ここではロバート・ハリス『人生の100のリスト』の書評をしています。
ロバート・ハリス『ワイルドサイドを歩け』walk on the wild side.
黄色は本文から、赤字はわたしの感想です。
- 人生の100のリスト。リストは作者の魂が剥き出しになっていた。
- 「彼が影響を受けた世界」推奨する本人を好きでも、推奨されたものを気に入るとは限らない
- 神に尻尾を振るよりは運命と闘い、月に向かって遠吠えする
- ドロップアウト。荒野のおおかみ
- 旅、恋、ドラッグ、文学、映画、ポップカルチャー、神話、宗教、ライフスタイル、哲学、セックス……
- あの島のイメージがなくなってしまったら、ぼくのもの書きになる夢も消えてしまう。
- 就職だの、キャリアだの、生命保険だの積立貯金だのの話しをする奴はひとりもいなかった。
- 何の束縛もなく、自分のルールに従って、社会の枠のエッジで自由気ままに生きる者、アウトサイダーたち。
- あの舟は今でもぼくの心の中で帆を風に打たれ、ゆっくりと波を切っている。
- いかにテーマをストーリーの中に織り込み、ひろげていくか。
- セックス、バイオレンス、家族、愛など人生におけるあらゆるテーマが詰まっている。
- 格好よく生きることイコールこういう夢を追うことだったのだ。
人生の100のリスト。リストは作者の魂が剥き出しになっていた。
旅をはじめる前の自分に戻りたくなかった。旅をして気に入ったところがあったらそこにしばらく滞在して、もういいかなと思ったらまた旅に出る。こんな楽しい生き方は他にないと思った。
荒野のど真ん中で今この瞬間生きているんだというエクスタシーに震えた。
今まで通りの自分に戻れるはずがない。
ぼくに必要なのは、まさにそんな具体的シナリオだ。欲望と探求心の塊のようなリストだった。自分の欲望だけは見失わない。
誰が何と言おうとこれが自分のやりたいことなのだ。やっていくしかない。
他人が決めた道ではなく、自分の選んだ道を進んでいく。
自分の道を進んでいない以上、他人の決めた道を歩んでいるということだ。
ケルアックの小説がそうであったように、ロバート・ハリスのエッセイが魅力的なのは、たくさんの風俗・小物が出てくることです。作家名、小説、レコードの名前、歌手、映画名、俳優名、地名、ドラッグの名前、そんな名詞が旅のイマジネーションを掻き立てます。
ザ・ダルマ・バムズ(禅ヒッピー)。生きる意味をもとめてさまよう
「彼が影響を受けた世界」推奨する本人を好きでも、推奨されたものを気に入るとは限らない
そんな旅のイマジネーションをかきたてた名詞たちですが、小説は今も昔も時間をかけて一字一字読むしかありませんが、音楽に関しては現代はYouTubeなどで簡単に追体験することができます。
ロバート・ハリスの世界が大好きな私ですが、それでも「彼が影響を受けた世界」が必ずしも大好きとは限りません。
とくに音楽に関しては、この傾向が顕著です。
ルー・リードやジム・モリソンは気に入ったのですが、グレイトフル・デッドやジャニス・ジョプリンは頭に入って来ません。あれはドラッグをキメながら聴く音楽なんじゃないかと思います。サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンドは大好きですが、ピンク・フロイドだったらもっと他に聞きたい音楽があるという感じです。
推奨する本人を好きでも、推奨されたものを気に入るとは限らないんですね。
サマセット・モームやヘルマン・ヘッセは最高でしたが、ヘンリー・ミラーやケルアックはそれほど好きになれなかったなあ。サリンジャーなんておもしろい? わたしにはよくわかりませんでした。
案外、趣味は合わないみたい(笑)。でも本人の世界、書いたものは大好きなのですから、不思議なものです。
神に尻尾を振るよりは運命と闘い、月に向かって遠吠えする
気が狂うぐらいの激しいエロスをわかちあうことができた。
恋をすることのはかなさと、恋を失ったときのわびしさ。
社会の価値観とかシナリオに疑問を持てば持つほど自分の将来が見えなくなった。何を糧にどんな生き方をしていけばいいのか。
