ウィキペディアにも載っている或る東大教授の死
親戚の或る東大教授が亡くなりました。ここではYおじさんと呼びましょう。私にとっては東大教授ではなく、ただのおじさんなので。ウィキペディアに名前や業績の出ているほどの人物です。船舶を研究していた人で、幼い頃、私は船舶図鑑をプレゼントされたことがあります。男の子に自分の研究分野に興味を持ってほしかったのかもしれません。
政治家や芸能人などの訃報がニュースで流れて、Wikipediaを見ると、もうすでに死亡したことになっていて、即時性、情報更新力の高さに驚かされることがありますが、Yおじさんはまだwikiでは生きていることになっています。まだ訃報は近親者にしか知れ渡っていないのでしょう。東大総長からも弔電、供花もありましたから、やがては更新されるものと思っています。いちおう名前は伏せておきます。
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二世帯住宅の割合が多いのは、魅力のある街のあかし
この東大教授は私と同じ名古屋の人です。仕事のために名古屋から関東に出てきて、鎌倉に居を構えました。しかし遺骨は名古屋に戻って、先祖の墓に入るそうです。東大教授ですので、勤務先はもちろん東京大学です。鎌倉から東京大学までけっして近くはないと思います。もっと近場の通勤にいい場所もあっただろうに、どうして鎌倉に居を構えたのでしょう。
この東大教授を含めて、おじさんたち兄弟らはみんな名古屋から上京しています。名古屋から東京に引っ越してきたときに、兄弟はどこにだって自分の選択で住むことができました。うちの父親は自分の勤務先である大手町を中心に、通勤に便利のいい場所として千葉県(松戸市)を選びました。電車の乗り換えなしで通勤できたからです。そしてもちろん鎌倉よりも土地の値段が安かったこともあるでしょう。その気持ちはよくわかるのですが、子供としては、なんでうちも鎌倉に住んでくれなかったんだと感じたこともありました。だってどう考えたって家族が住むには松戸よりも鎌倉の方がいいじゃないですか。
先見の明というか、Yおじさんは、家族のことも考えて、古都鎌倉を選んだんだろうなあと漠然と感じていました。自分のことだけ考えたら、もっと東大に近くて、電車の乗り換えをしなくてすむ場所を選べばよかったはずです。鎌倉では東大まで何回か電車の乗り換えをしなければならないはずです。たまにならともかく、毎日のこととなると、乗り換えなんて、ないにこしたことはありません。そもそも最寄りの駅が湘南モノレールの西鎌倉駅なのです。通勤にモノレールを使うというのは合理的な選択とは思えません。モノレールなんて電車にくらべたら輸送力も小さいし、混むだろうし、通勤に向いているとは思えません。そんなことが東大教授の優秀な頭脳でわからなかったはずがないのに、それでもあえて鎌倉に住んだのは、自分のことより家族のことを考えてのことでしょう? いうまでもありませんが、鎌倉は別世界です。湘南や稲村ケ崎にはサーファーやランナーが、鎌倉アルプスには登山者やトレイルランナーたちが、そして寺院や花の時期には観光客が押し寄せて、一大レジャーランドを形成しています。リゾート感があるんですよね。ベッドタウンとは雰囲気がまるで違います。
鎌倉の市街地を散歩すると二世帯住宅が多いのにも驚かされます。ふつう松戸だったら子供世帯は結婚して出ていくので二世帯住宅にはなりません。鎌倉に二世帯住宅が多いのは、子供世帯が鎌倉から出ていきたがらないからでしょう。いい場所だから、みんな離れたくないのです。
うちの父親は東大教授以上の高給取りだったはずなので、その気になればYおじさんと同じように鎌倉に住むことも選べたはずです。それなのに海も山も鳩サブレーもない松戸を選んだことに、家族としては「やっぱり東大教授は将来の見通しが違うよなあ」と思わざるをえませんでした。私にとってYおじさんというのは、そのような存在でした。
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海のない場所で船の研究をするなんてありえなかったのではないか?
ところが葬儀に参加して、坊さんがお経をあげている小一時間のあいだ、供花などを眺めているうちに、別の考えに思い至りました。それはつまり、こういったことです。
Yおじさんは、家族のために鎌倉に居を構えたのだと思っていたけれど、本当は自分のためにそうしたのではないか?
わたしはあくまでも観光目線でおじさんが鎌倉を選んだと考えていましたが、Yおじさんは必ずしも鎌倉を観光目線で見ていなかったんじゃないだろうか。つまり自分の仕事目線で見ていたのではないか、ということにはじめて思いいたったのです。
西鎌倉というのは湘南モノレールに乗って、たったの三区で江の島です。その最高の場所を観光目線でのみ私は見ていたけれど、おじさんは自分の職場としてとらえていたのではないか、と葬儀場ではじめて思いました。
Yおじさんは船舶の研究者です。仕事場は東京大学ですが、船の専門家ですから、海が仕事場だともいえるでしょう。海から離れて船舶はありえません。その証拠に葬儀には、船関係者だけでなく、たくさんの海関係の研究機関や組織から供花がそなえられていました。おじさんがとりくみたかったのは、船と、そして海だったのではないか、とそれを見て感じたのです。
私にとってYおじさんは、学者でした。東大の教授で、たまたま研究分野が船だったのだと思いこんでいました。学者として成功できて、東大の教授になれるなら、研究分野は船じゃなくて飛行機でも、なんなら宇宙船でもよかったんだろうと思っていました。でもそうじゃなかったんじゃないか。船が好きよりも先に、海が好きがあったんじゃないだろうか。死者に思いをはせながら、海関係の人たちからの供花を眺めながら、はじめてそのことに気づいたのです。
海のない松戸とか浦和とかに住んで船の研究をするなんてありえないと思ったのかもしれません。かつて金田一春彦さんが「国文学を研究するなら京都に住まなきゃ」と言っていたのと同じような感覚だったのかもしれません。アイヌのことを研究するなら北海道に住むべきでしょうし、長野県や山梨県(海なし県)で船舶研究をしている人からマトモに船を学びたいでしょうか?
