プライマル・スクリーム(原初からの叫び)

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心の放浪者アリクラハルトの人生を走り抜けるためのオピニオン系ブログ。

書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。小説『ツバサ』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

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目次
  1. アーサー・ヤノフ著『プライマルスクリーム(原書からの叫び)』
  2. 分離症とは、悪霊が取りついているような状態
  3. 苦痛が強く耐えられないと、感情を押し殺し、無感覚になってしまう
  4. 原初の満たされぬ欲求はほかのあらゆる人間活動に優先する。神経症とは感情の病気である。
  5. 神経症になったのは愛を獲得するため。
  6. 過食症は、食べることで原初の叫びを押し戻そうとしているから
  7. ありのままでいられないことは、自分の一部に対して死刑宣告すること
  8. 両親は世界。子どもの世界との関わり方を決定してしまう。
  9. 古い未解決な感情と向き合う。苦しんでいる自分を自分で感じ取る
  10. 行動の大半が生まれてまもないときに生じた出来事に根ざしている
  11. 今の快適さを受け入れると、苦しかったことを認めてもらう希望をあきらめなければならない。
  12. 内部に根ざしている圧力を外部からかかっているように感じて本心とは別の夢をいだく
  13. 愛とは、人をありのままにあらしめること。愛とは、たくさん抱かれ愛撫されること。
  14. 旅しても、自分探ししても、自分らしくなれない。それができるのは苦痛だけである。
  15. 自分らしく生きることのできなかった人間が、怒っている
  16. 自分以外の何ものかになるということは、死ぬことにほかならない。
  17. 嫉妬とは、自分の分け前をあたえられていないと感じること
  18. 自殺
  19. 苦痛を自分とは関係もない外部のドラマに象徴化するのが幻覚の正体
  20. 肥満は神経症。カロリーブックでは解決しない。
  21. 来世信仰を精神病と見なさないのは社会的に通用している考え方だから
  22. 愛してもらいたい本能とは、すなわち自分自身でありたいという本能。

アーサー・ヤノフ著『プライマルスクリーム(原書からの叫び)』

身もだえ、けいれんし、叫び声を上げた。感覚中枢が機能し始めた。

これが原書からの叫び、プライマルスクリームです。

このページではアーサー・ヤノフ著『プライマルスクリーム(原書からの叫び)』の書評をしています。赤字は本書の内容。黒字は私の書評です。

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分離症とは、悪霊が取りついているような状態

幼児が、要求を無視されないと、自分の望みを諦めさせ、苦しみを押し殺してしまうまで、苦痛を味わう。幼児は欲求を満たせないし代用品も見つけられないので自分の感覚を意識から分離せざるを得ない。これが分裂症である。

分離症というのは悪霊が取りついているような状態のことです。

たえがたい苦痛を締め出すためにおこなわれる本能的な行動が分裂。分裂によって問題が解消されるわけではない。満たされぬ欲求は、心の奥底で消えず、関心の在りかを方向づけ、欲求を満たそうという動機になる。

本書の基本メソッドは、これです。心の闇には幼いころの傷があるという理屈です。

心の傷は苦痛をともなうので意識に登らぬように押し殺されている。押し隠した原初の欲求が、より大きな制御や開放を得られる方向に大人になってから向かう。

しかし原初の欲望そのものを解消せずに、代償に走っても、根本的には解決されません。

たとえばタバコ愛好家は乳首から無理やり引きはがされた傷、親に無視された子は話し好きになる場合がある。

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苦痛が強く耐えられないと、感情を押し殺し、無感覚になってしまう

原初の苦痛があまりにも強く耐えられないので、満たされぬ肉体的な欲求と感情を押し殺してしまう。

無表情な子供になる場合があります。

生まれ落ちてずっと真剣な努力にケチのつけられどおしで、なにをしたところで両親の愛情をかちえることはできないのだと感じさせられると、子どもは誉め言葉を強く欲するようになる。

