「観光49%、マラソン51%」の海外リゾートランナー
わたしはランナーです。
走り始めた頃、ホノルルマラソン、ニューカレドニア・ヌメアマラソン、ニューヨークシティマラソン……と海外マラソンばかり走っていたので「海外リゾートランナー」と揶揄されていました。
実際に、国内マラソンを走るつもりはまったくなくて、マラソンと海外旅行はワンセットになっていました。トレーニングしないでマラソン走っても辛いだけなので、とりあえずちゃんとトレーニングはやって、その上で完走後に海外旅行を満喫するという自分へのご褒美付きのマラソンでした。
「観光49%、マラソン51%」と公言していました。
観光よりもマラソンの割合の方が高かったのは、さすがに後の市民ランナーの三冠王だけのことがあったでしょ?
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雑誌『ランナーズ』のライターが語るマラソンの新メソッド。ランニングフォームをつくるための脳内イメージ・言葉によって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化して速く走れるようになる新理論。言葉による走法革命のやり方は、とくに走法が未熟な市民ランナーであればあるほど効果的です。あなたのランニングを進化させ、市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」「かかと落としを効果的に決める走法」「ハサミは両方に開かれる走法」
●腹圧をかける走法。呼吸の限界がスピードの限界。背の低い、太った人のように走る。
●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは?
●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」の本当の意味は?
●【肉体宣言】生きていることのよろこびは身体をつかうことにこそある。
(本文より)
・マラソンクイズ「二本の脚は円を描くコンパスのようなものです。腰を落とした方が歩幅はひろがります。腰の位置を高く保つと、必然的に歩幅は狭まります。しかし従来のマラソン本では腰高のランニングフォームをすすめています。どうして陸上コーチたちは歩幅が広くなる腰低フォームではなく、歩幅が狭くなる腰高フォームを推奨するのでしょうか?」このクイズに即答できないなら、あなたのランニングフォームには大きく改善する余地があります。
・ピッチ走法には大問題があります。実は、苦しくなった時、ピッチを維持する最も効果的な方法はストライドを狭めることです。高速ピッチを刻むというのは、時としてストライドを犠牲にして成立しているのです。
・鳥が大空を舞うように、クジラが大海を泳ぐように、神からさずかった肉体でこの世界を駆けめぐることが生きがいです。神は、犬や猫にもこの世界を楽しむすべをあたえてくださいました。人間だって同じです。
・あなたはもっとも自分がインスピレーションを感じた「イメージを伝える言葉」を自分の胸に抱いて練習すればいいのです。最高の表現は「あなた」自身が見つけることです。あなたの経験に裏打ちされた、あなたの表現ほど、あなたにとってふさわしい言葉は他にありません。
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マラソンは国内で自己ベストを狙って真剣に走り、海外旅行は思いっきり異国情緒を満喫する

そんな海外リゾートランナーのわたしが、国内マラソンを走るようになったのはニューヨークシティマラソンがきっかけでした。
NYCMを一生懸命走りすぎるあまりに、ヤンキースタジアムも自由の女神も周囲を一切何も見ていなかったということに気づいて、こんなに周囲を何も見ないで走ることに集中しているんだったら海外を走る意味がないんじゃないか、と気づいてから国内マラソンを走るようになったのでした。
マラソンはマラソン、海外旅行は海外旅行とわけて考えるようになりました。マラソンは国内で自己ベストを狙って真剣に走り、海外旅行は思いっきり異国情緒を満喫する。そんな旅スタイルに落ち着いていったのです。
ニューヨークマラソンの数日後、セントラルパークを朝ジョギングした時に、なんだ大会に出なくてもこれでいいじゃないか、と思ったのです。個人的な朝ジョグの方がむしろ周囲を見回して走る余裕があります。旅先でのジョギングは人生最高のよろこびのひとつです。
旅先のモーニングラン。朝ランする東洋人は少なく、黒人は皆無。ランニングは白人の文化。
どうせ本気で走る人は先行ランナーの背中しか見ていないんだから(笑)。
人間、変われば、変わるものだ

そんなわたしが北京に行った時のことです。マラソンとは一切関係のない純粋な海外旅行でした。しかしいくらマラソンと関係ない旅行といっても、現地のジョガーのことは気になります。「走る人は仲間」意識があるんでしょう。
訪問した北京では、やたらと「北京マラソン」のTシャツを着ている人が多くてひじょうに気になりました。天安門広場を歩く人たちがやけにマラソン完走Tシャツを着ていたのです。
〈おっ。きみもランナーか。同類だね!〉
なんて心の中で同族意識で声掛けしたりして。

当時の北京は大気汚染のPM2.5がスモッグのようになっていて、夕陽がにじんで見えるぐらいでした。全体的に空気が黄色い感じでした。そうとう空気が汚れていたと思います。遠くの景色がかすんで見えません。
「こんなところを走るんじゃ北京のランナーもたいへんだな」なんて呑気に思っていました。
帰国するとランナー仲間が「どうだった?」と聞いてきます。なんのことかと思ったら、みんながわたしが北京マラソンを走りに行ったと思っていたのでした。
いや、走ってないけど!?
よくよく聞いてみると、わたしが北京周辺に滞在していた同時期に北京マラソンが開催されていたのです。みんなわたしがそれを走りに行ったと思っていたのでした。
「ああ、どうりで完走Tシャツを着た観光客が多いと思った」
わたしの感想を聞いて、ランナー仲間たちは拍子抜けしたようでした。
「なんだホントに走ってないの?」
いやガッカリさせてすみませんね。もうおれは海外リゾートランナーなんかじゃないのよ。市民ランナーの三冠王なんだから。
しかしまさか自分が旅している最中に北京マラソンがあったなんて全然知りませんでした。
周囲もですが、自分でも自分のことを変わったものだなあとひそかに思ったのでした。昔は海外旅行といえばマラソン旅だったのに。
これは言ってみれば、ホノルルマラソンをやっている最中に、レースにも出場しないでワイキキでブラブラしていたようなものです。
海外マラソン。男一人でハワイになんか行けない。一人旅とマラソンはワンセットだった
そんな旅をできるようになるとは思いませんでした。
人間、変われば、変わるものだなあ。

