君が生きていることには意味がある
ジェレミー・イングランドのエントロピー仮説というのがあります。
生命はどうして誕生したのか? 生きる意味はあるのか?
本当は「神の大いなる意志」によって意味を持って生まれてきたと思いたいのです。君が生きていることには意味がある、そう言ってもらいたいのです。
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なぜなら、神がそのような存在としてあなたをつくったからだ、そう言われればもはや疑問の余地なく生きることには意味があります。
しかし「神は死んだ」ために、現代の人々は必死に生きる意味をさがしています。
まずは「どうして命が誕生したのか」ジェレミー・イングランドのエントロピー仮説を聞いてみましょう。
ジェレミー・イングランド(実在の人物)のエントロピー仮説
ジェレミー・イングランドのエントロピー仮説とは、物はバラバラになるという物理の法則のことです。諸行無常の仏陀の教えのようですが「秩序あるシステムは必ず崩壊する」という物理学上の法則です。
集まったエネルギーはバラバラに拡散します。これがエントロピーです。世界は混とんを好むのです。
「エネルギーをよりよく分散させるために、物質自らが(手段として)秩序を創り出す。その秩序が生命なのだ」
ダン・ブラウンの小説『オリジン』ではそう説明されています。
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暖かい部屋と冷たい部屋の扉を開けると、やがて二つの部屋の室温は同じになります。このようにエネルギーは均等に拡散しようというわけですね。
エネルギー放散のきわめて有効な手段だから、生命が誕生した。生命は物理法則によって生じました。「エネルギーを拡散せよ」というエントロピーを実行するための手段。それが生命だというわけです。生命は単なる物理法則の結果です。神の似姿ではありません。
「エネルギーを拡散せよ」というエントロピーを実行するための手段。それが生命
エネルギーの均質化のきわめて有効な手段だから、生命が誕生した。「エネルギーを拡散せよ」というエントロピーを実行するための手段。それが生命だというわけです。
なるほどいっけん正しい主張のように聞こえます。
冷たい海底の深部の熱は、ただ伝播して拡散するよりも、「魚」という手段が大胆に移動してくれた方がひろく放熱することができるでしょう。
するとこういう考え方が出てきます。
地球の熱移動の便宜のためにたまたま存在したのが動物で、にんげんの命には別にたいした意味はない。楽しく生きて、楽しく死ねばいい。今を楽しく過ごせればいい。
神が定めた宿命がないとすれば、なるほど楽しく過ごせればいいという考えにもなるでしょう。
どうやっても楽しく過ごせない人は、死を選ぶこともまたたいした意味はないということになります。
地球の上だけで通用する物理学。理論は全宇宙に通用しないとおかしい
しかしこの「エネルギーの均質化のきわめて有効な手段だから生命が誕生した。「エネルギーを拡散せよ」というエントロピーを実行するための手段。それが生命だ」というエントロピー仮説は本当に正しいのでしょうか。
物理学の理論は、全宇宙に通用しないとおかしいはずです。地球の上だけで通用する理論は物理学ではありません。
たしかに氷の世界に熱を行きわたらせるには、生命という手段が移動すれば効率的です。でもこの世界は地球だけではありません。
こうしている今も熱は宇宙にも放散されています。でも生命は宇宙に拡散してきませんでした。スペースシャトルや国際宇宙ステーションがあるじゃないか、と思うかもしれませんが、そんなことをしているのは人間だけです。
鳥はどんなに高く飛んでも成層圏を超えては飛べません。
「エネルギーの均質化のきわめて有効な手段だから生命が誕生した。「エネルギーを拡散せよ」というエントロピーを実行するための手段。それが生命だ」だというのならば、鳥は宇宙にまで飛翔しないと理屈に合いません。
地球の上だけで通用する真理なんて、真理ではない
それとも今はまだ進化の途中なのでしょうか。これから何万年も経過すれば、エネルギー拡散の手段として物理学的要請であるエントロピーを実行するために、鳥は宇宙までも飛べるように進化するのでしょうか。
それは誰にもわかりません。
しかしエントロピー仮説は、いっけん納得できるように見えて、根本的にはやはりヘンだと思います。
この地球の上だけで通用する真理なんて、真理ではありません。にんげんだけに通用して他の動物に通用しない真理なんて、真理ではありません。むしろこの地球の上だけを世界とする意味で宗教じみています。
宇宙こそが世界です。地上はその一部に過ぎません。
なぜ生きるのか。生きる意味はあるのか。
それは物理学では解き明かせない問題です。
なぜ生きるのか。生きる意味はあるのか。
他人に答えを求めるのではなく、生きる意味をみずから走り続け叫び続け求め続ける過程の中にこそ意味が立ち現れてくるのではないでしょうか。
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