【怒る富士】富士山の大噴火。山頂が噴火してもっと高くなるか。

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『ドラクエ的な人生』とは?

心の放浪者アリクラハルトの人生を走り抜けるためのオピニオン系ブログ。

書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。小説『ツバサ』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

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権力争いの中で、宝永大噴火による被災地救援は後回しにされて、見るに見かねた関東代官・伊奈忠信が命を賭けて動く

こちらは気象庁勤務の時代は富士山山頂の測候所に勤め、作家になってからも富士山のことばかり書いた新田次郎の『怒る富士』の書評です。

読むきっかけとなった動画はこちら。伊奈神社に行ったことがきっかけです。

富士山大噴火・公務員の鏡

伊奈忠信のことは知っていました。富士山の宝永大噴火で火山灰にまみれた地域のために「お救い米」を届けた人物です。この行為に伊奈忠信は生命を賭けました。しかし『怒る富士』を読んだのははじめてです。読んだ感想ですが……気持ちが暗くなりました。

幕閣の権力闘争がすごくて、なまなましくて、うんざりしました。

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このブログの著者が執筆した純文学小説です。

「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」

「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」

本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

https://amzn.to/3PZ4985

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何の功績を残したのかイマイチよくわからないのにやけに有名な柳沢吉保

何の功績を残したのかイマイチよくわからないのにやけに有名な柳沢吉保サイドの人間として主人公・伊奈忠信は登場します。

柳沢吉保のボスは「生類憐みの令」の徳川綱吉。この将軍はこの悪法で有名ですが、側用人制度を確立して将軍の発言力を強めた強力な将軍です。側用人というのは秘書みたいなものです。大老、家老と将軍のやり取りにこの側用人をワンクッション入れることで、直接口がきけないようにしたのです。大老、家老は上様のご意見を側用人に聞かなければなりません。自然、側用人の権力は絶大になります。明智光秀を小ばかにする森蘭丸みたいなイメージですね。

真に偉かったのは徳川綱吉です。義士として除名の機運があった赤穂浪士に切腹させたのも綱吉です。元禄文化の立役者であり、優秀な将軍でした。

しかしこのボス綱吉が死去したことで柳沢吉保は失脚します。その当時の勘定奉行の荻原重秀が優秀さゆえにポストに残り続けたのにくらべると、けっきょく、何をした人なんだろう感がぬぐえないのが秘書官の柳沢吉保なのでした。

綱吉・柳沢吉保の5代目に変わって登場するのが六代将軍徳川家宣。その側用人であった間部詮房よりもむしろブレーンであった新井白石が有名です。

この新井白石がどんな功績を残した人物かというと……「正徳の治」と呼ばれる改革をしていますが、具体的な功績はというと実際のところたいしたことはやっていません。いちばんの功績は前将軍の「生類憐みの令」を廃止したことじゃないかしら。

日本人にとって基本的に有害だった朱子学をひろめたこと。そして米経済から貨幣経済へと変わっていく世の中に対応して貨幣の質を悪くして量を増やした荻原重秀の政策の真逆をやって貨幣の質をよくして流通量を減らしたことです。これによって華やかだった元禄文化はしぼんでしまいました。そして将軍が暴れん坊将軍(八代吉宗)になると、クビになったのでした。

仕事で選ばれた人ではなく、人間関係で選ばれた人は、ボスと運命をともにします。

わたしは新井白石の功績というのは『折りたく芝の記』を書き残した文学者としてのものだけだったと考えています。

そういうどっちでもいい(くだらない)柳沢・荻原と間部・新井の権力争いの中で、宝永大噴火による被災地救援は後回しにされて、見るに見かねた関東代官・伊奈忠信が命を賭けて動く、というドラマです。

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公式文書に記された功績よりも、現実に神社に神として祀られていることのほうが尊い

宝永時代に起こった富士山の大噴火によって亡所となった地方にも、農民がいました。彼らはどこにも行けず、田畑をなくし、飢え死に瀕していました。それを幕府のルールの盲点をついて、おたすけ米として義援米をおくったのが伊奈忠信です。

義援米を捻出した経緯は、江川卓の「空白の一日」みたいな感じです。厳密なルール違反ではないものの、慣例上どうなのか? というところを突いたのでした。だから無事に「おたすけ米」は届けられましたが、関係者は責任を取って死ななければなりませんでした。

(新田次郎の小説上は、です。実際には謎とされています。伊奈忠信の最期も、割腹自殺か、詰め腹切らされたのか、公式書類からは本当のことはわからないそうです)

しかし伊奈忠信の行いが地元で称えられて、神社として祀られているのはたしかです。公式文書に記された功績よりも、現実に神社に神として祀られていることのほうが尊いと思います。

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日本の小説はなまなましくて苦手。外国の小説はSFやファンタジーのように読める

ひさしぶりに日本の小説を読んだのですが、江戸時代の農家と官僚の話しとなると、現代とほとんど変わりがなく、人を貶めたりするところが、なまなましすぎて、なんだか嫌な気持ちになりました。