傷を解消する欲求をつよく刻み込む子もいます。

耳を貸す人が一人もいないことによって抑圧される。そうした拒否が話す欲求に転ずる場合もある。

自己表現欲求が強い子になる場合があります。

小さな時代に愛されていないという気持ちにまったく気づかぬまま、愛されていると感じ取るためにセックスに駆り立てられる。

愛情に満たされた子は小さい時の欲求を満たすためにセックスに頼る必要がない。

母親の無視がセックス依存症の原因かもしれません。

他人の肉体を利用して古い欲求を満たす。未解決の欲求、古い否定をぬぐいさる。要するに子供は両親好みの人間にならねばならないのである。

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原初の満たされぬ欲求はほかのあらゆる人間活動に優先する。神経症とは感情の病気である。

バカにされて育った人は尊敬されることをのぞみ、自分の子には反抗をゆるさない場合がある。

感覚器に刺激を受けないと委縮してしまう。愛情が子供の苦痛を取り除く。

原初の満たされぬ欲求はほかのあらゆる人間活動に優先する。神経症とは感情の病気である。

生まれた時から良心の欲求を満たすための苦闘がはじまる。社会化されるとき、子どもは自分らしくあることを許されない。自然で原初的な欲求を否定され、傷つけられる。

「社会化される中で、どんな子も傷つくのだ。だからプライマル・セラピーは誰にでも通用する理論だ」というのがアーサーヤノフの主張です。

しかし私は別の考えをもっています。ラストにまとめて書き記します。

原初的な苦痛=ありのままの自分でいては愛してもらうわけにはいかないぞ。

抱かれず、無視され、あざけられ、無理じいされ、傷ついていく。自分は価値がない、不完全で望まれていない人間なのだという思い。

自分が何を要求されているかをすばやく読み取る。

両親のやり方で喋り、行動する。両親の期待している線にそってふるまう。活気をみなぎらすことも、哀しげな様子を見せることもなく、筋書き通りに行動し始める。

愛をえるために別人になって、本当の自分と、もう一人の自分に分離するというのです。

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神経症になったのは愛を獲得するため。

神経症になったのは愛を獲得するため。愛が存在していれば、子どもはあるがままの姿をとるだろう。あるがままでは決して愛してもらえないという恐ろしいまでの絶望。自分の欲求は永遠に満たされないだろうという絶望。

幼いころの体験の決定的な力が人生観へ影響を及ぼし、心の闇から野獣のように吠えたてます。

これをヘルマン・ヘッセは『荒野のおおかみ』と呼びました。

なにをしたところで報われることはない、という思い。

それが生涯ずっとつづきます。

原始的大情景=傷が臨界をこえて非現実に生きる瞬間の出来事。個人的な具体的な出来事。

神経症的な闘争を通じて、希望を満たそうとたたかう。

愛は、人生観が変わるほどの破壊力を持つ。

愛されたい、生きのびたい、というのが原初の叫びです。それが満たされないと歪みます。

村上龍コインロッカー・ベイビーズ』のラストシーンを思い出しますね。

分裂して感情を完全にきりおとしてしまった。もはや心理的な痛みを感ずることができない。再び自分自身を解放するために、最初の苦痛を感じる必要がある。苦痛は心だけでなく肉体的内分泌的な反応である。

原初的な苦痛を隠して抑えておくために神経症になる。知覚と認識は現実から遊離する。原初の叫びは自分の欲求を満たすことができる対象に向かわせる。

大人になってから代償を見つける意味です。たとえば権力を志向するようになる、というような。

感情を取り出すタンクに蓋をしてしまう。苦痛だけでなくよろこびまで抑圧する。なおれば「感じること」ができるようになる。

原初の叫びを知覚できれば分離していたものが結合する。苦痛を声に出して叫ぶ。

冷たい人とつきあうのは、冷たい親を、温かみのある人間に象徴的に変えようとするため。しかし親は変えらえないから、闘争は続く。

親が変えられないというのは二重の意味。子どもはあまりに無力だから変えられないのが一つ。そして過去は変えられないというのが二つめ。

神経症の人は、生涯の初期に経験した緊張に耐えられなかった。私には何も起こりませんでした。それが起こったのは彼女のほうです。と分裂する。原初の叫びが満たされないのは、気分の悪い不自然な緊張だ。少しでも気分を良くしたいと望んで行っている行動が分裂なのだ。不安のおおもとは愛されていないという恐れにある。

