ホイットマン『大道の歌』。詩集『草の葉』の一部
でかけよう。きみ、誰であれ、ぼくと一緒に旅に出よう。
貯えられたこれらの品がたといどんなに快く、今の住居がたといどんなに便利だろうと、ここにとどまってはいられない。
ぼくらのまわりの人の好意がどんなにありがたく身に染みても、ぼくらがそれを受けてもいいのはほんのわずかのあいだだけだ。
でかけよう。ぼくらは航路も知らぬ荒海をゆくだろう。
でかけよう。ありとあらゆる形式から。
でかけよう。かつて始まりがなかったように今は終わりのないそのものに向かって。
愛する者たちを背後に残していきながら、しかも彼らをこの道にいっしょに連れ出してやるために。
宇宙そのものが一つの道、多くの道、旅ゆく魂たちのための道だと知るために。
暗いところに閉じこもっていちゃだめだ。
紙は白紙のまま机の上、かねもいっさい稼がずにおけ、
ぼくはきみに金では買えぬぼくの愛をあたえよう。ぼく自身をあたえよう。
きみもぼくにきみ自身をくれるかい? ぼくといっしょに旅に出るかい?
いのちあるかぎりぼくらはぴったり離れずにいよう。
物語のあらすじを述べることについての私の考えはこちらをご覧ください。

私は反あらすじ派です。作品のあらすじ、主題はあんがい単純なものです。要約すればたった数行で作者の言いたかった趣旨は尽きてしまいます。世の中にはたくさんの物語がありますが、主役のキャラクター、ストーリーは違っても、要約した趣旨は同じようなものだったりします。
たいていの物語は、主人公が何かを追いかけるか、何かから逃げる話しですよね? 生まれ、よろこび、苦しみ、死んでいく話のはずです。あらすじは短くすればするほど、どの物語も同じものになってしまいます。だったら何のためにたくさんの物語があるのでしょうか。
あらすじや要約した主題からは何も生まれません。観念的な言葉で語らず、血の通った物語にしたことで、作品は生命を得て、主題以上のものになるのです。
作品のあらすじを知って、それで読んだ気にならないでください。作品の命はそこにはないのです。
人間描写のおもしろさ、つまり小説力があれば、どんなあらすじだって面白く書けるし、それがなければ、どんなあらすじだってつまらない作品にしかなりません。
しかしあらすじ(全体地図)を知った上で、自分がどのあたりにいるのか(現在位置)を確認しつつ読書することを私はオススメしています。
作品のあらすじや主題の紹介は、そのように活用してください。

大道の歌
ホイットマンの詩集『草の葉』に収録された『大道の歌』。この詩をいつか読んでみたいとわたしは思っていました。
わたしの人生を変えた本『旅に出ろ! ヴァガボンディング・ガイド』に旅の守護聖人としてホイットマンが登場してくるからです。
人生を変えた本『旅に出ろ! ヴァガボンディング・ガイド』リアル・ドラゴンクエスト・ガイドブック
なるほど人を旅へといざなう詩だなあと思いました。
アメリカにはゴールドラッシュなどの時代もありましたし、アメリカそのものが移民の国ですから、旅人のフロンティアスピリッツに溢れていたのです。
心も軽く徒歩でぼくは大道に出る。
行きたいところにへ足を向け、ぼく自身をぼくの唯一無二の主人となし、ぼくは哲学と宗教を吟味しなおそう。
軽い足取りでゆけばいい。