どうもハルトです。みなさん今日も元気に走っていますか?
市民ランナーのグランドスラムを達成した私が、もっとも尊敬する有酸素運動選手は、実はマラソン選手ではありません。
自転車ロードバイクの選手です。
ランス・アームストロング。癌から立ち直って、健常者を打ち負かし、カン患者の希望の星となった英雄です。のちにドーピングでその名声は地に堕ちましたが……命を賭けて彼がたたかったことは疑いのないことだと思います。
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このブログの作者の書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』のご紹介
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。
その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。
●自転車通勤における四重苦について。
●ロードバイクは屋外で保管できるのか?
●ロードバイクに名前をつける。
●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。
●ロードバイク・クラブの入り方
など、初心者から上級者までを対象とした内容になっています。書籍のお求めはアマゾンキンドル図書からお願いいたします。
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ランス・アームストロングの光と闇
私はツール・ド・フランス7連覇(現在は剥奪)を達成したランス・アームストロング選手が大好きです。それは今でも変わっていません。彼がドーピングしていたことはもちろん知っています。映画も見ました。
それでも勝つためにすべてを捧げた男が好きなのです。死の瀬戸際からやっとのことで蘇ってきたのに、命を縮めてでも勝とうというスピリッツに本気を感じたのです。
たとえ生き残っても、ただ生きているだけでは甲斐がない、世の中にはそう思う人間が一定数いるのです。
そしていくら癌から立ち直っても、健常者に勝たなければガン患者への希望とはなれない。
そういう気持ちが伝わってきたのです。
同じように癌で絶望した人たちに、再び立ち上がり、健常者にも勝つことができることを、病に倒れた者たちを代表して示そうとしたのだと思っています。
ランス・アームストロングだけが薬物の力を借りていたなら、確かに不正な競争だったでしょう。しかし彼以外の健常者もみんな薬物をやっていた時代でした。いわば同じ条件での勝負でした。
だからいくら彼がドーピングをしていたからといって、私はランス・アームストロングのことを嫌いになることができません。
たとえばドーピングを絶対に認めない人は、俳優でも認めないのでしょうか?
俳優のドーピングはいいのか?
映画『ロッキー』のシルベスター・スタローンなんかステロイド剤(筋肉増強剤)をバリバリ使っていますが、私は大好きです。
スポーツは競争だからダメだけれど、映画俳優は競争じゃないから別に構わない。
そういう考えですか?
しかし俳優だってキャスティングをめぐって競争しています。ライバルに勝って役を勝ち取らなければ、お芝居でメシを食っていくことはできません。映画がヒットすれば、有名にもなれます。お金持ちにもなれます。でも売れなければアルバイト生活が待っています。
いい役を得たら得たで、今度は超一流のイケメンと、人気を競い合わなければなりません。映画がこけたら次の役は回ってこないかもしれません。
アクション映画では、筋肉増強剤剤で作り上げたマンガみたいな肉体の方がウケるに決まっています。そこらへんにありふれた肉体なんて誰が見たいでしょうか。
お金を払ってでも見たいのは「そんじょそこらにはない凄い肉体とパフォーマンス」に決まっています。だからアクションスターは危険薬物に手を出すのです。自転車レースの選手とまったく同じ状況だと思いますが、いかがでしょうか?
薬によって命を縮める可能性があることも同じです。そもそもドーピングが問題になるのは、薬害によって使用者の健康を損ねてしまうからです。
命の価値はアスリートと映画俳優では違いますか?
倒れてもいい。この人生に納得したい
競争相手がドーピングをすれば、自分も薬をやるしか同じ土俵に立つ術はなく、軍拡競争のように際限がなくなってしまいます。
そのヤバさはわかります。命を縮めてしまいますよね。
しかしランス・アームストロングは生存確率50%のガン患者だったのです。命の価値は誰よりも知っていた筈です。
また私のようにランニングとロードバイクと両方やる人間から見るとよくわかるのですが、自転車というのはランニングとはくらべものにならないぐらい危険な競技です。
ドラフティングとかスリップストリームと呼ばれる風の抵抗を避けるための集団走行の技術を使うためですが、これを公道で警察車両相手に車でやったら危険走行で逮捕されても文句は言えません。いわゆる「あおり運転」とどこが違うのでしょうか。
自転車レースというのは死と隣り合わせの危険な競技です。実際にレース中に事故で死んだ人もいます。転倒、骨折は日常茶飯事です。
「覚悟」がないとやっていられません。薬の副作用でいくら余命の心配をしても、次のレースで事故で頭蓋骨を割って死んでしまったかもしれないのです。実際にそういう選手がいました。
ランス・アームストロングの時代(初期)にはヘルメットが義務化されていませんでした。
だから彼のレース中の写真を見ると、ノーヘルなのです。
「勝つためにはドーピングも辞さず」アスリートなら当然の心理ではないか
かつてわたしは2年連続でサブスリー(マラソンで2時間台で走ること)を失敗していました。その挫折の経験から「あと数秒をフィジカルではなく脳ミソで削る」ためのサブスリー養成講座のノウハウに辿り着いたのですが、決してフィジカル面を無視したわけではありません。
※雑誌『ランナーズ』のライターにして、市民ランナーの三冠王グランドスラムの達成者の筆者が走魂を込めた書籍『市民ランナーという走り方』(サブスリー・グランドスラム養成講座)。Amazon電子書籍版、ペーパーバック版(紙書籍)発売中。
言葉の力で速く走れるようになる、というのが本書の特徴です。走っている時の入力ワードを変えるだけで速く走れるようになります。言葉のイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く効率的に走ることができるようになります。踵着地とフォアフット着地、ピッチ走法とストライド走法、どちらが正解か? 本書では明確に答えています。あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
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「サブスリーのためならドーピングも辞さず」と公言していました。そのとき勇気をもらった選手こそが、ランス・アームストロング選手だったのです。
このまま3時間を切れなかったらどうしよう。一年後にも今と同じ走力を維持できるかどうかわからない。力は衰えてしまうかもしれない。だから今。今、今、成し遂げたい。
時間はない。ゴールしたらその場で倒れてもいい。それでもいいから、成し遂げたい。何かを成し遂げたと自分の中で勲章にしたい。何が何でもサブスリーランナーになりたい。
そう思いつめていました。
この人生に納得したい。最終的には、そういうことだったのだと思います。
あの頃、ステロイド剤が近くのドラッグ・ストアに売っていて、簡単に手に入ったのなら、わたしは間違いなくやっていたと思います。
簡単に手に入っていたら、間違いなくやっていたと思います。それがアスリートの当然の心理だと思います。
温泉につかっている老人じゃないんです。命を削ってやるのが当たり前の世界なんですよ。
ランス・アームストロング。勝つために、すべてをかけた男のことを、私は忘れません。