荒々しい男になったのは、そういう親の期待があったからである場合がある。男らしさを止めさせるのは愛と承認をうしなうこと、原初的な絶望に直面しろというにひとしい。行動の大半は恐れの感情に根ざしているから。不安は結合されていない古い恐れ。恐れが不安に変わる。

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過食症は、食べることで原初の叫びを押し戻そうとしているから

極度に体重オーバーの人は、深く隠された苦痛の持ち主。胃から上がってくる叫びを食物をつめこむことで押し戻そうとする。

満たされない原初の叫び=ストレスは、肉体にも影響を及ぼします。

追い詰められて顔がけいれんするとき、肉体は感情を押し殺しているのである。

緊張した筋肉系が神経症を永続させる。筋肉系、各種の器官、血液循環系にも影響する。よろこびとは緊張からの解放感。

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ありのままでいられないことは、自分の一部に対して死刑宣告すること

当の本人が自分の自然な傾向を感じ取れないために、不自然な行動が規範になっている。自分自身の一部をしめだしている。自分の一部に対して死刑を宣告しなければならない。防御は、自分本来の自己を取り戻すまでつづく。生まれ落ちてすぐの剝奪と、その剥奪がその後の人生に与える影響。

馬鹿にされ続けていると、自分に何か欠点があるのだと考える。そして食べすぎ、マスターベーション、ドラッグなど代償にはしる。自分の頭の中に逃げ込み、自分に引きこもり神経症そのものになる。食餌や注射針と直接的な関係を持つ。

体全体が抱いてもらうことを必要としている。それが満足を得られる方向に(闇から)たえず力を及ぼす。

悪い習慣は、原初的な苦痛をおさえこもうとしている。凍結された苦痛。希望は永遠に消え去らない。神経症は感情のプロセスであり、その人の(今の)欲求を知るだけでは駄目だ。愛なしでは、生きていくために感情を殺し、無気力になる。機械仕掛けの人形のような生気のない重苦しい感じになる。

人は何歳になってもありのままの自分でいようとするのです。それが邪魔されたから叫びが抑圧されているのです。

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両親は世界。子どもの世界との関わり方を決定してしまう。

有害な親子関係。子どもはまったく無力。両親にすっかり依存。両親は世界。子どもの世界との関わり方を決定してしまう。意識から締め出すほど強烈で圧倒的な反応。三歳までに受ける衝撃がなみはずれた影響を及ぼす。自己の抑制。

肉体の中心的な欲求は、触れられることである。

泣くに泣けないでいると、泣きたい気分になっていることすら気付かないようになる。涙を弱さのあかしとしてあざけるようになる。

欲求を殺すことで苦痛を締め出す。

ここで解説しているのはプライマル・セラピーですが、仏教徒が修行でやっていることはまさにこれではないかと思います。

原初の苦痛を締め出そうという修行。正しく苦痛を見ようという修行です。

疑似感情。ほんとうの感情は幼いころのトラウマ。古い感情に蓋をする行動をとらせる。疑似感情と本当の感情は緊張関係にある。

時期遅れの愛は役に立たぬ。分裂を解消できるのはやさしさではない。それができるのは原初の苦痛だけ。

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古い未解決な感情と向き合う。苦しんでいる自分を自分で感じ取る

私が傷ついていることを悟られたくない。それを知られてサディストに快感をあたえるようなことはしたくない。

こわい! 優しくして。たすけて。憎い! 古い未解決な感情と向き合う。苦しんでいる自分を自分で感じ取ること。

愛を求めると拒否と苦痛に見舞われる。象徴的なものを求めるたえざる緊張、模索。

「知る」ことだけではじゅうぶんではない。全身にみじめさを感じている。

感情を締め出す以前に戻る。

原初の叫びは苦痛そのものです。傷をじゅうぶんに苦しんで、過去のものだと理解して、本当の気持ちから離れることがセラピーです。今の欲求ではないのだ、と理解しなければなりません。