あぐら読み。
エッジにある街のバーで博打をやっている方が面白い。雨の夜に野グソをするのも嫌だ。イヌイット族の家で酒を飲みながら彼らの神話に耳をかたむけている方が楽しい。
反抗的で、群れるよりは孤独を好み、道徳やルールに縛られるのを嫌い、権力を憎み、心の闇を抱え、煩悩が強く、自由を何よりも愛し、神に尻尾を振るよりは運命と闘い、月に向かって遠吠えする……そんなタイプの連中。
イルカはなぜいつもあんなに楽しそうに遊んでいられるんだろう。感覚的にその真髄がわかった。つまり人生楽しんだもの勝ち。
原宿にサロンをつくる。ぼくの仲間は「遊び」という言葉に弱いのだ。仕事ではなく、遊びを第一に考えてやっていく。金を出して人のつくったハコで遊ぶのもいいが、自分たちでつくった空間で自由気ままに遊ぶ。
ギャンブルでメシを食う。テレビ局で字幕をつける仕事。映画の脚本を読むバイト。企業ビデオの日本語ナレーター。二か月分の給料をマイホームのポーカーパーティーで手にした。働くのがバカバカしくなった。さっそく辞表を出し、ギャンブラー生活を開始した。ワクワク、ドキドキしてくる。こんな楽しいことを生業にできるなんてなんて幸せなことだろうと思った。一時間に一回、大きく勝てばいい。あとは小さく負けて小さく勝つ。悪い手はすぐ捨てて、危ない勝負は極力避ける。週5で優雅な休日。オープンテラス。アウトドア・カフェ。ピクニック。ビーチ。映画館。レストラン。クラブで明け方まで遊んだ。
ギャンブルの極意は勝ち逃げ。プロには勝てない。場数も踏んでいない。やられる前に逃げるが勝ちだと思った。
映画館には旅に出るようなワクワクとした雰囲気がある。室内が暗くなった時のワクワク、ドキドキ感。これから大勢の人たちと一緒に映画の世界へと旅立っていく。
『冒険者たち』ふたりの破天荒な男たちがアーティストの女性を連れて秘宝探しの旅に出る。一時的な逃避の笑顔、この笑顔だって現実じゃないか。
カード会社のテレビCM撮影。ぼくはこのカード会社から入会を断られたばかりだった。審査に通らなかったのだ。朝日を受けて白く輝く尾根。光り輝く大山脈が視界いっぱいにひろがる。あの頂上から雲を吹いているのがチョモランマだ。植村直己、とてもほがらかな人で、よく女の話しをして盛り上がりました。山を見ていると気分が爽やかになり言葉や映像が自然と湧いてくるのだ。ものすごい秘境の真っただ中にいる感動、連帯感。外にひろがる闇への意識。不安。根源的な恐怖。昔の恋愛や失恋の話し、世界のトイレ事情、旅の思い出や失敗談、セックス談義。この部屋の片隅には常にこの闇の気配が息づいていた。たった10mの違いで彼は死に、ぼくは生き残った。生の中にはいつも死が存在する。
邪教・立川流。日本にもエロスを通じて人間の存在を解釈しようとする流派があったことにびっくりした。
ドロップアウト。荒野のおおかみ
ヒッピーになる。当事者たちは自分たちのことをフリーク、またはヘッドと呼んでいた。ストレートな社会とはまったく相反するカウンターカルチャー的理想。昔から団体や集団というものが大嫌い。ダイダイシャツ。ベルボトム。チーズクロス、サンダルか裸足で歩き回り、全体的にカラフルだけど薄汚い、中世のジプシーのような恰好。ロングヘアとヒッピーウェアは重要な記号。連帯感、仲間意識というものが強かったのだ。ドラッグをやらないフリークなんていただろうか。マリワナやハシシを共有し、メロウな時間を過ごした。ただみんなでのんびりとよい音楽を聴いて、メロウになってハッピーにやろうぜ、というシンプルなエンジョイメントだった。シャーマニスティックな儀式。神の領域に足を踏み入れてみたい。自分の原点を見つめてみたい。眠っている魂を揺り起こしたい。
ヒッピーが乱交パーティーをしていたという神話は嘘だ。フリークのパーティーでも、スクエアのパーティーでも男が女の子を一生懸命ナンパしているさまは同じようなものだった。ヒッピーもそれなりにたいへんだったのだ。
