海と関わって生きていく方法。大学教授という海の愛し方

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ウィキペディアにも載っている或る東大教授の死

親戚の或る東大教授が亡くなりました。ここではYおじさんと呼びましょう。私にとっては東大教授ではなく、ただのおじさんなので。ウィキペディアに名前や業績の出ているほどの人物です。船舶を研究していた人で、幼い頃、私は船舶図鑑をプレゼントされたことがあります。男の子に自分の研究分野に興味を持ってほしかったのかもしれません。

政治家や芸能人などの訃報がニュースで流れて、Wikipediaを見ると、もうすでに死亡したことになっていて、即時性、情報更新力の高さに驚かされることがありますが、Yおじさんはまだwikiでは生きていることになっています。まだ訃報は近親者にしか知れ渡っていないのでしょう。東大総長からも弔電、供花もありましたから、やがては更新されるものと思っています。いちおう名前は伏せておきます。

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二世帯住宅の割合が多いのは、魅力のある街のあかし

この東大教授は私と同じ名古屋の人です。仕事のために名古屋から関東に出てきて、鎌倉に居を構えました。しかし遺骨は名古屋に戻って、先祖の墓に入るそうです。東大教授ですので、勤務先はもちろん東京大学です。鎌倉から東京大学までけっして近くはないと思います。もっと近場の通勤にいい場所もあっただろうに、どうして鎌倉に居を構えたのでしょう。

この東大教授を含めて、おじさんたち兄弟らはみんな名古屋から上京しています。名古屋から東京に引っ越してきたときに、兄弟はどこにだって自分の選択で住むことができました。うちの父親は自分の勤務先である大手町を中心に、通勤に便利のいい場所として千葉県(松戸市)を選びました。電車の乗り換えなしで通勤できたからです。そしてもちろん鎌倉よりも土地の値段が安かったこともあるでしょう。その気持ちはよくわかるのですが、子供としては、なんでうちも鎌倉に住んでくれなかったんだと感じたこともありました。だってどう考えたって家族が住むには松戸よりも鎌倉の方がいいじゃないですか。

先見の明というか、Yおじさんは、家族のことも考えて、古都鎌倉を選んだんだろうなあと漠然と感じていました。自分のことだけ考えたら、もっと東大に近くて、電車の乗り換えをしなくてすむ場所を選べばよかったはずです。鎌倉では東大まで何回か電車の乗り換えをしなければならないはずです。たまにならともかく、毎日のこととなると、乗り換えなんて、ないにこしたことはありません。そもそも最寄りの駅が湘南モノレールの西鎌倉駅なのです。通勤にモノレールを使うというのは合理的な選択とは思えません。モノレールなんて電車にくらべたら輸送力も小さいし、混むだろうし、通勤に向いているとは思えません。そんなことが東大教授の優秀な頭脳でわからなかったはずがないのに、それでもあえて鎌倉に住んだのは、自分のことより家族のことを考えてのことでしょう? いうまでもありませんが、鎌倉は別世界です。湘南や稲村ケ崎にはサーファーやランナーが、鎌倉アルプスには登山者やトレイルランナーたちが、そして寺院や花の時期には観光客が押し寄せて、一大レジャーランドを形成しています。リゾート感があるんですよね。ベッドタウンとは雰囲気がまるで違います。

鎌倉の市街地を散歩すると二世帯住宅が多いのにも驚かされます。ふつう松戸だったら子供世帯は結婚して出ていくので二世帯住宅にはなりません。鎌倉に二世帯住宅が多いのは、子供世帯が鎌倉から出ていきたがらないからでしょう。いい場所だから、みんな離れたくないのです。

うちの父親は東大教授以上の高給取りだったはずなので、その気になればYおじさんと同じように鎌倉に住むことも選べたはずです。それなのに海も山も鳩サブレーもない松戸を選んだことに、家族としては「やっぱり東大教授は将来の見通しが違うよなあ」と思わざるをえませんでした。私にとってYおじさんというのは、そのような存在でした。

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海のない場所で船の研究をするなんてありえなかったのではないか?

ところが葬儀に参加して、坊さんがお経をあげている小一時間のあいだ、供花などを眺めているうちに、別の考えに思い至りました。それはつまり、こういったことです。

Yおじさんは、家族のために鎌倉に居を構えたのだと思っていたけれど、本当は自分のためにそうしたのではないか?

わたしはあくまでも観光目線でおじさんが鎌倉を選んだと考えていましたが、Yおじさんは必ずしも鎌倉を観光目線で見ていなかったんじゃないだろうか。つまり自分の仕事目線で見ていたのではないか、ということにはじめて思いいたったのです。

西鎌倉というのは湘南モノレールに乗って、たったの三区で江の島です。その最高の場所を観光目線でのみ私は見ていたけれど、おじさんは自分の職場としてとらえていたのではないか、と葬儀場ではじめて思いました。

Yおじさんは船舶の研究者です。仕事場は東京大学ですが、船の専門家ですから、海が仕事場だともいえるでしょう。海から離れて船舶はありえません。その証拠に葬儀には、船関係者だけでなく、たくさんの海関係の研究機関や組織から供花がそなえられていました。おじさんがとりくみたかったのは、船と、そして海だったのではないか、とそれを見て感じたのです。

私にとってYおじさんは、学者でした。東大の教授で、たまたま研究分野が船だったのだと思いこんでいました。学者として成功できて、東大の教授になれるなら、研究分野は船じゃなくて飛行機でも、なんなら宇宙船でもよかったんだろうと思っていました。でもそうじゃなかったんじゃないか。船が好きよりも先に、海が好きがあったんじゃないだろうか。死者に思いをはせながら、海関係の人たちからの供花を眺めながら、はじめてそのことに気づいたのです。

海のない松戸とか浦和とかに住んで船の研究をするなんてありえないと思ったのかもしれません。かつて金田一春彦さんが「国文学を研究するなら京都に住まなきゃ」と言っていたのと同じような感覚だったのかもしれません。アイヌのことを研究するなら北海道に住むべきでしょうし、長野県や山梨県(海なし県)で船舶研究をしている人からマトモに船を学びたいでしょうか?

