生を歩んでいくこと。世の中はみるみる殺伐とした空気に覆われ、フラワームーブメントは勢いを失い自然消滅していった。時代が培った夢を個人的に追及していったものはいた。いつの時代でも今を生きることが最重要課題。

日本には住みたくない。ここでの生活に行き詰まりを感じていた。木の骨組みに土の壁、タイル張りの床に高い天井という風通しのいい、シンプルでオープンな建物。カフェ・エグザイルス。南の島のバー。必ずいい女が現れ、男と絡み合い、事件が起きる。バンドの演奏に乗って体をゆすり、酒を飲み、語り合い、一週間の労を癒す。

武道の黒帯をとる。大学に空手部を設立して授業料を稼ぐようになった。ケンカして、握手をした。この日からぼくは学校の人気者になった。クラスを通してたくさんいい友達ができたし、一目置かれる存在になった。今まで見向きもしなかったアメリカ人バスケ選手やフットボールチームのスターたちも気さくに話しかけてくるし、女の子たちにも注目されるようになった。乱闘騒ぎになったときもぼくにだけは誰も手を出さなかった。気絶。KOした男と別のバーに行って飲みなおし、すっかり仲良しになった。世の中には僕より強い奴が山ほどいるし、このままでは体がいくつあってもたりない。自分の腕力にある程度の自信がついた。今でもやってよかったと思っている。臆病虫がどこかへ飛んで行ってくれた。穏やかな気を発しているとオオカミは寄ってこないのだ。

本は旅に欠かせないもの。ドクトル・ジバゴ。シェルタリング・スカイ。ジャック・ロンドン。荒野のおおかみ。

ジャマエルフナ広場。ボウルズのクールな文体が眼下のエネルギーに圧倒され、いくら読んでも薄っぺらな印象しか伝わってこなかった。物語が現実の世界に完全に力負けしているのだ。旅先と本は、人と人との出会いに似ているかもしれない。お互いの息があっているかいないか、シンクロしているかどうかによって、すべてが決まってしまうのだ。

彼女と懸命に話をした。将来はジャーナリストか小説家になって世界を放浪する。旅に出て物書きになろう。公園やコーヒーショップで落ち合っては一緒に家まで帰った。レコードを聞いたり、本を読んだりして静かな時間を過ごした。

前衛的な劇団のメンバー。プライマル・セラピー。田舎に行ってニューエイジ的な自給自足の生活をしたい。

プライマル・スクリーム(原初からの叫び)

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旅、恋、ドラッグ、文学、映画、ポップカルチャー、神話、宗教、ライフスタイル、哲学、セックス……

寂しさとジェラシーと喪失感に苛まれた。死ぬほど孤独になった。この世で唯一の親友であり、理解者を失ってしまったのだ。

そのときの笑顔は、彼女とはじめて会ったとき、ぼくに投げかけてくれた笑顔そのままだった。

オルター・エゴ=ピコ太郎みたいなキャラクターのこと。仮面のキャラクター。で己を抹殺する。

映画の悪役には不思議な魅力を感じていた。殺し屋の鬼気迫る凄み。にじみ出る深い孤独。にたまらなく惹かれる。究極の闇のようなものを感じる。

集中力、表現力、すべてにおいて月とすっぽんだった。でもまあ、人生の中ではこういうことはよくあることだ。力のなさ、不甲斐なさを噛みしめさせられてきたので、もう慣れっこになっている。

ロマンと冒険に満ちたエキサイティングな旅。自伝の一つや二つぐらい書けるぐらいおもしろい人生を歩んでいく。

毎日が楽しくて仕方がなく、ものを書くどころの騒ぎではなかった。

不安と自己嫌悪に苛まれながら、内面ばかり見つめていた。

無防備なぐらいオープンになった。楽しければ大声を出してよろこび、かなしいときは涙をボロボロ流した。

風の吹くまま、気の向くままに生きるようになった。理性よりもハートに忠実に行動するようになったのだ。

自分がオープンになればなるほど、面白い奴ら、同じにおいをもった奴らが集まってきては心を開いてくれるのだ。

寂しがり屋で、惚れっぽく、快楽に弱い。

あるのは時間だけだった。

生きることに無我夢中で、ロマンとか冒険とかいったことはあまり考えなくなった。

旅、恋、ドラッグ、文学、映画、ポップカルチャー、神話、宗教、ライフスタイル、哲学、セックス……

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あの島のイメージがなくなってしまったら、ぼくのもの書きになる夢も消えてしまう。

読書のほとんどを英語でやってきた。単語だって英語の方が日本語の十倍は知っている。英語の単語は出てくるのだが、日本語はどうしても出てこない。

すべて鮮明に「見える」のだ。映像的な記憶とともに、当時の感覚やフィーリングまでよみがえってきて、ぼくをすっぽりと包み込んだ。感情がまるで今起こっているかのように僕の心の中を走り回った。

