【無限ループ】サディストとマゾヒストが出会ったら? クレタ人は嘘つきだとクレタ人が言った。

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心の放浪者アリクラハルトの人生を走り抜けるためのオピニオン系ブログ。

書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。小説『ツバサ』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

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聖書の話し? 神の言葉?

「あなたの肉体と同様に、魂もまたわたくしの所有に帰し、そのことで深く苦しむことがあろうと、あなたの感覚と感情とはわたくしの権威に従うべきものとする」

「わたくしは残酷のきわみに走ることが許され、肉体の損傷に及ぶことがあろうと、あなたは黙ってそれを耐え忍ばなければならない」

唐突にこれらの言葉を読んだら、いったいどこからの引用だと思うでしょうか?

おそらく聖書、とくに旧約聖書からの引用だと思う人が多いのではないでしょうか。アブラハムは大切な息子イサクを神への生贄に捧げろ、という神からの不条理な命令にしたがって息子の肉体に刃物を突き立てようとします。

「わたくしの存在以外に、あなたは何ひとつ所有するものはない。あなたにとって、わたくしはすべてである。あなたの命であり、未来であり、幸福であり、不幸であり、苦悩であり、そして歓喜なのである」

「わたしくはあなたの主権者であり、生と死をつかさどる主人である」

モーセに十戒を授けた旧約の神の言葉のようです。しかしこられは聖書の一説ではありません。

オーストリアの作家ザッハー・マゾッホが、ワンダという女性との間に交わした『契約書』の中の一節です。

聖書というのは神との契約の書(古い約束=旧約、新しい約束=新約)ですが、マゾッホは自分の女王様と契約を交わすことをプレイとして好みました。

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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。

「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」

「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」

※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。

アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

https://amzn.to/44Marfe

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アスリートはマゾヒスト? マゾヒズムって何だ?

この稿の筆者はランナーです。たいていの友人・知人はわたしのことを「走る人」と認識しています。世界中のマラソン大会を走ってきました。トレイルランニング(徹夜で走ります)やウルトラマラソン(100kmを走ります)も走っています。

シリアス・ランナーである私は、よくこう聞かれたものでした。

「きみって、マゾなの?」

走る姿が、自分を痛めつけているように、周囲からは見えるみたいです。

「いや違う……と思うよ」

モヤモヤした気持ちでいつもそんな風に答えていました。自分の中に自覚があったわけではありません。

マゾ(マゾヒスト)というものがよくわかっていなかったからです。よくわかっていないものに対して「自分はそれだ!」なんて断言できるわけがありません。

シリアスランナーであるこの稿の筆者の著作です。ぜひお読みください。

たとえばボディービルダーのような筋トレマニアはストイックに自分の筋肉を傷めつけてパンプアップしていますが、彼らはマゾなのでしょうか? そんなことを言いだしたら、あらゆるスポーツマンはマゾヒストだという気がします。

マゾヒズムっていったいどういう性倒錯なのか、調べてみました。

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サドの作品にみられる傾向のことをサディズム。マゾッホの作品にみられる傾向のことをマゾヒズムという

マゾッホのもっとも有名な作品は『毛皮のビーナス毛皮を着たビーナス)』ですが未読です。なんか表紙がグスタフ・クリムトの『ユディト(ユディトというのは敵将の寝首を掻いたユダヤ人女性です。男の首を持った美女という絵は、たいていサロメかユディト)ですけど関係あんの?

読むことができた『聖母』に関する論評はこちらをご確認ください。

『聖母』マゾッホ文学をマゾヒズム文学として読むと理解できない

私は卒業論文でサドを論じて(厳密には三島由紀夫の『サド侯爵夫人』を論じている)文学修士になっているので、マゾヒズムに関してド素人ではありません。

サド侯爵の作品にみられる傾向のことをサディズム。マゾッホの作品にみられる傾向のことをマゾヒズムといいます。クラフト=エビングというドイツの精神科医が命名しました。

どうして読書が『聖母』だけで終わらなかったのかというと……性的な描写がほとんどなかったからです。そこが謎でした。サドは解剖学の本のように露骨でしたから。『聖母』だけが特別で『毛皮のビーナス』には性的な描写があるのか? あるいは日本の編集者の自主規制なのか、それが気になりました。

