ロードバイクで遠出をしていて回復不能なトラブルに遭ったことはないだろうか? これはその悲劇、悲劇のレポートである。
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このブログの作者の書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』のご紹介
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードをガチンコで競うようになるところまでを描いた自転車エッセイ集です。
※書籍の内容
●スピードこそロードバイクのレーゾンデートル
●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。体重ライディング理論。体重ペダリングのやり方
●アマチュアのロードバイク乗りの最高速度ってどれくらい?
●ロードバイクは屋外で保管できるのか?
●ロードバイクに名前をつける。
●アパートでローラー台トレーニングすることは可能か?
●ロードバイククラブの入り方。嫌われない新入部員の作法
●ロードバイク乗りが、クロストレーニングとしてマラソンを取り入れることのメリット・デメリット
●ロードバイクとマラソンの両立は可能か? サブスリーランナーはロードバイクに乗っても速いのか?
●スピードスケートの選手がロードバイクをトレーニングに取り入れる理由
初心者から上級者まで広く対象とした内容になっています。
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ロードバイクで遠出の最中、チェーンが外れた体験談
ロードバイクは繊細な乗り物であり、常に清掃や調整が必要である。
それでもトラブルに遭ってしまうことがある。走行中にチェーンが外れるぐらいのトラブルは日常レベルで起こり、さほど驚くようなことではない。
チェーンが外れるのはたいていギアチェンジ(シフトチェンジ)をしたときに起こる。シフトチェンジとは回転しているチェーンをディレイラーを使って強制的に脱線させることに他ならない。
脱線したチェーンが隣のギアにうまくはまってくれればギアチェンジは成功であるが、うまくはまらなかった場合、最悪チェーンが落ちてしまう。「チェーン落ち」である。チェーン落ちはフロントディレイラーで起こることが多い。
「チェーン落ち」はペダルの感触ですぐにわかる。テンションがなくなってペダルはスカスカに軽くなるか、あるいはチェーンがフロントディレイラーなどに挟まって一切動かなくなるかのどちらかである。
普通は心配いらない。「ああ、また手が汚れるなあ」と思う程度のことだ。
安全な場所で降車して、リアディレイラー(テンションプーリー)を前に押してチェーンのテンションを緩めて、ブラブラになったチェーンを外れたギアにはめれば元に戻る。
その際、プーリーやチェーンには触らざるを得ない。手が真っ黒になる。その手でドロップハンドル(ブラケット)を握らざるを得ない。「チェーン落ち」はやはりすこしだけ憂鬱になるトラブルである。
チェーンが剥がれた。壊れたチェーンはただのゴミ
ところが今回のチェーン落ちトラブル実体験は、それだけでは済まなかった。
再びチェーンをフロントディレイラーにはめて漕ぎだしたのだが、チェーンがどこかにひっかかってペダルが回らない。どうしたものかと、よく確認してみると、チェーンの輪が外れて、めくれあがってしまっている。チェーンというのはプレートと呼ばれる遮光器土偶の眼鏡のような二つ穴の小さな部品が組み合わさってできている。
チェーン落ちしたのに私がペダルを回し続けたせいであろうか、ちょうど剥がれかけたカサブタのようにアウタープレートが剥がれてそれがリアディレイラーに引っかかってしまうのだ。
指力ではめくれあがったチェーンを戻すこともできない。しばらく悩んだ末、とりあえず押して歩くことにした。歩いているうちにいいアイディアが浮かぶかもしれない。
家までの距離は20kmほどあるだろうか。市民ランナーだった頃、エントリーしていたハーフマラソン大会を最後尾からスタートして徹頭徹尾歩きぬいて完走(完歩?)したことがある。そのときのことを思い出した。あの時は膝を故障していて歩くのにも足を引きずっている始末だった。普通なら棄権するところだったのだが、あの頃の私は「レースを棄権しない男」だった。
ロードバイクを押しながら、その頃のことを思い出す。
いくら絶好調のパフォーマンスを発揮できたとしても所詮は市民レベルだ。世界記録が出るわけじゃない。だとしたら速かろうと遅かろうと所詮は同じではないか? 世界レベルから見たら「遅い」ことには変わりない。大切なのは「遅かろうが何だろうが走ろう」と決めた気持ちであり、いくら全力で走れないからといって棄権するのはその意味からもありえないと私は感じていたのだ。
