ここではジャック・ロンドンの怪奇短編『赤い球体』の書評をしています。わたしはホラー物は読むのを避けているのですが、ひさしぶりに怪奇な小説を読んでしまったものだ、と思っています。
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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。
「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」
「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」
※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。
アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。
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『赤い球体』あらすじ
主人公はバセットという白人。奴隷船から南洋の島(ガダルカナル島か)に上陸したが、蚊の毒(マラリアか)にやられて病人状態である。島の奥地には宇宙から飛来したかと思われる見たこともない物質でできた赤い球体が大天使の角笛もかくやというような音を鳴らしていた。南洋の島は食人族の島であった。一緒に上陸したサガワは原住民に目の前で首を斬られてしまった。
バセットも女食人族のバラッタに襲われたが青い眼と白い肌で女を籠絡し味方につけることに成功する。バラッタは不潔で醜かったが、赤い球体の謎に近づくために抱くことも厭わなかった。ポリネシアのジュリエットは情が深かった。
バセットは呪い師ガーンの家に運び込まれたが、もはや肉屋の品物としか見られていなかった。バセットが生きていられるのはショットガンのおかげであり、もはや立つこともできない。とくにまじない師ガーンは白人の生首を煙の中で回転させていぶしている男である。「おまえの首をいぶして保存したいんだ」とバセットは宣言されていた。
バセットは死期を悟り、最後に赤い球体の大天使の角笛を聞きながら死にたいと願う。赤い球体までガーンに連れて行ってもらった。叡智をたずさえて宇宙の彼方から飛んで来た赤い球体が首狩りの野蛮人にしか知られていないなんて、エホバの十戒の石板を動物園の檻の中の猿に見せるようなものだとバセットは惜しむ。これを世界に公開するのは文明国の白人たる自分の使命ではないかとも思うが、もはや命は尽きた。ショットガンでガーンを殺すことはできたが、そんなことをいまさらやって何になる、とバセットは思って首を捧げた。首が落とされる瞬間、バセットは「メドゥーサ・真理トゥルース」と、自分の首がパンノキの傍らにあるまじない師の家の中でいつも回転している幻想を見た。
物語のあらすじを述べることについての私の考えはこちらをご覧ください。
私は反あらすじ派です。作品のあらすじ、主題はあんがい単純なものです。要約すればたった数行で作者の言いたかった趣旨は尽きてしまいます。世の中にはたくさんの物語がありますが、主役のキャラクター、ストーリーは違っても、要約した趣旨は同じようなものだったりします。
たいていの物語は、主人公が何かを追いかけるか、何かから逃げる話しですよね? 生まれ、よろこび、苦しみ、死んでいく話のはずです。あらすじは短くすればするほど、どの物語も同じものになってしまいます。だったら何のためにたくさんの物語があるのでしょうか。
あらすじや要約した主題からは何も生まれません。観念的な言葉で語らず、血の通った物語にしたことで、作品は生命を得て、主題以上のものになるのです。
作品のあらすじを知って、それで読んだ気にならないでください。作品の命はそこにはないのです。
人間描写のおもしろさ、つまり小説力があれば、どんなあらすじだって面白く書けるし、それがなければ、どんなあらすじだってつまらない作品にしかなりません。
しかしあらすじ(全体地図)を知った上で、自分がどのあたりにいるのか(現在位置)を確認しつつ読書することを私はオススメしています。
作品のあらすじや主題の紹介は、そのように活用してください。
人間の生首が煙にいぶされて回転している姿が読んだ後も脳裏を去らない。
なんというか……奇妙な読後感でした。ひさしぶりにおもしろくて気持ち悪い小説を読んだな、と。
人間の生首が煙にいぶされて回転している姿が読んだ後も脳裏を去りません。
1916年の作品です。現代ではファンタジー小説、SF小説なら別ですが、この地球上の話しとしては、このような作品は書けないだろうと思います。
食人族、首狩り族が歴史的事実だったとしても、表現するのは厳しいんじゃないかな。露骨に白人至上主義ですから。原住民の女の心は白い肌と青い瞳にメロメロだし、赤い球体の宇宙の意志がわかるのは白人だけみたいな書き方をしていますから。
「メドゥーサ・真理(トゥルース)」とは何だ?
それにしてもバセットが死ぬ直前に見た「メドゥーサ・真理トゥルース」とは何なのでしょうか。調べてみましたがよくわかりませんでした。
いわゆるゴルゴン三姉妹のメデューサのことでしょうかね?
ここは別にただの≪真理≫として読んで問題のないところですが、なんで≪真理≫がメドゥーサと結びついているのかがとても気になりました。
メドゥーサというのはもともと美女でしたが、アテナの神殿でポセイドンとまぐわったために醜い蛇頭に変えられてしまいました。邪視により見たものは石になるとされ、ゼウスとダナエの子ペルセウスに退治されます。
斬られた首はアテネのアイギスに装着されて、彼女の防備はさらに強力になりました。このアイギスはイージス艦のイージスと同じ語源です。
アテナの胸(アイギス)でアッカンベーするメドゥーサ。
どうしても真理=メデューサというのがわかりません。まだ≪アテナ・真理≫とするならわかるのですが。アテナは知恵の女神ですし。。。
あえてバセットとメドゥーサの共通点といえば、首が斬られて曝されるというところですが……
敗者の真理、悪魔主義者みたいな発想なのかと思って真理=メドゥーサというのが気になりました。
しかしただ≪真理≫と読んで、小説の上では何の問題もありません。
とにかくこうして感想文を一遍書き上げてしまうほど気になった小説でありました。
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このブログの著者が執筆した純文学小説です。
「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」
「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。
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