9月19日から22日まで、敬老の日と秋分の日で四連休となったので、さっそく車中泊の旅に出かけることにした。
移住先を探す旅である。私はアパート暮らしなので、何も終生そこに住む必要はないのだ。
まだ残暑厳しいので、移住先として最も人気のある県、長野県を中心にめぐることにした。
もちろん標高による避暑効果を期待してのことである。
【この記事を書いている人】
瞑想ランニング(地球二周目)をしながら心に浮かんできたコラムをブログに書き綴っているランナー・ブロガーのサンダルマン・ハルトと申します。ランニング系・登山系の雑誌に記事を書いてきたプロのライターでもあります。日本脚本家連盟修了生。その筆力は…本コラムを最後までお読みいただければわかります。あなたの心をどれだけ揺さぶることができたか。それがわたしの実力です。
初マラソンのホノルル4時間12分から防府読売2時間58分(グロス)まで、知恵と工夫で1時間15分もタイム短縮した頭脳派のランナー。市民ランナーの三冠王グランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。ちばアクアラインマラソン招待選手。ボストンマラソン正式選手。地方大会での入賞多数。海外マラソンも完走多数(ボストン、ニューヨークシティ、バンクーバー、ユングフラウ、ロトルアニュージーランド、ニューカレドニアヌメア、ホノルル)。月間走行距離MAX600km。雑誌『ランナーズ』で数々の記事を執筆していた物書きです。「頭のよさで走り勝つことはできるか?」その答えを書いたハルトの【サブスリー養成講座】を展開しています。
また、現在、バーチャルランニング『地球一周走り旅』を展開中。ご近所を走りながら、走行距離だけは地球を一周しようという仮想ランニング企画です。
そしてロードバイク乗り。朝飯前でウサイン・ボルトよりも速く走れます。江戸川左岸の撃墜王(自称)。スピードが目的、スピードがすべて。ロードバイクって凄いぜ!!
山ヤとしての実績は以下のとおり。スイス・ブライトホルン登頂。マレーシア・キナバル山登頂。台湾・玉山(ニイタカヤマ)登頂。南アルプス全山縦走。後立山連峰全山縦走。槍・穂・西穂縦走。富士登山競争完走。日本山岳耐久レース(ハセツネ)完走。などなど。『山と渓谷』ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。
その後、山ヤのスタイルのまま海外バックパック放浪に旅立ちました。訪問国はモロッコ。エジプト。ヨルダン。トルコ。イギリス。フランス。スペイン。ポルトガル。イタリア。バチカン。ギリシア。スイス。アメリカ。メキシコ。カナダ。インドネシア。マレーシア。ニュージーランド。タイ。ベトナム。カンボジア。ネパール。インド。中国。台湾。韓国。そして日本の27ケ国。パリとニューカレドニアを別に数えていいなら訪問都市は100都市をこえています。(大西洋上をのぞいて)世界一周しています。ソウル日本人学校出身の元帰国子女。国内では青春18きっぷ・車中泊で日本一周しています。
登山も、海外バックパック旅行も、車中泊も、すべてに共通するのは必要最低限の装備で生き抜こうという心構えだと思っています。バックパックひとつ。その放浪の魂を伝えていきます。
千葉県在住。夢の移住先はもう決まっています!!
※この稿の内容は以下のとおりです。
北信濃随一の観光地、戸隠高原
みんなコロナ禍で外出自粛しているのかな?
そう思うほど、4連休だというのに、これまでほとんど人のいない場所ばかりだった。
北信濃には人は来ないのか?
この日本に若い男女はいないのか?
そう思うほど、これまで人のまばらな場所ばかりだった。
ところが、戸隠ではじめて渋滞にまきこまれた。
人に先んじて行動する早立ち術のお陰で、ほとんど渋滞と無縁に来ていたのだが、ここで大渋滞である。
なんで戸隠にこんなに人が集まっているんだ?
そう思うほど、北信濃で戸隠の集客力は圧倒的だった。
私とイロハは、戸隠山と戸隠神社を朝散歩しようと思ってきたのだが、他の人たちも同じとは思えなかった。
大渋滞の客層はファミリーが多いようだ。まさかファミリー層がこんなに大挙して戸隠神社に来るはずがない。
神社というのは、木々と屋根と鏡しかないところだ。子どもがよろこぶ場所ではない。
登山道もあるが、登山者ばかりとは思えなかった。
戸隠山は修験道の修行の道場である。崖や鎖場が多く、奥さんたちが歩くような山ではない。
渋滞の中、私たちは、どうしてこんなに大勢の人たちが戸隠にきているのか、スマホで調べ始めた。
戸隠の魅力は「戸隠忍者」
最近、ヒロシや『ゆるキャン△』の影響で大流行しているキャンプ場が戸隠にもあるようだ。
戸隠キャンプ場。
ファミリーカーの中に一定数、キャンプ場を主目的にしている人たちがいた。
そして「戸隠そば」。戸隠そば屋の前でも車が大渋滞し、店頭に人がならんでいた。
しかし……キャンプ場やソバ屋だったらウチの近くにもあるぞ。
わざわざ人が外から来るような、もっと他に集客力のある何かがあるに違いない。
牧場もあった。森林植物園もあった。
牧場も植物園も、それなりに人を集めていたが、何も戸隠にしかないものではない。オンリーワンではないのだ。
信州長野にはいたるところに牧場があるし、植物園も日本全国各地にある。
4連休に、わざわざ遠くから戸隠に来るだけの魅力があるか疑問である。
複合的な魅力の一つを構成しても、核の施設ではないに違いない。
すると……大渋滞の車が駐車場待ちをしている列の先に「チビッ子忍者村」と「忍者からくり屋敷」というのがあった。
そうか戸隠忍者か。
戸隠の魅力はニンジャなんだな。
子どもたちを楽しませるために、親がついてくる。これが忍者の魅力か。
かつて伊賀忍者、甲賀忍者という忍者集団があった。
知っていますよね?
