みなさん。おはようございます。ハルトです。
ここでは放浪の旅人が旅先でするウェイクアップランニングについて語っています。
旅先のウェイクアップランニングは人生最大のよろこびのひとつです。
知らない街、知らない人たちの中、知らない場所を走る時ほど、人生が充実しているときは他にありません。
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※雑誌『ランナーズ』の元ライターである本ブログの筆者の書籍『市民ランナーという走り方』(サブスリー・グランドスラム養成講座)。Amazon電子書籍版、ペーパーバック版(紙書籍)発売中。
「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか?
いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状を打破し、自己ベスト更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」「かかと落としを効果的に決める走法」
●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム?
●ピッチ走法よりもストライド走法! ハサミは両方に開かれる走法。
●スピードで遊ぶ。スピードを楽しむ。オオカミランニングのすすめ。
●腹圧をかける走法。呼吸の限界がスピードの限界。背の低い、太った人のように走る。
●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは?
●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」
本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く走ることができるようになります。
あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
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どんなレースに出ても自分よりも速くて強いランナーがいます。それが市民ランナーの現実です。勝てないのになお走るのはなぜでしょうか? どうせいつか死んでしまうからといって、今すぐに生きることを諦めるわけにはいきません。未完成で勝負して、未完成で引退して、未完成のまま死んでいくのが人生ではありませんか? あなたはどうして走るのですか?
星月夜を舞台に、宇宙を翔けるように、街灯に輝く夜の街を駆け抜けましょう。あなたが走れば、夜の街はイルミネーションを灯したように輝くのです。そして生きるよろこびに満ち溢れたあなたの走りを見て、自分もそんな風に生きたいと、あなたから勇気をもらって、どこかの誰かがあなたの足跡を追いかけて走り出すのです。歓喜を魔法のようにまき散らしながら、この世界を走りましょう。それが市民ランナーという走り方です。
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清渓川ウェイクアップ・ランニング
腕時計の目覚ましが鳴った。ここは韓国ソウルの安宿である。
「起きて走ろう」
身体は少し疲れていた。時差はないが、観光の疲れはあった。昨日も一日中歩き通していた。
それでも起きて走ろうと思う。
なぜならそれが私の人生における最大の楽しみのひとつであるからだ。
知らない街、知らない人たちの中、知らない場所を走る時ほど、人生が充実しているときは他にないと思う。
バルセロナの海辺や、ミラノ大聖堂の前をモーニングランしたことは、いつまでも忘れない思い出になっている。自分がどこにでも行ける自由を持っていると、朝ランほど感じることはない。
人生は冒険に満ち満ちていると、外国を朝ランするときほど感じることはない。
自宅ではこんなに早起きすることはない。それでも無理して起きてランニングのできる格好に着替え、寒い外へと飛び出していく。
走れば帰ってきた頃には気分爽快になっている。そのことを経験から僕は知っている。
朝ランのことを僕はウェイクアップランニングと呼んでいる。
厳密には、夜に走っても覚醒のためのランニングはウェイクアップランニングと呼んでいる。
朝ランは常にウェイクアップランニングと同義だ。
走りに行くのは、そう「清渓川」である。
いい名前の川だ。
日本にも同じ名前の川がありそうだが、グーグル検索しても出てこないから「ありそうでない」のかもしれない。もしあったとしても検索上位にヒットすることはないであろう。勝つも負けるもライバル次第なのである。ちなみに彼女の本名はチョンゲチョンであるが、私たちはセイケイガワと呼んでいる。『ハングル』という記事で紹介した通りだ。
アジアの街は走るのに適さないところが多い。
道路は車のことばかり考えて、歩行者は二の次という設計思想の街がアジアには多い。
ソウルも信号が多くてあまり快適に走れる街ではないのだが、清渓川は別である。
まだ早朝、吐く息は白い。
すこしぐらい積もっていてもトレイルランニングシューズを履いているので大丈夫なはずである。