たとえ平日は西鎌倉と東京大学の往復で海を見ることはなかったとしても、休みの日にふっと散歩感覚で行ける片瀬江ノ島から、研究する意欲、パワーをもらっていたのかもしれません。もちろん船のことは好きだったのでしょう。しかし船より先に海が好きだったのではないか。船の学者が海から離れていいわけがありません。鎌倉に住んだのは、家族を思ってのことではなく、自分の研究を思ってのことだったのではないか。自宅のすぐそばにある海から、研究意欲をもらっていたのではないか? 葬儀の席で、そんなことにはじめて考えいたったのでした。
サーファーとは違った方向性で海を愛した人
そのことを遺族(私にとっては従姉)にたずねると、思ったとおりのようでした。ふるさと名古屋の海を愛したことがきっかけで、海から船にたどり着き、長じて船舶の専門家になったのだそうです。戒名に海という漢字はありましたが、船という漢字はありませんでした。船ありきではなく、海が先だったのです。研究分野は飛行機でも宇宙船でも何でもよかったんじゃないかと思っていたのは間違いでした。船でなければならなかったのです。海とつながっていたかったから。
通常、海を愛する人というと、私たちはサーファーや、ウインドサーフィン、カヌーやクルーザー乗りなどマリンアクティビティーをする人を思い浮かべます。大学教授を思い浮かべる人はいないでしょう。しかしYおじさんは、彼らに負けず劣らず海を愛した人だったのではないでしょうか。ウインドサーファーとは違う方向に進んだけれど、海を愛する気持ちには変わりはありません。海と関わって生きていきたいからと、サーフショップを経営するという人がたまにいますが、Yおじさんは海と関わって生きていきたいから東大教授になったのかもしれません。船舶の専門家に。そうして生涯、海と関わった。葬式でそんなことを私は感じたのです。
弟子すじにあたる東大教授が涙をこぼしながらおじさんの弔辞を読んでくれました。私は親戚なので骨までひろいました。お別れですね、おじさん。
葬儀がおわった翌日、私はモノレールに乗って湘南の海を見に行きました。サザンオールスターズやTUBEが歌ったある意味で日本一の海です。砂浜で遊ぶ人、サーファー、ウインドサーファー、SUPに乗る人、ビーチランニングをする人、湾岸道路にロードバイクを走らせる人、それらの人だけでなく、沖には船が行きます。海には船があるのです。大学教授という海の愛し方があったのか。それは誰もが気づくことではないでしょう。私だって何十年とおじさんを知りながら、葬儀の席ではじめてそれに気づいたのですから。
最高の移住先を探す旅。湘南、ここだったのか
父が鎌倉ではなく松戸を選んだことから、私は千葉県人として生きてきました。しかし父やYおじさんが自分の住処を自由に選べたように、今の私は住む場所を自分の意思で選ぶことができます。仕事を辞めた後も千葉県人であり続けることはありません。どこか最高の場所に住みたい。それが私の願いです。海外移住も考えたのですが、今では本拠地は日本において、月単位で海外放浪するスタイルがいいと考えています。その日本国内のベースキャンプとなる移住先を探しながら旅をつづけています。どうせ賃貸ぐらしなので、数年単位で何か所も移動して生きていけばいいと思っていますが……京都のような古都、人でにぎわう都会、瀬戸内海のような多島海、八ヶ岳のような山岳地帯などいろいろな場所を探しました。私が希望する条件のひとつに「富士山と美しい海が見える場所」というのがあります。富士山が大きくて海が近い場所として、地図上で探した富士市にがっかりしたことは以前ブログで報告しました。富士市の海は人工壁の向こうにあって完全管理されていて、まるで親しみがもてませんでした。工業地帯だったことも地図からはわからなかったことでした。
おじさんの葬儀でひさしぶりに湘南ビーチに到着してびっくりしました。そこから富士山が大きく、美しく見えたので。
ああそうか。ここからも富士山が見えるのか。
そう思いました。さんざん探していた「富士山と美しい海が見える場所」ですが……いちばんよかったのは、穴場でもなんでもなく、ベタの王道中の王道でした。葉山や伊豆半島、静岡などを探していたのですが……いちばん心に響いた場所は湘南でした。
幼い頃におじさんの家に何度か遊びに来ていますので、その時に見た景色が目に焼きついていたのでしょうか? どうせ鎌倉には高くて住めないだろうと、はじめから候補地除外していたところだったのですが……まさかこんなタイミングで再発見することになるとは思いませんでした。
湘南、ここだったのか。
心の中で探していた場所は、幼い頃にみた風景でした。
そして「立派なおじさんだったな」と亡くなった或る東大教授のことを海を眺めながら偲んだのでした。
合掌……