徹頭徹尾、歩きとおしたハーフマラソン大会。チェーンが剥がれてロードバイクが動かなくなった地点から家まで歩いて帰るとちょうどその時と同じぐらいの距離である。大会のときはせかされるし、本当のラストランナーになると収容者が付いて回るのでプレッシャーで辛かったが、あれにくらべたら今はまだましだ。いつでも休めるし、コンビニに寄って食事だってできる。
ただ、もっこりしたサイクルパンツと、歩きにくいビンディングシューズで歩道を歩くのは、行き過ぎる車のドライバーがみんなこちらを見ているようで恥ずかしかった。
「あらあら、パンクでもしちゃったのかな」と行き過ぎるドライバーが哀れみの目で見てくるのだ(恥)。
旅サイクリング。ロードバイク遠征でチェーンが壊れたらどう対処すればいいか
まだ20kmぐらいでよかった。そのぐらいの距離なら歩きとおした経験がある。
これが下北半島・大間崎など最寄りの自転車屋さんから100kmも離れた僻地での故障だったら、いったいどうしたらいいだろうか。とても歩いて帰れる距離ではない。
そうなったらどうすればいいんだろう。自転車を押して歩きながら、妄想がどんどん膨らむ。
20kmぐらいだと、なまじっか歩けるから人を頼りにしないが、100kmともなれば無理だ。軽トラのある家を探して自転車さんまで荷台で運んでくれるように両手を合わせてお願いするかもしれない。現金は持っている。お礼はできる。
しかしこんな(チェーンが壊れる)こともあるもんだと思った。
ロードバイク乗りのはしくれとして、タイヤチューブの予備は持っていた。しかしさすがにチェーンはもっていない。ご近所を走るロードバイク乗りで予備のチェーンまで備えている人は皆無ではないだろうか。
日帰り程度のロードバイク遠征ならばいいが、本気で旅サイクリングをするならば予備のチェーンは絶対に必要かもしれない。
タイヤだって万が一裂けたりしたらそこで終わりだ。タイヤが裂けたら中のチューブがいくつあっても足りない。
旅サイクリングで辺鄙な場所へ遠出する場合には、チェーンやタイヤなどの予備が必要だろう。
万が一の事故であるが、万が一が起こった時、どうしようもない。そこで旅が終わってしまう。
そんなことを考えながら、手持ちの工具で何とか対処する方法はないか、いろいろやってみた。
ただ自転車を押して帰るのではあまりにも能がない。
チェーンが壊れたらロードバイクで「ドライジーネごっこ」
まずはチェーンを完全に外してしまった。回転しないチェーンはもはや無用の長物である。壊れたプレートのところからチェーンを力づくで外し、コンビニの不燃ゴミに捨てさせてもらった。
下り坂ならば、これで自転車に乗ったまま帰ることができる。しかし道は平たんだった。蹴って進まなければならない。自転車に乗ってみるとサドルが高い位置にあるため、地面を蹴る事ができない。アーレンキーは持っていたのでサドルを目いっぱいさげて、乗りながら左右の両足で地面を蹴ってみた。
「おおっ。これは自転車の元祖、ドライジーネじゃないか」
もともと自転車はタイヤ二つで自立・自走できるかわからなかったため、薄っぺらい木馬のようなものにまたがり左右の足で蹴って進んでいたのである。馬車から進化した自動車とは違い「走るのを補助する道具」が進化したのが自転車である。
このドライジーネこそが自転車の始祖だと言われている。ツーリングの途中でチェーンを壊したら、図らずもドライジーネに乗ることになってしまった。
みなさんはドライジーネに乗ったことがあるだろうか? 私はありますよ! 不本意ながら。
旅サイクリングに必要な準備。タイヤとチェーンも持参しよう
ドライジーネごっこ。楽しかったが、すぐに飽きた。快走の快感というものがまったくない。
ロードバイクのサドルは固いので、左右の足で強く地面を蹴ると股間が痛くなることも知った。下り坂ならともかく、これでは歩いたほうがましである。
結局、いちばんよい方法はアーレンキーでシューズのビンディングを外して、靴底が平らになって歩きやすくなった靴で自転車を押して帰る事であった。
ロードバイクはときたまチェーンが落ちる。しかし基本的に同じシステムで運用しているはずのママチャリではチェーンが落ちたなんてことは経験したことがない。これはいったいどうしてであろうか。どうしてロードバイクだけがチェーンが外れちゃうのだろう。
オートバイだって自転車と基本的に同じシステムでチェーンでホイールを回しているはずだが、チェーンがはずれたなんて聞いたことがない。オートバイ遠征はロードバイクとは比較にならない遠出であり、もはやバイクを押しながら歩いて戻れるレベルではない。
ロードバイクは繊細すぎる乗り物だ。
この経験から、もしもこれからロードバイク日本一周のようなことをやろうと考えている人がいたら、予備のチェーンとタイヤを持っていくことを強くおすすめしたい。山奥でチェーンが壊れたりしたらツーリングがあっというまにただの歩行苦行に変わってしまう。
ロードバイクは、壊れたときの予備装備として持参すべきものが多い。そう思えばやはりママチャリこそ頂点の自転車だと思えてくるのだ。