ドストエフスキー『死の家の記録』シベリア獄中記のあらすじと感想

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ドストエフスキー版獄中記「死の家の記録」

わたしにはドストエフスキー向いていないのかな、と思いつつ、さらに読み進めます。

ドストエフスキー『貧しき人びと』どのへんが名作なのか? あらすじと感想

『死の家の記録』はドストエフスキー版獄中記です。1860年の作品。

初期の作品で「わたし文体」なので読みやすいです。ロシア文学特有の「キャラクターの名前が覚えられません症状」に悩まされなくてすむからです。

お金持ちになるメリットのひとつに「嫌な奴とつきあわなくていい」ということがあります。お金持ちは基本的に人に頭を下げる必要がありません。お金があれば最悪、人と付き合わなくても生きていけます。労働もしなくてもいいからです。

しかし牢獄では別です。貴族であろうとも、お金持ちだろうと、牢獄の中では同じ身分の囚人と付き合わなくてはなりません。相手は世間から外れた一癖も二癖もある犯罪者です。どこか狂っていたり、頑固だったり、そんな世間の嫌われ者たちと、牢獄ではいやでもつき合わなければならないのです。

人間嫌いだったり、プライドが高かったりすると、牢獄は地獄になります。

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このブログの著者が執筆した純文学小説です。

「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」

「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」

本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

Bitly

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今の環境を牢獄だと思っているから、獄中文学が好き

わたしは意外と牢獄が好きです。自分が入獄したことはないけれど。

『サド侯爵夫人』三島由紀夫の最高傑作

堀江貴文『刑務所なう。』最も自由な奴は、最も不自由な場所にいる!

牢獄の囚人は監視されています。寝たい時に寝て、起きたい時に起きて好きなことをするというわけにはいきません。肉体的には不自由の中にいます。

しかし精神的には私たちもそれほど自由でしょうか。

今いる「この場所」も、いろんな意味で不自由じゃないかと私は思います。

お金がなかったり、時間が無かったりして、好きな場所に好きな時に行けるわけじゃない。ずっと部屋にいることは、ずっと牢獄の中にいるのとどこが違うだろうか。肉体が不自由に縛られていることは「牢獄」も「この場所」も同じじゃないか、との考えからです。

本当の意味で自由なのは心の中だけ。いつまでも肉体は不自由にとらわれていると思ったら、さあ獄中文学を読んでみましょう。

今いる「この場所」を愛せるようになるかもしれません。

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地獄の沙汰も金次第。牢獄で見た底辺の人間たちの剥き出しの姿から作家として飛躍していった

ドストエフスキーはシベリアの牢獄に入獄し、そこで見た底辺の人間たちの剥き出しの姿を観察したことから作家として飛躍していきました。ドストエフスキーはいいます。

牢獄の苦痛は「ひとりきりになれないこと」だ。一緒に暮らしたくないような人たちと強制的な共同生活。は、作家的な資質をもったものにとっておそろしく悩ましいことだったに違いありません。ものを書くということは内向的な思索的な作業です。作家と孤独は切り離せません。しかし牢獄だと常に監視があってひとりきりにはれません。しかもそばにいるのは気の置けない友だちではなく人殺しや詐欺師や看守が常に一緒にいるわけです。地獄ですね。

そんな地獄のシベリア流刑地でも、19世紀ロシアの場合、酒も、たばこも、看守を買収すれば女さえも手に入れることができたそうです。まさに地獄の沙汰も金次第なんですね。

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平等な罰はありえない。

平等な罰はありえない、繊細な人間と、鈍感な人間では、おなじ禁錮でも苦しみが違うとドストエフスキーは主張します。

収監されて「世の中にこんな楽しい生活があるとは知らなかった」という人も実際にいるのです。創作ではなくリアル獄中記なので「こういう人が本当にいたんだ」といわれたら反論できませんね。

人によっては外の世界の仕事よりも牢獄の仕事のほうが楽でした。娑婆では飢えていたのに牢獄内では食事が出て飢えることはありません。囚人同士は平等で、外の世界のように身分の上下があって、屈辱をあじわうこともありません。

そう感じる人もいる反面、自由な生き方をしてきた人などは同じ環境でも苦痛がはなはだしいことは容易に想像できます。

「同じ罪に対して同じ禁錮年数」は平等だと思い込んでいましたが、なるほど実際に収監された人は「苦痛が違う」と感じるのですね。

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劣悪な衛生環境。虫地獄

牢獄の中では、夏になると幾万匹とが跋扈していたそうです。南京虫もいました。あすもあさってもずっとそんな虫地獄の中で囚人は生きていかなければなりませんでした。

いっそDDTでも散布してくれ。からだに悪くてもいいからさ!

幕末の西郷隆盛の入牢もの襲来が凄かったそうです。夜になると何百匹の蚊に襲われて……想像しただけで自殺したくなりそうですね。西郷さんはフィラリアに感染し、キンタマが肥大してしまいました。

むしろ虫がでないだけ冬の方がマシだったでしょうか。極寒のシベリアでマイナス20℃とかだけど(泣)。

獄中の入浴も、中国の海水浴場みたいにイモ洗い状態で、ひどいものでした。

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笞刑。鞭打ち

現在の日本では禁止されている笞刑(ちけい)、鞭打ちの描写がいたるところにありました。囚人はこのむち打ち刑を非常に恐れています。

そんなに痛いのかと調べてみたら、失神してしまう者、死んでしまう人がいるほどだそうです。

樫の棒という描写があります。「しなる鞭」というよりは撲殺的な刑のようです。背中の皮膚がズタズタになってしまうのです。

漫画『愛と誠』で主人公の大賀誠が鞭打たれて舌を垂らしちゃうシーンがありましたが、リアルな描写だったみたいです。さすが梶原一騎SMっぽいの好き

ドストエフスキーには明らかに「サドの影響」がありますが、サドのむち打ちと、囚人に対するむち打ちは、似て非なるものです。

カラマーゾフの兄弟『大審問官』。神は存在するのか? 前提を疑え! 