ドロップアウト的な人生を歩んでいくこと。世の中はみるみる殺伐とした空気に覆われ、フラワームーブメントは勢いを失い自然消滅していった。時代が培った夢を個人的に追及していったものはいた。いつの時代でも今を生きることが最重要課題。
日本には住みたくない。ここでの生活に行き詰まりを感じていた。木の骨組みに土の壁、タイル張りの床に高い天井という風通しのいい、シンプルでオープンな建物。カフェ・エグザイルス。南の島のバー。必ずいい女が現れ、男と絡み合い、事件が起きる。バンドの演奏に乗って体をゆすり、酒を飲み、語り合い、一週間の労を癒す。
武道の黒帯をとる。大学に空手部を設立して授業料を稼ぐようになった。ケンカして、握手をした。この日からぼくは学校の人気者になった。クラスを通してたくさんいい友達ができたし、一目置かれる存在になった。今まで見向きもしなかったアメリカ人バスケ選手やフットボールチームのスターたちも気さくに話しかけてくるし、女の子たちにも注目されるようになった。乱闘騒ぎになったときもぼくにだけは誰も手を出さなかった。気絶。KOした男と別のバーに行って飲みなおし、すっかり仲良しになった。世の中には僕より強い奴が山ほどいるし、このままでは体がいくつあってもたりない。自分の腕力にある程度の自信がついた。今でもやってよかったと思っている。臆病虫がどこかへ飛んで行ってくれた。穏やかな気を発しているとオオカミは寄ってこないのだ。
本は旅に欠かせないもの。ドクトル・ジバゴ。シェルタリング・スカイ。ジャック・ロンドン。荒野のおおかみ。
ジャマエルフナ広場。ボウルズのクールな文体が眼下のエネルギーに圧倒され、いくら読んでも薄っぺらな印象しか伝わってこなかった。物語が現実の世界に完全に力負けしているのだ。旅先と本は、人と人との出会いに似ているかもしれない。お互いの息があっているかいないか、シンクロしているかどうかによって、すべてが決まってしまうのだ。
彼女と懸命に話をした。将来はジャーナリストか小説家になって世界を放浪する。旅に出て物書きになろう。公園やコーヒーショップで落ち合っては一緒に家まで帰った。レコードを聞いたり、本を読んだりして静かな時間を過ごした。
前衛的な劇団のメンバー。プライマル・セラピー。田舎に行ってニューエイジ的な自給自足の生活をしたい。
旅、恋、ドラッグ、文学、映画、ポップカルチャー、神話、宗教、ライフスタイル、哲学、セックス……
寂しさとジェラシーと喪失感に苛まれた。死ぬほど孤独になった。この世で唯一の親友であり、理解者を失ってしまったのだ。
そのときの笑顔は、彼女とはじめて会ったとき、ぼくに投げかけてくれた笑顔そのままだった。
オルター・エゴ=ピコ太郎みたいなキャラクターのこと。仮面のキャラクター。で己を抹殺する。
映画の悪役には不思議な魅力を感じていた。殺し屋の鬼気迫る凄み。にじみ出る深い孤独。にたまらなく惹かれる。究極の闇のようなものを感じる。
集中力、表現力、すべてにおいて月とすっぽんだった。でもまあ、人生の中ではこういうことはよくあることだ。力のなさ、不甲斐なさを噛みしめさせられてきたので、もう慣れっこになっている。
ロマンと冒険に満ちたエキサイティングな旅。自伝の一つや二つぐらい書けるぐらいおもしろい人生を歩んでいく。
毎日が楽しくて仕方がなく、ものを書くどころの騒ぎではなかった。
不安と自己嫌悪に苛まれながら、内面ばかり見つめていた。
無防備なぐらいオープンになった。楽しければ大声を出してよろこび、かなしいときは涙をボロボロ流した。
風の吹くまま、気の向くままに生きるようになった。理性よりもハートに忠実に行動するようになったのだ。
自分がオープンになればなるほど、面白い奴ら、同じにおいをもった奴らが集まってきては心を開いてくれるのだ。
寂しがり屋で、惚れっぽく、快楽に弱い。
あるのは時間だけだった。
生きることに無我夢中で、ロマンとか冒険とかいったことはあまり考えなくなった。
旅、恋、ドラッグ、文学、映画、ポップカルチャー、神話、宗教、ライフスタイル、哲学、セックス……
あの島のイメージがなくなってしまったら、ぼくのもの書きになる夢も消えてしまう。
