ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』現代人は昔の人よりも幸せになれたのか?

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『ドラクエ的な人生』とは?

心の放浪者アリクラハルトの人生を走り抜けるためのオピニオン系ブログ。

書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。小説『ツバサ』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

苦しみの真の根源は、つかのまの感情を果てしなく空しく求め続けること。外なる成果の追求のみならず、内なる感情の追求もやめること……。

仏陀の悟りは難しいものがあります。

しかし「求めすぎないこと」は誰にでもできます。わたしのやり方をご紹介します。

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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。

「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」

「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」

※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。

アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

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ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』ってどんな本?

この本のコンセプトは、人類(サピエンス)が生き物の頂点に立ち、地球の支配者になった原因を探るところにあるのですが、それだけにとどまりません。

フィクションを共有するという認知革命、産業革命、科学革命を通じて、人類は地球の支配者になれたのですが、生態系の中位にあった狩猟採集時代にくらべて、本当に幸せになれたのか? ということを本書の後半では取り上げています。

人類の幸福を考える章が非常におもしろかったので、その章の内容を詳述しつつ、わたしたちの「生きている歓び」について考えていきます。

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人間はどんなときに幸福を実感できるのか?

「人間はどんなときに幸福を実感できるのか?」ということについて、『サピエンス全史』はさまざまな仮説を提示しています。

幸福の鍵は、富ではないか?

幸福の統計をとるにあたってはアンケート調査による外はありません。なぜなら「幸福というのは主観的なもの」だからです。はた目には不幸にしか見えなくても本人は十分に幸せを感じているということはありえます。他者の主観的な幸福度については、想像でランキング付けをするわけにはいかないのです。

文明は人間を幸せにしたのか?

人類史を語る『サピエンス全史』は、この問いを無視するわけにはいきませんでした。

アンケート調査による統計を眺めると、ある一定の水準までは富は実際に幸福をもたらすことが読み取れます。たとえば「借金まみれの者が貯蓄できて明日の不安から解消される」際に富は有効です。

富は実際に幸福をもたらします。

たとえば一部屋に数人が住むという狭い住居環境よりは、大きな居宅は幸せをもたらします。

しかし一定の水準を超えると富はほとんど意味をもたなくなることも読み取れるのです。

たとえば大きな居宅は幸せをもたらしますが、大きければ大きいほどいいわけではありません。ある一定の水準を超えると居宅の大きさは意味をもたなくなります。

もうすでに十分すぎるほどの年収をもらっている人が、同じ仕事内容で報酬が倍額になったとしても、その幸福感はわずか数週間で消えてしまう可能性が高いのです。

富は底辺を抜け出す時には意味を持ちますが、幸福の絶頂に対してはほとんど意味をもちません。

モノ不足の発展途上国の市民に富は有効だが、飽食で肥満に悩む国の国民には富は幸福の主たる要素とはなりえないのです。

富は不幸を遠ざけるが、幸せはカネじゃ買えないってことです。

幸福の鍵は、健康ではないか?

重病人が何よりも求めるものは「ひとなみの健康」でしょう。それは誰にでもよくわかります。

しかし残念ながら、健康も富と似たような傾向を示します。

病状が悪くなる一方だったり激しい痛みをともなったりする場合には、健康は幸福感に直結します。

しかし一般人がオリンピック選手ほど肉体壮健になっても、それで幸福度が増すわけではありません。

アスリートは一般人より必ずしも主観的に幸福な訳ではないということです。

健康は不幸を遠ざけるが、幸せは健康に比例しません。

幸福の鍵は、対人関係ではないか?

