自宅魔改造。トイレを書斎にする。

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トイレを書斎にする。室内犬を室外で飼う。部屋の中でテントをひろげる。これらを自宅魔改造といいます。

こんにちは、ハルト@sasurainorunnerです。

ここではこれまで私が行った自宅魔改造の数々について語っていきます。

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トイレを書斎とする。

鉄腕アトムを作った手塚治虫先生は、トイレで読書してトイレで漫画のアイディアを編み出していたと聞いたことがある。手塚治虫に限らず、学者や芸術家などトイレで読書、思索する習慣があったという人は古今東西それなりの数にのぼるようだ。

新婚のウチにはなぜか本棚がある。うちには漫画家はいないはずだが、どうしてトイレに本棚があるのであろうか。誰がトイレで読書をするのだろう。おれでなければ妻しかいないはずだが。

事実、トイレを書斎に魔改造したのは妻なのだ。あまり想像したくない姿である。第一、何のためにそこでそんなことをやっているのか? そこでなければならない理由は何だ?

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独居房トイレ

もし妻が自分自身のためではなく、私のためにトイレを魔改造したのだとしたら、もしかしてトイレはおれの反省部屋であろうか。子どもが押し入れに押し込められて「反省しなさい」と叱られるように、トイレは反省部屋であろうか(汗)。

しかし刑務官(妻)がトイレに行きたくなったらどうするんだろう。我が家にはトイレはひとつしかないが。

「ここをだしてくれ!」と懇願しなきゃならないのは、トイレ側か、それともトイレの外側か?

ちなみに私は獄中文学者が大好きである。オタクな人は相当程度自分を獄中文学者に投影できるはず。きっと彼のことが好きになるはずだ。

牢獄の中でも本の差し入れはあるという。ホリエモンなんかは独房でメチャクチャ読書しまくっていた。『刑務所なう』という本がある。有名なオスカーワイルドとかサド侯爵をはじめ昔から獄中作家という人たちもいる。

彼らは独房という世間の快楽に誘惑されない環境を利用して読んで書きまくった。独房読書で身につけた教養でその後の人生を生き抜いた人だっていたのだ。革命家などにそういうタイプの人が多い。

独房とトイレは、お尻を出しているかどうかぐらいの差しかないのかもしれない。

思索、構想に行き詰まるとおしっこしたくなっちゃう癖がある人なら便利かもね(そんなやついるのか?)

しかしおれにそんな癖はない。きわめて快便のおれは、本など読んでる暇はないのだ。ためしにトイレ読書をやってみたことがあるが、トイレでなければならない必然性はどこにも感じられなかった。

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動物には狭い所を愛好する本能がある。そこは安全な場所なのだ。

さいわいなことにおれは自室をひとついただいているため、そこに籠ってひとりになることができる。さっと行為をすませ、さっと自室にこもった方がいい。そこにはエアコンもあるし、音楽だって流れている。最近ではキーボードを前にしないと何の考えも浮かんでこないぐらいだ。

しかし子供に部屋を取られてしまった夫など、自室がない人の場合、トイレは精神衛生上有効な独房となりえるかもしれない。

猫を飼っている人はニャンコが狭いところが大好きだと知っていると思う。動物には狭い所を愛好する本能がある。そこは安全な場所なのだ。

トイレを書斎に魔改造する人たちは、狭い場所本能が満たされているのかもしれない。人は安全な場所でないといいアイディアは湧いてこない。心が自由でなければ、新しい発想は生まれない。

しかし肛門に圧がかかって脱腸、痔にならないものかね? そこまで試したことはない。

我が家にはなぜかトイレに書棚がある。しかし私はトイレ文庫の本を自室で読んでいる。

トイレ文庫のオーナーは妻である。彼女は日々、そこで読書をしているようなのだ。

は・や・く・出・て・く・れ!!

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プロフィール


温人ハルト。雑誌『ランナーズ』等に執筆歴のある物書き。サブスリーランナー。グランドスラム達成者(100kmサブテン。富士登山競争登頂)。スイス・ブライトホルン。台湾・玉山。南アルプス全山縦走など登山歴も豊富。キャンプ・車中泊マニア。西天取経の旅人

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はたして放浪のバックパッカーは社会復帰できるのか!? 自由と社会との折り合いを模索するブログです。

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ドラクエ的な人生
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