静かな川岸の道路を走る。早朝だったせいか、誰もいない。
ランナーも、歩行者さえも。
清渓川をひとり占めである。
大都会ソウルのちいさなかわいらしい川をひとり占めできたのも韓国の神様の僕へのご褒美であろうか。
川の水は見た目透き通っていてきれいである。昨夜の雪が溶けているのかもしれない。
旅先では時差や旅行疲れで朝が辛いこともある。
それでも無理やり起きてちょっと走ると気分も晴れて活力に溢れてくるのだがら、走るとは不思議なものだ。一日の活力の源といっても過言ではない。
朝ランとかモーニングランと呼ばずウェイクアップランニングと僕が呼んでいるのは、目を覚ますことが最大の目的だからである。
身体と脳を目覚めさせて旅先に体を慣らすのが目的だ。
速く走ることが目的ではない。トレーニングではない。
だから『サブスリー養成講座』で語ってきた速く走るためのテクニックはすべて忘れてのんびり走る。
だいいち旅先では走るのには適さないシューズであることがほとんどだ。
暑い国ではサンダルだし、寒い国ではトレランシューズを履いていることがほとんどだ。
それでも走る。サンダルだって走れるのだ。
旅先でのウェイクアップランニングでは、思い出をつくることも目的のひとつだ。
だから顔をあげて周囲をよく見るようにしている。
それにしても誰もいない。清渓川には信号ひとつない。
ところどころに川を渡る飛び石があり、対岸に渡って気分を変えることもできる。
こんなに走りやすい、いい場所なのに、ランナーが全然いないことに僕は心から驚いた。
これがセーヌ川だったらマラソン大会やっているのかと思うほどランナーが溢れ返っているはずである。
つくづくランニングというのは白人文化なのだなあ、と思う。世界中どこへ行っても走っているのは白人ばかりだ。東洋人は僕だけということがよくある。
若い頃にはアジア人を代表して強そうな白人ランナーに草レースを挑んで思い出づくり&スピード練習をしたりしたものだが、清渓川ではひとりもランナーに出会わなかった。
そんなときは走りながら思索にふけってしまう。
幼い頃の思い出。ソウル日本人学校のこと。韓国のこと。
『バックパッカーの生き方。唐辛子実存主義』についても走りながら考えたことだ。
今、ソウルで4年間暮らせと言われたら存分に楽しんで暮らせるのになあ。
この清渓川を毎日走るのに。
そんなことを考えながら走っていたらなんと川の突端に着いてしまった。
清渓川は途中から暗渠化されているのである。
ソウルの西の上流側に人口の瀧がある。そこが清渓川のどん詰まりだ。
そこから先は地下川であり行くことはできない。
走り足りないので折り返すことにした。気分を変えるために飛び石で対岸に渡り、東大門方面に向かって走る。
四万十川にあるような沈下橋があった。ウルトラマラソンを思い出す。
走ることで脳内モルヒネがつくりだされる。
もう僕には自分なりのレベルで日の丸を背負って韓国のサブスリーランナー達に走り勝つだけの力はないかもしれない。
川内優輝が自己ベストを出したソウル国際マラソンを走ってみたかった。
東大門を越えてしばらく走ると舗装道路がなくなった。
この先、清渓川は漢江ハンガンに合流している。
幼い頃、僕は漢江ハンガンのほとりに住んでいた。もしかしたら人生で江戸川の次に眺めている川は漢江かもしれない。トムハルバンの爺さんにおはようの挨拶をして僕は安宿に戻ることにした。
ハルト「走ってきた! ああ気持ちいい! 早起きしてよかったよ」
イロハ「眠ーい。むにゃむにゃ。どこ走ってきたの?」
全身に血が巡り、目が覚めた。
知らない場所を走ることで、冒険が心を覚醒させる。
ハイな気分で安宿に戻ったら、イロハはまだ部屋で眠っていた(笑)。
いつも僕の方がイロハよりも旅のイベントがひとつだけ多い。
それはこの朝のウェイクアップランニングである。
朝のこの時間が一日の中で最も楽しいこともある。イロハには内緒だけれども。
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旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。
【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●日本海も東海もダメ。あたりさわりのない海の名前を提案すればいいじゃないか
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●もしも韓国に妹がいるならオッパと呼んでほしい
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●「トウガラシ実存主義」国籍にとらわれず、人間の歌を歌え
韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。
「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。
帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。
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