江戸時代。名主というのがあって、その下に水呑百姓がいました。そういう村の構造というのは今でも似たようなところがあるのです。なんだか夢が羽ばたかないというか、読んでいても気分が暗くなってきます。勉強にはなりますが。

外国の小説は風俗や社会システムがまるで現代日本と違いますので、SFやファンタジーを読むように気楽に読むことができます。

ところがもう江戸時代ぐらいのテクノクラートの話しとなると、生々しすぎて、とてもファンタジーのようには読めません。そういうところでウンザリしたんでしょうか。

火山の噴火のシーンは冒頭のみです。噴火の惨状についても、小説の冒頭にしか登場しません。実際に大噴火だったのですが、宝永の噴火そのものは2週間ほどでおさまっています。あとはひたすら火山灰に翻弄される人々、とくに復興に当たった役人たちの権力争いがテーマとなっています。

ちなみに小説の中では宝永山と命名したのは伊奈忠信ということになっています。まあ、そこは小説上のフィクションだと思います。

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ポストが空かなければ、次の人はポストを得られない。だから蹴落とし合戦になる。

小説『怒る富士』の大半を占めたのが、伊奈忠信の苦闘ではなく、噴火という大災害をめぐっておのれの地位を高めようとする欲にまみれた官僚たちの権力闘争でした。

ポストが空かなければ、次の人はポストを得られません。だから懸命に既存のポストを持つ者を次世代は追い落とそうとしました。蹴落とし合戦です。

そういう世界では、誠実に仕事ができる人間よりも、他人をポストから追い落とすことができる人物が優秀とされました。

そのために隠密(スパイ)をつかって、秘密を探りました。やってはいけないこと、信義にもとることを見つけて、上役に報告して、失脚させるのが、最大・最高の仕事でした。

伊奈忠信はこの権力闘争を利用して、おたすけ米を手に入れ飢えた農民に配り、この権力闘争の中で腹を切りました。

ポストが空かなければ次の人はポストを得られないという状況は、現在でも変わっていません。

同じ日本人で、祖先の歴史だから、なんとか読めました。しかしこれがロシア人だったら読み通せなかっただろうと思います。

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人間が短い生涯の中で富士山の噴火を見ることは稀。見たくもあり、見たくもなし。

現代でも、富士山の再噴火が危ぶまれています。

宝永時代のように権力闘争にかまけて民衆を相手にしないようなことはないことを祈ります。

山中湖あたりに別荘をもつ私の先輩は「どうせ噴火するなら山頂から噴火してもっともっと高くなってほしい」とお気楽なことをいっていました。

実際に噴火するまでは、リアルに噴火を思えないというのが正直なところなんだろうと思います。

まあ宝永大噴火と同じ火山なら、山中湖あたりに火山灰は降らないはずです。静岡側で爆発したので。しかしもっと昔に樹海ができたような噴火だったら山梨側もアウトです。

『宝永大噴火』ではなく『怒る富士』としたのは、すばらしいネーミングセンスだと思いました。

富士山の噴火を人間が短い生涯の中で見ることができる人は稀です。見たくもあり、見たくもなし、ですね。

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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。

「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」

「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」

※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。

アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

https://amzn.to/44Marfe

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物語のあらすじを述べることについての私の考えはこちらをご覧ください。

物語のあらすじを紹介することについて
あらすじを読んで面白そうと思ったら、実際に照会している作品を手に取って読んでみてください。ガイドブックを読むだけでなく、実際の、本当の旅をしてください。そのためのイントロダクション・ガイダンスが、私の書評にできたらいいな、と思っています。

私は反あらすじ派です。作品のあらすじ、主題はあんがい単純なものです。要約すればたった数行で作者の言いたかった趣旨は尽きてしまいます。世の中にはたくさんの物語がありますが、主役のキャラクター、ストーリーは違っても、要約した趣旨は同じようなものだったりします。

たいていの物語は、主人公が何かを追いかけるか、何かから逃げる話しですよね? 生まれ、よろこび、苦しみ、死んでいく話のはずです。あらすじは短くすればするほど、どの物語も同じものになってしまいます。だったら何のためにたくさんの物語があるのでしょうか。

あらすじや要約した主題からは何も生まれません。観念的な言葉で語らず、血の通った物語にしたことで、作品は生命を得て、主題以上のものになるのです。

作品のあらすじを知って、それで読んだ気にならないでください。作品の命はそこにはないのです。

人間描写のおもしろさ、つまり小説力があれば、どんなあらすじだって面白く書けるし、それがなければ、どんなあらすじだってつまらない作品にしかなりません。

しかしあらすじ(全体地図)を知った上で、自分がどのあたりにいるのか(現在位置)を確認しつつ読書することを私はオススメしています。

作品のあらすじや主題の紹介は、そのように活用してください。

偉そうに? どうして無名の一般市民が世界史に残る文豪・偉人を上から目線で批評・批判できるのか?
認識とか、発想とかで、人生はそう変わりません。だから相手が世界的文豪でも、しょせんは年下の小僧の書いた認識に対して、おまえはわかってないなあ、と言えてしまうのです。それが年上だということです。涅槃(死。悟りの境地)に近いということなのです。
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