オルタナティブ・ブックショップとしての情緒。文化的ミーティング・プレイス。

旅人に不親切であるなかれ。なぜなら、彼らは変装した天使かもしれないからだ。

誰にでもこの鍵をくれるのかい? いやいや、気に入った相手だけだよ。

自分のバガボンド時代にやさしくしてくれた人々に対する恩返しができればいいと思っている。

ぼくはそのうち行くあても残さないまま消えてしまうかもしれない。でも、それはもしかしたら僕が再びバガボンドとして世界を駆け巡る旅に出たということなのかもしれないよ。

あがけばあがくほど自分の中には書きべきストーリーなど、何ひとつないような気がしてならなかった。

情報は旅をしながら旅仲間たちからゲットする。

カネがなくなったらどうするとか、仕事やビザの問題とか、そういうこともあまり深く考えなかった。どこにどれだけいたいのかもわからないうちから心配してもしょうがない。

あの島のイメージがなくなってしまったら、ぼくのもの書きになる夢も消えてしまう。

破滅を背負った恋に憧れた。

図らずも人妻と恋に落ち、そのおかげでなんだかんだと事件に巻き込まれ、窮地に追い込まれるフィルム・ノアールのヒーローに憧れた。

煙に満ちたライブハウス。

旅や人生に対する発想そのものが普通の人間とは違っていて刺激的だった。

旅のプラン? そんなもん、あるわけないじゃないか。風に身をまかせて彷徨うだけさ。

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就職だの、キャリアだの、生命保険だの積立貯金だのの話しをする奴はひとりもいなかった。

精神世界の話しをした。魂の解放。宇宙的意識。神秘体験。体をリラックスして心の中にたまった雑念をすべて開放する。

プパッシナ・メディテーション。でも翌日になるとまた同じ闘いが始まった。

バックギャモン。クラブが主催する月例会へ通う。イリーガルのカジノ。対戦相手をもとめる求人広告を新聞に掲載。地区大会や選手権に出場。

貨物船のパッセンジャーキャビン。船酔いでベッドから出ることができない。船旅は予想に反して憂鬱で退屈なものになった。

これ以上我慢できなくなったら死ねばいいのだ。

宇宙は果てしなく広く、ぼくに対してまったく無関心だった。

ヒッピー宿に泊まる。阿片窟。眼を開けたまま夢をみる。

終わりのない放浪。毎日あてもなくほっつき歩いた。まずは元気を取り戻すべきだ。旅なんていつだってできるじゃないか。

胸がきゅっとしめつけられ、深いため息が漏れる。なんともいえない感情が体中を走るのだ。宿命を背負って生きる切なさ。

ぼくの中に自分を責める意識が芽生え、そのまま居座ってしまった。独りでいるのが怖いし、何かが確実に狂ってしまった。

人生そのものは味も素っ気もないものだった。退屈との闘いだった。いつからこんなに何も感じられない人間になってしまったんだろう。

なぜもっと抵抗しなかったんだろう。こいつらのおかげでおれは負け犬のような人間になっちまったんだ。

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何の束縛もなく、自分のルールに従って、社会の枠のエッジで自由気ままに生きる者、アウトサイダーたち。

まわりの木々や花々がとてつもなく美しく見え、涙が出そうだった。心をオープンにすることによって、過去の自分と現在の自分が歩み寄り融合していく。

これではドロップアウトした甲斐がまったくない。

何の束縛もなく、自分のルールに従って、社会の枠のエッジで自由気ままに生きる者、アウトサイダーたち。

店というよりはコミュニティースペースをつくりたかったのだ。

いろんな世界の人間がやってきては各々の時間をここで過ごし、各々のエネルギーをぶちまけていった。

みんなに知られる存在になっていた。女の子に異常にもてるようになった。破産した。遊び過ぎたのだ。

パーフェクトな捨て台詞だった。

彼女とも時間を過ごしたい。だからオープンな関係にしたい。

お金を貯めてオーストラリアを一周したい。エージェンシーに所属。

これ全部あげる。大事に使ってね。ひとつひとつのものに愛がこもっているんだから。

さよならも言わないで去っていった。彼女を見たのはそれが最後だった。

恋しく思う時がある。

アーティストのコミューン。本好きの詩人。外れたときは反省するなり、反発するなりすればいい。いやなら自分で世の中へ出て行って作品を売る努力をすればいい。

これを壁に飾ってくれないか、自作の絵や写真を持ってくる者。

エッチング展、入れ墨の写真展。落選展覧会。パフォーマンス展。栽培していたマリワナを全部引っこ抜かれた。

人生や文学について熱い議論を交わした。

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あの舟は今でもぼくの心の中で帆を風に打たれ、ゆっくりと波を切っている。