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行動の大半が生まれてまもないときに生じた出来事に根ざしている

自由を求める行動が抑圧されると反社会的な行動に駆り立てられることもある。

死んだような顔が生気を取り戻し、表情を見せる。

自分の行動の大半が生まれてまもないときに生じた出来事に根ざしていることにまったく気づいていなかった。

為末大『走りながら考える』の中に、残りの寿命が見えていたら、過去にやり切らなかったことをやり切るために時間を使う、という哲学が語られています。プライマル・セラピーと同じことを言っていると思います。

負けて引退したアスリートの言葉『走りながら考える』

神経症は小さな時の友人にして保護者。人生があまりにも耐えがたくなったときに私たちの身代わりとなってまもってくれる。

感情を殺すことは呼吸を殺すこと。浅い呼吸になる。感情を吐き出すことは呼吸を吐きだすこと。深い呼吸。胃が震え、胸は波うっている。

分裂症は腹話術師の人形のように、口は動いているだけで感情とつながっていない。

闘争とは、感情の否定の場合がある。闘争を必要とせず、闘争にかかりっきりになるための障害をもうけておく必要のない正常な人間はものごとに専心できる。

分裂している人間は握手をするとき、よそを見ている。

素直な反応が受け入れられないことを知っているから、にせの反応をしたり、なにも感じていないふりをする。

人格はそれが伝達せずにはおれぬメッセージの方へ向かって歪む。

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今の快適さを受け入れると、苦しかったことを認めてもらう希望をあきらめなければならない。

親に悲惨さを理解してもらいたい原初の欲望があると、今の快適さを受け入れると、悲惨さを認識してもらう希望をあきらめなければならない。愛する人を見つけると、もう幼いころ必要とした人たちは必要ないという意味を持つ。少年時代に二度と戻れないと感じることが恐ろしい。

親が子の欲望の前になすべきことを設けると、後年、自発的に行動することができず「なにをすべきか」たずねるようになる。

場合がある、ということだと私は思います。後述します。

悪いニュースを見る。人生を耐えうるものにするために、自分のみじめさを自分以外のものに投影せずにはいられない。

自分よりも悪い状況にいる人を見て留飲を下げる人は多くいます。

自分が愛され望まれているだろうとクリスマスパーティーにでかける神経症の人は、失望を味わう。

自分の欲求を抑えることは、他人の欲求に対する認識の否定に通ずる。

自他を認めるところまでいけないのが神経症です。じぶんのことばっかり、に見えるのです。

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内部に根ざしている圧力を外部からかかっているように感じて本心とは別の夢をいだく

神経症は、自分を包み隠すために他人を利用する。身の回りを他人の褒めてもらうことを必要とする傾向がある。内部に根ざしている圧力を外部からかかっているように感じて忙しく過ごす。将来、うんと幸福になるんだ。という思いが生涯つづく。

生まれてからずっとやりたくないことをやってきたので、しなければならぬことを苦痛に感ずる。このうえ傷つかぬために、子どもは自分の感覚を鈍らせる。

治療後、神経症的な仕事をつづけるのが不可能になった。

自己を駆り立て、価値があるとか認められるとか愛されるとか最後には感じられるようになろうとつとめる。お祭りがあっても楽しめない。神経症は没頭せず、自分が愛されているかとか、意義をさがして楽しめない。

こんなことをして何になるんだろう、と目の前のお祭りに没頭できない人は、神経症である可能性があります。

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愛とは、人をありのままにあらしめること。愛とは、たくさん抱かれ愛撫されること。

自分にとって本当に大切なことをするのではなく、重要さを感じたいばかりに、多くの人が神経症にかかっている。

叫ばないのは希望のため。叫んで誰も助けに来てくれなかったらすべてが失われる。叫ばぬことでこの認識をせずにすんでいる。

夢を口にできない人は、かなえられなかったら希望が失われてしまうからだと思います。

愛とは、人をありのままにあらしめること。愛とは、たくさん抱かれ愛撫されること。

これまでいいよどんできたものを、ついに口に出していった。

ふれあうことと暖かい肉体的な接触。気持ちよくしてもらうとき子どもは愛情を経験している。愛は自己を高め、苦痛は抑圧する。自由な表現。

私は肉体主義者ですが、それは同時にセックス第一主義者であることも意味します。

そうはいっても肉体がすべて

愛されていると感じることは、まず第一に、愛されていないという古い苦痛をそっくりそのまま感ずることを意味する。愛を感知できないから、言葉による証しをたえず必要とする。