読書のほとんどを英語でやってきた。単語だって英語の方が日本語の十倍は知っている。英語の単語は出てくるのだが、日本語はどうしても出てこない。
すべて鮮明に「見える」のだ。映像的な記憶とともに、当時の感覚やフィーリングまでよみがえってきて、ぼくをすっぽりと包み込んだ。感情がまるで今起こっているかのように僕の心の中を走り回った。
オルタナティブ・ブックショップとしての情緒。文化的ミーティング・プレイス。
旅人に不親切であるなかれ。なぜなら、彼らは変装した天使かもしれないからだ。
誰にでもこの鍵をくれるのかい? いやいや、気に入った相手だけだよ。
自分のバガボンド時代にやさしくしてくれた人々に対する恩返しができればいいと思っている。
ぼくはそのうち行くあても残さないまま消えてしまうかもしれない。でも、それはもしかしたら僕が再びバガボンドとして世界を駆け巡る旅に出たということなのかもしれないよ。
あがけばあがくほど自分の中には書きべきストーリーなど、何ひとつないような気がしてならなかった。
情報は旅をしながら旅仲間たちからゲットする。
カネがなくなったらどうするとか、仕事やビザの問題とか、そういうこともあまり深く考えなかった。どこにどれだけいたいのかもわからないうちから心配してもしょうがない。
あの島のイメージがなくなってしまったら、ぼくのもの書きになる夢も消えてしまう。
破滅を背負った恋に憧れた。
図らずも人妻と恋に落ち、そのおかげでなんだかんだと事件に巻き込まれ、窮地に追い込まれるフィルム・ノアールのヒーローに憧れた。
煙に満ちたライブハウス。
旅や人生に対する発想そのものが普通の人間とは違っていて刺激的だった。
旅のプラン? そんなもん、あるわけないじゃないか。風に身をまかせて彷徨うだけさ。
就職だの、キャリアだの、生命保険だの積立貯金だのの話しをする奴はひとりもいなかった。
精神世界の話しをした。魂の解放。宇宙的意識。神秘体験。体をリラックスして心の中にたまった雑念をすべて開放する。
プパッシナ・メディテーション。でも翌日になるとまた同じ闘いが始まった。
バックギャモン。クラブが主催する月例会へ通う。イリーガルのカジノ。対戦相手をもとめる求人広告を新聞に掲載。地区大会や選手権に出場。
貨物船のパッセンジャーキャビン。船酔いでベッドから出ることができない。船旅は予想に反して憂鬱で退屈なものになった。
これ以上我慢できなくなったら死ねばいいのだ。
宇宙は果てしなく広く、ぼくに対してまったく無関心だった。
ヒッピー宿に泊まる。阿片窟。眼を開けたまま夢をみる。
終わりのない放浪。毎日あてもなくほっつき歩いた。まずは元気を取り戻すべきだ。旅なんていつだってできるじゃないか。
胸がきゅっとしめつけられ、深いため息が漏れる。なんともいえない感情が体中を走るのだ。宿命を背負って生きる切なさ。
ぼくの中に自分を責める意識が芽生え、そのまま居座ってしまった。独りでいるのが怖いし、何かが確実に狂ってしまった。
人生そのものは味も素っ気もないものだった。退屈との闘いだった。いつからこんなに何も感じられない人間になってしまったんだろう。
なぜもっと抵抗しなかったんだろう。こいつらのおかげでおれは負け犬のような人間になっちまったんだ。
何の束縛もなく、自分のルールに従って、社会の枠のエッジで自由気ままに生きる者、アウトサイダーたち。
まわりの木々や花々がとてつもなく美しく見え、涙が出そうだった。心をオープンにすることによって、過去の自分と現在の自分が歩み寄り融合していく。
これではドロップアウトした甲斐がまったくない。
何の束縛もなく、自分のルールに従って、社会の枠のエッジで自由気ままに生きる者、アウトサイダーたち。
店というよりはコミュニティースペースをつくりたかったのだ。
いろんな世界の人間がやってきては各々の時間をここで過ごし、各々のエネルギーをぶちまけていった。
みんなに知られる存在になっていた。女の子に異常にもてるようになった。破産した。遊び過ぎたのだ。
パーフェクトな捨て台詞だった。
彼女とも時間を過ごしたい。だからオープンな関係にしたい。