アドラー心理学では、幸福も、不幸も、すべては対人関係にあるとしています。

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対人関係こそが幸福感の鍵というアドラーに対して、『サピエンス全史』はどう答えているでしょうか。

たしかにコミュニティに所属する感覚は、幸福度にとって重要です。
太古から人間はコミュニティに所属しなければ生きていけなかったため、友愛に包まれると幸福を感じるという感情を発達させてきました。出世欲などもこの感情の変形だとわたしは思います。

富や健康よりも、家族やコミュニティの充実のほうが幸福感に大きな影響を及ぼすとアンケート調査は示していました。

たしかに対人関係は幸福に影響を与えるでしょう。

しかしそれなら、昔に比べて、人間は不幸になっているかもしれませんね。

現代は国家と個人が直接結びついている時代です。家族やコミュニティは中世の方がずっと濃密なものでした。

昔に比べて富や健康は増してきましたが、家族やコミュニティの崩壊によって、幸福度はマイナスになっているかもしれません。

幸福の鍵が対人関係ならば、コミュニティが濃厚だった昔の人の方が今より幸せだった、ということがありえます。

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幸福は、期待と現状との落差によって決まる

アンケート調査を分析すると、幸福は富、健康、家族、コミュニティへの所属感といった客観的な条件よりも、むしろ主観的な期待と現状との落差によって決まるそうです。

幸福度は主観的な感覚だから、客観的条件が同じでも人によって幸福度は違ってきます。

たとえば貯蓄1億円(富)でも満足できる人と、満足できない人がいるのです。それは、もっとお金が欲しいと望む人と、これで満足だと思う人との差です。つまり主観的な期待と、現状との差が幸福度の鍵になるというのです。

持てるものに満足する方が、欲しいものをより多く手に入れるよりもはるかに重要だということです。

幸せかどうかは期待と現実との差によって決まるからです。

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「文明」「科学」は人類を幸福にしたか?

人類は文明、科学によって幸福になれたのでしょうか?

たしかに文明、科学によって、人類は他の生物と圧倒的な差を得ましたが、だからといって「持てるものに満足しているか」どうかは別問題です。

テクノロジーが各人の幸せや苦しみにどのような影響を与えたのか? というのが『サピエンス全史』の追求テーマのひとつです。

中世の農民も欲しいものは持っていました。生活に満足していたかもしれません。人は知らないものは欲しませんから、インターネットなんてなくてもきっと満足して死んでいった人たちはたくさんいます。

逆に消費主義の現代市民はマスコミによって次から次へと物欲を掻き立てられています。つまり幾ら買っても次々と欲しいものが出てくるのです。SNSによって「自分が持っていないモノをあいつが持っている」という格差が目の当たりになります。

全員が平等に何も持っていなかった狩猟採集時代にくらべて、常に満たされない現代人の幸福度が上だと本当に言ってしまっていいのでしょうか? 疑問が残るところです。

ムバラク政権下のエジプト人の物質的な状況はラムセス2世の時代よりも良好でした。しかしそれをアッラーに感謝して踊り狂うどころか怒り狂っていたのです。彼らの比較対象がファラオの時代ではなく同時代のアメリカだったからです。

比較がある限り、悩みは尽きることはありません。

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【世界が美しく見える魔法】脳内モルヒネ・ホルモン幸福論

生物学者は生化学的な仕組みによって幸福感は決まると主張しています。

給与の額や権力のような外部要因によって決まるのではなく、セロトニンやドーパミン、オキシトシンのような生化学物質(快楽物質)の量で幸福は決まるというのです。

実はわたしもこれと同じ主張です。生きている歓びは身体をつかうことにあると感じています。身体をつかうことによって快楽物質が脳内に満たされるというのがわたしの幸福論です。

【肉体宣言】走るために生まれた
生きる歓びとか命の実感というものは自然と湧いて出てくるものではありません。この世界の中で肉体を思う存分に動かしてはじめて感じられるものなのです。

わたしが【世界が美しく見える魔法】というのは、この脳内モルヒネを指したものに他なりません。

体内をめぐる快感。それは血流に乗って全身を駆け巡っているホルモンや脳内の電気信号に起因しています。人間はホルモンバランスなのです。

人間の体内の生化学システムは幸福水準を安定した状態に保つようにプログラムされているそうです。幸福感情にも恒常性(ホメオスタシス)がはたらくのです。ひらたくいうと幸福も、不幸も、やがては慣れて、落ち着くということです。