読んだのは『マゾッホという思想(平野嘉彦)』『マゾッホとサド(ジル・ドゥルーズ)』です。黄色い下線は二冊の本の内容・引用です。矢印以下は、わたしの感想になります。

マゾッホは二十歳で大学の講師をつとめる秀才でした。

神のいない世界を創造するサド侯爵がインテリなのは想像がつきます。しかしそうでもなさそうなマゾッホもインテリでした。通説では「マゾヒストはインテリや社会的地位の高い人が多い」といいますが、元祖マゾッホはインテリでした。そして社会的に成功した作家でした。

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フェティシズムのことをマゾヒズムと命名してもよかったほど毛皮フェチ

もっとも有名な作品が『毛皮を着たビーナス』であるのは偶然ではありません。マゾッホのビーナスは毛皮を着ていなければならなかったのでした。それほどマゾッホは毛皮にこだわりを見せます。

ほとんどヘンタイです。マゾヒズムということばをフェティッシュの意味に位置付けてもよかったほどの毛皮偏執者でした。

女王様は、毛皮を着て、美しいことが条件でした。暴力ではなく、存在の及ぼす影響力によって奴隷を有するのです。

毛皮を着た残虐な女に鞭打たれる。野獣の毛皮が野獣の体臭を発散していた。

奴隷は熊や盗賊の真似をする。毛皮をまとい鞭を手にした豊満な女性によって駆り立てられ、鎖につながれ、賞罰と侮辱と激しい肉体的苦痛を被らされる。

→ 女王様はみごとにみんな揃いも揃って毛皮を着ています。SMクラブだとレザーを着ているイメージがありますが、元祖マゾッホはレザーフェチラバーフェチではなく毛皮フェチでした。

マゾッホがこうなったのには美しい叔母の存在があったようです。

夫を裏切っておいてあとで虐待する肉感的な毛皮に包まれた伯母。あるときは王女風の貂の毛皮をまとったり、あるときはブルジョワ風の兎の毛皮をまとったり、田舎風の羊の毛皮をまとったり……なんやかやと毛皮を着ています。そんなにそそるかな毛皮!? ヘンタイじゃないの!?

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加虐・嗜虐。苦痛快楽症=アルゴラグニア

サディズムとマゾヒズムは同じもののネガとポジだという説があります。サドとマゾというのは容易に反転することが多いからです。

たとえば男性読者がSM小説を読んでいる場合、途中までは責めている男性目線(加虐趣味)だったのに、いつしか責められている女性の立場(嗜虐趣味)で読んでいた、というような場合がSMの反転に該当します。

また苦痛快楽症と訳されるアルゴラグニアという症状もあります。苦痛の定義は「嫌なこと避けたいこと」ですが、それを快楽(好きなこと欲しいこと)としてしまう矛盾した精神嗜癖です。

死の擬態を演じるマゾヒズム。

アルゴラグニアとは、死は「嫌なこと避けたいこと」のはずですが、それを快楽(好きなこと欲しいこと)としてしまう性癖です。キリスト教聖者への拷問が、この芽を大きく育てたのではないかと思います。

快楽原則と涅槃原則。死の衝動。すべての生の目標は死である。

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反復脅迫。不快な経験をたえず反復する症状

反復脅迫。不快であるはずの行為を反復しないではいられない不可解な脅迫。不快な経験をたえず再現することによって、その刺激に慣れようとする、みずからにほどこす減感作療法のごときもの。

この反復脅迫も自分を傷つけるマゾヒズムの一部とされています。

※「反復脅迫」について触れたこの稿の筆者の小説です。ぜひお読みください。

「もう終わったこと。関係ないでしょ。昔のことなんて」

 反復脅迫。心が壊れてしまいそうなほど傷を受けた者は、二度と同じ傷を受けないように心に充分な防壁ができるまで悪夢を何度も何度も心の中で繰り返すのだという。傷を傷と感じなくなるまで、痛みを痛みと感じなくなるまで何度も何度も自分を傷つけるのだ。

