趣味人間の趣味をご紹介します
このブログの筆者アリクラハルトは趣味人間です。趣味人生を満喫しています。アラフィフ男子の私の主な趣味をご紹介しましょう。
1.ランニング
人生の柱ともいうべき趣味はランニングです。私は市民ランナーの三冠王グランドスラムの達成者で、ランニング雑誌に執筆していたこともあり、書籍も出版しています。ウォーキングの趣味もここに含まれます。
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※雑誌『ランナーズ』の元ライターである本ブログの筆者の書籍『市民ランナーという走り方』(サブスリー・グランドスラム養成講座)。Amazon電子書籍版、ペーパーバック版(紙書籍)発売中。
「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか?
いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状を打破し、自己ベスト更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」「かかと落としを効果的に決める走法」
●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム?
●ピッチ走法よりもストライド走法! ハサミは両方に開かれる走法。
●スピードで遊ぶ。スピードを楽しむ。オオカミランニングのすすめ。
●腹圧をかける走法。呼吸の限界がスピードの限界。背の低い、太った人のように走る。
●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは?
●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」
本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く走ることができるようになります。
※カルペ・ディエム。この本は「ハウツーランニング」の体裁をした市民ランナーという生き方に関する本です。あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
星月夜を舞台に、宇宙を翔けるように、街灯に輝く夜の街を駆け抜けましょう。あなたが走れば、夜の街はイルミネーションを灯したように輝くのです。そして生きるよろこびに満ち溢れたあなたの走りを見て、自分もそんな風に生きたいと、あなたから勇気をもらって、どこかの誰かがあなたの足跡を追いかけて走り出すのです。歓喜を魔法のようにまき散らしながら、この世界を走りましょう。それが市民ランナーという走り方です。
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2.執筆
趣味と実益を兼ねて執筆をしています。ご覧にいただいているブログもそれに該当します。書籍の出版もしています。
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主人公ツバサは小劇団の役者です。
「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」
恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。
「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」
アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。
「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」
ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。
「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」
惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。
「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」
劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。
「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」
ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。
「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」
ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。
「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」
「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」
尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自信が狂っていなければ、の話しですが……。
「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」
そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。
「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」
そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。
「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」
そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。
「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」
「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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3.読書
死ぬ前までには世界中の名著、名作は読了して死にたいと思っています。書籍「私的世界十大小説」のキンドル出版も計画中です。
私的個人的・世界十大小説。読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの本
4.旅行
旅行は趣味というか人生そのものです。大きな庭を持つよりも国立公園を自分の庭のように、大きな本棚を持つよりも図書館を自分の書棚に、大きなお風呂を持つよりも名湯を自分の洗い場にと思って生きています。海外旅行がメインですが、国内車中泊旅も頻繁に行っています。
【旅人】これまでに世界の何か国に旅行に行ったことがありますか?
5.動画鑑賞
映画など動画鑑賞も趣味のひとつです。YouTubeなどのオーディオ的な聴取と、英語の勉強も関連趣味と言えるかもしれません。
多彩な趣味に見えて、実は脳の同じ場所を使っている
これほど多彩な趣味(五大趣味)がありながら、なお新しい趣味を開拓しようと思っています。なぜかって? ひとつにはランニングに飽きてきたということがあります。昔はいくら練習しても練習しすぎることはないという無限に時間をつぎ込める趣味でした。しかしもはや自己ベストを狙うような年齢ではなく、さすがに飽きてきました。ランニングを控えたぶん、時間のやりくりができるようになったということがあります。
また五大趣味は「芸術系」という特徴があります。それぞれ別のように見えてけっこう似通っているのです。脳の同じ部位を使っているのではないでしょうか。たとえば執筆と読書は同系統です。映画鑑賞も読書と同様に物語ストーリー系の趣味です。文芸というくくりでおさまってしまうという意味では同系統の趣味だと言えそうです。
物語は、演出法は、進化する。思想は深まっているし、作劇術は進化している
私にとって旅行とは歩くことであり、ウォーキングと同系統の趣味です。旅するとは歩くことと見つけたり、です。
旅するとは歩くことと見つけたり。靴擦れの水ぶくれ。マッサージの揉み返し
脳の別の部位が刺激される別系統の趣味があればいいなあ、と私は長らく考えていました。アラフィフ男の新しい趣味の候補に挙がったのは以下の三つです。
日本でアラスカ流に生きるには?