お金を貯めてオーストラリアを一周したい。エージェンシーに所属。
これ全部あげる。大事に使ってね。ひとつひとつのものに愛がこもっているんだから。
さよならも言わないで去っていった。彼女を見たのはそれが最後だった。
恋しく思う時がある。
アーティストのコミューン。本好きの詩人。外れたときは反省するなり、反発するなりすればいい。いやなら自分で世の中へ出て行って作品を売る努力をすればいい。
これを壁に飾ってくれないか、自作の絵や写真を持ってくる者。
エッチング展、入れ墨の写真展。落選展覧会。パフォーマンス展。栽培していたマリワナを全部引っこ抜かれた。
人生や文学について熱い議論を交わした。
あの舟は今でもぼくの心の中で帆を風に打たれ、ゆっくりと波を切っている。
現実という大海の中で非現実な夢を乗せて走る一層の帆掛け船のようなものだった。数多くの夢が炸裂し、火花を散らし、一瞬の輝きを放った。あの舟は今でもぼくの心の中で帆を風に打たれ、ゆっくりと波を切っている。
ぼくのハートをはげしくゆさぶり、成功、不成功という尺度では測りえない大切な何かを与えてくれた。
どこにでも行ける。どこにでも行ってやろう。ゆっくりとその土地の感触を味わいたい。
何かにつけ彼女の言動が気にさわり、一人で勝手にイラつき、癇癪を起していた。どんな夢を実現しようと、心がハッピーでなければ何の意味もない。
話しのほうもそれほどうまくなったとは思えない。
自費出版本の数々。みんな表現することに飢えていた。ストレートな感情表現が心を揺さぶる。
アンチクライマックス。強い勢いをだんだん弱めていく。
ポリティカリー・コレクトな運動に参加
牢獄の中で買えないのは女と自由だけだ。
人相は悪いが、みんな気の良い連中なのだ。お互い言葉が話せなくても、女の話題と下ネタ話しは何となく通じるものだ。
いかにテーマをストーリーの中に織り込み、ひろげていくか。
ぼくはどこへいっても、ぼくでいればいいのだ。檻の中でなくした自分が帰ってきた。
行き詰っていたし、今振り返れば別れるべくして別れた。
英語の字幕を付ける仕事。一本の作品に三十時間から四十時間はかかった。
スタッフを集めている。
お互いを理解することができるのか、友達になれるのかどうか、この点を追求したい。
飢餓、渇き、死の逃避行、熱射病、孤独、不安、徒労、狂乱、そして死。
毎日のようにストーリーセッションがひらかれた。物語の構想を練っていく。いかにストーリーを前へ前へと進めていくか。いかに登場人物たちに肉付けをしていくか。いかにテーマをストーリーの中に織り込み、ひろげていくか。構想やストーリーラインがみるみるドラマチックでスリリングな物語へと具現化されていった。時代背景も、登場人物も。登場人物たちが勝手に動き出し、セリフも彼らの口をついてでてくる。
トラブルも結局のところは撮影の醍醐味のひとつだった。行動をともにし、親交を深めていったかいがあった。ひとつの仕事が次の仕事につながる。
申し分のない相手だった。お互い女とギャンブルには目がない。酒を飲んだり、遅くまで話し合ったりした。
惨劇の余韻が、空気を微かにゆるがしているような気配がした。
映画の仕事は待ち時間の連続で或る。一日の仕事の七十パーセントは待つことだといっていい。
仲間のために銃弾の前へ飛び出していったのではないか。みんなと行動をともにしていたかもしれない。
12時ランチブレイク。15時ティータイム。18時パーティーの時間。
もっと感動的なシーンに編集しなおせるはずだ。様々なカットを組み合わせながら、ゼロからシーンをつくりあげていく。映画の半分はこの編集の作業にかかっている。緻密な作業。
studioでダビングの作業に取り組んでいた。録音したセリフで聞き取りにくいところを吹き替えする作業。映像にあわせてセリフを読んでいる。
性的にストレート。一般的なモラルなどくそくらえと思っている。
男にセックスオブジェクトとして見られる。
オープンなバイセクシャル
エロティック・ファンタジー。ただのセクシャルファンタジーにすぎなかった。そんなシーンを想像してはオナニーの快楽に浸ったのだ。