人間の幸福度を一定水準に調整するシステム。このシステムは酷暑になろうと吹雪が来ようと室温を一定に保つ空調システムになぞらえることができます。設定温度はひとりひとり異なります。陽気な設定温度の人は外的要因にかかわらず比較的幸せでいられるのです。陰鬱な設定温度の人はボーナスの日でも気分は沈んだままです。陰鬱な人の脳みそは、そもそも何が起こっても心が浮き立つようにはできていないからです。

どんなことが降りかかろうとつねに比較的楽しそうにしている人もいれば、いつも不機嫌な人もいます。家を買っても結婚しても、その人固有の生化学的特性(設定温度)は変わらないのです。ほんの束の間、生化学的状態を変動させることはできるが、体内のシステムはすぐに元の設定点に戻ってしまうのです。

私たちはあふれんばかりの快楽を一時的に味わえるものの、そうした快楽は永続しません。それらは遅かれ早かれ慣れて感じなくなってしまうのです。

わたしが走り続けるのも、同じ理由からです。世界が美しく見える魔法も、長続きしません。一晩眠れば元に戻ってしまうのです。
幸せな今を走るためには、毎日毎日、自分に魔法をかける必要があるのです。毎日の瞑想ランニングによって、日々、世界は美しいのです。

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結婚したからハッピーなのか、ハッピーなキャラクターだから結婚できたのか? 原因と結果は間違えやすい

データ分析をする際、原因と結果をはき違えないようにと『サピエンス全史』は注意喚起をしています。

たとえば既婚者は離婚者より幸せだというデータがあります。しかしだからといって「結婚をすれば幸せになれる」と結論づけるのは早計です。もともとハッピーな設定温度の人物だから異性に好まれ結婚できたのかもしれません。この人物はきっと離婚しても幸せでしょう。

もともと陰鬱なマイナス思考だからこそ離婚されてしまったのかも知れず、この人物が再婚してもやっぱり幸福は感じないかもしれません。

私たちの心の空調システムは設定された範囲内で推移できるだけで、すぐに設定温度に戻るのです。だとしたら幸福にとって文明の進歩はさほど重要ではありません。

歴史上のほとんどの出来事は、私たちの生科学的特性に何一つ影響してこなかったそうです。テクノロジーは劇的に進化しましたが、脳の構造そのものが進化したわけではありません。むしろ個人単位で見れば、狩猟採集民は現代人よりも賢かったのです。狩猟採集民は食料から生活に必要なもの何もかもを自分でつくって生きのびなければなりませんでした。お金で買えば済むという現代人よりも、個人レベルではテクノクラートだったのです。その証拠にほとんどの現代人は森の恵みの中だけで生きのびることができません。

時代が変わってテクノロジーが進歩しても、脳内ホルモンの量も濃度も昔から変わっていません。つまり人々の幸福は増大していないのです。

周囲の人たちと同程度の暮らしをして、その暮らしに満足していたら、中世フランスの農民と、現代のパリの銀行家の幸福度は変わらないのです。水洗便所があるとか、エアコンがあるとかは個人の幸福度には関係がないのです。

幸せの設定温度が高めの人はフランス革命前も、革命後と同じように幸せだったのです。

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幸福=ホルモン。幸せは身の内より発する

幸せへの鍵がホルモンシステムにあるのなら、政治改革や社会改革など一切起こさずに、人々をこれまでより格段に幸せにすることができます。セロトニンやドーパミン、オキシトシンのような生化学物質の血中濃度を増大させればいいのです。

ケミカルな処方が効きます。注射をすればいいのです。錠剤を飲めばいいのです。

麻薬を注射した時が最高に幸せだというドラッグ中毒者は、実は「もっともだ」ということになります。

酒を飲む、タバコを吸う、大麻を吸う……幸せを手に入れるための鍵はドラッグだといえるでしょうか?