「歪んでるよね。でも好き」……

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十戒の神との契約は、奴隷契約書だったと言わんばかりに

契約に書かれたことは守らなければならない。それはなぜでしょうか。

それはもともと契約というものが神との契約から発達したものだからです。神との約束をたがえるわけにはいきません。

マゾッホは崇拝すべき対象(女王様)と、契約をとりかわすことを好みます。

奴隷契約書には、気まぐれ暇つぶしに女王は奴隷を虐待する権利を有すると書かれています。

マゾッホの場合、奴隷契約書や残った手紙の方が、マゾヒズムが露骨に強烈です。

サドの場合、自分は牢獄内にいますので、小説の中の出来事はすべて100%非現実でした。世界から孤立し厚い壁に囲まれた城の奥まったところでサドの主人公たちは世界を再構築しようとします。

しかしマゾッホは現実に作品を反映させようとし、作品に現実を反映させようとします。

冒頭にも書きましたが、まるで旧約の神の言葉かと見まがうばかりの「自己の放棄の要求」「わたしの他に意志をもたないと誓え」など、ひじょうにキリスト教の構図に似た契約書です。旧約の神様は「信じた時に奇跡が起こる」反面「信じない者は容赦なく滅ぼす」というおそろしい神さまです。

B’zは『愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない』という歌で「信じるものしか救わないせこい神さま拝むより、僕とずっと一緒にいる方が気持ちよくなれるから」と歌っています。旧約の神のことですね。

もしもマゾッホの契約書が旧約の神との契約に擬されているのだとしたら、まるで神との契約は、奴隷契約だったのだといわんばかりです。

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サディズムとマゾヒズムは違うもの

サディズムとマゾヒズムが表裏一体の鏡のようなものであることを一部認めているものの、ドゥルーズは「(サドの)サディズムと(マゾッホの)マゾヒズムは違うもの」だと主張します。

マゾッホのマゾヒズムの場合、女王様と奴隷がいるが、教師は打たれている方です。養育し、説得し、契約に署名させる訓育者なのは鞭打たれている男性の側(マゾッホ)でした。

「わたくしには無理な仕事ではないかと心配ですが、愛するあなたのためなら、やってみましょう。こんなことがわたくしの楽しみにならないように、気をつけてくださってね」

女王様が奴隷をたしなめていたのではありません。たしなめていたのは奴隷の方です。たとえば「必ず毛皮を着るように」というふうに奴隷が女王様をたしなめるのです。さすが毛皮フェチ。

奴隷の方が女王を育成し、仮装させ、口にすべき苛烈な言葉を教え込むのです。

この構図はサドにはありません。サドの作品にはどのような立場であれ「実践的な哲学者」が登場するばかりです。犠牲者の方が拷問者の口を借りて喋っている構図はマゾッホ独特のものです。マゾヒズムの女性拷問者はマゾヒズムの内部にいるからです。

「男をその奴隷としてしまうこの毛皮に包まれ鞭を手にした女は、いかなる場面であれこのわたくしによる創造物」だとマゾッホ自身も書き残しています。

サドの登場人物が非人間的で、哲学を語るためだけの登場人物に見えるのは、現実に反映することをバスティーユ牢獄によって阻まれているからかもしれません。マゾッホは現実につながっていました。

サディストは、マゾヒストを犠牲者に選ばないし、マゾヒストはサディストを自分の虐待者に選ばないということなのです。

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【無限ループ】サディストとマゾヒストが出会ったら? クレタ人は嘘つきだとクレタ人が言った。

こんな笑い話しがあります。

サディストとマゾヒストが遭遇した。マゾヒストが「いためつけてくれ」という。するとサディストが「ごめんこうむる」という。

この小話の面白さがわかるでしょうか? サディストは奴隷の要求を叶えないことでサド心を満足しています。するとマゾはイジメられていることを感じてエクスタシーを感じます。するとサディストはその心を打ち砕こうと今度はいためつける行動に出るのです。するとマゾヒストは痛めつけられたことでエクスタシーを感じます。するとサディストはそれを止めて……と無限ループにおちいります。

