面白くない古典文学が、読書ばなれを助長していないか?
最近の人はあまり本を読みません。活字ばなれという言葉を聞いてからもう何年たつでしょうか。
とくに純文学は壊滅状態です。
また「面白くない世界の古典名作」が読書ばなれを助長しているのではないかと私は考えています。
文学全集は「おもしろさ」基準ではなく「深み」基準であるため、どうしても脳内の感情や思想などを延々と語ってしまう傾向にあるからです。
物語は、演出法は、進化する。思想は深まっているし、作劇術は進化している
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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。
「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」
「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」
※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。
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読まれなければ意味がない
たとえば文学史上最高峰とされる『カラマーゾフの兄弟』を通して読んだことのある人がどれぐらいいるでしょうか? 名前は知っているが、読んだことはないという人がほとんどではないでしょうか。
カラマーゾフの兄弟『大審問官』。神は存在するのか? 前提を疑え!
ドストエフスキー作品の読み方(『カラマーゾフの兄弟』の評価)
読まれない理由は、私に言わせれば簡単です。答えは「面白くないから」。
ではどうして面白くないのか。それは「事件」があまり起きないからです。
近代風の「いきなり事件に巻き込まれる映画ふうの物語展開」を見慣れた人に、古典文学はつまらないだろうと思います。
冒頭から恋人が殺されて主人公が復讐に燃えるディストピア小説とかを読みなれている読者からすると、文学作品はあまりにも、何も起きません。冗漫な描写が延々と続いています。やがて本を放り出してしまうというわけです。
「小説なんてつまらない」「おれには文学なんてわからん」「ゲームやってた方がいいや」
ということになるのです。
文学作品は、時間に追われた忙しい人間の読むものではないのです。国を変え姿を変えても「人間というもののあるべき姿」を、探求するのが文学です。それは人間の悩み、苦しみは古今東西同じだ、という共通認識に立っています。だから学問の分野なのです。
時間をかけて、ゆっくりと読むのが文学なのです。時間的余裕のある人でないと文学は読めません。
【老眼問題】文学作品は若いうちに読むべきだ
本当は老後の趣味にも向いている読書なのですが、人生、そうはうまくいきません。
老眼という問題があります。
年をとると近くて小さい字が霞んで読めなくなるのです。だから本を読むなら若いうちのほうがいいですよ。時間はありません。いつまでも若いと思うな、です。
読書するなら若い方がいい理由はほかにもあります。若さとは脳みそが柔軟であるということでもあります。
年をとると自分の生き方とは違う価値観が受け入れられなくなる。
年をとると自分の生き方とは違う価値観が受け入れられなくなります。
滅私奉公のサラリーマン生活を尾羽打ち枯らすまで続けた老人が、貴族文学や、ヒッピー文学を心から受け入れることは不可能だろうというのはわかりますよね?
それは自分の人生を否定するのと同じことだから。それぐらいなら「その文学」を否定してしまう方が簡単です。それで自分の生きてきたことのプライドを守ることができるのだから。
その人は「自分」がないから、周囲の価値観に自分を染めてこれまで生きてきたのかもしれません。思考停止状態だから定年まで勤めあげられたのかもしれません。心の奥底から突き上げてくる、闇からの獣の咆哮を、もはや聞き分ける能力を喪失しているかもしれません。
やはり年を取ると文学は読みにくいのです。
たとえ脳みそが柔らかい人でも、違う未来を描くだけの先(時間)がないと、結局、自分を肯定する思想は受け入れるが、自分の生き方とは違う価値観は否定してかかるしかないでしょう。
自分を触発する読書ではなく、自分を肯定してくれる本だけを探す読書になってしまうでしょう。
若い頃の読書は、未来の自分のこととして読むことができる。
若者がどんな価値観でも吸収することができるのは、これからどんな生き方でもできるからです。どんな生き方が描かれていても、自分もその生き方を選ぶことができるから、自分のこととして読むことができるのです。
作品に描かれているのは「未来の自分」だといってもいいでしょう。その生き方を自分が選ぶのならば。
また文学は、頭を使います。しかしあまり年を取ると難しいことが理解できなくなります。残念ながら人間はピークを過ぎると能力は衰えていくものなのです。
やはり学問というものは若いうちに学んで、世のため、自分の未来のために役に立てていったほうがためになります。
若く感受性が繊細すすぎると作品世界のヒリヒリした純粋さに影響されすぎて生きるのが辛くなる
もちろん自分の楽しみのためだけに読むという境地もありだと思います。今の私はどちらかというとこの境地です。若く感受性が繊細すすぎると作品世界のヒリヒリした純粋さに影響されすぎて現実が辛くなる境地がありえます。
そういう時代を卒業してはじめて読書できるようになる人もいます。
読書は、慣れると、映画やドラマを観るよりも楽しいですよ。
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このブログの著者が執筆した純文学小説です。
「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」
「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。
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物語のあらすじを述べることについての私の考えはこちらをご覧ください。
私は反あらすじ派です。作品のあらすじ、主題はあんがい単純なものです。要約すればたった数行で作者の言いたかった趣旨は尽きてしまいます。世の中にはたくさんの物語がありますが、主役のキャラクター、ストーリーは違っても、要約した趣旨は同じようなものだったりします。
たいていの物語は、主人公が何かを追いかけるか、何かから逃げる話しですよね? 生まれ、よろこび、苦しみ、死んでいく話のはずです。あらすじは短くすればするほど、どの物語も同じものになってしまいます。だったら何のためにたくさんの物語があるのでしょうか。
あらすじや要約した主題からは何も生まれません。観念的な言葉で語らず、血の通った物語にしたことで、作品は生命を得て、主題以上のものになるのです。
作品のあらすじを知って、それで読んだ気にならないでください。作品の命はそこにはないのです。
人間描写のおもしろさ、つまり小説力があれば、どんなあらすじだって面白く書けるし、それがなければ、どんなあらすじだってつまらない作品にしかなりません。
しかしあらすじ(全体地図)を知った上で、自分がどのあたりにいるのか(現在位置)を確認しつつ読書することを私はオススメしています。
作品のあらすじや主題の紹介は、そのように活用してください。
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