どうもハルトです。みなさん今日も楽しい旅を続けていますか?
バックパッカーはすべてを自力で手配する
諸国の安宿に泊まると、本棚に図書の残骸が並んでいます。旅人が置いていったものです。そこで最も見かける本は『ロンリープラネット』という厚い活字ばかりのガイドブックです。
数か月単位で旅をしている人は別として、時間がない旅人にガイドブックは欠かせません。
安宿に泊まるのは貧乏旅行者だけですが、彼らはツアー観光客とは違うやり方で旅をしています。旅のすべてを自力で行っているのです。著名な遺跡に行く最も安上がりな方法は現地の人の足である生活バスで行くことです。タクシーなどは高くて使えません。
私のような健脚のランナーだと、時間さえあれば「走っていく」という選択肢さえも出てきます。20kmぐらいなら「歩いて行こうかな?」と思うことがあります。
歩いていくとしても、必要なものがひとつあります。それは地図です。地図がなければ、歩こうといったってどっちへ歩けばいいのかわかりません。
バスですが、鉄道に比べると、なかなか敷居の高い乗り物です。鉄道はレールが敷かれているため、どこに行くか予想がつくのですが、バスとなるとどこに行くのかわからないからです。もちろん行き先は表示されていますが、その行き先はたいてい知らない場所です。北にある場所か、南にある場所か、それさえわからない行き先に意味はありません。
安く旅するためには、情報が必要なのです。情報こそがもっとも重要なものです。
日本のガイドブック『地球の歩き方』
そこでガイドブックの登場です。ガイドブックにはその国の通貨やレート、ビジネスアワーやチップの有無、そして地図が乗っています。
日本のガイドブックの横綱は『地球の歩き方』ですね。他社からも同様のガイドブックが出ていますが、この手のシリーズとしては日本で一番売れているものです。
かつて私はツアーコンダクターの女性とつきあっていたことがあります。彼女の本棚には近所の本屋さん以上に『地球の歩き方』がズラーッとならんでいました。壮観でしたね。何度も訪問した国は使い込まれてボロボロでした。
使ってみればわかりますが、他社シリーズも『地球の歩き方』に比べて悪くはありません。内容的には甲乙つけがたいレベルです。それなのになぜ『地球の歩き方』が一番売れているのでしょうか。
他社のガイドブックを使うと、本の構成が変わってしまうため、必要情報を引き出しにくくなるというデメリットがあるのです。かつては私も他社のガイドブックを使っていましたが、このデメリットのゆえに、一社のガイドブックを通して使用することにしたのです。
たとえば通貨レートを知りたいと思ったときに、『地球の歩き方』は冒頭に、B社の本は後半部分に出てくるとしたら、シリーズを使い分けると情報を引き出すときに混乱してしまいます。
常にA社のシリーズをつかっていれば、地元料理を紹介するコーナーや、その国の歴史を紹介するコーナーなど、同じ構成ですから、迷わずに探すことができます。
多くの人が定番商品を買うのには、このような隠れた理由があります。内容が優れているかどうかではなく、本の構成を知っている定番商品に人は流れるのです。
そしてツアコンだった彼女のように、訪問した国のガイドブックを本棚に並べるとしたら、やはり一社のシリーズで揃えたほうが、統一感がある美しい並びになります。
『ロンリープラネット』活字ばかりのガイドブック
ところで日本人の場合は『地球の歩き方』で問題ありませんが、世界の旅人はどんなガイドブックをつかっているか知っていますか?