似たような話に「クレタ人は噓つきだとクレタ人が言った」というのがあります。

クレタ人は嘘つきなんだからこのセリフはウソです。つまりクレタ人は正直ということになります。正直だとするとクレタ人は嘘つきだというのは本当です。つまりこのセリフはウソということになります……と、無限ループにおちいります。どこまでいっても終わることがありません。

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キリスト教によってめざめたマゾヒズム

「聖人たちの伝記をむさぼるように読みふけり、殉教者たちがこうむる拷問の数々を読んでいると、熱に浮かされたような状態に投げこまれたものだ」

マゾッホ自身がそう告白しています。

三島由紀夫は『仮面の告白』の中で、弓に射られて恍惚の表情を浮かべるセバスティアヌス(サン・セバスチャン)を見て男色(ゲイ・ホモ)の心をうずかせたとしていますが、同じ絵を見ても「ゲイ・ホモ」だったり「マゾヒズム」だったり人によって触発されるものが違うんですね。

バンコクのゲイタウン

おまえは自立した存在として私に向き合おうとしている。あわれな愚か者よ。波は、月の光に照らされるときに、たまゆら、よりあざやかにきらめくからといって、尊大にも思い上がったりするだろうか。

始まりと終わりがあるキリスト教的世界観に対して、始まりもなければ終わりもない世界観です。

わたしは先の『聖母』の評論で、キリスト教世界観に決定打をあたえた書としてダーウィン『種の起源』をあげましたが、ショーペンハウアーとダーウィンは、マゾッホに直接的な影響を与えているようです。

サドにスピノザ思想(汎神論。自然が内なる要因である決定論。キリスト教の神の否定であり、サドが神の代わりに呼ぶ「自然」)が見られるように、マゾッホにプラトン主義(一者の光。すべてはひとつ神秘主義)が見られる。

マゾッホはみずから啓蒙主義者をもって任じていた。汎スラブ主義がマゾッホを駆り立てている。自身は小ロシアのツルゲーネフと呼ばれる。

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カフカ『変身』主人公グレゴール・ザムザはマゾッホのアナグラム

そもそもサドと並び称されるマゾッホの作品にわいせつな描写がまったくなかったので、それは日本の編集者の自主規制なのか、それが知りたかったのです。

しかしマゾッホの小説に猥褻な描写は存在しません。雰囲気の小説。示唆の芸術でした。

登場人物の心境に立ち入らないかぎりエロスはありません。マゾッホのエロスは心で感じるものです。

サディストは制度を必要とする狂気、マゾヒストは契約関係を必要とする狂気でした。

エホバでない神(=自然)の世界を、牢獄の妄想の中で創造しようとしたサド。

それに対してマゾッホは「男をその奴隷としてしまうこの毛皮に包まれ鞭を手にした女は、いかなる場面であれこのわたくしによる創造物」だといいます。

サドがつくろうとしたのは世界観でした。しかしマゾッホはヴィーナスをつくろうとしました。そしてその異教の女神と契約しようとしたのです。

わたし以外は信じるな、というエホバ神から見ると、これもたいへんな背教ということになります。

カフカの有名な小説『変身』の主人公グレゴール・ザムザは『毛皮のビーナス』のゼヴェリーンからグレゴール、ザッハー・マゾッホからザムザ、というアナグラムだそうです。気味の悪い虫に変身してしまって周囲から虐待される『変身』カフカもまたマゾヒストだったんですね。

みんな……ヘンタイだなあ。

まあ、ヘンタイについてこれだけ語れるわたしも十分にヘンタイかもしれません。あるいはキリスト教に取りつかれているのかな?

やはり冒頭の問いかけに対する答えは「イエス」なのでしょうか??

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このブログの著者が執筆した純文学小説です。

「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」

「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」

本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
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×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
https://amzn.to/43j7R0Y
×   ×   ×   ×   ×   × 
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×   ×   ×   ×   ×   × 
◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

Amazon.co.jp: 帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル (民明書房) eBook : アリクラハルト: 本
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随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
https://amzn.to/47hnbeF
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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