現実という大海の中で非現実な夢を乗せて走る一層の帆掛け船のようなものだった。数多くの夢が炸裂し、火花を散らし、一瞬の輝きを放った。あの舟は今でもぼくの心の中で帆を風に打たれ、ゆっくりと波を切っている。

ぼくのハートをはげしくゆさぶり、成功、不成功という尺度では測りえない大切な何かを与えてくれた。

どこにでも行ける。どこにでも行ってやろう。ゆっくりとその土地の感触を味わいたい。

何かにつけ彼女の言動が気にさわり、一人で勝手にイラつき、癇癪を起していた。どんな夢を実現しようと、心がハッピーでなければ何の意味もない。

話しのほうもそれほどうまくなったとは思えない。

自費出版本の数々。みんな表現することに飢えていた。ストレートな感情表現が心を揺さぶる。

アンチクライマックス。強い勢いをだんだん弱めていく。

ポリティカリー・コレクトな運動に参加

牢獄の中で買えないのは女と自由だけだ。

人相は悪いが、みんな気の良い連中なのだ。お互い言葉が話せなくても、女の話題と下ネタ話しは何となく通じるものだ。

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いかにテーマをストーリーの中に織り込み、ひろげていくか。

ぼくはどこへいっても、ぼくでいればいいのだ。檻の中でなくした自分が帰ってきた。

行き詰っていたし、今振り返れば別れるべくして別れた。

英語の字幕を付ける仕事。一本の作品に三十時間から四十時間はかかった。

スタッフを集めている。

お互いを理解することができるのか、友達になれるのかどうか、この点を追求したい。

飢餓、渇き、死の逃避行、熱射病、孤独、不安、徒労、狂乱、そして死。

毎日のようにストーリーセッションがひらかれた。物語の構想を練っていく。いかにストーリーを前へ前へと進めていくか。いかに登場人物たちに肉付けをしていくか。いかにテーマをストーリーの中に織り込み、ひろげていくか。構想やストーリーラインがみるみるドラマチックでスリリングな物語へと具現化されていった。時代背景も、登場人物も。登場人物たちが勝手に動き出し、セリフも彼らの口をついてでてくる。

トラブルも結局のところは撮影の醍醐味のひとつだった。行動をともにし、親交を深めていったかいがあった。ひとつの仕事が次の仕事につながる。

申し分のない相手だった。お互い女とギャンブルには目がない。酒を飲んだり、遅くまで話し合ったりした。

惨劇の余韻が、空気を微かにゆるがしているような気配がした。

映画の仕事は待ち時間の連続で或る。一日の仕事の七十パーセントは待つことだといっていい。

仲間のために銃弾の前へ飛び出していったのではないか。みんなと行動をともにしていたかもしれない。

12時ランチブレイク。15時ティータイム。18時パーティーの時間。

もっと感動的なシーンに編集しなおせるはずだ。様々なカットを組み合わせながら、ゼロからシーンをつくりあげていく。映画の半分はこの編集の作業にかかっている。緻密な作業。

studioでダビングの作業に取り組んでいた。録音したセリフで聞き取りにくいところを吹き替えする作業。映像にあわせてセリフを読んでいる。

性的にストレート。一般的なモラルなどくそくらえと思っている。

男にセックスオブジェクトとして見られる。

オープンなバイセクシャル

エロティック・ファンタジー。ただのセクシャルファンタジーにすぎなかった。そんなシーンを想像してはオナニーの快楽に浸ったのだ。

彼の視線から、そして全体のオーラから、君がほしい、という熱のようなものが伝わってくる。

終わりのないナイトライフにふけっていた

セックスチェンジの手術を受け、女になっていた。

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セックス、バイオレンス、家族、愛など人生におけるあらゆるテーマが詰まっている。

アトリウム。オシャレなカフェやイタリアン・レストラン。

歌舞伎の一座とオーストラリア中を回る。

人と深い会話を交わすどころか、心を開いて話すことすらできない。

特別な扱いを受けていた。親父の元からなるべく遠い所へ去っていきたい。

有名になる、ならないなんてことはどうでもよくなってくる。

生まれつき人なつこい人間。ポジティブさ。人といるのが楽しくてしょうがなかった。

ドラスティック=大変化。

仕事を求めてあちこち営業して回る。仕事を得た。一発当てるために映画の脚本を書いた。何とか食いつなぐ生活。撮影が終わると日本へ帰って編集作業にとりかかった。

ボンダイビーチ

彼女は完全に僕を無視している。話しかけてもくれないし、目をあわせてもくれない。修復不可能な状態。

ボンディング=母親の子どもに対する情緒的な絆のことをボンディング

ほんのたまにだが、自分の持って生まれた性格と運命とを罵ることがある。

外れたら外れたで恥をかくだけのことだ

セックス、バイオレンス、家族、愛など人生におけるあらゆるテーマが詰まっている。

単一なものの考え方や価値観。眉間にしわを寄せて行きかうサラリーマンたちの姿が僕の目には耐えがたく窮屈に映った。若者に元気がない。社会全体が目に見えて保守的になった。