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人生の意味や意義は妄想。しかし集団的妄想は幸福に寄与する

たとえ困難のただなかにあっても本人が有意義な人生だと感じていれば、幸福度が高いアンケート結果を返してくることが多いそうです。

逆に無意味に思える人生は、どれだけ快適な環境に囲まれていても厳しい試練に他なりません。

しかし人類史を俯瞰してきた『サピエンス全史』によれば、人生の意味や意義はいかなる意味でもフィクションです。個人的な妄想に過ぎません。では、どんなフィクションを生きるか? それが人生です。

地球がホモ・サピエンスを選んだのは偶然に過ぎず、神の聖別があったわけではないからです。

聖別がないのならば、人間の命の意味はイヌやネコの命と何も変わりません。それが科学的な結論です。

現代の人々が自分の人生に認める意義はいかなるものもたんなる個人の妄想にすぎません。

とすると、死後に永遠の神の王国があると心から信じていた中世キリスト教信者の方が、幸福だったかもしれません。全員が死後の世界を信じているならば、集団的妄想は幸福度を底上げしてくれることは間違いないからです。

「あなたは自分の人生におおむね満足ですか?」と訊かれたら、中世ヨーロッパの人々はかなり良い成績を収めたかもしれません。

幸福であるには、その時々の集団的妄想に一致した欲をもてばいいってことになります。それならば宗教やコミュニティが健在だった頃の方がずっと幸せだったかもしれません。

近代自由主義が神聖視するのは個人の主観的感情です。しかし感情ってやつは気まぐれでまったく当てにならないものなのです。

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仏教は幸福を追求する哲学

富も地位も権力もシッダルタ王子を幸福にしなかった

『サピエンス全史』ではここまで人類の幸福を研究してきて、とうとう最後に「ブッダの教え」をもってくるのです。

著者のユヴァル・ノア・ハラリはエルサレムのヘブライ大学の教授なので、もともとはユダヤ教徒だと思うが、『サピエンス全史』では神の教えはフィクションの一言で片づけられています。

しかし仏の教えには深い洞察とリスペクトを示しているのです。

筆者によれば、仏教は幸福の本質と根源について体系的に研究してきた教えで、幸福の問題を重要視しているそうです。

脳内モルヒネ・ホルモン幸福論と同じく、仏教では幸せは外の世界の出来事ではなく身体のうちで起こっている過程に起因すると考えます。

ブッダは一国の王子でしたが、地位も権力もシッダルタ王子を幸福にしませんでした。

『シッダルタ』ヘルマン・ヘッセ。白人が見た仏陀。解脱する方法
「生きることはよろこびだ」とどうして言えないんでしょうか。そう言えれば輪廻からの解脱は果たしたも同然じゃありませんか。 よろこびを抱えたまま、よろこびを追いかける。それが生きることではないかとわたしは思います。それはもう悟り、解脱と同じことではないでしょうか。

しかし共通の認識を出発点としながらも、仏教はまったく異なる結論に行き着きます。

快感を求めて、苦痛を避ける。そのあたりまえがブッダの「悟り」ではない。

たいていの人は快い感情を幸福、不快な感情を苦痛と考えます。その結果、自分の感情に非常な重要性を認めることになります。ますます多くの喜びを経験することを渇愛し、苦痛を避けるようになるのです。

生涯のうちに、どんな決断をして何をしようと、私たちはただ心地よい感情を得ようとしているに過ぎない。

そういうこともできるでしょう。

だが仏教によれば、そこには問題があるそうです。

私たちの感情は波のように刻一刻と変化するつかのまの心の揺らぎにすぎません。五分前に喜びや人生の意義を感じていても、今は消え去り意気消沈しているかもしれないのです。

快さを求めたら、たえずそれを追わねばならず、仮にそれが成功したとしても、ただちに消え去り、はじめからやり直さなければならず、自分の苦労に対する永続的な報いは決して得られないからです。

現れたが早いか消えてなくなるものを達成するために、なぜそれほど苦労するのですか?