彼の視線から、そして全体のオーラから、君がほしい、という熱のようなものが伝わってくる。
終わりのないナイトライフにふけっていた
セックスチェンジの手術を受け、女になっていた。
セックス、バイオレンス、家族、愛など人生におけるあらゆるテーマが詰まっている。
アトリウム。オシャレなカフェやイタリアン・レストラン。
歌舞伎の一座とオーストラリア中を回る。
人と深い会話を交わすどころか、心を開いて話すことすらできない。
特別な扱いを受けていた。親父の元からなるべく遠い所へ去っていきたい。
有名になる、ならないなんてことはどうでもよくなってくる。
生まれつき人なつこい人間。ポジティブさ。人といるのが楽しくてしょうがなかった。
ドラスティック=大変化。
仕事を求めてあちこち営業して回る。仕事を得た。一発当てるために映画の脚本を書いた。何とか食いつなぐ生活。撮影が終わると日本へ帰って編集作業にとりかかった。
ボンダイビーチ
彼女は完全に僕を無視している。話しかけてもくれないし、目をあわせてもくれない。修復不可能な状態。
ボンディング=母親の子どもに対する情緒的な絆のことをボンディング
ほんのたまにだが、自分の持って生まれた性格と運命とを罵ることがある。
外れたら外れたで恥をかくだけのことだ
セックス、バイオレンス、家族、愛など人生におけるあらゆるテーマが詰まっている。
単一なものの考え方や価値観。眉間にしわを寄せて行きかうサラリーマンたちの姿が僕の目には耐えがたく窮屈に映った。若者に元気がない。社会全体が目に見えて保守的になった。
楽しく、呑気にやっていこうぜ精神を重んじる。その日を楽しみながら、自由に自分を表現していく。
自分の中にある原風景というものは、いつまでたっても忘れることはないし、恋しく思わざるをえないものなのだ。ここではいつまでたっても異邦人。これを感じないでいられる唯一の国は、やはり生まれ故郷の日本だけである。自由に自分を表現していける。
発言するチャンスまで与えてくれた。いろいろな可能性にチャレンジし、自分が考えていること、感じていること、信じていることを語り続け、この国を自分なりにアジテートしていきたい。
アジアの猥雑さ、混沌、人いきれ。
定住者にはない、選択の自由、行動の自由というものが、常に可能性として存在している。
おおかたの人が僕といるとリラックスしてくれるし、オープンに話しをしてくれる。ぼくがリラックスすればするほど人もガードを下げてくれるし、自然体でいればいるほどオープンになってくれるのだ。
サリンジャーは人の前から姿を消してしまった。
彼がどこへ何のために行くのかはわからなかった。
格好よく生きることイコールこういう夢を追うことだったのだ。
小説の夢が実現するまでに何と三十二年もかかってしまった。日本語教育を受けていない自分には作家としてやっていくだけの単語力も文章力も足りないとわかっていた。
ぼくの意識とは別の、無意識のところで、彼が勝手に動くようになった。
終わりのない旅路についた。すべてをご破算にして、またゼロからやり直そうと決意したのだ。
忘れようとして潜在意識にしまい込んでいた深い感情や、幼いころの思い出、痛みや怒り、闇や孤独、そして未知なるものへの普遍的な憧れといったものをふっと思い出すときがある。
自分のこれからの人生の見取り図、シナリオ。これからは前へ突き進んでいくだけだ。すべてがまずは「やりたい」で始まる。波乱万丈な人生イコールこういうことをやることであり、格好よく生きることイコールこういう夢を追うことだったのだ。ぼくという個の物語の中に、これらの夢ははじめから組み込まれていたような気がする。
日本での日々の繰り返しや生ぬるい現実の中、旅先で感じた鋭い感覚が徐々に摩耗し、気がつくと旅に出る前の自分に逆戻りしていたのだ。
ぼくには会社勤めは無理だし、サラリーマンには到底なれない。
優雅に生きることがいちばんの復讐である。
夢を思い描いて、それを心の中で追い求める……。これこそぼくにとって、人生を楽しむ最高にして最良のゲームとなっているように思えるのだ。