活字ですべてを表現する小説と、絵で表現の大半をすませてしまうマンガとの違い
昔は、大人がマンガが好きだというと、精神年齢の低い、未成熟な人のように思われたものです。
しかし現代では、マンガ・アニメが日本を代表する文化だと認知されるようになって、むしろマンガを知らない人は人生を損しているぐらいに思われるような時代になっているのではないでしょうか。
世界中で「日本が大好き」という人は、日本の経済的な支援によって恩恵を享けた、とかいうのよりも、はるかに子どもの頃に日本のアニメを見て日本に憧れて育ったという人が多いようです。
こんな素晴らしいことは他にないのではないかと思います。文化が輸出できて人を幸せにできるなんて。
クールジャパン戦略の主力はマンガ・アニメに他なりません。
ここでは小説とマンガを比較することで、活字ですべてを表現する小説と、絵で表現の大半をすませてしまうマンガとの違いについて考察しています。
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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。
「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」
「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」
※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。
アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。
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人間が書いた文章は読んだことがあるが、神様が書いた文章は読んだことがない
三人称小説における語り部・話主を誰に設定するかについてのブログはこちらをどうぞ。
このブログで、私たちは人間が書いた文章は読んだことがあるが、神様が書いた文章は読んだことがない、だから瞬間ごとにすべての登場人物の心境に立ち入ることができる【神の視点】の文章は、気味が悪いと感じると書きました。「いったいこの文章は誰が書いているんだ?」と叫びたくなるのです。
小説は誰が語っているのか、非常に気になる表現媒体です。なぜなら「絵で動きを見せる」映像媒体ではないからです。感情の起伏を起すことが小説の命です。心の動きを追求する表現媒体だから、すべての人物の心の中を描写したら破綻してしまうのです。
……その点、マンガは小説ではタブーとされるこの複数視座【神の視点】が、むしろスタンダードです。
それはマンガが「絵で動きを見せる」映像媒体だからです。その映像を見ているのは誰なのか?
画を追いかけるマンガの万能のカメラは【神の視点】といってもいいものです。
マンガの表現力は小説以上。誰の心にも自由に立ち入ることができる
マンガの場合、心境は「モノローグを示すふきだし」で、表現されています。
目で見るだけで誰の心象風景かわかるようになっています。それが小説との大きな違いです。
小説は話主が誰かわからないと見たことのない気持ち悪いもの(神の書いた小説)になってしまうのですが、目で見てわかるマンガではそのような混乱がありません。その場面をもっとももりあげる心境の中に自由に入っていきます。
少年漫画の戦闘シーンを例にとりましょう。
攻守つぎつぎに心境に立ち入ります。攻撃する側の負けられない事情、守備する側の負けられない思いがそれぞれ独白されます。回想シーンになることもよくあります。
攻撃する側の過去の因縁、守備する側に期待する周囲の思いなどが、交互に描かれて、互いに負けられない意地と意地がぶつかり合います。いやがおうでも場面が盛り上がっていくわけです。
このようなことができるのも、マンガの場合、「Aは思った。」「Bは思った。」と、いちいち「思った主体」をアフターケアしなくてもいいということがあるからです。「独白を示すふきだし」ですべては明白です。
いちいと頭を切り替える必要がないために「気持ち悪い」「何かおかしい」と感じることなく、マンガの場合は三人称複数視座【神の視点】で描くことができます。
むしろマンガの場合は小説のように誰か特定の一人だけの心境に立ち入る一人称小説にように書くことはまず「ない」と思います。心境独白は、作者の都合によって「してもいい」し「しなくてもいい」ので、都合よく「読者の驚き」を演出できます。
ここがマンガと小説のいちばん大きな違いだと思います。
マンガは、小説よりは映像作品に近いものです。「目で見せる」芸術だといえるでしょう。動きを目で見せることができれば、無声映画のように字がなくたって成立する芸術です。だから心境を描くことも省くこともできます。表情で心境を表現することもできます。焦っている人を描くときには汗が流れていたりします。
「目で見せる」ことを主眼とするため、SF作品のような「これまでに誰も見たことのない何か」を表現するにも向いています。
逆に小説は「動きを目で見せる」タイプの芸術ではありません。動くのは心境に他なりません。動きを見せることは苦手だし、心境を省くことも苦手です。これまでに誰も見たことのない何かを描くのも苦手です。
語り部が固定されている小説では、一人称小説にせよ、三人称小説にせよ、その語り部の心境を「省いてもいい」「省かなくてもいい」と選別するのは難しいでしょう。作者のご都合主義と思われてしまいます。
感情の起伏をおこすことが、小説の命です。
心境を「語りたくない」場合は、やはり語り部を「語りたい」話主に切り替えるのが小説の作法だと思います。
マンガの特殊表記。音声が担うべきところまで文字で表現する!!
