以前、タイ行きの飛行機の中で後部座席の男子二人が「旅行先として好きな国」「嫌いな国」の話しをしていた。
『旅行中の会話あるある』である。
二人はタイが大好きで韓国が大嫌いという話しをしていた。
「韓国はパクリ天国で、人の真似ばかりしているから嫌い」
というのが後部座席のふたりの言い分であった。
韓国が嫌いなのは別に構わないが、パクリ国家だから嫌いだという理屈づけはどうなのか、と私は思ったのである。
はい。でました。これですね。テッコンV。韓国のパクリといえばこいつ。超有名なやつ。どう見てもマジンガーZなのだが、オリジナルだと韓国は主張している(笑)。せめてオマージュだぐらい言っておけばいいのに。
後部座席ふたりの話題にも、問題の「人間が乗り込んで操縦するタイプのロボット」テッコンVの話しが出ていた。まあ、確かにパクリには違いないと思う。しかし論点はそこではないのだ。私は途中から後部座席の会話に割り込もうかと思ったのだがやめておいた(笑)。
「そんなこと言ったら日本の文化だってパクリだらけだぞ」ということなのだ。たとえばテッコンVがらみでアニメで言うなら、、、 『さよなら銀河鉄道999』という超名作映画がある。無限の命をもつ機械化人とふれあうことで命は限りあるからこそ尊いと悟るという私の大好きな「旅もの映画」である。黒騎士という謎の敵を主人公の星野鉄郎が倒して、謎の女メーテルと別れて大人の男になるという物語である。
子どもの頃、この映画を見て、私は感動した。すばらしい作品だと思った気持ちは今も変わっていない。しかし後年、いろいろな作品にふれてみれば、『スターウォーズ』のパクリだなあ、と思わざるをえないところが随所にある。
黒騎士は暗黒卿ダース・ベイダーではないか。黒騎士の正体は実は父親なのだが、ダースベイダーも主人公ルークの実の父親であった。
もっと言えば紀元前のギリシア悲劇『オイデプス王』のパクリともいえる。少年は父親を乗り越えて大人になるという、いわゆるエディプスコンプレックス・ストーリーだ。
『機動戦士ガンダム』だって『スター・ウォーズ』が元ネタだったのか、と思うところが随所にある。ビームサーベルはライトセーバーだし、ニュータイプの概念の元ネタはフォースだろう。ジェダイが時代で、ダースベイダーの兜が伊達政宗のパクリで、そもそも宇宙版チャンバラで黒澤映画の真似だとか言っている場合ではない。
ストーリーは真似てもいいけど、デザインは駄目とか、そんな理屈は通用しない。
そんなことはどうでもいいのである。そんなことをいったらギリシア神話から物語は一歩も進まないではないか。
韓国はモノマネ国家? 日本も同じだ。
オリエンタルラジオの『PERFECT HUMAN』は韓国『カンナムスタイル』の真似だと思うぞ。
韓国だけではなく、世界中で同じことだ。後部座席のふたりが大好きだというタイでも、タイの飛行機が萌えキャラ仕様になっていた。
萌えキャラは日本発祥のものだが、萌えキャラ仕様のタイの飛行機が世界中を飛び回ると「萌えキャラはタイのものだ」と勘違いする人が現れかねない。
でも別にいいじゃん。文化をパクられた分、タイの文化をパクればいい。たとえばドリアン文化を日本に輸入するとか。それでプラスマイナスゼロだ。
そもそも漢字からして中国のパクリなんだから、他国のパクリ文化をどうのこうの言ってもはじまらない。
ギャラクシーのスマホだって、iPhoneのパクリなんだろうし、それらをひとつひとつどうこう言うよりは、より高性能の機種をめざして競争すればいいだけのことだ。
これはアジアのスーパーマーケットで発見したラーメンだがNISSIN日清食品が製造しているようだ。「辛ラーメン」の真似だよね、100%。
ちなみにこちらが本物。ラーメンどんぶりを二杯並べて食べるのでないかぎり、味の違いなんて分からない。
日本もどんどん、堂々と真似して儲けたらいいと思う。
辛ラーメンなんて韓国製の独壇場になっているが、日清は日本でも辛拉麺を売りだしたらいいじゃないか。
パクリと呼ばれるのが恥ずかしいから外国でしか売らないのだろうか。
需要のある品物なんだから、なにも韓国製ラーメンに好き勝手にさせておくことはない。パクリと言われるのを恐れて売らないのだとしたら勿体ない。
いいんだ、真似しちゃえ。やられっぱなしなことはない。どんどん真似て、どんどん創っていけばいい。
日本の輸出の主力である自動車だってそもそも他国のパクリなんだから。日本もマネして伸びたのだよ。むしろどんどんパクって儲けろ、と言いたい。
韓国だけがパクリ国家ではないのだ。
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旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。
【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●日本海も東海もダメ。あたりさわりのない海の名前を提案すればいいじゃないか
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●もしも韓国に妹がいるならオッパと呼んでほしい
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●「トウガラシ実存主義」国籍にとらわれず、人間の歌を歌え
韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。
「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。
帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。
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