また今日もベランダ・アウトドアで夕食をしてしまいました。どうしてわたしはこうまでもアウトドアに惹かれるのでしょうか。
ここでは人間を魅了するアウトドアの真理、アウトドアメリットについて語っています。
ベランダアウトドアとは何か?
キャンプ場で炭から火を起こしてバーベキューしている本格的なキャンパーから見れば「こいつは何もわかってないなあ」ということになるかもしれません。燃える焚火に癒されて明日への活力を得るというキャンパーはたくさんいます。
それに比べるとわたしのベランダ・アウトドアは軟弱なものです。炭も薪もありません。
イワタニの家庭用コンロで食事をつくっています。食卓で鍋が食べられるように開発された商品です。火に癒されることはありませんが、調理用の火力は十分です。
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コンロの火は鍋でほぼ隠れてしまうため、ベランダはまっくらです。そのためにチャッカマンでローソクに火をつけています。火の『1/fゆらぎ』で癒されるとしたら、ローソクの炎がキャンプファイアの代用品です。
それだけでは照明が足りないために、乾電池式のランタンと、ペツル(PETZL)の登山用ヘッドライトで食事をしています。
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ビールはアイスボックスからではなく、冷蔵庫から直接取り出したものです。だってここはベランダだから。
しかし頭上に輝く星はキャンプ場と同じものです。煌々と光る月も、吹き抜けていく風の感覚も同じです。
これをベランダ・アウトドアと命名しましょう。自宅魔改造のひとつです。
キャンプにとってもっともすばらしいのは「自然の中で過ごす」ことそのものだと思います。ベランダ・アウトドアでも、もっとも素晴らしいものは本格的キャンパーと等しく味わうことができるのです。
世界と人生に想いをはせる時間をアウトドアではもつことができる
キャンプ大好きアウトドアマンが、今夜にでも即できるベランダ・アウトドアを敬遠するのは勿体ないことだと思います。もちろん本格的なキャンプの方が楽しいに決まっています。しかしそれにはお金と時間がかかります。準備も必要ですし、後片付けも必要です。
わたしも本格的キャンプをやりますが、自宅の近くでやる気にはなれません。「家まで帰るのは嫌だな」というぐらい離れた場所でないとテントを張って眠る気にはなりません。そこまで行くのには移動距離を含めるとかなりの時間がかかります。キャンプ場に使用料(場所代)を払わなければなりません。食材やビールなども運び込まなければなりません。決してお手軽なものではありません。
その手間と、代償としての贅沢な時間がいいのかもしれませんが。
キャンプから得られるご褒美とは何でしょうか? 癒しの時間? おいしい食事? 楽しい夜? それだけではないでしょう。それしかないのなら居酒屋で騒いだって同じです。
星降る夜の静けさや風の歌、世界と人生へ思いをはせる時間をアウトドアからは得ることができます。これをアウトドア・メリットと命名しましょう。
日常の中の小さな非日常。ベランダの上にも星月夜はある
そのアウトドア・メリットを日常レベルで得られるということが、ベランダアウトドアの最大のメリットです。お手軽で、いつでもできて、お金も時間もかからない。それでいて星降る夜の静けさ、風の歌を聴いて、世界と人生を観想する時間を得ることができます。
ベランダの上にも星月夜があります。ベランダにも夜風は吹くのです。
人生はハレとケ、onとoffの絶妙な綱引きの上にこそ至高の快楽はあると、私は最終章「走るために生まれた」で述べました。onとoffあってこその人生です。肉体をつかってこそ生きる歓びがあります。それは本格的キャンプの夜を年に数回過ごせればいいというものではありません。むしろ残りの日常をどう過ごすかの方が重要ではありませんか。実際に私はそういう人を知っていますが、週末ごとにキャンプ場でキャンプをするのはよほどの人でないと無理です。しかし週末ごとにベランダでビールを飲んで、簡易アウトドアすることは誰にでも可能です。
日常の中の小さな非日常。それを何度も繰り返すことで人生の濃度があがっていくのです。それがベランダ・アウトドアのだいご味です。
遠くのキャンプに行っても、あいにく雨が降ってくることもあります。そういう時、ベランダ・アウトドアならすぐに室内に撤収すればいい。寝るのも自分のベッドだ。本当にお手軽だ。何の心配もいらない。やってもやらなくてもいい。だったら毎週末にやってもいいのではありませんか?
星月夜の狂気や静けさを、いいとこどりであじわうことができる。ベランダ・アウトドア。こいつはやめられなくなる魅力があります。ぜひ一度体験してみてください。
人がアウトドアに惹かれる理由
わたしはどうしてこんなにアウトドアに魅了されるのでしょうか。コンクリートの建物に囲まれてはわからない真実が世界にはあるのです。エアコンの部屋にこもっていると、世界の温度を決めているのは人間だと勘違いしてしまいます。しかし世界の温度は、夜と太陽が決めるのです。人間ではありません。この世界から恵みを得ずして人間は生きられないのです。世界に生かされているちっぽけな存在が人間です。
いのちは泡から生まれました。この肉体は土くれと同じものでできています。土葬されるにせよ、火葬されるにせよ、やがては世界に還っていくのです。
死んだら焼いた遺灰は海に撒いてくれという人がいます。その気持ちがわたしにはわかります。海に溶ければ七つの海を泳ぎ、世界中どこへでも行けます。母なる大自然とひとつになることができるからです。
狂ったような星月夜の静寂。この大自然に比べたら人間はちっぽけな存在です。
もし人間に真理への道があるとすれば、それは大自然と合一することです。
人の命は短く、はかないものです。人間にもし永遠があるとすれば、それは自然に溶け込んで一体化することではないでしょうか。自然とひとつになってはじめて永遠であり、真理である。それが人間ではないでしょうか。
人生を「買う」という行為だけで終わらせないために
現代は何もかも買うことができます。お金があれば暮らしに必要なものは全部買えます。便利な時代です。
その反面、すべては「買う」という行為で済んでしまいます。
食べることも「買う」。飲むことも「買う」。寝具も「買う」。移動手段も「買う」。雨露をしのぐ家も「買う」。すべてが買えばすんでしまいます。
便利な反面、それが人生を退屈なものにしてしまいました。
「買う」という行為はあまりにも簡単すぎて、それ自体として生きている実感を感じることができません。
「買う」という行為で人生が終わると、ゲームとしては簡単すぎて、生きている実感を得られない退屈な人生を送る危険性があります。
ゲームの目的が「買う」ための交換手段に過ぎないお金を貯めることとはき違えてしまう可能性があるのです。
私たちが走るのも、アウトドアに惹かれるのも、すべては生きている実感を得るため、この人生を「買う」という行為だけで終わらせないため、人が生きることの原点に回帰するためではないでしょうか。
いちばん素晴らしいものは無料
わたしは世界中を旅してきました。砂漠で見た朝日も、西伊豆で見た夕陽も、アリゾナを渡る風も、アブシンベル大神殿の頭上に輝いていた星も、すばらしいものは、いつも大自然でした。
はるか遠くに旅しなくても、今いる場所で世界を感じることはできるのです。それには建物の外に出なければなりません。
アウトドアは世界の真理を感じることができます。大自然に人間が溶けていく体験、それがアウトドアです。だから人はアウトドアに惹かれるのです。