楽しく、呑気にやっていこうぜ精神を重んじる。その日を楽しみながら、自由に自分を表現していく。

自分の中にある原風景というものは、いつまでたっても忘れることはないし、恋しく思わざるをえないものなのだ。ここではいつまでたっても異邦人。これを感じないでいられる唯一の国は、やはり生まれ故郷の日本だけである。自由に自分を表現していける。

発言するチャンスまで与えてくれた。いろいろな可能性にチャレンジし、自分が考えていること、感じていること、信じていることを語り続け、この国を自分なりにアジテートしていきたい。

アジアの猥雑さ、混沌、人いきれ。

定住者にはない、選択の自由、行動の自由というものが、常に可能性として存在している。

おおかたの人が僕といるとリラックスしてくれるし、オープンに話しをしてくれる。ぼくがリラックスすればするほど人もガードを下げてくれるし、自然体でいればいるほどオープンになってくれるのだ。

サリンジャーは人の前から姿を消してしまった。

彼がどこへ何のために行くのかはわからなかった。

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格好よく生きることイコールこういう夢を追うことだったのだ。

小説の夢が実現するまでに何と三十二年もかかってしまった。日本語教育を受けていない自分には作家としてやっていくだけの単語力も文章力も足りないとわかっていた。

ぼくの意識とは別の、無意識のところで、彼が勝手に動くようになった。

終わりのない旅路についた。すべてをご破算にして、またゼロからやり直そうと決意したのだ。

忘れようとして潜在意識にしまい込んでいた深い感情や、幼いころの思い出、痛みや怒り、闇や孤独、そして未知なるものへの普遍的な憧れといったものをふっと思い出すときがある。

自分のこれからの人生の見取り図、シナリオ。これからは前へ突き進んでいくだけだ。すべてがまずは「やりたい」で始まる。波乱万丈な人生イコールこういうことをやることであり、格好よく生きることイコールこういう夢を追うことだったのだ。ぼくという個の物語の中に、これらの夢ははじめから組み込まれていたような気がする。

日本での日々の繰り返しや生ぬるい現実の中、旅先で感じた鋭い感覚が徐々に摩耗し、気がつくと旅に出る前の自分に逆戻りしていたのだ。

ぼくには会社勤めは無理だし、サラリーマンには到底なれない。

優雅に生きることがいちばんの復讐である。

夢を思い描いて、それを心の中で追い求める……。これこそぼくにとって、人生を楽しむ最高にして最良のゲームとなっているように思えるのだ。

人生は関門突破ゲーム。壁は人生をおもしろくするためにある

関門突破ゲームは楽勝だったら面白くない

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★★

サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

【この記事を書いている人】
アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。
●◎このブログの著者の書籍『市民ランナーという走り方』◎●
書籍『市民ランナーという走り方』Amazonにて発売中
雑誌『ランナーズ』のライターだった筆者が贈る『市民ランナーという走り方』。 「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか? いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状打破、自己ベストの更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。 ●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」って何? ●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム? ●ピッチ走法とストライド走法、どちらで走るべきなのか? ●ストライドを伸ばすための「ハサミは両方に開かれる走法」って何? ●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは? ●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」の本当の意味は? 本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く効率的に走ることができるようになります。 ※カルペ・ディエム。この本は「ハウツーランニング」の体裁をした市民ランナーという生き方に関する本です。 あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
Bitly
書籍『市民ランナーという走り方』Amazonにて発売中
雑誌『ランナーズ』のライターだった筆者が贈る『市民ランナーという走り方』 「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか? いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状打破、自己ベストの更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。 ●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」って何? ●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム? ●ピッチ走法とストライド走法、どちらで走るべきなのか? ●ストライドを伸ばすための「ハサミは両方に開かれる走法」って何? ●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは? ●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」の本当の意味は? 本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く効率的に走ることができるようになります。 ※カルペ・ディエム。この本は「ハウツーランニング」の体裁をした市民ランナーという生き方に関する本です。 あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
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●◎このブログ著者の書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』◎●
書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
https://amzn.to/3OBWtUR
書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
Bitly
×   ×   ×   ×   ×   × 
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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×   ×   ×   ×   ×   × 
◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

Bitly
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

Bitly
●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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