愛情の中に探し求めているのは、一度として自分らしくあることを許されなかった自己である。

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旅しても、自分探ししても、自分らしくなれない。それができるのは苦痛だけである。

愛してください。嘘の生活をしなくても済むように。人生を台無しにしないでください。

旅しても、自分探ししても、自分らしくなれない。それができるのは苦痛だけである。

愛が捧げられているときですら、闘争の方が大事で、愛をさける人がいる。母に拒絶された人は、冷たい女を選び、その女を変えて愛情ぶかい女にしようとする。

自分自身に不誠実になることに子どもは同意する。自分は愛されていないのだという思いを覆い隠すために、屈服し、犠牲になる。

自由を求めて泣き叫んだ。本当の欲求を。自分らしくあることを許してくれる特定な人を求める。

たとえば「会社で出世したい」とかその夢は、原書からの叫びにかなった本当の夢なのか、よく感じてみる必要がありそうですね。

理解すると突き上げてくる闇からの欲求がなくなるので正常になる。

マゾヒスティックな儀式は、サディスティックな母親への古い欲求。

感じるということはまず第一に自分の苦痛を全部感じ取れるということ。原初の苦痛は感じ取らなければならない。そののちに現在のすべてを受け入れることができる。

自分を感じられない人間が外側に探そうとしても見つけられない。

闘争は両親の愛情をうるために別の人間にならなくてはならないためである。

彼は毎晩、家をあけてバーへでかけていくが自分が苦痛にうちのめされていることには、まったく気づいていない。

本当に望んでいることが自分でわかっていないからです。

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自分らしく生きることのできなかった人間が、怒っている

文明化の過程が、欲求不満と敵意をうえつけている。文明の民ということが別の人間の感情に支配されているということ。支配されていることが内面的な怒りの源になっている。

怒れる人間は愛されなかった人間。自分らしく生きることのできなかった人間。自己を否定した両親に対して自己否定を受け入れた自分自身に怒っている。要求が一義、怒りは二義。苦痛、傷、愛の要求が怒りとなる。愛の要求が得られぬために傷つき、傷となり、傷をいやすために怒りにかられている。

怒りもうつ病も傷に対する反応。拒否のそらおそろしい感情に耐えるよりは怒りを感ずるほうがやさしい。孤独感を憎悪にすりかえる。憎しみは要求を覆い隠すための覆いにすぎぬ。

怒りとは、自分の生命を叩き潰そうとしている人間に対する怒りである。本当の自己を絶滅させつつある。生きることを許してくれぬあなたを憎む。

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自分以外の何ものかになるということは、死ぬことにほかならない。

自分自身になって、すべてをさらけだして全面的に拒否されることのないよう、分裂自己にしがみついてきたのである。しかし自分以外の何ものかになるということは、死ぬことにほかならない。

幼年時代に解決されなかったことは、解決されるまでほとんどすべてのことにしのびこんでくる。

怒りは感じても、対象が定まらないと、根強い怒りは消え去らない。いったん結合ができると怒りは消え去った。無力で受け身の自己、少女の感情が感じ取られるまで、ファイトクリニックではなにひとつ本当に解決はしない。

ファイトクリニックというのは、たとえば離婚危機の夫婦にわざとケンカさせて、そのことで危機を乗り越えようという手法です。それでは効果がないとプライマルスクリームはいいます。

筋肉が緊張していたのはあの二人に攻撃を加えないようにするためだったのだわ。

原因は過去に根を持つなにか。古い感情。闇からの感情。

「私がこんなに働いているのに、だれひとり私のことを思ってくれないし、私の努力も買ってくれない」そうした感情をいだきつづけてきた。だから待たされると怒った。手伝わないと怒った。

