どうもハルトです。みなさん今日も元気に走っていますか?
市民ランナーのグランドスラムを達成した私が、もっとも尊敬する有酸素運動選手は、実はマラソン選手ではありません。自転車の選手です。好きな選手は誰かとよく聞かれるんですが、あえてマラソン選手限定で言うならば藤原新選手です。
ランス・アームストロングの光と闇
私はツール・ド・フランス7連覇(現在は剥奪)を達成したランス・アームストロング選手が大好きです。それは今でも変わっていません。彼がドーピングしていることは知っており、それでも勝つためにすべてを捧げた男が好きなのです。ガンで死の瀬戸際からやっとのことで蘇ってきたのに、命を縮めてでも勝とうというスピリッツに本気を感じたのです。
たとえ生き残っても、ただ生きているだけでは甲斐がない、健常者に勝たなければガン患者への希望とはなれない。そういう気持ちが伝わってきたのです。同じように癌で絶望した人たちに、再び立ち上がり、健常者にも勝つことができることを、病に倒れた者たちを代表して示そうとしたのだと思っています。
ランス・アームストロングだけが薬物の力を借りていたなら、確かに不正な競争だったでしょう。しかし彼以外の健常者もみんな薬物をやっていた時代でした。いわば同じ条件での勝負でした。
ドーピングを絶対に認めない人は、俳優でも認めないのかな?
俳優のドーピングはいいのか?
映画『ロッキー』のシルベスター・スタローンなんかステロイド剤をバリバリ使っていますが、私は大好きです。
スポーツは競争だからダメだけれど、映画俳優は競争じゃないから問題ない。
そういう考えですか?
しかし俳優だってキャスティングをめぐって競争しています。ライバルに勝って役をもらわなければ、食堂で皿洗いのバイトをしなければならないのです。映画がヒットすれば、有名にもなれます。お金持ちにもなれます。
役を得たら得たで、今度は人気を競い合わなければなりません。映画がこけたら次の役は回ってこないかもしれません。
アクション映画では当然ステロイド剤で作り上げたマンガみたいな肉体の方がウケるに決まっています。
自転車レースの選手とまったく同じだと思いますが、いかがでしょうか。
薬によって命を縮める可能性があることも同じです。
命の価値はアスリートと映画俳優では違いますか?
倒れてもいい。この人生に納得したい
競争相手がドーピングをすれば、自分も薬をやるしか同じ土俵に立つ術はなく、軍拡競争のように際限がなくなってしまいます。それはわかります。命を縮めてしまいますよね。
しかしランス・アームストロングは生存確率50%のガン患者だったのです。命の価値は誰よりも知っていた筈です。
また私のようにランニングとロードバイクと両方やる人間から見るとよくわかるのですが、自転車というのはランニングとはくらべものにならないぐらい危険な競技です。
ドラフティングとかスリップストリームと呼ばれる風の抵抗を避けるための集団走行の技術を使うためですが、これを公道で警察車両相手に車でやったら危険走行で逮捕されても文句は言えません。
自転車レースというのは死と隣り合わせの危険な競技です。実際にレース中に事故で死んだ人もいます。転倒、骨折は日常茶飯事です。「覚悟」がないとやっていられません。薬の副作用で余命を心配しても、次のレースで事故で死んじゃうかもしれないのです。
当時、私は2年連続でサブスリーを失敗していました。その挫折の経験から「あと数秒を頭脳で削る」サブスリー養成講座のノウハウに辿り着いたのですが、フィジカル面を無視したわけではありません。
「サブスリーのためならドーピングも辞さず」と公言していました。そのとき勇気をもらった選手こそが、ランス・アームストロング選手だったのです。
そう思いつめていました。
この人生に納得したい。最終的には、そういうことだったのだと思います。
あの頃、ステロイド剤が近くの薬局に売っていて、簡単に手に入ったのなら、間違いなくやっていたと思います。
ドラッグストアには売ってなかったので、やりませんでしたが。その代わりにダイエット・サプリメント・ドーピングに走ったのです。
ランス・アームストロング。勝つために、すべてをかけた男のことを、私は忘れません。
コメント