快感を求めて、苦痛を避ける。そのあたりまえの生き方がブッダの「悟り」ではありませんでした。

苦しみの根源は、苦痛でも悲しみでも無意味さでさえもないのです。

苦しみの真の根源は、つかのまの感情をこのように果てしなく空しく求め続けることなのです。

感情を追い求めれば私たちは常に緊張し、混乱し、不満を抱くことになりますこの追求のせいで、心はけっして満たされることはありません。

喜びを経験しているときにさえ、この感情がすぐに消えてしまうことを恐れ、この感情が持続し、強まることを渇望します。ありもしない未来によって、今が掻き乱されてしまうのです。今を生きられないのです。

人間ははかない感情を経験したときではなく、自分の感情はすべてつかのまのものであることを理解し、そうした感情を渇愛することをやめたときに、はじめて苦しみから解放される。それがブッダの悟りであり、瞑想修行の目的です。

マインドフルネス瞑想のやり方

マインドフルネス瞑想では、まずは自分の身体の状態を全力で注視します。呼吸の状態をモニタリングするのです。すべての注意を「今」に向けることで、過去や未来に「今」が掻き乱されることを止めていきます。

瞑想するときは自分の心身を念入りに観察し、自分の感情がたえまなく沸き起こっては消えていくのを目の当たりにし、そうした感情を追い求めるのがいかに無意味かを悟るようにします。

特定の感情を渇愛するのをやめさえすれば、どんな感情もあるがままに受け入れられるようになります。

ああだったかもしれないなどという過去の追想をやめて、今この瞬間を生きることができるようになるのです。

そうして得られた安らぎはとても深いものです。

苦しみの真の根源は、つかのまの感情を果てしなく空しく求め続けることだからです。

喜びの感情を果てしなく追求するのは、何十年も浜辺に立ち、良い波を壊さないようにし、悪い波を近づけまいとするのに等しい。人は浜辺で狂ったようにこの不毛な行いを繰り返しています。だがついに砂の上に腰を下ろし、波が好きなように寄せては返すのにまかせるとき、なんと静穏なことでしょうか。

幸福が外部の条件とは無関係であるという点についてはブッダも脳内モルヒネ・ホルモン幸福論と同じ意見でした。ブッダの洞察力でより重要で遙かに深淵なのは、真の幸福とは私たちの内なる感情とも無関係であるというものです。事実、自分の感情に重きを置くほど、私たちはその感情を渇愛するようになり、苦しみも増していくのです。

ブッダが教え諭したのは外なる成果の追求のみならず、内なる感情の追求もやめることでした。

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わたしの結論。日々の瞑想ランニング。走ることが生きること

わたしは日々、瞑想ランニングを実践しています。

禅ランニング・瞑想ランニングのやり方
瞑想ランニングのやり方を書いていたら、はからずも「幸福とは何か?」を追求することになってしまいました。幸福を追求しなければ生まれた甲斐がありません。瞑想ランニングは幸福追求のためにするものです。

人生最高の快楽のひとつであるランナーズハイも長続きしません。「エブリデイ・クリスマス」日々これを味わうためには、日々瞑想ランニングを繰り返す必要があるのです。

瞑想ランニングでは、まずは自分の身体の状態を全力で注視して、呼吸の状態をモニタリングします。どこの筋肉に力が入っているか? 全身の骨格をスキャンします。筋肉ではなく骨が体を支えていることを感じましょう。

ときにはピッチのリズムを数えてもいいでしょう。ピッチは生命のリズム感です。呼吸に注目し、肺の奥の奥まで大きく空気を吸い込みます。どこの筋肉がリラックスできているかも意識しましょう。

呼吸の限界が走力の限界です。狙うのは酸素負債にならないギリギリのところ。そのために全意識を呼吸に向けます。私はマラソンレースの最中、目標タイムまであと何分あるか引き算しようとしてできずに諦めたことがあります。脳に酸素、血が行かなくなっていることも原因のひとつでしょうが、酸素負債限界ギリギリのところで集中して走っているので、引き算するという余計な行為まで頭が回りませんでした。ときどき時計をしないで走るマラソン選手がいますが、その気持ちが私にはよくわかります。もうすでに限界ギリギリなのですから、時計を見たところでこれいじょう速く走れるわけではありません。むしろ今の限界ギリギリの集中力を切らさないように全集中したほうがいいのです。できない引き算なんてあきらめて、走りに集中したほうがいいのです。これが全力ランニング、禅ランニングです。全意識で今ここに集中するのです。

身体に吹き付ける雨や風を感じます。熱くなっていく体温、流れる汗を実感します。全神経を肉体に集中して、今を走ります。仕事のことも、人間関係のことも、過去も、未来も、考えません。無心になって、脳内モルヒネの快楽に満たされた状態を楽しみ、今を生きるのです。