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ソビエト共済主義の萌芽と崩壊を予期させる囚人たちの団結とサボタージュ

強制労働の苦痛が『死の家の記録』には描かれています。

実際のところ百姓の方が懲役囚よりも仕事は忙しいのですが、それでも苦しいのは懲役囚だとドストエフスキーは主張します。

合理的な目的があれば人間は意欲がわきますが、無意味・無目的だといっさい意欲がわかないそうです。「目的と希望を失ったら人間は人間でなくなる」というのがこの文学のひとつのテーマでした。その人間を精神的に粉砕し抹殺しようと思ったら、あてがう仕事を無益かつ無意味なものにすれば、やがて人は首を括るだろう、とドストエフスキーはいいます。

仕事を請負仕事にすれば囚人はいきいきと働くが、強制労働ではサボって働かない。のちのソビエト共済主義の崩壊を彷彿とさせる描写が出てきます。

囚人が団結して牢獄管理者へ抗議する場面もあります。労働者階級が団結する場面でも、貴族に属する主人公は最後まで仲間とは認めらえませんでした。

ロシア革命は1905年のことでした。そのときドストエフスキーはもうなくなっています。

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集団生活の実験場。人はなかよくできるのか?

個性の強すぎる囚人たちですから、囚人同士がひたすらケンカします。

もともと集団生活が無理だから犯罪者になってしまった人たちをむりやり一カ所に集めているのですから、ケンカが絶えません。

鞭打ち刑が恐いので、暴力沙汰にはならず、口ゲンカのみですが、のちの文豪もびっくりの流暢な弁舌で相手をやっつける囚人たち。

人はなかよくできるのか? 団結できるのか? 牢獄は集団生活の実験場のようでした。

動物をパートナーのようにかわいがる囚人がいる一方で、それを食材に食ってしまう囚人もいました。

脱獄に成功していた時には尊敬されていましたが、失敗したら名声が地に落ちた囚人がいました。成功というものが名声に及ぼすものの大きさをドストエフスキーは知りました。

制服を着ている時には恐れられたが、退職して私服になったら「無」だと一顧だにされない監獄の長もいました。

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「モデル探し」ごっこ。会いたい人の顔が必ず見つかる

京都の三十三間堂では1001体の千手観音像が安置されていて、ひとつひとつ表情がちがうため「会いたい人の顔が必ず見つかる」といわれています。

『死の家の記録』も、たくさんの囚人がオムニバス形式登場するために、これだけたくさんの囚人の例が示されるとひとりぐらい「自分と似た囚人」が出てきます。私の自分そっくりの内面を持つ囚人に出会いました。その人物の名前は……ナイショです。

『罪と罰』のラストシーンのように、女が流刑地までついていくエピソードが見られます。

ドストエフスキー『罪と罰』の低評価。小説界のモダンアートだったのではないか?

ドストエフスキーファンのなかでは、後の長編たちの主人公のモデルを『死の家の記録』の中に探す「モデル探し」ゲームがはやっているようです。

それぞれの囚人に表の顔と裏の顔があり、長年付き合った仲でも、人を本当に見分けるのは極めて困難だとドストエフスキーは書いています。

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自由の死「死の家」は「生きている人間の家」だった

たくさんの囚人を見てきました。「死の家」は「生きている人間の家」でした。

『死の家の記録』物語のラストは主人公の出獄です。牢獄を出る時、主人公は自由を感じます。牢獄で死んでいたのは自由でした。主人公はやっと自由を取り戻します。

しかし主人公はその後、自由な暮らしを満喫したわけではありませんでした。私たち読者はこの主人公のその後を知っています。世に隠れるようにして家庭教師のような仕事で糊口をしのぎ、孤独の中に死ぬという作品の冒頭にラストシーンは戻っていくわけです。

囚人たちはなみはずれた人間ばかりでした。才能豊かで、力強い、たくましい力はいたずらに滅びました。多くの青春が葬られました。偉大な力がむなしく滅び去りました。牢獄の中身を体験したドストエフスキーは惜しみます。

しかし実際には文豪が作品に残したことで、彼らは滅び去りはしませんでした。むしろ永遠の命を吹き込まれたといえるかもしれません。

閉じ込められている時は「惜しむべき力」と思われていた主人公も、結局は、家庭教師のような仕事で糊口をしのぎ、孤独の中に死んでいったのです。他の囚人だって似たようなものだったかもしれませんね。

ドストエフスキー作品の読み方(『カラマーゾフの兄弟』の評価)

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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。

「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」

「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」

※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。

アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
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このブログ著者の小説『ツバサ』
小説『ツバサ』
主人公ツバサは劇団の役者です。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」
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主人公ツバサは劇団の役者です。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」
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