シリアス市民マラソンランナーのランニングシューズ遍歴
シリアス市民マラソンランナーとして、たくさんのランニングシューズを履きつぶしてきました。ニューバランスも、ミズノも履きましたが、けっきょく、アシックスとアディダスに落ち着きました。今でもその二社以外のランニングシューズを履こうとは思いません。
なかでも、アディダスのRENは私の決戦用シューズでした。速く走れるだけでなく、とても丈夫で、ソールの減りもすくなく長持ちするので、とても気に入っています。
「本気ならアシックス」という言葉がありましたが、本気ならアシックスorアディダスです。ナイキなんか履いているやつは「真面目に走る気があるのか」とさえ思っていました。ヴァイパーフライが発売される前の話しです。
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ドイツの靴職人、アディダスとプーマの歴史。
アシックスはオニヅカタイガーという名が示すように日本製ですが、アディダスはドイツの靴職人から発祥したって知っていましたか?
しかもこのアディダスは、とても面白い歴史をもっています。もともとはプーマとアディダスは同じ会社だったというのです。壮大な兄弟げんかの後、ひとつの会社がふたつにわかれて、アディダスとプーマが生まれたのでした。
そのエピソードを知らない人のために、このページでは、アディダスとプーマの歴史をご紹介します。
技術者と営業職、どちらに社運を賭けるべきか?
この世界的なシューズメーカーを創業したのはダスラー兄弟です。もとの会社名を「ダスラーブラザーズ・スポーツシューファクトリー」といいました。兄はルディー・デスラー、弟はアディー・デスラーといいます。まるでディズニー映画のリメンバーミーのように一族みんなが靴職人でした。お父さんも靴職人でした。しかし裕福な暮らしではなかったようです。
最初にいい靴を制作したのは弟のアディーでした。実家の靴工房でアディーはとてもよいシューズをつくりました。兄のルディーは営業担当者になって、弟のつくった靴を有名アスリートに履いてもらうことでその名を売りました。会社名は「ダスラーブラザーズ・スポーツシュー・ファクトリー」。その頃は「マラソンシューズ」「サッカーシューズ」のような専門シューズがなかったそうです。テニスもラグビーもみんな同じシューズを履いていたんですね。スポーツに特化した靴が受けて、多くのアスリートに受け入れられました。
創業時は、ジェシー・オーエンスというオリンピック短距離選手に靴を提供したそうです。彼はダスラーブラザーズの靴を履いて、短距離と走り幅であわせて四つの金メダルを獲得しました。カールルイスのような選手ですね。66歳で亡くなったそうです。アスリートは短命だよなあ。
しかしやがて兄弟の仲は悪くなります。今でも似たような事例がありますが、会社の中では技師と営業はどっちが偉いのでしょう。どっちの意見に社運を賭けるべきでしょうか? まるで池井戸潤原作のドラマにありそうなシチューエーションがダスラーブラザーズカンパニーにもありました。技術者のアディーと、営業のルディーで、意見がもめるようになったのです。家も同じ、工房も同じで、ケンカしても逃げ場がなく、息がつまりました。そしてとうとう二人は袂を分かつことになりました。家業の工場をふたつにわったのです。
まるでロミオとジュリエット。アディダスとプーマのたたかい
アディー・ダスラーは自分の名前から、会社をアディダスと名づけました。なるほどアディダスってそういうネーミングだったんですね。
ルディー・ダスラーも自分の名前から、最初は会社名をルーダと名づけましたが、最終的にはプーマと改名します。プーマというのはピューマのことであり、アメリカではクーガーとかマウンテンライオンと呼ばれる大型のネコの名前です。捕食動物ですから、もちろんとても速く走ります。
会社をわかった兄弟ですが、依然として、どちらも創業した同じ町に工場がありました。小さな町で、互いに相手を打ち負かしてやろうと、両社はしのぎをけずることになります。健全な企業間の競争というよりは、喧嘩に近いものだったそうです。
小さな町は、アディダス派とプーマ派に二分されました。その町の人は友だちや恋人を選ぶときにまず靴を見たそうです。「アディダスを履いているやつとは友達になれない」「プーマを履く女なんて嫁にできない」というわけです。ロミオとジュリエットのモンターギュー家とキャプレット家みたいですね。
ふたりの兄弟は、老いてもおたがいに口もききませんでした。兄が癌で死の床についても、弟はお見舞いにも行きませんでした。もちろん葬式にも行きませんでした。兄が死に、やがて弟も死にます。ふたりは同じ故郷の町に葬られましたが、お墓も別々だそうです。死ぬまで和解することはなかったのです。
激しい兄弟げんかを繰り広げた創業者が死んで、アディダスとプーマは代替わりしましたが、息子の代になっても激しい喧嘩が続いたそうです。この喧嘩(よく言えば企業間競争)がアディダスとプーマを、ドイツいちのスポーツブランドへと成長させました。
ところが広告塔のアスリートにお金を払いすぎたために両社ともに経営が悪化、それぞれダスラー家とは関係のない資本に身を売ることになりました。こうしてドイツ人の兄弟げんかは終了することになります。そして両社は国際的なスポーツブランドとして歩み始めました。デスラーファミリーから離れたことで、両社は昔のような喧嘩関係ではなくなりました。今では、ふつうの企業として、常識のあるつきあいをしているそうです。
もしも兄弟げんかがなかったら、世界一のスポーツブランドが誕生していたかもしれない
スポーツブランドの売り上げ一位はナイキです。二位はアディダス、三位はプーマだそうです。
でも、もしもアディーとルディーの兄弟喧嘩がなかったら、ダスラー商会はどうなっていたんでしょうね? もしかしたら世界一のスポーツブランドがドイツに誕生していたかもしれません。
あるいはもしも兄弟ケンカがなかったら、熾烈な企業間競争もなく、競争がなかったら、今のアディダスもプーマも存在していなかったかもしれません。
兄弟げんかもときにはやってみるものでしょうか? ランナーのみなさんはどう思いますか?