抑圧が他所にはけ口を求める。その結果、要求を奪われ、要求が満たされていないという思いを奪われてしまう。ふくれると親に「なんだ、その顔は。笑え」といわれがちだ。三重に抑圧を強いられ、自分の気持ちを隠すためにさらに殻にとじこもる。

両親に敵意を示すことが許されないので、それを兄弟にふりむける。

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嫉妬とは、自分の分け前をあたえられていないと感じること

愛情はよいこにしているときの特別な贈り物だと考える。嫉妬とは自分の分け前をあたえられていないと感じていること。自分の分け前があるはずだ、と条件付きの贈り物だから考える。

自分のすべての感情を自分のものと呼べる人間ではなく、神経症的な人間になる。

愛されぬためでなく、愛情を誰にも注げないために苛立っている場合もある。

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自殺

両親に拒否された彼女は、自分は醜く人好きのしない人間なのだと感じるようになった。こんなに無視されるのは何か悪いところがあるからに違いないと思い込んだ。その苦しい思いをごまかす手段に恋人を利用した。しかし彼に去られると……これまで受けてきた拒否によって生じた穴を埋めるのは不可能だと見て取った。そして自殺をはかった。

神経症は心理的な自殺である。愛してもらうため自分を諦めた人間にとって、その自己を文字通り殺すことはさほど大きな飛躍ではない。「ほかの人間」神経症が役に立たぬと自殺を考える。

別人になっても愛されないと「ほかの人間」神経症になるか、自殺する。

「ほかの人間」は他人があたえる支持の強さによって決定され、他人の承認にもとづいて行動する。

自殺は自分自身も、ほかの人間も愛されない時におこなわれる。

自分自身を殺す目的は生きるためである。自殺の試みは生命を求める叫びである。

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苦痛を自分とは関係もない外部のドラマに象徴化するのが幻覚の正体

LSDは深遠で神秘的な一種の宗教、ひとつの世界観。精神を拡大するサイケデリックな薬物。内面空間への大旅行。リアリティの旅。

LSDは感情を刺激する。古い感情を刺激する。神経症患者は現実の感情を象徴化して白昼夢、悪夢だととらえてしまう。次から次へと感情にみちびかれ、しまいには気が狂うのではないかと思った。

正気を保ち真実を直視することをさけるために、狂気になった。真実をまったく理解しないで過ごす手段としてバラバラになったのである。身の回りに起こっていることの意味を歪めた。

特定の感じ取られていない苦痛をショーに切り替えるのが、幻覚。外部のドラマにする象徴化。緊張が自分とはなんの関係もないと納得させるための象徴化。それが幻覚。

分離が結合すると感情につながった。

肉体上の異常な変化は精神病の肉体化である。

ヘロインは感情を鈍らせる。

薬物をもちいる以外に自分の感情に近づく方法を知らない。問題は薬物ではなく彼らをゆがめたもの。

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肥満は神経症。カロリーブックでは解決しない。

過食は薬物常用と同じ。食べ物を緊張緩和剤として使っているから。内部に住んでいる欲求不満の小さな子供、剥奪された小さな子供のために食べている。太って不格好で射ることが彼女の防御策だった。怒らないでお母さん、お父さんを奪ったりしないから。

食べ物は手に入るが恋は手に入らないから食べる。魅力的だと性行為につながる恐れから醜くなる。みたされない思いを感じたくないから食べてのみ込む。

肥満は神経症。カロリーブックでは解決しない。

私が社会に拒絶されるのは太っているせいで私自身ではないのだ、という希望がある。

太った自分に気づいて助けてくれるのを待ち望んでいた。過食の理由は人それぞれ。

過食者はダイエットに安住している限り、本物の問題と直面しないですむ。

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来世信仰を精神病と見なさないのは社会的に通用している考え方だから

あらゆる夢、白昼夢、幻覚、妄想は私たちを守り機能できるようにするための盾にすぎない。当人を耐えがたい苦痛から守るため。過去と現在、内面と外面が区別できないために生じる。

