オオクニヌシの社、出雲大社
さていよいよ本日の目的地オオクニヌシの社、出雲大社に向かいます。
因幡の白兎海岸から1時間ぐらいかと思ったら3時間もかかってビックリしました。
オオクニヌシノミコト、相当移動しましたね。約130km。
当時は徒歩ですから大変な大移動でした。
多くの神々をそこまで歩かせるとは、八上姫はさぞや美しいと評判だったんでしょう。
イロハ「隣の国のお姫様だったんじゃないの? 婚姻によって国を安定させるために必死だったんだよ。政略結婚だよ」
ハルト「白兎がキューピットの矢の如く駆けたロマンの物語に、なんて現実的なことを言うんだ。でも隣の国が130kmも隣にあったとすれば、出雲の国はとてつもない大国だった証拠だね」
かつては出雲には日本最大のクニがあったのです。
そこには国津神オオクニヌシが住んでいました。
しかし天津神アマテラスが降臨し、鹿島神宮のタケミカヅチを派遣。
国を譲れという話になり、戦いが起こり、敗れた大国主命の息子(タケミナカタ)が逃げた長野地方で諏訪大社で祀られているという神話です。
私は鹿島神宮の近くに住んでいるために、どうしてもオオクニヌシ側ではなくタケミカヅチ側で神話を見てしまいます。
すると諏訪の人はタケミナカタ側から神話を見るってことになります。
負けて逃げた神を祭るっていうのは、どんな感じなんでしょうか?
あまり面白くないでしょうな。
そしてかつての出雲大社は日本最大の高層建築であったと言われています。
『逆説の日本史』では国を奪われた大国主神の怨霊鎮魂のためだとされています。
大国主神は、ダイコク様と同じ音で読めることから(大黒・大国)同一視されて、福の神になってしまいました。
しかし実在の人物、もしくはモデルとなる人物はいたとされています。出雲の領主で、国を譲った人物が。
「神代の昔」という言葉がありますが、実際のところ、そんなに古い話でありません。
卑弥呼が魏に使いを送ったのが238年。三国志の曹操の孫が相手です。
「卑弥呼」が「日の巫女」つまり天照大神だったとして、ヤマタイ国がヤマト国だったとしたら、ヤマトにイズモを国譲りしたオオクニヌシはもっと後の人物ということになります。聖徳太子が574年の出世とされているので、その間の人物です。
どうも神様たちが曹操や劉備よりも後の人物ということに違和感がぬぐえませんな。
曹操と同じ220年に死んだ関羽が神様(関帝廟)になっていますから、そんなに不思議でもないのかな?
ギザの大ピラミッドは紀元前2500年頃に造営されたもので、ツタンカーメン王は紀元前1300年頃の人物、もちろんイエス・キリストは西暦0年ごろのお方です。
そう考えると、とても最近の話だ、という気がします。
日本は歴史があるとよく言いますけれど、それほどでもないのではないでしょうか。
正面を向かず、そっぽを向いているオオクニヌシ様に礼拝をします。
その後、四隅突出型墳丘墓を見ます。
こういう形のハンドスピナーを東南アジアの屋台でたくさん見たなあ(笑)。
寝るにはまだ早かったので、関東ではあまり見ない『ゆめタウン』「you me」というショッピングモールで島根名物の赤天と薔薇パンを買って、映画『リメンバー・ミー』を観ました。
ユー・ミーかと呼んでいましたが「ゆ・め」と読むんですね。
夢とyou&me「すなば珈琲」みたいに二つの意味をかけた名前なんでしょう。
『生きることは旅のようなもの』そんなスタンスで旅をしているので、旅の途中で映画を見ることもあります。
ところが、ところが、ここで思いもよらぬ大事件が発生してしまいました。
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