マンガは「歴史もの」も描けます。「思想もの」だって描けてしまいます。「科学論文」だってマンガで描けてしまうのです。
絵があった方がわかりやすいので、むしろ字だけの論文、小説よりも、マンガの方が表現の場として優れているのではないかとさえ思えます。
小説における地の文を、絵で表現できるのがマンガです。論文の場合「説明ゼリフ」で解説することができます。
小中学生でも面白く読めるように、マンガでは説明すべき内容がエピソードとして表現されます。
その工夫のおかげで物語がさらに面白くなります。
小説だったら地の文の説明で終わるものがエピソード化されるため、さらに物語が深みを増すのです。
小説では三点リーダーを……と二文字分使いますが、マンガでは…と一文字分にして使うような独自な進化を遂げました。
これは画面に占める「ふきだし」の面積をできるだけ小さくするための工夫だと思います。
すべては「動きを目で見せるため」。絵とのバランスを優先して独自の進化を遂げたのです。
全部字で埋め尽くされている小説の場合、三点リーダーは……と二文字分使わないと、字の中に埋没してしまいます。埋没して目立たなくては、せっかくのリーダーが意味をもちません。
絵で見せるように表現する漫画の場合、……と二文字分もスキマがあると短いセリフが間延びしていしまいます。ふきだし面積も大きくなってしまいます。
マンガの場合「ふきだし」のかたちを変えるなど、目立たせる工夫は他にいくらでもあるからです。
このように独自の表記が進化したのも、古来の小説とは違う新しい分野だという意識が漫画家、編集者の双方にあったからだと思います。
映像作品では音声に相当する部分が、マンガでは文字で表現されるため、号泣したり、絶叫したりするときには、!! 、!? といった、小説ではつかわない強調記号が文末に多用されています。
それどころか文字の大きさを変えて、大きいセリフは大きな字、というように、音声が担うべきところまで一枚の紙にマンガは落とし込んでしまいました。
このように日本で独特な進化を遂げてきたマンガが今や世界中にひろまっています。
漫画家と編集者が知恵を絞って工夫した結果、今のような特殊な表記をする芸術作品になったのだと思います。
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このブログの著者が執筆した純文学小説です。
「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」
「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。
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物語のあらすじを述べることについての私の考えはこちらをご覧ください。
私は反あらすじ派です。作品のあらすじ、主題はあんがい単純なものです。要約すればたった数行で作者の言いたかった趣旨は尽きてしまいます。世の中にはたくさんの物語がありますが、主役のキャラクター、ストーリーは違っても、要約した趣旨は同じようなものだったりします。
たいていの物語は、主人公が何かを追いかけるか、何かから逃げる話しですよね? 生まれ、よろこび、苦しみ、死んでいく話のはずです。あらすじは短くすればするほど、どの物語も同じものになってしまいます。だったら何のためにたくさんの物語があるのでしょうか。
あらすじや要約した主題からは何も生まれません。観念的な言葉で語らず、血の通った物語にしたことで、作品は生命を得て、主題以上のものになるのです。
作品のあらすじを知って、それで読んだ気にならないでください。作品の命はそこにはないのです。
人間描写のおもしろさ、つまり小説力があれば、どんなあらすじだって面白く書けるし、それがなければ、どんなあらすじだってつまらない作品にしかなりません。
しかしあらすじ(全体地図)を知った上で、自分がどのあたりにいるのか(現在位置)を確認しつつ読書することを私はオススメしています。
作品のあらすじや主題の紹介は、そのように活用してください。
日本人なら、たくさんマンガを読もう
たくさんマンガを読みましょう。
このように優れたマンガを、この日本に生まれ育って読まないなんて、人生の損失だと思います。
「日本人の何が、世界の他の国の人々をもっとも羨ましがらせるだろうか」
世界を放浪してきた私がまっさきに思い浮かぶのは、美味しい食事と、母国語で自由に読めるたくさんの名作漫画です。
『ベルサイユのばら』のような作品を、日本人が書いたことをフランスの人だったらどう思うと思いますか?
すくなくとも私たちは誇りにしていいと思います。
マンガは日本が世界に誇る文化です。たくさんマンガを読みましょう。
マンガの欠点は、すべてを絵で表現する分、紙がぶ厚くなってしまうことです。問題は所蔵スペースです。本棚がいくらあっても足りません。
読み切れないほど読みたいマンガがたくさんあります。
しかし本棚がなくて読むのを我慢する必要も、最新のデジタル技術でなくなりました。
マンガは所蔵スペースをとらないデジタルマンガがおすすめです。
デジタルマンガならば部屋のスペースをいささかも占拠することなく、無限のマンガをよむことができます。
小説もそうですが、マンガが売りたいのは紙ではなく、イメージであり、感情であり、思想だったりします。それを伝えるのに、もはや紙は必要ではありません。とくに絵で表現したマンガは慣れれば違和感なくデジタルで脳裏にイメージを届けることができます。
デジタル・トランスフォーメーション(DX)の時代です。
おすすめのマンガ・ダウンロードサイトをご紹介します。
DMM電子書籍
国内最大級の電子書籍サイトです。男性コミック、女性コミックなど分野に分かれているので本屋を歩くようにして読みたい本を探すことができます。ボーイズラブやアダルトコミックの分野もあります。
初回購入限定の50%オフクーポンのプレゼント付きです。
eBookJapan
約50万冊の電子書籍のうち、約21万冊はマンガというサイトです。
無料読み放題も充実しています。(約9000作品)
××はレベルが上がった(まとめ)
昔、マンガの愛読者は段ボール箱にマンガを詰めて、重ねて保管していました。
しかし今では電子マンガによって、収納スペースを気にせずにマンガを読むことができます。
これからの時代は、このような読み方が主流になるでしょう。
本は電子書籍がおすすめです。
オーディオブック視聴は最高の文章上達法です。
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