たとえ平日は西鎌倉と東京大学の往復で海を見ることはなかったとしても、休みの日にふっと散歩感覚で行ける片瀬江ノ島から、研究する意欲、パワーをもらっていたのかもしれません。もちろん船のことは好きだったのでしょう。しかし船より先に海が好きだったのではないか。船の学者が海から離れていいわけがありません。鎌倉に住んだのは、家族を思ってのことではなく、自分の研究を思ってのことだったのではないか。自宅のすぐそばにある海から、研究意欲をもらっていたのではないか? 葬儀の席で、そんなことにはじめて考えいたったのでした。

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サーファーとは違った方向性で海を愛した人

そのことを遺族(私にとっては従姉)にたずねると、思ったとおりのようでした。ふるさと名古屋の海を愛したことがきっかけで、海から船にたどり着き、長じて船舶の専門家になったのだそうです。戒名に海という漢字はありましたが、船という漢字はありませんでした。船ありきではなく、海が先だったのです。研究分野は飛行機でも宇宙船でも何でもよかったんじゃないかと思っていたのは間違いでした。船でなければならなかったのです。海とつながっていたかったから。

通常、海を愛する人というと、私たちはサーファーや、ウインドサーフィン、カヌーやクルーザー乗りなどマリンアクティビティーをする人を思い浮かべます。大学教授を思い浮かべる人はいないでしょう。しかしYおじさんは、彼らに負けず劣らず海を愛した人だったのではないでしょうか。ウインドサーファーとは違う方向に進んだけれど、海を愛する気持ちには変わりはありません。海と関わって生きていきたいからと、サーフショップを経営するという人がたまにいますが、Yおじさんは海と関わって生きていきたいから東大教授になったのかもしれません。船舶の専門家に。そうして生涯、海と関わった。葬式でそんなことを私は感じたのです。

弟子すじにあたる東大教授が涙をこぼしながらおじさんの弔辞を読んでくれました。私は親戚なので骨までひろいました。お別れですね、おじさん。

葬儀がおわった翌日、私はモノレールに乗って湘南の海を見に行きました。サザンオールスターズTUBEが歌ったある意味で日本一の海です。砂浜で遊ぶ人、サーファー、ウインドサーファー、SUPに乗る人、ビーチランニングをする人、湾岸道路にロードバイクを走らせる人、それらの人だけでなく、沖には船が行きます。海には船があるのです。大学教授という海の愛し方があったのか。それは誰もが気づくことではないでしょう。私だって何十年とおじさんを知りながら、葬儀の席ではじめてそれに気づいたのですから。

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最高の移住先を探す旅。湘南、ここだったのか

父が鎌倉ではなく松戸を選んだことから、私は千葉県人として生きてきました。しかし父やYおじさんが自分の住処を自由に選べたように、今の私は住む場所を自分の意思で選ぶことができます。仕事を辞めた後も千葉県人であり続けることはありません。どこか最高の場所に住みたい。それが私の願いです。海外移住も考えたのですが、今では本拠地は日本において、月単位で海外放浪するスタイルがいいと考えています。その日本国内のベースキャンプとなる移住先を探しながら旅をつづけています。どうせ賃貸ぐらしなので、数年単位で何か所も移動して生きていけばいいと思っていますが……京都のような古都、人でにぎわう都会、瀬戸内海のような多島海、八ヶ岳のような山岳地帯などいろいろな場所を探しました。私が希望する条件のひとつに「富士山と美しい海が見える場所」というのがあります。富士山が大きくて海が近い場所として、地図上で探した富士市にがっかりしたことは以前ブログで報告しました。富士市の海は人工壁の向こうにあって完全管理されていて、まるで親しみがもてませんでした。工業地帯だったことも地図からはわからなかったことでした。

将来の移住先を探す壁外調査(静岡県富士市)

おじさんの葬儀でひさしぶりに湘南ビーチに到着してびっくりしました。そこから富士山が大きく、美しく見えたので。

ああそうか。ここからも富士山が見えるのか。

そう思いました。さんざん探していた「富士山と美しい海が見える場所」ですが……いちばんよかったのは、穴場でもなんでもなく、ベタの王道中の王道でした。葉山や伊豆半島、静岡などを探していたのですが……いちばん心に響いた場所は湘南でした。

幼い頃におじさんの家に何度か遊びに来ていますので、その時に見た景色が目に焼きついていたのでしょうか? どうせ鎌倉には高くて住めないだろうと、はじめから候補地除外していたところだったのですが……まさかこんなタイミングで再発見することになるとは思いませんでした。

湘南、ここだったのか。

心の中で探していた場所は、幼い頃にみた風景でした。

そして「立派なおじさんだったな」と亡くなった或る東大教授のことを海を眺めながら偲んだのでした。

合掌……

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
https://amzn.to/43j7R0Y
×   ×   ×   ×   ×   × 
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×   ×   ×   ×   ×   × 
◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

Amazon.co.jp: 帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル (民明書房) eBook : アリクラハルト: 本
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随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

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●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
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●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
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●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

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「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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ドラクエ的な人生
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