趣味の動画鑑賞から知った『氷点下で生きるということ』という作品にハマっています。アラスカで生きる人々の姿を描いたドキュメンタリータッチの作品です。彼らアラスカ人のように生きられたらおもしろいのにと思いました。アラスカ人は狩りをします釣りをします薪を切ります焚火をしますキャンプをします野菜を育てます犬を飼います……すべてをやるのは無理でも、この日本でアラスカ流に暮らすにはどうすればいいでしょうか? せめてできることからはじめてみましょう。
『氷点下で生きるということ』(LIFE BELOW ZERO°)の魅力、内容、評価、感想、ツッコミとやらせ疑惑
私が釣りをやめたわけ
アラスカの人たちは釣りをします。主に網漁ですが、釣り竿も使います。またインディアン水車という特別な漁労もしています。ヘラジカやトナカイのハンティングは無理でも「釣り」ならば日本でも簡単にすることができます。やってみたのですが……どうも私には向いていませんでした。私はアウトドア派なのですが、私のアウトドアというのは「外を動き回ること」なのです。釣りのようにあまり歩かないアウトドアというのはあまり向いていませんでした。
私が焚火キャンプをやめたわけ
薪は人類にもっとも身近な燃料でした。薪ストーブ、薪での調理など、焚火はアラスカ人には欠かせないものとなっています。しかし……やっぱり焚き火キャンプも「動かないアウトドア」なのでした。火を放置して離れるわけにはいかないので焚火のそばに付きっきりになります。焚き火を利用するにはどうしてもBBQで肉料理を食すことになります。
そこらへんの近くの木を切って、近くの広場で焚き火キャンプができるのならば、ぜひ続けたかったと思いますが、そういうわけにはいきません。日本では焚火のできる場所は限られており、それはたいてい有料キャンプ場です。利用料がかかりますし、薪も買わなければなりません。焚火のできるキャンプ場を利用する場合、数千円の利用料がかかります。五千円ぐらいは予算を見なければならないでしょう。それだけのお金があれば……私だったらもっと他のことに使いたいなあ。焚き火だけというわけにはいきません。ターフを張るなどの手間もかかります。時間をかけて準備をしたわりにはすぐに立ち上がって歩き回りたくなるのですから、けっして向いているとはいえないのでした。
私が園芸をはじめたわけ
自給自足のアラスカ人はグリーンハウスをもっていてそこで野菜を育てて収穫しているのでした。日本でいう園芸という趣味ですね。これも日本でやれそうな趣味です。
園芸は、お金がかかるかと思ったらたいしてかかりませんでした。花の苗など数百円で手に入れることができます。土もその程度です。植木鉢、プランターは半永久的につかえますし、イチゴやブルーベリーなど収穫作物を育てられれば収支がプラスになることだって夢じゃありません。新たな趣味はこれだ、と電撃のようにひらめきました。
農家経営の錬金術。農業ボランティア養成講座。研修という名の労働力動員方法
家に居ながらすぐにできることもメリットです。毎日楽しめるというのもメリットでした。お金がかからないこともメリットです。
アラスカにハマったアラフィフ男の新しい趣味
アラフィフ男の選んだ新しい趣味はいかがだったでしょうか?
きっかけがなければ新しい趣味をはじめるということはなかなかないのですが、私を触発したのは「アラスカの人々」でした。この齢で星野道夫さんのようにアラスカにハマっています。
アラスカ流の三つの趣味。三択の中で吟味に吟味を重ねてきましたが、私の新しい趣味に勝ち残ったのは……園芸でした。これまでのランニングや執筆、動画鑑賞とは脳の使う部位が違うので新鮮な気持ちを感じています。私の園芸の師匠は「園芸とは土だ」と教えてくれたカレル・チャペックです。
趣味の園芸家になるために。『園芸家12カ月』カレル・チャペックの内容、感想、書評、評価
長期旅行と両立できないかもしれないという危惧がありますが、どうせ一年草は一年で寿命です。収穫系作物は果実を収穫したら捨てる定めです。旅行でだめになった時はすべて一からやりなおせばいいと思っています。それぐらいは趣味にお金をかけてもいいでしょう。苗代のわずか数百円ぐらい。