叫びは爆発です。村上龍『限りなく透明に近いブルー』のラストシーンを彷彿とさせますね。

われわれは死の恐怖から来世の存在を信じている。来世信仰を精神病と見なさないのは社会的に通用している考え方だからである。しかし多くの人間が来世の存在を信じていないとしたら、精神病と見なされる。

世界から閉じこもる以外に、とるべき手段を何ひとつ持ち合わせていなかった。

真実との本物の接触は、つねに内面的な過程である。恐れているのは他人ではない。自分自身の恐れの感情をひきだす他人を恐れているのである。

原初的苦痛とは防御がくずれおち感情の世界に入り込んでいくことにほかならない。

憎悪は傷つけられることに対する恐れに過ぎない。

ほとんど感ずることもなく、たえず無意識のうちに過去を現在に投影している。

軽率な結婚。私たちは闘争と結婚する。

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このブログの著者が執筆した純文学小説です。

「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」

「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」

本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

Amazon.co.jp

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理解すれば、もはや束縛された成人として行動する必要がなくなる。

神経症とは感情の否定であり、感じることによってなおる。

現実の人間とは自分の欲求が満たされていると同時に、他人の欲求を満たしてやれる人間のこと。

制御は内面的な圧力を高め、最終的には破壊、爆発。

心身相間の症状。要求は身体全体に食い込んでいる。からだ全体で経験、追体験されねばならない。

幼児期に生じた欲求はいったん解消されてしまうと、大人になっている現在、それはもはや本物の欲求ではなくなるためである。

親は自分たちが人間をじょじょに殺しつつあることに気づかない。

欲求が満たされないと象徴的な価値。権力、威信、身分、成功を追い求める。よろこんで本当の欲求を捨て去る。象徴的な欲求が満たされても決して満足できない。なぜなら本物の欲求が息づいているためである。

現実的なものにじかに取り組むこと。

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愛してもらいたい本能とは、すなわち自分自身でありたいという本能。

フロイトの理論では足りないというのが、プライマルスクリームの主張です。弁証法でいうところのアンチテーゼに位置しているわけです。

1970年に刊行された本ですので、このプライム・スクリーム理論を批判する理論も現在はあると思います。ジンテーゼに導く統一理論もあるでしょう。

私はこの本を読んで、二重うつしで人を見ることを学びました。人は現在かかえている問題だけでなく、過去の問題を解消しようと突き動かされているということを。

そう見るとすべての現在の人の行動が、過去ゆえの行動に見えてきます。すべての人に傷を見てしまうのです。

しかし私は思います。そもそも万人に通用する理論なんてものはありません。人の傷、人の真理は個人的、具体的なものです。プライマリー理論にぴったりと合致する人がいます。そしてそうでない人もまたいるのでしょう。

人の数だけ苦痛と解放の闘争があるのです。

アウシュビッツ強制収容所の記録『夜と霧』

自分でない自分であろうとすることこそ難しい。もっともやさしいこと、それは自分らしくあることである。

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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。

「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」

「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」

※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。

アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

https://amzn.to/44Marfe

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

【この記事を書いている人】
アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。
●◎このブログの著者の書籍『市民ランナーという走り方』◎●
書籍『市民ランナーという走り方』Amazonにて発売中
雑誌『ランナーズ』のライターだった筆者が贈る『市民ランナーという走り方』。 「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか? いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状打破、自己ベストの更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。 ●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」って何? ●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム? ●ピッチ走法とストライド走法、どちらで走るべきなのか? ●ストライドを伸ばすための「ハサミは両方に開かれる走法」って何? ●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは? ●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」の本当の意味は? 本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く効率的に走ることができるようになります。 ※カルペ・ディエム。この本は「ハウツーランニング」の体裁をした市民ランナーという生き方に関する本です。 あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
https://amzn.to/3CaR81P
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●◎このブログ著者の書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』◎●
書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
https://amzn.to/3OBWtUR
書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
Amazon.co.jp: ツバサ eBook : アリクラハルト: 本
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
https://amzn.to/43j7R0Y
×   ×   ×   ×   ×   × 
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
https://amzn.to/47hnbeF
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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