それがわたしの結論です。わたしはこの人生に「身体をつかうこと」以上のものを見つけることができませんでした。

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※雑誌『ランナーズ』の元ライターである本ブログの筆者の書籍『市民ランナーという走り方』(サブスリー・グランドスラム養成講座)。Amazon電子書籍版、ペーパーバック版(紙書籍)発売中。

「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか?
いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状を打破し、自己ベスト更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」「かかと落としを効果的に決める走法」
●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム?
●ピッチ走法よりもストライド走法! ハサミは両方に開かれる走法。
●スピードで遊ぶ。スピードを楽しむ。オオカミランニングのすすめ。
腹圧をかける走法。呼吸の限界がスピードの限界。背の低い、太った人のように走る。
マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは?
究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」
本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く走ることができるようになります。
あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
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どんなレースに出ても自分よりも速くて強いランナーがいます。それが市民ランナーの現実です。勝てないのになお走るのはなぜでしょうか? どうせいつか死んでしまうからといって、今すぐに生きることを諦めるわけにはいきません。未完成で勝負して、未完成で引退して、未完成のまま死んでいくのが人生ではありませんか? あなたはどうして走るのですか?
星月夜を舞台に、宇宙を翔けるように、街灯に輝く夜の街を駆け抜けましょう。あなたが走れば、夜の街はイルミネーションを灯したように輝くのです。そして生きるよろこびに満ち溢れたあなたの走りを見て、自分もそんな風に生きたいと、あなたから勇気をもらって、どこかの誰かがあなたの足跡を追いかけて走り出すのです。歓喜を魔法のようにまき散らしながら、この世界を走りましょう。それが市民ランナーという走り方です。

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肉体が滅べば、ホモサピエンスは何も感じられません。どんな主張もできず、どんな悟りも、どんな福音も伝えることはできません。人間は精神的な存在だという主張がありますが、その精神的なものはすべて肉体が感じているものです。「あんたの苦悩なんて器械体操すればなおっちまう」という主張には一理あるのです。

睡眠は最高の瞑想であるとダライラマはいいました。無心になることが禅だとすれば、ランナーの境地はまさにゼンなのです。この考えに立てば、毎日瞑想修行することも、毎日ランニングすることも、さほど変わらないってことになります。だから比叡山の千日回峰行が阿闍梨様になるための行として認められているのでしょう。

肉体こそはすべての基盤です。

ランニングはテニスや野球よりも禅、瞑想に近いものです。これが瞑想ランニングです。私のこの考え方は著書『市民ランナーという走り方 マラソンサブスリー、グランドスラム養成講座』という本に著述しました。ご興味があれば手に取って読んでみてください。

「この世ならぬ希望」を仏陀は語っていません。案外、仏陀も同じような境地だったのかもしれないと思ったりするのです。

『サピエンス全史』の中でもっとも感動、興奮した「今の人は昔の人に比べてしあわせになれたのか?」をネタに自分の意見を述べました。あなたはどう考えますか?

これほど明確に仏教を教えてくれた本ははじめて読みました。

『サピエンス全史』は、それだけの本ではありません。人類、ホモサピエンスの過去から現在、そして未来へとつながっています。虚構を集団幻想的に共有できる認知革命。農業革命と貨幣による富の蓄積。村社会は共通価値観によって人々の協力が可能になり、世界は統一に向かっていること。科学革命による産業の推進。そして超ホモサピエンスへの時代に向かうことの予言まで、1ページも無駄なページはありません。未読の方はぜひ読んでみてください。必読の書です。

※このコラムで「幸福とは何か?」を追求するのに参考にした『サピエンス全史』は、全人類必読書です。
未読の方は、ぜひ一度お読みください。

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。
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●◎このブログ著者の書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』◎●
書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
https://amzn.to/3OBWtUR
書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
https://amzn.to/43j7R0Y
×   ×   ×   ×   ×   × 
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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×   ×   ×   ×   ×   × 
◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
https://amzn.to/47hnbeF
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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