そして戸隠忍者というものがあったらしい。
戸隠流忍術を知っていますか?
私はよく知っている。しかし、実際は何も知らない。
戸隠流忍法って何だ
忍者を語るとき、テレビドラマの影響、創作の影響は排除しきれないのだが、それでも確かに忍者は存在していた。
情報収集して、森林ゲリラ戦を行う草の民、というのが神話を取り除いた忍者の正確な像ではないだろうか。
伊賀忍者はわかる。伊賀に里があり、天正伊賀の乱という織田軍との戦闘行為があった。
服部半蔵、百地丹波など実在確実な伊賀者がいる。
百地の弟子の石川五右衛門もまあ伊賀忍者としていいかもしれない。
飛び加藤こと加藤段蔵も伊賀忍者。
その他、伊賀の影丸から忍者ハットリくんまでスター軍団が勢ぞろいだ。
徳川家康に可愛がられて、伊賀忍者が情報戦などで活躍したことは史実として確実らしい。
甲賀忍者もよく知られている。
戦国のゴルゴ13といわれるスナイパーの杉谷善住坊は甲賀者である。
織田信長5将のひとり滝川一益も甲賀忍者とされることがある。
そして猿飛佐助。真田幸村が三蔵法師ならば孫悟空に当たるのが猿飛佐助である。彼も甲賀忍者だ。
このように伊賀忍者、甲賀忍者はよく知られている。
実際に六角氏や織田氏や徳川氏などと絡んで戦国時代に登場してくる集団だ。
でも戸隠忍者って何だろう。誰だろう。
どの大名に仕えて、どんな功績を上げたのか?
それが調べてもよくわからないのだ。
戸隠忍者は、戸隠山の修験道がベースになっているらしい。
修験道は山道を闇ルートとして情報交換した人たちだったので、情報戦に強かったのは確かだろう。
しかし、例えば戦国時代に武田信玄とか上杉謙信のもとで仕事をしたような史実が出てこないのである。
どんな成果を上げた忍者なのか、よくわからない。
そして歴史上の有名な戸隠忍者がいないのだ。
服部半蔵や猿飛佐助のようなスターがいないというのに、どうしてこんなに戸隠流が人気になっているのだろうか?
戸隠流忍術34代目継承者。初見良明
もっとも有名なのは、この人物ではないだろうか。
初見良昭さん。戸隠流の宗家とされている。
宇宙刑事ギャバンシリーズの後継番組『世界忍者戦ジライヤ』に出演していたことで知られている。
忍術と武術を世界中の軍人や警察に護身術を教え、世界中に弟子がいる。
テレビ番組『Youは何しに日本へ?』のアポなしインタビューで、ガタイのいい外人に訪日目的を聞くと、初見先生に忍術を教えにもらいに来た、という人がやたらと多いことで知られる。
私は初見先生に会ったことがあるが、数々の忍者刀を見せられ、世界各国の権力者からの手紙を見せられた。
その中にはローマ法王からの手紙もあった。
「Happy Birthday Dear Hatsumi(意訳)」みたいな気さくな手紙であった。
ローマ法王からの手紙……私は唖然としたものである。
圧倒的じゃないか……。
この人物こそ戸隠流忍者最大のスターである。
服部半蔵も、滝川一益も、ローマ法王から意識されたこなどなかったに違いない。
ちなみに、令和2年現在、初見良明は存命中である。
戦国時代こそが忍者の華の時代であったが、なんと昭和・平成の時代にこそ戸隠流忍者の最大のスターがいたのである。
ちなみに初見先生は「ワイ談をしながら、人生を語れる」ような人である。
ふところが深すぎて、いかがわしさマックスでもある(笑)。
英語もペラペラです。決して武道だけの人物ではない。
忍者の行動は隠密が原則である。
有名な忍者はダメ忍者、というような議論は、インターネットSNSの現代忍者には通用しないようだ。
有名になってナンボである。
そういうところも含めて、遠い未来、戸隠流忍術は、初見良明を服部半蔵や石川五右衛門と並べて、解説する時代が来るに違いない。