『ロンリープラネット』というガイドブックです。『地球の歩き方』は日本語版しかありませんが、『ロンリープラネット』には諸国版があります。もちろん日本語版もあります。
この『ロンリープラネット』というのは『地球の歩き方』と全然違います。構成がどうとかいうレベルじゃありません。写真がまったくないのです。字ばっかりです。
どうしてこんなにも日本のガイドブックと違うのか。
これは活字の限界への挑戦というか、日本人と異国人の比較文化論が展開できるんじゃないかと思うほどぜんぜん違う書物です。ガイドブックの設計思想が違います。
たとえばピラミッドを見たこともない人に、字でそれを紹介するとしたら、私だったらどうしましょうか。漢字の「金」の字に似ているため金字塔と呼ばれるとでも書きましょうかね。「世界七不思議と呼ばれた古代の驚くべき景観のなかで現存する最後の一つ」とでも書きましょうか。こんなもので伝わりますか? なにせ私はピラミッドを見たことがあるので、見たことがない人にちゃんと紹介できたかどうかは客観的な判断ができません。
アンコール遺跡群だったらどうでしょうか。「仏塔に仏頭が埋まっている」とでも書こうかな。でも私はもうアンコール遺跡群を見てしまっています。やはり見たことのない人にちゃんと紹介しろと言われたらもっと圧倒的な文字数が必要になってきます。
写真なしのガイドブックのワンダーな世界
「写真を載せろよ」
私が編集者だったらそう言います。あ、読者でもそう言います。「写真を見せろよ」
日本のガイドブックはそうなっています。みなさんもガイドブックを買うときに「いい写真が載っているか」で選びませんか?
日本のガイドブックは写真だらけです。
ビジュアルは雄弁です。ギザの三大ピラミッドと呼ばなくても、写真を見せれば三基の巨大な三角錐が砂漠に並んでいるんだなとわかります。
写真は万国共通なので、外国人が『地球の歩き方』を見ても、それなりに楽しめます。写真集として眺めればいいのです。
しかし『ロンリープラネット』は違います。ギリシア語の『ロンリープラネット』なんてまったく面白くありません。写真はなく、読めない字ばかりなんですから。
リゾートのビーチと言われたって海の色がそれぞれ違います。それを日本のガイドブックは写真で説明してしまいます。写真のもつ膨大な情報量のおかげで本は薄くなります。
写真があれば、写真を指差して道を聞くことができます。たとえば北京で「天壇」に行きたいとすれば「天壇」の写真を見せて「ここに行きたい」と言えばいい。でも字ばっかりだったらどうしましょう。中国の人はギリシア文字なんて読めませんから、現地の発音を必死でするしかありません。写真指差しは結構使えるテクニックです。
そもそも字だけだったら、自分にとって天壇が行く価値がある場所なのか、そうでもないのか、さっぱりわからない気がします。私が写真ばかりの日本のガイドブックに慣れきってしまっているせいでしょうか。
活字の限界。そういうものは確かに存在します。私のブログも「字ばっか」ですけど、日々、限界に突き当たっています。そういう意味でロンリープラネットのことが他人事には思えない(笑)。
「天壇」の美しい瑠璃色の瓦葺き屋根を写真で表現することなしに、読者に紹介するにはどうすればいいのでしょう。
「皇帝が、天候を祈った場所」それが天壇です。農業国であった中華の皇帝が、雨を、豊作を祈った祭祀の施設。天の代理人たる皇帝の治世において雨乞いの祭祀は最も重要な政治的な行為でした。天壇はかつて中華で最も重要な施設だったのです。私ならそんな風に書こうかな。
写真がダメなら、人間の行動や思いで興味を引くしかない。エピソードが重要だ。
写真でほとんどの説明をすませてしまう日本のガイドブックに比べて、硬派だなあと思う。出版人もそうだが、この本で旅に出ようという旅人も。
「るるぶ」で旅している人とは全然違うよ。
がんばれ。ロンリープラネット。
無言のエールで旅人の手から手に受け継がれる『冒険の書』
安宿の本棚でしょっちゅう見かける『英語版ロンリープラネット』は、諸国を放浪してきた旅人のようにボロボロである。大陸横断するような放浪者が入国すると一時的に借りて出国するときに置いていくというような使われ方をしているのかもしれない。旅人の手から手に。ロマンの書それが『ロンリープラネット』なのである。
実際に北京の「天壇」をロンリープラネットがどう紹介しているのかは私は知らない。私が安宿の本棚で見るロンリープラネットは、異国の活字ばかりでまったく読めないからだ。ただ言えるのは、いつも分厚くて、活字ばかりで、そして旅人に愛されている。いつか『ロンリープラネット』で旅してみたいと思うのだが、いまだにその勇気がわかない。そこまで硬派の旅人になりきれないのだ。
それほどに写真は一枚ですべてを表現してしまうからだ。